吾妻
2025-10-07 23:20:57
10260文字
Public アークナイツ
 

Short Story log08

今回は龙博♀・棘博♀・流博♀・里博♀が入っています


おやすみ前にやさしいキスを


「それにしても、あんたがそんなに酔っ払うまで飲むなんて、珍しいこともあるもんだな。自棄酒か?」

 勝手知ったる上司の私室の冷蔵庫を断りもなく開けて、リケーレはよく冷えたミネラルウォーターのボトルを引っ張り出した。相も変わらず栄養ドリンクと水しか入っていない、無味乾燥というか不健康というか、どうしようもない冷蔵庫だ。

…………酔ってない」

 椅子に座ったままボトルを受け取ったドクターは、据わり切った目で前方を見つめたまま、そう言った。実に簡潔な返答で素晴らしい。――これで呂律が回っていれば完璧なのだが。

「それは酔ってる人間しか言わないセリフだろ」

 ボトルキャップを開けるのにも難儀している様子だったので、一度手渡したボトルを再び受け取って、キャップを外してやる。まったく、マスクを外すのすら覚束なかったくせに、態度は普段よりややふてぶてしい。それこそが酒の力なのかもしれないが。
 今すぐ飲める状態になったボトルを渡してやろうか考えて、リケーレは踏みとどまった。
 目の前に仏頂面で座っているこの人物。素面では超有能な戦術指揮官であるはずのドクターは、酔っ払ってフラフラだったくせに、「一人で歩ける」などと歩き始めの子供のようなことを言って、自室に連れ帰るまでもかなり苦労させられた。
 もちろん、誰にでも言う我儘ではない。不器用な甘えに他ならない。酒の力を借りなければ他人にもたれかかれない類の人種だと、誰よりもリケーレが知っている。
 そして、そんな我儘を許容して、辛抱強く自室まで誘導してしまうほど、絆されている自分がいるのもまた厳然たる事実である。
 厄介事は出来る限り迂回して通るようにしているはずなのに、どうしてこんな厄介の塊に盛大に転んだのかわからない。だが、起こってしまった事故を無かったことにはできないし、なんだかんだこの状況を楽しんでいる自分がいるので、悪いものでもないな、と思う。

……けど、労力に対しての対価くらい、請求してもバチは当たんないよな)

 素直におぶらせてくれれば艦内バーからここまですぐに帰ってこられたのに。辛抱強く見守り、時には手を引いて戻ってきたのだから、見返りぐらいあってもいいはずだ。
 リケーレは、手にしたボトルをドクターには渡さず、飲み口を自身の唇に押し当ててぐいと煽った。
 そして、ドクターの顎を片手で掬い上げ、水を含んだままの唇を相手のそれに重ね合わせた。

「っ……、ん……!」

 反射的に身構えるドクターの顎を捉えたまま、舌を滑り込ませた隙間から水を注ぎ込んでやる。掌を顎から喉元に下ろし、その細い喉が水を嚥下して動くのを確かめてから、リケーレはドクターを解放した。
 小さく噎せるドクターの手に、何事もなかったかのようにミネラルウォーターのボトルを渡してやる。

「ほら、そいつを飲んだらさっさと寝ろよ。明日も仕事だろ」

 ドクターはボトルを両手で包むように持って、恨みがましそうにリケーレを上目遣いにする。
 日頃は飄々と構えている人物なのでむくれた顔を見せるのは珍しいのだが、率直に言えば迫力に欠ける。なぜなら、息苦しさのせいか目はしっとりと潤んでいて、息苦しさからか呼吸もやや早まっているため、恐ろしさよりも艶かしさのほうが勝つからだ。
 それにしても、今日はやけに拗ねた顔を見せるものだ。これまで何度も酔っ払った姿を見てきたが、大体は日頃の過労が祟って寝落ちしてしまうか、やたらと上機嫌になって口が軽くなるかのどちらかだった。
 やはり酒に頼りたくなるような出来事があったのかもしれないが、尋ねたところで詳細を話してはくれないだろう。互いの間に信頼がないわけではないが、何もかもを共有する必要もない。自分の荷物は自分で背負い、自分の問題は自分で解決する。お互いそういう性分なだけだ。
 いずれにせよ、今夜は早く寝かしつけたほうがいいだろう。
 しかし――

……と、……い」
「ん?」

 ドクターはやや唇を尖らせたまま、もごもごと何事かを言った。
 声が小さすぎて上手く聞き取れない。リケーレは訝しげな顔をして恋人の顔を覗き込む。
 ドクターは、普段はバイザーで隠されている大きな瞳でまっすぐにリケーレを見据えて、口を開いた。

「おやすみのキスをしてくれないと眠れない」
……は?」

 間の抜けた声で訊き返してしまった。
 お得意の冗談かと思いきや、ドクターはやけに真剣な眼差しを向けてくる。

……いや、今しただろ」
「あれはそういうのじゃないだろ」
「はぁ……

 どうやらドクターの認識においては、先程のはあくまで水を飲ませただけであって、キスの範疇には含まれないらしい。
 あんたって妙なところがロマンチストだよな。喉元まで出かかったからかいの言葉を、リケーレは飲み込んだ。案外も何も、ドクターは元々そういう人間だ。
 理想主義者 ロマンチストでもなければ、そもそもこんな事業に身を粉にして向き合えるわけがない。
 自分には到底真似できない行いだ。そうは思いながらリケーレは、ドクターの、そしてロドスの理念を〝綺麗事〟だと笑い飛ばせない。むしろ遠大なそれらの理想を眩しく感じることすらある。
 これまでずっと地に足をつけて生きてきたし、これからだってそうだろう。面倒事とはできる限り無縁でいたいが、今目の前にいるこの人物に頼み事をされたら、案外あっさりと承諾してしまうかもしれない。
 随分と絆されてしまったものだ。
 酔っ払いの面倒な我儘を、叶えてやりたいと思ってしまうくらいには。

 リケーレは、ドクターの肩に片手を置いて、ぐっと顔を近づける。
 相変わらず据わった目がこちらを見ているので、口の端を持ち上げて笑ってしまった。

「おいおい、こういうときは目を閉じるのがマナーだろ?」

 促しに従って、ドクターは素直に目をつぶる。
 ここまで従順だと心配になってしまう。そんなだから、たちの悪い男に引っかかるのだ。そのうえ、簡単に騙される。――こんなふうに。
 リケーレは大人しく〝待て〟をしているドクターの前髪を掌でそっと掻き上げると、あらわになった形のよい額にそっと、唇を押し当てた。

…………?」
「ご要望にお応えしましたよ、ドクター。今度は私の提案についても前向きにご検討いただけませんか?」

 呆気に取られた顔で額を押さえているドクターが妙に可愛らしく見え、リケーレは吹き出すのをなんとか堪えた。しかし、慇懃無礼とも言える言い回しと、隠しきれない笑い声の気配に、ドクターは今度こそ盛大に臍を曲げてしまった。

……〝これ〟じゃない」
「へぇ? じゃあ〝どれ〟なのか、直接教えてもらうとするか」
「わっ、何……っ」

 まず、ドクターが握ったままだったボトルを奪取して、キャップを閉めて近くのテーブルに置く。次に、油断しきっている相手の腰に腕を回して、肩の上に担ぎ上げる。
 相変わらず心臓に悪い軽さだが、今夜は致し方ない。明日、まともな朝食を食べさせるしかないだろう。

「こら、リケーレ!」
「暴れんなって。落とされたくないだろ?」

 もちろん落とすつもりなどさらさらないが、素直に大人しくなる様には妙なしおらしさがある。思わず喉の奥で笑ってしまうと、気付いたドクターがぺちんと背中を叩いてきた。
 まったく痛くも痒くもないので、リケーレはとうとう声を上げて笑ってしまった。

「そうむくれんなよ。続きはこっちで――な?」

 笑いを噛み殺しつつ、リケーレは顎でベッドを示した。


【おわり】