ナガレ
2025-05-20 19:01:07
17617文字
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【web再録】彼方の呼び声(ぶぜまつ)

2021/8/22超閃華夏大戦内江中心プチ「ごーとぅすてぃじ2」合わせ発行。松井江が顕現しない本丸の豊前と、松井江にしか見えない敵刀が出逢ってしまうIF話。刀剣男士の顕現や時間遡行軍について等、捏造や自己解釈多め。話の都合上、松井(敵刀)が一度折れますが、ハッピーエンドです。
場面ごとにぶぜまつの視点が変わる形に挑戦してみました。書きたいことが書けたような、書けなかったような、分かりにくくなっただけのような。反省。

発行から二年以上経過したので、webに全文掲載することにしました。本を手に取ってくれた皆様方、本当にありがとうございました!
※web掲載にあたり、改ページ等を調整しています。


 ある晩、豊前は夢を見た。
 一条の光が差す暗闇の中には松井がいて、じっとこちらを見ている。じっとこちらを見ているが、その視線は遠い光の果てに向けられている。
 これは夢だ。折れてしまった松井はどこにもいない。だからこれは夢だと、豊前はすぐに理解できた。
 遠くを見ている松井の足下には、あの日流した花束があった。手向けの花は無事に松井の元まで流れ着いてくれたようだ。しかし松井は気づいていない。
 松井が花束に気づくのを待っていると、何かの拍子に包み紙がかさりと小さな音を立てた。その音は松井の耳にも届き、気づいた松井が花束を拾い上げた。丈夫なものを包んでくれと言ったからか、花束は崩れていなかった。
 花束を見た松井の口元が小さく動いたのがわかった。松井は何と言ったのだろうか。残念ながら豊前には聞こえなかった。でも、悪い言葉ではないと思う。
 その時、夢の中でざっと強く風が吹いた。風に煽られた花束は松井の手から離れ、花弁を散らしながら彼方に飛んでいく。
 最後のひとひらまで消え去ったのを見届けると、松井はこちら側に背を向けて光の差す方に歩いていった。
 最後まで松井は豊前の存在に気づかなかった。これは豊前の夢だから気づかなくて当たり前だけれど、本音を言えば気づいて欲しかった。
(松井……
 二度と彼に逢ってはいけないと決めたのは、歴史を守るために生まれたという己の存在意義を捨ててしまいそうだったから。そして松井にも、豊前と同じように目的がある。
 その目的が何かを彼の口から聞く事は無かったけれど、時を超えねば成し遂げられない何かがあるのだ。だから彼も、これ以上逢瀬を重ねてはいけないと決めた。
 そんな松井と夢の中で再会した。
 あれは何か意味のある夢だったのだろうか。起き上がった豊前は大きく伸びを一つすると、床の間の刀掛けを見た。端に転がる自分の本体。刀掛けには松井江。いつもと何も変わらない。――いや、違う。
「まさか……!」
 違和感と言えばいいのだろうか。何がどう違うかなんてうまく言えないけれど、確実に違うのだ。この違和感は悪いものではなくて、むしろ良いもの。これでも神に連なる者だから、その第六感を甘く見てもらっては困る。
 豊前は松井江を引ったくるように掴むと、審神者の居室――ではなく、謁見の間に向かった。きっと審神者も気づいている。空っぽだった松井江に魂が宿った事に。
 大きな音を立てて部屋の障子を開けた。廊下を全速力で駆ける豊前を咎める者はいなかった。駆け抜ける豊前の手に握られた肥後拵えの刀、松井江。それの意味するところを皆知っていた。
「主!」
「君も気づいたみたいだね」
 すでに審神者は謁見の間にいた。豊前が飛び込んで来る前から足音でわかっていたらしい。豊前は審神者に松井江を渡した。今すぐ顕現の儀式を行ってほしいと、言外に審神者をせっついた。
 しかし審神者は、身支度を整えてきたらどうかと苦笑で返すだけだった。待ち侘びていたのは重々承知しているが、起き抜けのその格好で対面するのはいかがなものか。
 審神者に指摘され、豊前はもさすがにこれは無いなと思った。着替えて、顔を洗って、髪に寝癖がついていないか確認して――
 疾風の如く廊下を引き返す豊前。その途中で篭手切とすれ違った。
「篭手切!」
「りいだあ?」
「部屋に全員集めとけ! 松井江が目覚める!」
……はい!」
 それを聞いた篭手切もまた、廊下を飛ぶように走っていった。朝から畑仕事に勤しんでいる桑名を呼びに行ったのだろう。篭手切も松井江の顕現を待ち侘びていた。彼には江の者としての繋がりだけでなく、細川家の縁もあった。
 布団を上げるのも、脱ぎ散らかした寝間着を片づけるのも後だ。大急ぎで洗顔やら何やらを済ませると、刀剣男士の正装である戦闘衣装を身に着けて豊前は再び謁見の間に走った。部屋の障子も開け放ったままだ。今は一分一秒が惜しかった。
「待たせた!」
「では、始めようか」
 顕現に立ち会う近侍は豊前。松井江を手に駆けて行く豊前を見た今日の近侍だった男士は、何も言わずにその任を豊前に譲った。
 この本丸の者なら誰もが知っている。江の者達、とりわけ豊前がこの松井江の目覚めを待っていたのかを。
 この松井江でなければ意味が無いと、豊前は理由もわからずに今日までこだわり続けてきた。自分の魂を半分貸すと啖呵を切った過去が懐かしい。ひたすら信じて待ち続けた豊前の報われる時がついにやって来たのだ。
 眠り続けた松井江。この刀を依り代として、刀剣男士の松井江が今ここに――

「郷義弘が作刀。名物、松井江」

 墨色の髪、青色の瞳、緑青色に塗られた指先。身に纏うのは形こそ違えど同じ緑色の衣装。桜花に似た花弁が舞い、一振りの刀から新たな命が生まれた。
 低く落ち着いた知性を感じさせる声で顕現の口上を述べると、生まれたばかりの命、刀剣男士・松井江は審神者の後ろにいた豊前に視線を向けた。
 その視線を受け止めた豊前には一目でわかった。――松井だ。豊前の知らぬ所で折れた彼は、巡り巡ってこちらの世界に転生したのだ。
 豊前はこの松井江があの松井であると確信している。そうでなければ、今こんなにも惹かれるわけがない。豊前が松井を忘れた事は無い。
 しかし、松井が豊前の事や折れる前の事を覚えているとは限らない。仮に覚えていたとしても、彼にとって時間遡行軍の一員であったという事は忌まわしき記憶で、忘れてしまいたい悪しきものという可能性だってある。敵だったはずの刀剣男士として生まれ、戸惑っているかもしれない。
 一体何と声を掛ければいいものかと、松井の心境を惟る豊前。先に口を開いたのは松井だった。
 記憶の片隅から決して消える事の無かった、緑の混じった青色の瞳。松井はじっと豊前を見つめた後、ふっと口元を綻ばせておもむろに尋ねた。
「君の名前を教えてくれないか」
 それはいつかの日に豊前が尋ねた事。豊前は彼に「松井江」という名前を与えて「松井」と呼んでいたけれど、自分の名前を教えておらず、松井にはずっと「君」としか呼ばれなかった。今さらその事実に気づいた豊前は苦笑した。
 さて、どういう風に彼に名前を教えようか。折角だし、顕現の口上でも述べてみようか。……いや、余計な言葉は不要だ。
「豊前江。今のお前と同じ、江の者だ」
「それが君の名前……。そうか……やっと君の名前が呼べる……
 まるで海みたいだと思った。松井の瞳がじんわりと潤み、蕩けるように細められた。今にも溢れ出しそうな涙に、恋水という言葉が過ぎる。豊前はざわつく心を止める事ができなかった。
 もし彼と違う形で出逢っていたらどうなっていたのだろうかと考えた。彼と肩を並べて同じ景色を見る、そんな未来もあったのではないかと考えた。考えたところでどうにもならないと切り捨てた。ままならない人の身が辛い、煩わしいとさえ思った。
 ざわつきは収まらない。収まるどころか、どんどん大きくなって豊前を駆り立ててくる。本当に人の身はままならないものだ。止めようとしても止まらない。でも今は、それを煩わしいと思わない。
 豊前は審神者を押しのけて松井に手を伸ばした。もう我慢できない。――我慢しなくてもいいのだ。
 どうしようもなく惹かれてしまう事に後ろめたさと罪悪感を持たなくてもいい。次に逢えば取り返しのつかない事になると怯えなくてもいい。
 この思いを誰にも知られないように、悟られないように、豊前はずっとひとりで抱えていた。
 触れた松井の体は自分と同じ熱を持っていて、その熱に何の躊躇いなく触れる事を許された。細かい御託はいらない。今はこれだけで十分だった。
 突然押しのけられた審神者が一体何事かとあたふたしているけれど、そんなものには構っていられない。ここに彼がいるという事を実感したかった。
 松井が豊前の背中に腕を回し、たった今知ったばかりの名前を噛みしめるように、何度も何度も呼んでくる。
「豊前江、豊前江……
「豊前でいい」
「っ、豊前……!」
……松井」
 豊前が松井の名前を呼び返すと、松井は豊前の名前を呼ぶ事ができなくなった。豊前に縋りつき、その胸元をひたすら濡らす事しかできなかった。じんわりと胸元を濡らすものは温かくて、この存在が幻でない事を実感させてくれる。
 豊前はちらと審神者を見やった。
 ――今はふたりだけにしてほしい。
 審神者は一瞬戸惑ったが、仕方ないなと肩を竦めて静かにこの場から姿を消した。その顕現を信じて待ち続け、呼びかけ続けた豊前にあんな顔をされてしまっては断れない。
 審神者は松井江の顕現に懐疑的だった。季節が一巡しても目覚めないので、もう諦めて手放したらどうかと言いかけた事もある。口にしないだけで、他の男士達も似たようなもの。皆の物言いたげなその空気に、豊前も気づいていただろう。
 今でこそ必ず目覚めると信じている江の者達も、はじめは半信半疑だった。豊前があまりにも強く言い切るものだから、感化されてしまったというのが正しい。ただ一振り豊前だけが、松井江の目覚めを一度も疑わなかった。
 豊前は多くを語らない。彼がどんな思いで松井江を待ち続けていたのか、審神者には想像できなかったし、聞いたところで曖昧にされるだけだ。
 今は彼の好きなようにさせてやろう。この松井江は必ず目覚めるから手元に置いておきたいと、無理を通させた件は充分過ぎる武働きで返してくれた。その強い思いに敬意を表したい。
 思いが報われると同時に、豊前が自分自身を許す時も来たのだ。
 一人で謁見の間を出てきた事に不思議そうな顔をする元の近侍と、待ちきれずここまで来てしまった江の者達。彼らに声を掛けると、審神者は謁見の間をあとにした。

 この松井江でなければ意味が無いと、目覚めの時を信じて待ち続けた刀剣男士の松井江。
 募る思いを抑える事ができず、出逢った事を悔いてしまうほどに惹かれた「彼」。
 交わる事の無い二つの存在が交わって、今ここに存在している。

 松井江に魂が宿らず目覚めなかった事。
 どうしてもこの松井江を手放せなかった事。
 時間遡行軍の中で「彼」だけが違って見えた事。
 どうしてと嘆くほどに巡り会ってしまった事。
 それら一切合切すべて。

 すべてはこのためだったのだと、自惚れてしまってもいいだろうか。こみ上げてくるものを堪えるように、豊前は天を仰いだ。

【終】


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