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残りの夜が来た
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新しい朝が来た/残りの夜が来た
初出:
2025/5/3 同人誌「新しい朝が来た」 狂児
2025/5/5 ピクシブ「残りの夜が来た」 狂聡狂同軸リバ
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残りの夜が来た
いちご農家の朝は早い。
蜂除けの割烹着をまとった狂児は朝食よりも先にハウスに入り、ミツバチの巣箱をとんとん叩いて回った。
「朝やで~」
布団から這い出るように巣箱からもぞもぞ出てきた蜂たちは羽音を立てながらハウス内の巡回を始めるが、受粉のピークはとっくに過ぎており、蜂たちは花を落としたいちごの間を所在なげに漂っている。今週末には巣箱を養蜂場に返さなければならない。約半年の相棒たちともお別れである。
五月の陽はすでに高く、ハウスの中は汗ばむ暑さである。水を多めに撒きながら、今シーズン最後の客を迎える準備をする。ゴールデンウィークは最後のかきいれ時である。観光客らが満足する数の果実が辛うじて残っていることを確認し、目についた雑草を引っこ抜き、昨日だれかが一口かじって捨てた実をつまみ上げ、集めた生ごみをたい肥用の箱に入れる。
そうこうしているうちに、ハウスの外でラジオ体操の歌が流れ始める。これから寄り合い所帯で集まってラジオ体操を行うという、もうとっくに絶滅したと思われていた習慣が生きているような集落で、狂児と聡実は一緒に生活している。
ひょんなことからとある地方の田舎で観光いちご園を開業することになった際、懸念される事項のひとつとして、近隣住民との折り合いがうまくつくかどうか、というものがあった。聡実はあまり気にしていなかったのだが、狂児は若干気にしていた。自分のせいで聡実が後ろ指をさされるようなことがあっては嫌だと思ったのだった。自分が何を言うのだという話だが。
ふたを開けてみれば杞憂で、寄り合いも崩壊しかけている高齢化社会においては狂児ですら驚異の若手としてもろ手を挙げて迎え入れられた。歓迎と引き換えにハウスの補修や寄り合いの炊事(十数世帯分)や餅つき(十数世帯分)などが付随したが、なんと偶然にも、田舎の農家の近所づきあいの作法は極道のそれと酷似していた。住み込みで大人数分の炊事をやっていた若いころを思い出せば懐かしさすらある。得意分野の労働で即座に地域に溶け込んだ狂児を見て、聡実は「人たらしやな
……
」とつぶやいていたが、それも満更ではないという様子であることは簡単に見て取れて、自分が聡実の身を案じていたつもりが結局は聡実にこちらの身を案じられていたのだと、その時思ったのを覚えている。
腕を大きく回して、のびのびと、背伸びの運動──
ハウスから出ると老人たちに交じってラジオ体操をしている聡実の姿を認め、狂児はにやりとゆがむ自分の口を自覚した。やる気があるのかないのかいまいちわからない聡実の動きと、老人らの最大可動域内でのぎこちない動きには奇妙な相似がある。その光景がおかしかった。
体操には加わらずにただ聡実の姿を眺めていた狂児が、「何見とんねん」と叱られたのはそれから数分後だった。
「ラジオ体操してる聡実くん、おもろいなおもて」
「何度目や」
「ツボやねん俺の」
ずうっと見たいわ。笑う狂児に、聡実は面白くなさそうな顔をする。「ほんなら長生きできるように狂児さんもラジオ体操してください」
「俺まだ六十前やねんけど」
「年齢が若くて体が元気でも、人の恨み買ってそうやから。呪い的なのを跳ね返せるように体力つけてな」
「言いはりますな~」
「お誕生日やからな。また年取ったやろ」
「え~、覚えててくれたんや、俺の誕生日」
「何度目や。ボケたネタやめてください、怖いから」
「俺まだ六十前やから
……
」
朝食をとるために家に向かいながら、狂児は「あ」と声を漏らした。「閉園のお知らせ」
今日が狂児の誕生日ということは、今日がこのいちご園の閉園日でもあった。
収穫期終盤ではあるがまだいちごは取れるし、連休は最後のかきいれどきでもある。それでもこのいちご園は五月五日を最終営業日とし、今日の夜にはお疲れ様会兼誕生会を開く。毎年そういうことにしていた。その締め作業の一つとして、閉園のお知らせSNS用記事を狂児が書いているのであった。
「書いたん」
「書いた。まだのっけてへんけど」
「夜でええんちゃう」
「うん。これでええかな」
狂児はスマホを掲げてみせた。「インスタに載せるやつ」
顔を寄せた聡実は下書きを一読し、むっと唇をゆがませた。「この絵文字とか狂児が打ったん」
「うん。どぉ?」
「ええんちゃう」
言葉のニュアンスを大幅にはみ出した笑いが唇の間から吹き出した。
いちご狩りは四十五分間、一時間刻みで予約を受けている。といっても厳密な管理をしているわけではない。厳密な管理をせずとも客は勝手にハウスから出てくる。なぜならたいていの人間は四十五分間もいちごを食べ続けられないのだ。
とはいえ観光シーズンである。ましてここは今日が最終営業日である。客数を絞ってはいたがその枠はすべて埋まっており、狂児と聡実も暇を持て余しているというわけではなかった。
「すみませ~ん!練乳もう一個もらえますか〜」
「はーい」
四十五分のうち一秒でも惜しいといった様子でハウス前の小屋に駆け寄ってきたのは二人連れの若い女性で、そのうちの一人は透明なプラカップ二つに練乳が注がれるのを待っており、もう一人は手に食べかけのイチゴを持ったままこちらの様子を見ている。こちらになにか話しかけようか迷っているようにも見えたので、狂児は先に「酸っぱかった?」と尋ねた。答えたのはイチゴを持っている方ではなく練乳を注視している方で、「いや、めっちゃ甘いです。練乳いらんくらい」
「二人分つこておかわりはするけどな」
「ええやろ。すみません私どうしても練乳が好きで
……
あのこれ紅ほっぺってやつですか?」
「そやで」
「そうなんや〜。紅ほっぺってこんなに甘いんや」
狂児は練乳をなみなみ注いだカップを手渡した。
「ええやつから食べてもうたやろ。あとは下り坂やで」
「え〜」
「ええ加減下り切ったな〜おもたら今度はだんだん練乳減らしてみてください。登り始める錯覚味わえますんで」
「錯覚なん」
他の客の受付を終えて会話に入ってきた聡実の補足に、二人はきゃっきゃと楽しそうな笑い声を上げた。戻っていく背中を見送りながら、狂児は感心して腕組みをした。「聡実くん、口うまなったよな」
「僕のこと口下手やとおもてたんですか? 心外です」
「口下手いうか
……
昔はどストレートしか放らんかったやん」
「いつの話をしてんねん」
「歳とると昔の話したなんねん
……
ねえ、」
と、受付にやってきた老夫婦に相槌を求める狂児だが、老夫婦は年寄りの仲間入りをしたくなかったようで、「仲良しやねえ」とだけ返してきた。
「はは〜、おかげさまで」
「僕らもおかげさまでお腹パンチクリンやわ〜。孫にお土産こうて帰りたいねんけど、三パックでいくら?」
財布を出した老夫婦に「小さいパックは六〇〇円で
……
」と説明しようとした狂児を遮って、聡実は「すみません、今日で終いなんで、ひと組ひとパックまででお願いしてます」と言う。それは狂児も初耳だった。
「あら、もうそんなちょっとしかないの。私ら食べすぎたかしらね」
「すみません。今日この人の誕生日なんで、とっとかなあかんのです」
「え?」
問い返したのは狂児で、老夫婦は「あらあら」「そら〜取っとかなな」と頷き、ひとパックだけ買って帰った。「また来年な〜」と手を振る二人にサービスですと言って大サイズのパックを渡した聡実に、「そんなに数なかったっけ?」と問うと、「ギリやな」
「一つ二つくらいあるやろ」
「今年から年の数だけ食べることになってん」
「嘘ぉん?? 俺六十前やねんけど
……
」
「
……
」
スンと真顔の聡実の横顔を眺めていると、先程の女性二人組がまた仲良くこちらに駆けてくる。好きと公言するだけあり、早くも練乳を使い切ってしまった様子だった。
最後の客を見送ったのは十七時半。陽が出ているうちに屋外での作業を終え、あとはとりあえず明日、という状態までえいやと片付けた二人は、狂児、聡実の順に風呂に入った。こちらを待つ間に缶ビールを二本空けてしまった聡実を見て「ごめーん」と謝ったが、ザルの聡実は特段酔ってもいないという顔で、「何が?」と返してくる。
「暇やったかなって」
「僕こそすいません、飲んでもて」
「ええよぉ、俺飲まへんし」
「ん
……
」
訂正する。聡実は酔っている顔をしている。酔っているかどうかは狂児が決めることではないが。
抱き寄せてつむじに鼻先を埋めると、狂児の頭蓋骨は、汗や土や肥料、それから、聡実の匂いとしか言いようのないものに満たされる。年を経て聡実の口が上手くなったのと同じように、年を経て自分の持っている感情の輪郭を自覚できるようになった狂児は、あ〜あかん、ほんまにほんまに好きすぎて泣きそ〜、と、自分自身の感情の形や質量をはっきりと自覚しつつも既存の言葉で細かいところを削いで粉飾する、しかも自分自身のためだけに、という、昔であれば考えもしなかった行為を行いながら、「お風呂行ってきて、はよ出て」と、こちらは粉飾ではない、単純な欲求を伝えた。性行為の準備によって風呂が長くなるのは狂児だけでいいよという意思表示でもあった。
きちんとこちらの意思を汲んでいるであろう聡実はしかし、「早よ出ますけど」、と、逆接で言葉を区切る。
「ん」
「出たら僕ら、イチゴ食べんねんで」
「
……
ン!?」
「狂児さんは何個食べなあかんねやったっけ?」
「ごじゅ
……
え、ほんまに言うとる?」
「ほんまやで。他にもいっぱいあんねん、色々もろたからな。煮物とか漬物とか」
「
……
うん」
「お米も炊いたしな。狂児は今日、ご飯いっぱい食べんねんで。イチゴも」
「
……
はい」
「あとはケーキもありますから。ケーキのてっぺんのイチゴも、僕のやつ、あげるからな」
「
……
ありがとう」
「食べてな」
「
…………
食べるよ」
「狂児、お誕生日おめでとう」
「ありがとう」
堪えきれずにいよいよ体全部を抱き寄せて、しかしキスをしてしまうのも惜しくて、狂児はただ抱き寄せた聡実の手が自分の背に回るのを享受し、互いに寄せた額の温度を味わった。
狂児と聡実は、ずっと一緒にいる。誕生日を祝うのだって初めてではない。誕生日どころかこれから初めてのことなんかはもう訪れないと思うくらい一緒にいると思う。
それでも狂児は毎年毎年、聡実に祝われるたびに、慣れなんて一向にないままこうして泣きそうになる。どうして泣きたいのか? 聡実が好きだから。なんで泣きたい? 恐ろしいから。なんで恐ろしい? こんなに愛されているから。なんで愛されていたら恐ろしい?
もう六十前やで、と自分で突っ込みながら、狂児は腕の力を緩められなかった。それに対して、聡実はこちらの背を優しく撫でた。そして、「
……
風呂はいってええ?」
「うん」
聡実はふ、と笑った。「狂児さんももう一回入る? いっしょに」
「
……
そうやねえ。聡実くんの準備手伝おかな」
「え」
優しい聡実の体はこれまでなかった色を突如纏い、期待でこわばった。「は? ほんまか」
狂児は笑いを堪えながら「うん」と答える。堪えているうちに涙が出そうになるのもなんとか抑え込む。聡実くんがかわいくて、かわいくて、かわいくて、恐ろしくて、もういちど、「うん。ほんまに」
「ほなそうしましょ」
酔っ払った顔を脱ぎ捨てて返ってくる、なんの粉飾もないその歯切れの良い言葉は、狂児の思考回路や、これまでの人生を全部、全部、全部踏み倒して、清々しく笑う。やっぱりストレートしか放らんやん。「フ」
「
……
え、狂児さん、ホンマに言ってますよね? どっち?」
「ンフ、何が? どっちがええ? どっちもええなぁ
……
俺まだ六十前やし」
「〜〜〜〜
…………
待って。いや、すぐ出るんで」
「すぐできる? ええよ、一緒に入ろか」
「待って狂児さん、僕の準備が終わったら入ろ!!」
そそくさと身の回りの準備を整えながら、聡実はばっとこちらを振り返った。「その間にちゃんとインスタアップしといてください」
「あれでええ?」
「ええよ。最高です」
「俺の渾身のやつちゃんと覚えてる?」
「覚えてます。可愛かったわ」
「ほんまに覚えてます聡実くん〜?」
「急いでるんで!」
戸の閉まる音と共に湯気がもわりと漏れ出す。
狂児ははあとため息をついた。
持て余しているわけではない。ずっと好きで幸せでたまらないだけだ。それに驚いているだけだ。
なんで驚いている? こんなに愛されているから。なんで愛されていたら驚く? 怖くて。なんで怖い?
🍓【いちご狩り終了のおしらせ】
20xx年シーズン、たくさんのご来園ありがとうございました!
「もっと食べたい~!」という声を聞きながらも、
いちごたちもおつかれモードのため、ここらでひとつおひらきとさせていただきます🙇♀️
つやつやで甘~いいちごを育てておきますので、また来シーズンもぜひ遊びにきてくださいね!
\またね!/
🍓👋🐝
#いちご狩り #おかいちご園
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