吾妻
2025-10-07 23:20:57
10260文字
Public アークナイツ
 

Short Story log08

今回は龙博♀・棘博♀・流博♀・里博♀が入っています


午睡


 ぽすん、と。
 前触れもなく、肩に重みが乗ってきて、ドクターは我に返った。
 手元の書類から顔を上げ、重みを感じた左肩を見る。
 そこにあったのは、隣で書類整理を手伝ってくれていたはずの青年の頭だった。
 浅黒い肌に、細く真っ直ぐな黒髪がこぼれかかって、影を作っている。
……ソーンズ」
……
 呼びかけてみても、返事はない。
 規則正しい深い寝息だけが、室内の空気を震わせる。
「そんな体勢で寝ると体に良くないだろう?」
 もう一度、少し声を大きくして呼びかけてみたものの、ソーンズは目を覚ます気配すら見せなかった。むしろ、声に反応してわずかに身じろいだ彼の頭は、ドクターの肩をずるずるとすべり落ち――
 上司の膝の上に、横向きの姿勢で落ち着いた。
……
 いわゆる膝枕の体勢におさまった便宜上部下の頭を、ドクターは無言で見下ろす。
 ……これから、どうしたものか。
 ドクターは困惑して、小さく嘆息する。

 ソーンズは、本日の秘書ではない。
 実験明けに〝本日の秘書〟を訪ねて執務室に顔を出しただけなのだ。
 書類整理の手伝いだって、タイミング悪く席を外していた秘書を待つ間の手慰みに過ぎない。
 だから、彼にはこの部屋に留まる義務がない。
 ここ数日、ろくに睡眠も取らずに実験室にこもっていたのだろうし、膝枕なんて快適な姿勢とは言い難いのだから、体を休めるためにも自室に戻ったほうがいい。
 だが、少し力をこめて揺すってみても起きる気配はなく、ドクターはバイザーの奥で難しい顔をした。
 自分一人では彼を運ぶことなんてできないし、起こすために無理矢理立ち上がれば、青年を床に落とすことになるだろう。線が細く見える割に頑丈な男だとわかってはいても、それはなんだか可哀想に思える。
「うーん……
 深刻そうな唸り声を上げつつ、しばらく悩んではみたものの、ドクター自身睡眠が足りているとは言い難く、思考がうまくまとまらない。

 膝の上には自分のものではない体温。
 静まり返った部屋には規則正しい寝息と、メトロノームじみた秒針の音。
 膝に乗せられた頭に戯れに触れてみると、針のように真っ直ぐな黒い髪も、案外柔らかいことに気づく。
 それらがもたらす穏やかな質感を享受しているうちに――
「ふぁ……
 小さなあくびが、フェイスマスクの奥からこぼれおちた。


            *


「ドクター、お疲れ様! 頼まれた書類、ケルシー先生に届けてきたよ。それでさ、残念なお知らせなんだけど、帰りがけに持って行った書類の倍くらい仕事を預けられちゃって。しかも提出期限は明日だっ……………………?」
 快活な男の声は徐々にトーンダウンし、やがて尻窄みに消えた。
 本日の秘書であるところのエリジウムは、ドア付近から室内の様子を窺って、小さく首を傾げた。
 この部屋の主人であるドクターが、ソファに座ったままうたた寝をしている。
 それ自体は、まあまあ見かける光景なので、今更驚きはしない。問題は、その膝に頭を乗せている人物のほうで。
……ソーンズ?」
 まさかとは思ったが、流石に彼の姿を見間違うはずがない。ドクターの膝にさも当然のように頭を預けているのは、エリジウムの親友であるところのソーンズだった。
「君ってば、また僕をダシにドクターに会いに来て……
 ソーンズは誤解を受けやすい男ではあるが、親友であるエリジウムにとっては、一見複雑怪奇な彼の言動も至極単純明快なものだ。
 つまり〝ブラザー〟は、直属の上司であるところのドクターに懸想していて、何かと理由をつけては執務室を訪れている。エリジウムが秘書を仰せつかる時などはその傾向が特に顕著で、今日もどこかのタイミングでやってくるのではと睨んでいたが、案の定だった。
 しかし、この状況は流石に想定外だ。
 朴念仁に見せかけて、案外したたかな男であるのは重々承知していたが、まさか膝枕に持ち込むとは思わなかった。
 疲労が極限に達したがゆえの〝うっかり〟かとも思ったが、彼の呼吸があまりに静かすぎるで、エリジウムは全てを察した。
「ブラザー、君さ……
 起きてるよね? と問いかけようとしたところで、ソーンズが片目だけを開いて口元に人差し指を立てた。
 やっぱり。そんなことだろうと思った。
 今日のドクターはいつもに輪をかけて睡眠不足みたいだったから、仮眠を取らせようと思った――などと、ソーンズは後で言うだろう。その程度のこと、エリジウムにはお見通しだ。
(でもそんなの、理由になってないよね!?)
 普段から働きすぎの上司を休ませたい。その気持ちはエリジウムにもある。だが、その上司に膝枕をしてもらう理由にはならないのでは?
 言葉には出さず視線だけで訴えかければ、親友の意図などしっかり汲み取っているはずのソーンズは、素知らぬ顔でもう一度目を閉じた。
 これは何を言っても無駄かも。
 せめてもの抵抗に、やたらと大袈裟な溜息をついて、エリジウムはケルシーから預かった仕事の束を上司の執務机の上に置いた。

(早くくっついてくれないかなぁ……

 お互い憎からず想っていることなどお見通しなのだ。
 ダシに使われ続けるこっちの身にもなってほしいし、真正面から素直にからかったり祝福したいのだが。
 ちらりとソファを窺えば、とうとう本格的に寝始めたのか、ソーンズの呼吸も深いものに変わっている。
「君って、変なところが慎重だよねぇ」
 独白の後、エリジウムは備え付けの毛布を引っ張り出すために備品棚に向かった。


【おわり】