mishiadd
2025-03-22 21:29:21
21849文字
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ADDENDUM.1

【転生パロ/本編軸】『この世界にはまだ苦しみが足りない』続編。『愛人契約書』の契約内容を更新し、かつて蓋をしていた劣情を武器に人心を狂わせる『怪物』と化した伊織さんと闘うセイバーの攻防戦【剣伊】
前作『この世界にはまだ苦しみが足りない』:https://privatter.me/page/67d61793a9ab1


五、

――あるいは、一度試してみるのもいいのかもしれない、と思う。

この、自分の中で矛盾している――相反し、乖離している欲求の正体を確かめるために。実際に触れてみて――そうすれば、何かわかるものがあるかもしれない。
自己矛盾の決着を見るために一方的に付き合わせることになってしまう伊織には悪いが、もともとは生きようが死のうが知ったことではないとすら思っていた相手である。まあ、多少の我儘くらいには付き合ってもらっても構うまい――と、セイバーは思う。常日頃からだって散々伊織に我儘を言って屋台で買い食いをさせてもらっている。そこにもうひとつ、新たな我儘が加わるだけだ。



「おやすみ、セイバー」と敷布団に横になりながら律儀に声を掛けてきた伊織に、セイバーは無言で目を向けた。すたすたと軽い音を立てて土間を横切り、畳の上に上がる。その姿を見て、おや、と伊織が睡魔に襲われ始めている重い二重瞼をしぱしぱと瞬いて言った。

「どうした。今夜は一緒に寝る気になったのか? 俺は構わないよ」
「イオリ。きみに触ってみたい」

うん、と伊織が一瞬呆気にとられた顔をする。ぽかんとした顔のまま、目の前に仁王立ちになって布団の上の自分を見下ろしているセイバーを見上げる。セイバーが重ねて言った。

「きみに触れてみたい。――きみは気付いているかもしれぬが、どうやら私は欲求不満のようでな」
「う…………? あ、ああ……

口を衝いて出た言葉の意味をろくに吟味もしないまま、セイバーはただ、思ったことをそのまま口に出した。



「正直、誰でもいいのだとは思うのだが、とりあえずきみがここにいるから、きみで出来るかどうか試してみたい」



酷い言い草だった。――酷い言い草になるのは、セイバーの常であり、業であり、宿命であった。

ぽかん、と――やや驚いたような、唖然としたような顔をしていた伊織はしかし――……うん」と頷いた。

――わかった。……おまえがそう望むなら」
「? ……いやに従順だな、きみ」

敷布団から身を起こした伊織が、するりとその白い両肩から襦袢を落とす。行燈の揺らめく灯りの中、露わになった上半身の白い肌がちらちらと光を反射している。
寸分の躊躇もなく伊織の上に圧し掛かろうとしたセイバーの手を、伊織がとる。その手のひらを自分の頬へといざない、そっと包み込ませるように触れさせた。――そっと、長い睫毛を伏せる。行燈の灯りで白い頬に長い影が落ちる。

――夢で見た伊織との違いに、セイバーの背筋が粟立つ。よい意味ではなかった。……あまりにも、手慣れている。



強要する相手へ自らを差し出すことに、手慣れ過ぎている



……イオリ。――きみは、嫌ではないのか」
「嫌ではないよ。おまえはしたいのだろう?」

頬に触れていたセイバーの手を、伊織がそっと自らの首筋へといざなう。そのまま、なだらかな胸を這わせ、脇腹に触れさせる。――手のひらに触れる柔らかでぬるいような低い体温の肌に、セイバーの脳裏がみるみるうちに冷えていく。――自らの過ちに、背筋が凍る。

「イ、オリ。……きみは、初めてではないのか」
初めてがよかったのか? ――すまないな。それは俺では与えてやれない。初めてがいいなら、他を当たってもらうしかない」
「イオリ。――イオリ、悪かった。やめよう」

セイバーが慌てて手を引く。伊織の肌の感触が濃厚に残る手のひらを見下ろし、目の前の伊織の顔を見遣る。――ちらちらと、行燈の灯りを反射している、その白目。

私が悪かった……この話は全部忘れてくれ」

なにか――なにかひどく重大なものを、自分は踏み荒らしている
恐らくは、この目の前の『宮本伊織』という青年に対して――自分はきっとなにかひどい見落としをしていて、甚だしい勘違いをしている。
人の内面に土足で踏み込むことを、自分がそのようなことをする人間であるということを、そういう人間であると相手に思われることを――セイバーは、生まれて初めて恐怖した。

「イオリ、全部忘れてくれ。今夜のことは――私がきみに言ったことも、全部」
「おまえの望むものを与えてやれなくて悪かった」
「違う、違うのだ、そうではない」

――日の当たる真っ当な道を迷うことなく真っ直ぐに歩んできたのだろうと、思っていた。日向のように温かで穏やかな優しさは、きっと日向のように温かで穏やかな周囲の愛に育まれてきたのだろうとも。

きっと、それは間違いではない。決して、間違いではない。

ただ、それだけではなかったことを――セイバーが、単純に見逃していた。眩い日向に落ちる昏い影を、見落としていた。

きっと、以前にも彼に触れた者がいる。彼に従順さを強いて、誰でもいいのだと嘯いて、それでいて他でもないに与えることを強要した者がいる。
彼は、そういう者を知っている。――そしてきっと今、もうひとり新たに知ったと、思っている。――ああ、おまえもか、と。

「イオリ。――私は違う

ひどくみっともない言い分だと思った。これ程までに情けない弁明があるだろうかと、後悔と羞恥で死んでしまいそうだった。

私は違う――今日の、ことは、忘れてくれ。頼む。なかったことにしてくれ
「? ――わかった――

ふ、と伊織が目を閉じる。軽い音を立てて、彼が布団の上に仰向けに倒れ込む。そのまま、気絶するように深い眠りに落ちてしまったようだった。――あるいは、言われた通りに忘れてくれたのかもしれなかった。もしくは、彼自身なかったことにしたかったのかもしれなかった。



その後、セイバーはサーヴァントとしては恥ずべきことに、夢を通じて伊織の過去を覗き見ることとなった。――あの湊町の夜に何があったのかも――養父に引き取られる前に身を寄せていた家で、一体何があったのかも。







「自分は違う、と言いたかったのだ。――私は、きみに劣情を向けたりしない。きみをそんな目で見たりしない。きみの望まぬものをきみから搾取したりはしないと。私はそんな人間ではない――彼らと一緒にしないでほしい、と」

「卑怯者だな」、と端的に、自嘲するようにセイバーは吐き捨てた。

「何が違うものか。――少なくとも、当時の私は本気できみでなくともいいと思っていた。もしくは自分の気持ちの違いがわかっていなかった。その上できみに手を出した。……それを、自分の羞恥心に堪えかねて、きみになかったことにしてもらった」

白いカップから温かいカフェオレを啜る。伊織の顔を見ることなく、言った。

「その後私は――実際、きみがそれどころではないことを知った。きみには既に恋焦がれるものがあったのだ。それを追い求めて生涯を駆け抜けるのに精いっぱいだった。――だから――

かちゃり、とカップをソーサーに置く。黙ってセイバーの話を傾聴し続けている伊織を見た。

「ずっと、なかったことにしていた。私の中から消え去ることなど一度もなかった、きみを知るにつれどんどん大きく膨れ上がるばかりのこれを、ずっとなかったことにしていた。きみはそれどころではなかったし、私は恥じていた――畢竟、私はきみに軽蔑されることが怖かったのだ」

セイバーが、食卓越しに手を伸ばす。伊織の手の上に、自分の手を重ねた。

「だが、きみには届かない。私がなりふり構っていては今のきみには決して届かない。――私は、情けなく、みっともなくきみに縋りつこう。たとえきみに軽蔑されようとも。――四百年越しの、私のこの醜悪な想いが――

とん、とセイバーの手が、伊織の心臓のあたりに触れ――

「たとえそれがなんであれ、わずかにでもきみに届く可能性があるのなら」

――伊織が、セイバーの顔を見る。



言われていることの意味をわからないままに、ただ、その夕陽色の瞳を見る。