吾妻
2025-10-07 23:20:57
10260文字
Public アークナイツ
 

Short Story log08

今回は龙博♀・棘博♀・流博♀・里博♀が入っています


小さなお客様


 ソファに座って書類を読んでいるドクターの足元に、よちよちと金色の毛玉が歩み寄っていく。
 短い前足をドクターの足に掛けて立ち上がり、ぴちぴちと尻尾を振った。
 ドクターは、手にしていた書類をソファの上に置くと、期待に満ち溢れた眼差しを向けてくる金色の毛玉――ゴールデンレトリバーの子犬を抱き上げた。
 両脇の下に手を差し込まれても、人懐っこい子犬は暴れもせず、ご機嫌で尻尾を振っている。ドクターは満足そうな吐息を一つ漏らして、子犬を自身の膝の上に乗せた。
 子犬はドクターの膝に乗ると、今度は首を伸ばして自分を抱く人間の顔を一生懸命舐めようとする。このやりとりは今日既に四度目で、二度目のあたりでドクターはマスクを外してしまった。
「こら。ちゃんと大人しくしていなさい」
 口ではもっともらしいことを言いながら、ドクターもまたご機嫌だ。
 そりゃ、犬が苦手でもない限り、かわいい盛りの子犬に甘えられて、嫌な気分になる人間はほとんどいないだろうけど。

 それにしたって。
 さっきからちょっと、いちゃつきすぎじゃないか?

 そんな考えが頭をよぎって、自分で自分に呆れてしまった。
 気持ちを落ち着かせるためにも、向かい側のドクターを窺いながらソファから立ち上がる。そろそろティータイムの時間だし、先日取り寄せたコーヒー豆と、出張に出ていたスタッフがお土産に持ってきた焼き菓子はよく合いそうだ。
 子犬に嫉妬なんてちょっと大人げなさすぎる。それに、そもそもこの状況を作ったのは他でもない俺自身だ。

 飼い犬を一日だけ預かってほしい。きっかけは、そんな他愛もない相談だった。
 相談してきたのはよくバーで一緒になる内勤スタッフだ。どうしても自分が出向かなければならない出張が入って、他に頼める人間もいないと泣きつかれたのだ。
 動物を預かるのは責任重大だから、正直どうしようか迷ったけど、あんまり必死だったから、つい引き受けてしまった。
 ドクターに事情を話したら、『今日は来客もないし、一日内務の予定だから連れてきてもいいよ』とお許しをもらえたので、お言葉に甘えて執務室まで連れてきたはいいものの……

(まさか、こんなにいちゃいちゃしっぱなしになるとは思わなかったな……

 預かった子犬が人懐っこい性格であることは、飼い主から何度も話を聞かされていたので知っていた。まだ遊びたい盛りにもかかわらず、しっかり躾がされていて、無駄吠えもしないし、こんなにおとなしいなら問題なく一日を終えられそうだと胸を撫で下ろしていたところだったのに。

――執務室に連れていくの? ドクター可愛いものに目がないから、メロメロになっちゃったりして~。

 出勤途中に顔を合わせた医療部スタッフに冗談めかしてそんなことを言われたけど、まさか予言が的中するなんて思わないだろ。
 ドクターが動物好きなのは、俺だってもちろん知ってたけど、今回は子犬の熱烈なアプローチもあって、余計に二人の世界になっている。
 なによりドクターが、あんまりにも愛おしそうな目で子犬を見ているから。

(俺のことも見て欲しいって? 子供かっての)

 嫉妬の根幹を自覚したら、流石に大人げなさすぎて、口の端に自嘲が浮かんだ。
 好きな人に構ってほしい。それ自体は当然の欲望だとしても。まだ庇護が必要な子犬と張り合うなんて。

 手元では、淹れたてのコーヒーが湯気を上げている。
 その香りを嗅いでいたら、自分の子供じみたワガママが急に馬鹿らしく思えてきた。
 愛情不足なんて感じる暇がないくらい、ドクターはいつも構ってくれているのに。
 甘やかされすぎて、欲張りになっているのは俺の方なのかも。

「ドクター、少し休憩――
 両手にカップを持って振り返ったら、ドクターがこちらを見ながら口の前に人差し指を立てた。
 その膝の上では、無防備に仰向けになった子犬が、気持ちよさそうに寝息を立てている。
 ああ、なるほど。道理でずいぶん静かだと思った。考え事も捗るわけだ。

 できるだけ足音を立てないように歩み寄って、ドクターの前にコーヒーカップを置く。
「ドクターは可愛いものに目がないって聞いたけど、本当だったんだ?」
 ゆっくりと上下する子犬の桃色のお腹を眺めながら、潜めた声を投げかけた。するとドクターは一瞬目を瞠ったあと、少しだけ意地悪な顔をして笑った。
「そうだよ。無邪気な子犬はもちろん好きだし、構ってほしいのを我慢している健気な犬も好きかな」
…………
 咄嗟に言葉が出てこなくて、思わず目を逸らしてしまった。つまり、俺が子犬を羨ましがってたことなんて、ドクターはお見通しだったってこと?
 それはちょっと、いやだいぶ、恥ずかしいというか。

「仕事が終わったら君と過ごしたいから、もう少しいい子で待っててくれる? エルネスト」
 優しい声。柔らかな微笑み。そして卓越した人心掌握術。
 俺が好きなドクターの全て。
 それらをまとめて向けられたら、もう取れる手段は一つしかない。
 気恥ずかしさに身悶えしながら、「……ハイ」と従順に頷くことしかできなかった。


【おわり】