新しい朝が来た/残りの夜が来た

初出:
2025/5/3 同人誌「新しい朝が来た」 狂児
2025/5/5 ピクシブ「残りの夜が来た」 狂聡狂同軸リバ



 3

 組に入ってから数年経てば、山道の運転も慣れたものだった。山で行う趣味が生まれたからという優雅な理由ではなく、単に暴力やその後始末の現場として山が選ばれることが多かったからという業務上の理由である。
 親父直々のスカウトで組に入った狂児は、若い衆その一、という立場におさまることができなかった。まずそもそも若者なんかほとんどいなかったのだが、それとは別に、自分はそういう目で見られているという空気をひしひしと感じていた。そのために狂児は人一倍の『雑用』を与えられた。
 人一倍雑用をこなす中で、狂児は自分の意外な器用さを自覚することとなった。何に関しても大したこだわりがない性格がそれに拍車をかけ、狂児の異様な手際の良さは組中の人間が認めるところとなった。指示されたこと、課せられたことを手際良100パーセント返すことができるという、木偶の坊と何が違うのかわからないこの美徳一点で、狂児は組織内を異例のスピードで出世しているところだった。
 それでもまだ相対的に若い狂児には、肉体労働もよく回ってくる。そういうわけで、狂児は今日も山道を運転していた。
 どこでハンドルを切るべきか、ブレーキをどれくらい踏むべきか、どこの見通しが悪くてどこに避けたほうがいい段差があるのかなどは全部身体に入っており、生ゴミ的な袋を積んでいてもそれが後ろでごろごろ転がったりしない。時折乗せる同乗者の評価は上々で、狂児自身もドライブを楽しめていた。
 ただ今日は失敗したなと思っていた。
 原因の大元は自分ではないがどうにも失敗していた。
「ホンマにすまんな、すまんなホンマに……
 後部座席に乗せたとある男が、泣きながら誰かに電話をかけているのだった。趣味の悪い同僚が彼の家族だか恋人だか友人だかにつないでしまったために。
「今までありがとうな、俺はお前と会えて幸せやったわ、あああ~~~~やっぱり嫌や死にたくない、死にたくない──」
「死なれへんから泣くなや」
 あざ笑う同僚に対して何をしてんねん胸糞悪と思ったが、一度つながってしまった通話を中断させるのも気が引ける。狂児はなるべく後ろの会話を聞かないようにした。後ろから気を逸らすためにラジオをつけたが、山間だからAMしか受信しない。しかも、
「あかん……
 よりによってラジオ体操の時刻だった。
 これから死ぬよりも大変な目にあう人間に新しい朝の歌はないだろう。いつもはサスペンションで完全に吸収できる段差をいささか乱暴に越えてしまった。
 大きく揺れた車内に悲鳴が響く。男の手から電話が滑り落ちたらしい。その後トンネルに入れば最後、電話は途切れたままつながらなくなる。
「もう一度だけ話させてください」
 懇願する男を、同僚が「欲しがりやのぉ」と笑っている。耳障りな声にしばくぞと思いながらハンドルを切る。苛立ちが反映されたタイヤの軌道は角度がきつく、男は舌を噛み、その拍子に唾液だか涙だかが気管に入ったようで、この場で死んでしまうのではないかというくらいにむせた。それを見て大喜びしてしまった同僚は手をたたいて笑っている。アホの猿か。ホンマにいてこますぞこいつ。
 男が可哀想になってしまった狂児は、彼に何か、嘲笑以外のことを話しかけてやろうと思った。「携帯」
「はいっ……
「携帯がauやったらいけたかもわからんなあ。電波」
………
「田舎はauのほうがええらしいですよ」
………ッ」
 誰かに聞いたことを何の脚色もせずに伝えると、それが引き金になったかのように、男は一層大声で泣きはじめた。
 同僚は「あっかん、あっかんで狂児」とひいひい笑い転げる。
 あかん。今のはたしかにあかん。
 久々にやってもうたと狂児は思った。だがそもそもこの男への下処理が足りていないのだ。こんな状態でここまで連れてくるのは酷だ。誰やこんな雑な仕事したんは。
 狂児はオーディオパネルに手を伸ばした。ラジオ体操の歌もいい加減鬱陶しかった。適切な番組の周波数を探してつまみをくるくると回したが、回しても回してもラジオがつかむのはざあざあと波の音、何かが波間から顔を出したと思えばそれはどれもラジオ体操の歌であった。忌々しいことにもう NHKラジオ以外は受信できないらしい。
 仕方がないのでラジオを切り、自分で歌うことにした。ちょうど先日カラオケ大会の日程が発表されたところであった。
 狂児が歌い始めると後部座席は一瞬で静まり返った。
 エンジン音に交じってうっすら高音が鳴った。静かなイントロを歌いあげた狂児は、頭の中で数を数えながらすぅっと息を吸った。