氷紀
2025-07-25 13:33:14
11312文字
Public とある息子たちの話
 

とある放蕩息子の葬送

『とある息子たちの話』シリーズの前日譚です
養父の思い出を引きずっているゲタくんが、男の子の幽霊と出会って別れる話。CPとしてはモブゲタ
※モブの下高校3出展作品


 行きずりの一服。
 こういうのも時々あることだったので、僕はあまり戸惑わなかった。
 煙草の味は火種の種類でけっこう変わる。木の軸のマッチでつけると、水木さんが吸っていたのと同じ味になる――はず。煙草自体の味が変わってしまっている可能性はあるけれど、限りなく近いものになっているはず、だ。

 僕は自分の内心については黙ったまま、老人の問わず語りに耳を傾けた。
 あの集落がなくなったのは、先ほど言っていた通り、獣害で農業が成り立たなくなったから……というのが直接の要因だったそうだ。
 ただ、今から十年ほど前、あの集落に引っ越してきた、若い夫婦と子供二人の四人家族がいたらしい。子供は男の子二人、下の子は何やら難しい病気を抱えていて、療養の為には空気のいいところが良いから、という理由で越してきたのだという。そして旦那の方は街へ単身赴任、下の子は母親と病院通い、上の子は地元の保育園に通う――という日常。

 それが破綻したのは、数年ほど前の夏だった。下の子が大きな手術の為に病院に泊まり込みになり、上の子が父親と留守番をしていたところ、『家を獣に襲われた』らしい。らしい、というのは、誰もその現場を見ておらず、人間が目にしたのは、荒らされた家と亡くなった二人の亡骸だけだったから。
 父親と上の子の亡骸は母親が弔ったものの、それから下の子と母親がどうなったのかは、集落の誰も知らない。ただ、もぬけの殻になったあの家と、『熊が出る』という噂が残され、その結果、誰もいなくなった。
 ――そんな話だった。

「妙っちゃあ妙な話でね、……子供と父親が襲われた当時、鹿やらタヌキやらハクビシンやら猪やらはともかく、熊って話はいっぺんも聞いたことがなかった。でも遺体を直接見た奴の話じゃ、人間じゃ無理、やるんだったら重機か何か持ち出さなけりゃ、と……で、どう見ても、家の周りに重機の跡なんかなかった。それで結局、よく分からんが獣にやられたんだろう、遺体の惨状からして熊じゃないか、ってことになったんだ」
「そうだったンですか。そんなことが……
「実際、猪にやられる奴はチョイチョイいたからな……警察もその線で納得せざるを得なかったんだろうよ。熊ならなんで遺体が残ってるんだ、って言ってた奴もいたが……まあどのみち、熊だろうが何だろうが人間が暮らすには危ねえ、って話になって、誰も寄りつかなくなったよ」
 吸いきった紙巻きを灰皿に押しつけて、老人は苦笑した。
 僕の方はまだ燃え尽きていない。だから苦い煙を舌の上に転がして吐いたあと、僕は老人に問いかける。
「その、母親と下の子はどうなったんです?」
「噂じゃ、下の子の手術が上手くいかなくて、病院から離れられなくなった……と言われてたがなあ。集落の誰も連絡を取れなくて、結局そのままさ」
「真相は藪の中、と」
「そういうこった」
 苦笑を浮かべたまま老人が頷いたところで、店の方から軽い電子音が聞こえる。――僕が入ったときと同じ音。ゆっくりしていってくれな、と一言だけ言い置いて、老人は店に戻っていった。
 そこで僕の手元の煙草も燃え尽きる。残ったフィルターを灰皿に押しつけた。

 そういう話なら――やっぱり辻褄は合う。

 たまに『いる』のだ、人間の都合ではどうしようもない宿命を負ってしまった子が。
 神に魅入られ、同時に自分も神に引きずられる子供。イツキは多分、その口だった。
 転地療養でここに来て、あの風鈴の神に魅入られたんだ。そしてイツキも、風鈴の神に会いに行きたくて――でも、多分、体が持たなかった。風鈴の神の土地から離れたところで命が尽きてしまい、愛し子を失った風鈴の神が、代わりを求めて兄と家族を引きずり込んだ。決して家族仲が悪かったわけじゃない、むしろ良かったからこそ、イツキとつながりの深い『もの』を、風鈴の神も求めてしまったんだろう。
 あの風鈴の神も、あちらの理屈からすれば、何も間違ったことはしていない。ただ『愛しい子を我が元に置きたい』と願っただけだろう、己の社一つと氏子たちを対価にして。……全部推測だけど、そう外してはいないはずだ。

 これ以上のことは分からない。父親と母親の内心がどうだったかとか、母親の行く末とか、そういうのは。
 けれど少なくともタイチは、純粋に『弟と一緒に祭りに行くと約束した』ことを強く思っていた、これだけは確かだ。だからあそこに縛られてしまった。
 ……誰も悪くない。
 だから僕はただ、タイチが行くべき所に行く手助けをした。他の人間がどう思うかとか、僕自身がどうしたいかとは、別の話だ。

 気がつけば、フィルターの残骸が指先で潰れて、跡形もなくなっていた。
 水木さんが水神に呑まれてから――僕はあの手の神格が嫌いだ。大嫌いだ。
 でも、タイチやイツキがどう思うかまでは、僕が決められることじゃない。その父親と母親の気持ちも、僕が決め付けていいことじゃない。それに、もうタイチもイツキも、父親も、おそらくは母親も、行くべきところに行っている。だからこれ以上、僕が考えるべきことは何もない。……何もない、んだ。

 遠くから微かに、あの老人と店の客らしき人間の声が聞こえてくる。罠がどうとか、仕掛けがどうとか。僕はその声を聞くともなしに聞きながら、開けたての煙草の箱からもう一本を取りだして、木の軸のマッチで火を付ける。
 オイルの炎の匂いではなく、木の軸が燃える灯火の匂いが、煙草の甘いバニラに混ざってふわりと薫る。煙の苦味に、持って行き場のない想いが混ざって、更に苦味が深くなる。
 ――水木さん。
 僕には苦いだけの煙を呑んだら、肺の奥が痛んだ気がした。
 この気持ちが煙に混ざって、いつか僕を殺す毒になってくれたらいいのに。
 遠くに老人と客の話し声を聞きながら、僕は独り、堪えきれずに呟いた。

「誰か僕のことも、成仏させてくれないかなァ……

<終>