eclipsis
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月光の下に降る雨

ホグバック過去話。※原作軸で墓荒らしするまでの経緯。重くて暗い



 ホグバックは誘われるまま船に乗り、沖にあるモリアの拠点スリラーバークへ招かれた。
 モリアは歴とした船だと言っていたが、隔離された浮島の中で鬱蒼としている森林、時折見かける肌寒くなりそうな色味の墓場。どれもが薄気味悪く、まるであの世のような場所だった。
 ではスリラーバークを統べるモリアは死神か。ホグバックは漠然とそう思った。だとしたら、自分は既にあの中庭で死神とやらに魅入られていたんじゃないか、とも考えた。
 ホグバックは神なんか信じていないのに。あまりに浮世離れしているこの地と、彼を先導している黒いコートの大男に思考が追いつかず、いっそ笑いたくなる心地が背筋を震わせた。

 
 モリアに連れられて来た場所は、荘厳な屋敷の中にある客間だった。長い机の上座にモリアが座り、それに準じてホグバックも座った。程なくして、ワインが運ばれてきてグラスに注がれる。
 血のような色をしたそれに一瞬躊躇したが、モリアが飲み始めるのを見たら飲まずには置けないと思い、グラスを手に取り一気に傾けた。

 喉を焼く酒気がそのまま腹に落ちると、ホグバックは思わず咳き込んだ。これもいつからなのか覚えていないが、随分と飲み食いをしていない。空きっ腹にかなり堪えて手で顔を拭う。ホグバックの紅潮した顔を見てモリアが笑った。

「キシシ。良かった。少しは生気が戻ったみたいだ」
 
 少し揶揄からかうような口調にホグバックは、口をもごつかせるだけで上手く言葉は返せなかった。モリアは気にせずに話を続ける。
 
……あの女の事は残念だったな」

 ホグバックの胸がぎしりと軋む。

「おれはあの女についてはよく知らねぇ。だが、お前の落ち込みようを見たら分かる。……掛け替えのない存在だったんだろ。毎日、登り来る太陽のように。突然居なくなるなんて有り得ない筈だった」
 
 モリアの言葉に軋んでいた胸が、音を立てるかのように更に軋む。心が剥がれそうだ。ホグバックは俯き視線が虚ろになる。

……ホグバックよ。戻ってくるとしたら、どうする」
…………は?」

 ホグバックは顔を上げ、モリアを見た。モリアは続ける。

「シンドリーが、だ。シンドリーが再び起き上がる」
…………彼女、は。死んだんだ」
「あぁ、分かってる。けれど今頃、地面の下で眠っちまってるその彼女が、復活するんだ。動いて、喋って、お前をまた見てくれる。……おれとお前の、力を合わせればな」

 モリアの口取りは滑らかで、ホグバックに対する労りの気持ちもしっかり乗せて語っている。しかし単純な恋に破れた者をあっさり慰めるような口調にも感じ取れた。
 死んでしまったシンドリーを、復活させると。荒唐無稽な事を説いてきた。ホグバックの身の内に、酒気とは違うざわめきが湧き始める。

 ホグバックは医師だ。身に染みる程、その地位と意味を知っている。嫌になるくらい人々を治してきた。その天才的な手腕は不可能を可能にして、奇跡だと絶賛された。
 しかし、奇跡を起こせても所詮は人の手なのだ。この世の理を覆す事は出来ない。太陽は必ず東から昇り、海が枯れ果てる事は無い。死んだ人間が生き返る事なんか。死は、抗えない確固とした結果なのである。その先は無いゴール地点。彼の人生の中で幾度かあった場面。冷静に見届けたから知っている。
 
 だが今はその結果のせいで、こんなに感情がズタズタにされている。自分が自分でなくなってしまいそうな、体験した事の無い苦痛。
 
 そんな剥き出しの傷口へ無遠慮に触られた気がして、ふつふつとしていたざわめきが、一気にホグバックの身体中を駆け上る。その暴れ狂う勢いが行き場の無い怒りや嘆きになり、爆発するかたちで口から飛び出した。

……っんなそんな、簡単な事じゃねェ!!ふ、復活だって?!笑わせるな!!!お前に分かるか?!この、この自分が、今ッ!生きているのかどうかすら、揺らいじまう程の喪失感!!こんなの地獄だッッ!!!分かる訳ねェさ!!奪うだけの海賊の、テメェなんかに――!!!」
 
 ――キキキキキッ!!
 
 魂の底から咆哮する最中、突然モリアから無数の蝙蝠が現れて飛び交った。
 金属を擦るような羽音がホグバックの傍をすり抜け客間の蝋燭が全て消える。瞬く間に辺りが暗闇へと変わり、ホグバックの口は叫ぶ形で止まった。
 激昂によって鼓動が煩く打ち叩かれている。何かモリアの逆鱗に触れたかと、瞬時に思えば忙しない心臓が縮こまるような感覚がした。喉が急速に渇きヒュッと息を呑む。
 
 目の前の暗闇に居るのは巨大な死神だ。
 ――俺は死ぬのだろうか。死にたくない。と、ホグバックの混乱を極めている頭の片隅が勝手に意識を持つ。黒一色の景色の中。上空にモリアの両眼だけが浮かんで、仄暗く光っている。
 
「おれも地獄を、見た」

 モリアの声が静かに響いた。その声色は怒気を微塵も含んでおらず、ただ平静として二人の間へ渡っていく。

「先陣を切る奴、おれと肩を並べる奴、背後から着いて来る奴。色んな奴が居た。全員、必要な仲間だった」
「アイツらと共にこの海の王になると思っていた。海を征することを語り合えば皆、その血潮を滾らせた」

 モリアの両眼は依然として闇の中、薄く光る。
 時々瞬きによって点滅して、星に見えた。

「それが、居なくなったんだ。火の手が上がる中、仲間の声が一気に消えて。がむしゃらに走って、手を取って。それでも一人、また一人。また一気に。おれの腕の中で目を閉じる奴も居た。そして、いつの間にか。周りに誰も居なくなった」
……何が悪かった?おれか?アイツらか?おれ達の運か?……どれも違う。不足するものなんか一切無かった」
 
…………有り得ねぇ事なんだ。なのに。全部、全部」
 
「なくなってしまった」

 モリアの最後の語り口は僅かに揺れて、暗闇の空気がささやかに変わる。上空の二つの星から一筋、何かが零れた。透明でキラキラ光っている。
 あれは、流れ星だ。

 呆然とモリアを見つめていたホグバックの中に、その星が堕ちた。そして何かを崩して落としていく。その"何か"を言い当てるとしたら、医師としての倫理や人としての道と云うものかもしれない。

…………ほんとに、本当に、シンドリーは。シンドリーはまた、動き出すのか。俺を見てくれるのか」

 ホグバックはモリアに投げかけた。己へ言い聞かせるような口振りにも聞こえる。瀬戸際で保っていたものが消えて、その先で蠱惑する禁足地を感じ取り放心した顔になっていた。

 
「あぁ。おれとお前の力があれば、必ず」


 星の下に、大きな三日月が現れてそう告げた。