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よる(ひねもす)
2025-03-22 21:50:11
31508文字
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【web再録】Don’t cry over spilt milk
誰にも行き先を告げずに一人旅に出たせいで失踪の噂がたってしまった影浦を犬飼が迎えにいき、三日間、海辺の町で過ごす話。ハッピーエンド。
犬飼と影浦が二十歳の冬ごろのお話です。
登場キャラの進路などについて好き勝手に妄想しているため、ご注意ください。
2024/9/24吾が手33にあわせて発行した同人誌のweb再録です。
手にとったいただいた皆様、本当にありがとうございました。
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影浦とともに三門へ帰ってきてから一週間。くだらない噂のことなんて、みんなすっかり忘れていた。張本人が何食わぬ顔で過ごしているのだから、それも当たり前だ。
若村には帰ってくるなり謝られた。「デマを広めてしまってすみません」と青い顔で頭を下げる後輩に、おれは「気にしないで」とカフェオレを奢ってあげた。若村が噂を教えてくれたおかげで、おれは影浦に会いに行けたのだ。だからこれは慰めではなく、お礼だ。若村本人には言えないけれど。
影浦との特別な関係
……
お付き合いが始まってから一週間。日常に大きな変化はない。彼と毎日連絡を交わすことも、デートの約束をすることもない。けれど、体の中にささやかな光が灯っているような気分だった。
この間の水曜日なんて、わざわざ待ち合わせをして本部から一緒に帰ったのだ。影浦の家まで遠回りして歩き、他愛もないことを話すのは楽しかった。別れ際、おれの家が近所ではないと知った影浦は、なぜか悔しそうな顔で「次は俺がてめーを送る」と言った。あの表情と台詞、面白くて可愛かったな。
おれは影浦の顔を思い浮かべながら、一週間ぶりに影浦隊のドアをノックする。
「犬飼です。二宮さんから預かりものだよ」
軽い音がして、ドアが開く。柔和な表情の北添が立っていた。
「はいはーい、ありがとー」
「ゾエだ! カゲは? いる?」
「奥のソファにいるよ」
「ユズルくんとヒカリちゃんは?」
「ユズルは合同訓練、ヒカリちゃんはラウンジで勉強中」
招かれるままに奥のスペースへ進むと、影浦が一人でソファを占領し、寝転んでいた。机の上にはスナック菓子とペットボトル、漫画雑誌が散らばっている。まるで自分の部屋にいるみたいだ。
「はい、二宮さんから、報告書の返却」
「おー」
うつ伏せで寝転ぶ背中の上に書類を置く。体を起こせば滑り落ちるけど、まあいいや。散乱する机の上に、預かり物を置けるだけのスペースはない。視界の隅で、おや、と北添が目を丸くしたのが見えた。
「今ならちょうど良さそうだし
……
、カゲ、ゾエに話してもいい?」
「好きにしろ」
ここのところ、ずっとタイミングを図っていたのだ。北添と、落ち着いて秘密の話ができる場所と空間を探していた。絵馬と仁礼がいない作戦室は、まさにうってつけだ。
「えー、なになに?」
どっこいしょ、と北添が影浦を半分どかしてくれたので、空いたスペースに二人で座る。むりやり動かされても影浦は文句を言わず、書類を捕まえてから体勢を仰向けに変えてすこしだけ足を折り畳んだ。
北添の方へ体を向け、深呼吸を一つ。気持ちを落ち着けてから、一週間前の顛末をたった一言に収める。
「実は、おれたち、付き合うことになりまして」
「わ〜! おめでとう! よかったね!」
北添が頬を染め、手を叩いて喜んだ。祝われた嬉しさと恥ずかしさで、おれも顔が赤くなる。心臓がバクバク鳴っている。第三者に報告したら、途端に「付き合っている」という実感が湧いたせいだろうか。
二人の付き合いを大っぴらにするつもりはないが、北添には話しておきたかった。相談に乗ってくれたお礼もある。事情を知っている人間がいた方が何かと動きやすいという打算もある。けれど一番は、理屈や計算を飛び越えて、北添には隠し事をしたくなかった、というだけなんだろう。
「じゃあお祝いにゾエさんのとっておきクッキーをあげるね」
「ありがと!」
戸棚から、ちょっとお高いクッキーを取り出して渡してくれる。この間と同じパッケージ。今日のはチョコチップ入りのやつだ。
影浦の様子を窺うと、眉間に皺を寄せ口をへの字にしてスマホを睨んでいた。どこからどう見てもしかめ面だ。これは彼なりに照れているのかもしれない。
「いやー、ほんと、よかったよね」
北添はクッキーを頬張りながら、しみじみと言う。おれはなんだか胸がいっぱいで、このクッキーは家に帰ってから大切に食べようと思う。
「カゲも犬飼が好きなんだろうなって思ってたから」
「
……
ん?」
言い間違いだろうか。もともと、おれの片思いでしかなかったはずだけれど。
「告白されて断っちゃって、気まずくてしょうがないだろうに、ゾエさんも気づかないくらい今までどおり話してたんだもんねえ。みんなにバレたくないって、犬飼のワガママに付き合ってさ」
がば、と勢いよく影浦が起き上がるが、もう遅い。
「そんなの、ただの愛だよね!」
三人の真ん中で、北添は満面の笑みを浮かべ、そう言った。
「なに言ってんだデブ!」
「えー、ゾエさんの目はごまかせないよ?」
「あ、
……
愛とか、好きとか、そういうんじゃねーだろ!」
「もしかしてカゲ、自覚ないの? そもそもあんなに仲悪かったのに友達になった時点で、あれ? って思ってたよ」
「それは、こいつが
……
っ」
二人のギャーギャー言い争う声が鼓膜を揺さぶる。影浦が胸ぐらを掴み巨体を揺らすが、北添は気にする様子もなく話を続けている。二人の言葉に追いつけず、ぼんやりとその様子をしばらく眺めながら、ふと、ある考えがおれの頭に浮かんだ。
北添の言う、愛、が本当だったとしたら。
おれは告白なんてしなくてもよかったのかもしれない。
影浦はおれのことを忘れるつもりなんて、なかったのかもしれない。
おれたちは名前のないおれたちのままで、じゅうぶん特別だったのかもしれない。
「もういい。
……
ブース行くぞ。真っ二つにしてやる」
「ちょっと、なんでも暴力で解決するの良くないよ」
「換装すれば暴力じゃねえ!」
「ふ、ふふ、あははっ」
なんだか可笑しくなって、おれは声をあげて笑った。馬鹿にされたと思ったらしい影浦が、眉を吊り上げた悪魔みたいな凶悪な顔でおれを見る。
「なに笑ってんだクソ犬!」
「はははっ、だって、面白くて
……
」
意志では制御できないリズムで腹筋が跳ねる。目尻に涙が滲んだ。笑っていたらいつまでたっても影浦の怒りが収まらないのに、なかなか落ち着いてくれない。
この世界に、時間を巻き戻す魔法はないのだ。枯れた花がもう咲かないみたいに、ひっくり返してしまったグラスに水は戻らない。当たり前の事実が震えるほど嬉しい。
おれは最悪の選択肢を選んでしまったんだろう。まっすぐ走っていればよかったのに、気の迷いでどこかの角を曲がってしまった。ありふれたハッピーエンドを投げ捨ててしまった。だけどもう引き返せない。必死に進み続けて、ぐちゃぐちゃに乱れた軌道を描いて、穏やかな海に辿りついたのはただの奇跡だ。もう一度やってみろって言われたって、同じ結末は迎えられそうもない。
ああ、これはなんて愚かで愛おしい奇跡なんだろう。
「ね、ゾエ、三人でブース入ろうよ。二人でカゲの首とっちゃお」
胸の中で暴れる感情が身体を突き動かす。こんな気分は初めてだった。思いっきり銃を撃ち鳴らして、しなる刃で照らされる世界が見たい。祝砲と花火のかわりみたいに。
「おー、犬飼、やる気だね?」
「二人いようが関係ねえぞ。まとめて斬ってやる」
目を細めて大きく口を開け、威嚇するみたいに影浦が笑う。だからおれも笑う。楽しくて嬉しくて愛おしくて仕方ないから笑う。
「それはどうかな? 今までのおれと、同じと思わないでよね」
「上等だコラ」
うまく噛み合わない二人だから、いつか、この手を取ったことを後悔するかもしれない。繋いだ手を離して、別れのために大きく振るのかもしれない。未来は見えない。時間は巻き戻らない。だから、今、この瞬間に、一番欲しいものを掴まなきゃいけない。
選択と後悔を繰り返し、おれの望みが叶ったのだ。
こぼれてしまった水で芽吹く愛も、きっとある。
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