外伝[1881-1891] 死相の弾丸

追記 2025/3/16 事件関係者紹介、第一章 ストレタムの惨劇 チャプター1追記しました。

あらすじ
1888年、2月某日の深夜。諮問探偵シャーロック・ホームズとその助手、医学博士ジョン・ワトソンの元へある依頼人が訪れた。その人物は嘗て幻想によって引き起こされた事件の渦中にいた者──ザ・バード・オブ・ヘルメスだった。
ホームズが数週間前に解決した『緑柱石の王冠』事件の依頼人、アレキサンダー・ホールダーが何者かに散弾銃で頭を撃ち抜かれて死亡した。ヘルメスはそのホールダーの遺体を発見した、即ち第一発見者になってしまったという。
「端的に言うと、殺人犯の罪を着せられたかもしれません」その一言に端を発した凄惨な殺人事件。不可能犯罪に思える密室での殺人。事件の背後にはある人物からの脅迫が──捜査に乗り出したホームズとワトソン、そしてメアリーを待ち受ける真実とは? その謎を、解体せよ。

スペシャルサンクス
ザ・バード・オブ・ヘルメス様 笋様よりお貸しいただいております。いつも遊んでくださって本当にありがとうございます!

本作品は『アンシーリーコート』の過去篇外伝です。別に本編読んでなくても大丈夫ですが、「誰が金糸雀を殺したのか?」を読むともっと楽しいと思います。
外伝[1881-1891] 誰が金糸雀を殺したのか? - https://privatter.me/page/65b8c9694a786

感想良ければください~ - https://wavebox.me/wave/b064pup7uhwd9l39/

※続き書けたらこれに追記していきます。文学フリマ福岡で一冊にする(したい)予定でいます。今んとこ。



序幕
──1888年 2月
ベイカー・ストリート 221B



「真珠ぅ?」

シャーロック・ホームズはばさりと大きな音を立てて新聞を広げ、鬱陶しいと言わんばかりに不機嫌全開な声音でメアリー・モースタンに聞き返した。
メアリーはそんなホームズの態度を一切気に掛けず、「そうなの」と箱に収められた大粒の真珠をローテーブルの上に載せて見せた。
蕩けるような美しい輝きを放つ大粒の真珠は、まるで何かの卵ではないかと思うほど大きい。私──ジョン・ワトソンは一つを手に取ってしげしげと眺めた。

「美しいな」
「でもね、ジョン」 メアリーが少し不安そうな表情を作り、眉を落として言った。
「毎年決まった時期に一粒だけ送られてくるのよ。もう六個目だわ」
「君に惚れている紳士がこそっと送っているんじゃないか? まあ君に惚れるようなやつなんてサーカスの猛獣ぐらいだろうがね」

ホームズは隠す気もない嫌味をぶつけた。ここのところこの男はずっとこんな風で──兎に角虫の居所が悪いようで、散々私とメアリーに八つ当たりしているのだった。
事の発端は親交のあるスコットランドヤードの刑事である、トバイアス・グレグソンが以前から交際していた女性とめでたく結婚したことである。グレグソンは人が良いので当然と言わんばかり、221Bの全員を結婚式に招待してくれた。私もメアリーも大家のハドソン夫人も当然祝うべきだと思っていたし、必ず行って祝ってやろうと思っていた……のだが。一人そうではない奴がいた。
『おめでとうなんて、絶対に言わないからな』と何故かホームズは敵対心丸出しで、毛を逆立てた黒猫の如く安楽椅子に丸まっていた。理由は全く分からない。

「ねえシャーロック。貴方、何が気に入らないのか知らないけれど、グレグソン刑事は普段から私たちに凄く良くしてくれているでしょう? 彼が幸せになるなら祝うべきよ」
「行きたいなら、ハドソン夫人も連れて三人で行ってくればいいじゃないか。僕は行かないからな」

ホームズはパイプに煙草を詰め込んで火を点けた。もくもくと室内に煙が立ち込め始める。

「ならせめてこの真珠の秘密でも当ててみせなさいよ。最近は依頼が少ないから、あんたがまた薬に手を出さないか心配なの」
「断る。大体、メアリー。君が持ってくる事件は毎度毎度クソしょうもないことに定評があるんだ。今回の件だってどうせ大したことないか、もう答えがすでに分かっているに決まっている」
「な、何よその言い方。私はあんたを心配して言ってるのに。調べてみなくちゃわからないでしょう? それにこれ」 メアリーはビリジアングリーンの封筒を取り出した。
「真珠にはこれが一緒だったの。ほら見て、これ」
「だから何だ」 ホームズは封筒を一瞥して突き返した。本気でやる気がないらしい。
……見せてくれ」

私はやる気を完全に失っているホームズに代わって封筒を調べる事にした。
差出人の名前はヴァイス・ショルトー、かつてホームズが解決した『四つの署名』事件の依頼人である。彼はメアリーにとって親戚のような存在であった。
封筒や便箋には厚みがあり、シルクのような手触りである。良質な紙が使われている事が容易に分かった。蝋で封がされていた形跡があるが、これはメアリーが中身を確認する際に開けたのだろう。彼女に中を見ても良いかと尋ねれば快い返事が返ってきたので開封する。

……すまないメアリー。君の優しさは多分、ホームズには届かない」
「ええ、そうでしょうね。答えが書いてあるものね。気休めにもならないわ」
「ほら見たことか! いいか、僕の仕事は難解な事件を解くことであって悩める男女を結婚の祭壇へ導くことじゃない! だというのにグレグソンめ」
……みっともない八つ当たりはやめたほうがいい。見ていて哀れだ」
「君までそんなことを言うのか……!?」

ショックを受けているホームズはもぞもぞと動きながら立ち上がり、カウチソファへ移動してふて寝し始める。そこに一匹で陣取っていたエッグプラント─背中から植物を生やした丸っこい爬虫類のような妙な生物だ─は、実に重い足取りで、しぶしぶ、という空気を隠さずにカウチから降りて定位置の窓際の籠へ移動する。
最近のロンドンは珍しく平和であった。それは即ち諮問探偵たるシャーロック・ホームズの出番がないということで、このようにしてホームズは盛大に拗ねているのであった。数時間前も「ロンドンの犯罪者どもは何をしているんだ」だの「全く! この僕の頭脳が発揮できる舞台が存在しないだと? 一体この英国はいつからそんなお花畑になったんだ」だの、しまいには「ワトソン! 何か面白い話をしてくれ」と無茶振りをして、必死に捻り出した私の話にケチをつけ──今に至る。

「寒いからロンドンの犯罪者たちも暖炉の前から動けないのよ。あんたも不貞腐れてないで、せめてグレグソン警部の結婚祝いに電報の一つでも打ちなさい」
「やだ」
「『やだ』じゃないわよ」 メアリーは本気で呆れ返っていた。「いい加減にしないと、」
「やめろ! 勝手に掃除する気だろう! ワトソンと結託して!」
「ええそうよ。全てのものを私のルールに基づいて棚に戻して、煙草で煤けた壁紙も、そこのよくわからない化学実験器具も全部ピッカピカにしてやるわ」
「わかった、わかった! グレグソンに手紙を書こう。それで手打ちだ」
「ものわかりが良くて素敵だこと。最初からそうしていればいいのに」

メアリーとホームズは幼馴染である。察しているだろうが勿論ホームズが年下だ。幼い頃から二人は姉と弟のような関係性らしく、世界最高の諮問探偵でも、ある界隈においては『鉄の雨』と呼ばれているメアリー・モースタンには割と頭が上がらないらしい。
ホームズはガウンの腰紐を結び直して机に向かった。ごちゃごちゃと色々なものが乱雑に置かれており、一体何に使うつもりなのかよくわからない薬品の瓶や、未開封のまま放置された手紙の束を一度床に下ろし、手紙を書けるだけのスペースを確保する。

騒いでいれば時間の流れが早くなるのか、時刻は深夜0時を回っていた。それを意識すると途端に室温が冷えてくるような気がして、私は暖炉へ新しい薪を焚べる。本来であれば極圏の海に住まい、時折回遊する幻想──或いは神秘生命体である私は特段なんともないものの、流石に人の身であれば寒いはずだ。
窓の外は土砂降りの雨が視界を閉ざしていた。遠くにぼんやり輝くガス灯の橙色だけが唯一残る色であり、鬱々とした黒、灰色がロンドンを覆っている。
肘掛け椅子に腰を下ろしたメアリーは、いつの間に準備して持ってきたのか温かいミルクティーを飲んでいた。だがその手をぴたりと止めて、

「こんな夜中に誰か来るの?」 メアリーは突然そう言って目を瞬かせる。「蹄の音が聞こえるわ」

私は建物全体に己の魔力で網を張り巡らせる。何者かが外に来ていることは容易に分かったが、それがただの人ではない可能性が高い──というのが最大の問題である。

「いや。来客の予定は無いが」 ホームズは手紙を書く手を止めてメアリーの方を振り返った。「何か感じ取ったか? マイ・ディア」
……妙な気配がする」 私は虚空からペナンローヤーを呼び出した。「この独特な感覚──身知った相手かもしれない。私が出るから二人はここにいてくれ」

扉を開けて階下へ降りる。時折軋みを上げる階段をできるだけ急いで駆け降りれば、遠慮がちにドアノッカーを叩く音があった。
私はドアノブを掴んで捻り、引く。雨が建物や路面を叩く音へ聴覚が引っ張られ、雷の光が来訪者の横顔を照らし出す。
それは霞色をしていた。霞色の大きな馬──のように見えたが、実際そこに立っていたのは上背の芦毛である。来訪者は馬子だった。異様な気配の主はこの人物かと納得する。

再び雷で彼の顔が照らされる。そこには苦悶の表情が浮かび、何かにじっと耐えているのか、その答えはすぐに得られた。足元にあるものへ視線を向ける。ぼた、ぼたと鮮血が溢れ、彼の服を汚して血溜まりを作っていた。
私は何も聞かず彼の手を引いて221Bへ招き入れた。彼は安堵の息を一度吐き出し、崩れ落ちるように倒れ込んできた──私は彼を慌てて受け止める。手に生温かい液体の感触が伝った。

……ッ、しっかりしろ!」

彼には背中をばっさりと切られ、それどころか一箇所背後から刺されたような傷跡があった。致し方ない、と私は彼を抱きしめる。
足元から輝く鰯の群れが飛び出し、彼の傷へ殺到していく。裂かれた組織が結び合い、傷を癒やし、その魂を修復する。彼は先程よりも穏やかな表情に変わり、私から与えられる魔力と奇跡に大人しく身を委ねていた。

「ジョン!?」 二階から転がり落ちるようにメアリーが姿を現す。「何があったの!? 彼は、」
……大丈夫だ。かなり酷い怪我をしていたから治しただけだ」
「え、ええ、でも……

馬子はゆっくりと私から離れて背筋を伸ばした。そこには身知った顔がある。
かつてある事件において関わりを持った、純血貴族の長。己の信仰を以て幻想の内側へ戻った者。霞に覆われた湖水地方と、その旧い幻想の残り香を統べる者。
普段であれば身体を拘束しない緩やかな服装のはずだ。随分と以前出会った時とは印象が異なり、私は具に彼を観察する。
長い霞色の髪の毛はいつもとは異なり背後で三つ編みに結えられ、それを器用に団子のような形でまとめている。フロックコートに白いブラウス、首元を彩る白いタイ。ロンドンの純血貴族に紛れていても不思議がない姿であった。


……説明してくれるか。ザ・バード・オブ・ヘルメス」

彼の名は、『ヘルメスの鳥』という。
彼は「ええ、ええ」とすっかりいつもの調子に戻って鷹揚に答えた。
『鳥の一族』には謎が多い。殆ど湖水地方から出てくる事はない──その噂通り、ヘルメスもまた滅多に人前には姿を見せない。ならば彼がなぜロンドンにいる? そして彼ほどの強力な回帰者を襲撃した人物とは一体何者なのか。

「まずは非礼をお詫びします。アンシーリーコート」
……構わない。私はただ怪我人を治療しただけだ」
「ヘルメス卿。なぜ貴方がロンドンにいらっしゃるのですか」 メアリーは敵対心を隠さない口調で問いかけた。「鳥籠事件を秘匿した折に、我々は互いに不干渉とする旨の契約を結んだはずです」
「それは神秘管理局と我が一族との間で交わされたものでしょう。そこに221Bは含まれていない。私はただの依頼人として此処へ来たにすぎません」
……依頼人?」
「ええ、そうです。実に奇怪な事件をお持ちしました。かの名探偵のお眼鏡に敵うかどうかは分かりかねますがね」

芝居がかったような口調でヘルメスは言った。しかしそれでいて嘘をついている雰囲気ではない。彼はここへ来た時手負だったのだ。わざわざ嘘をつく理由はないだろう。

……わかった。ホームズに会ってくれ」
「おや、宜しいのですか? そちらの魔術師殺しはあまり納得していないご様子ですが──まァ、名探偵の相棒が『通して良し』というのであれば反論の余地は無いのでしょうね」
「私は、……いえ。卿が依頼人として此処へ来たというのであれば、それを信じます」

メアリーは渋々、といった様子ではあったが承諾した。ヘルメスを二階へ誘導しホームズが一人で待っているその応接間へ通す。

「紅茶を淹れてくれるかい、ワトソン」
「構わないが……

私は円形のテーブルに載せられていた使われていないティーセットと、まだ殆ど手がつけられていないミルクティーの入ったポットを持つ。

「お気遣いなく。そちらで構いませんよ、アンシーリーコート」 ヘルメスは端正な顔立ちを少し歪めた。恐らくホームズの煙草のせいだろう。
「しかし驚いたな。かつて僕が解決し……真実は神秘管理局によって徹底的に秘匿され、今では僕の頭脳の中にしか真実はない。あの鳥籠事件の中心人物が『依頼人』とは……実に興味深い」
「貴方がたはまるで私が自ら望んであの事件に関わったとでも言いたげですが、私は寧ろ巻き込まれた側ですよ?」 ヘルメスはどこか哀れみを含んだ口調でホームズへ言った。「よく考えていただきたい。私は信仰には応じますが、此方から積極的に脚足らず共に慈悲をくれてやるような篤志家ではありません。寧ろそれは一般貴族の仕事では?」
「一理ありますね。本題に入りましょう。ヘルメス卿」

ホームズは少し身を乗り出して灰色の瞳を爛々と輝かせ、ヘルメスを覗き込む。そこには彼が持ち込んだ事件に対して隠しきれない興奮と強烈な興味があり、私はこの時点で依頼人が誰であれ、ホームズの子供っぽい一面はなりを潜めて『諮問探偵』の表情に切り替わったことに安堵を覚えていた。

「端的に言うと、殺人犯の罪を着せられたかもしれません」

ヘルメスは何の脈略も無く言い放った。かもしれません、という言い方に引っ掛かりを覚える。それに疑問を抱いたのはホームズも同じであった。私に一度目配せをして、

「『かもしれない』とはどういう意味です?」
「遺体の第一発見者になってしまったのです。ストレタムのフェアバンク屋敷をご存知ですか?」
「ホールダー・アンド・スティーヴンソン銀行の頭取がそこに暮らしています。以前僕に事件解決の依頼を」
「そうでしたか。であれば彼については貴方のほうがよくご存じでしょう」 ヘルメスはティーカップの持ち手に指を沿わせ、一口ミルクティーを飲んだ。「アレクサンダー・ホールダーですよ」
……王冠の緑柱石ならホームズが買い戻したはずだが」
「ええ、ええ。知っています。知っていますとも……兎に角、アレクサンダー・ホールダーは死にました。頭を散弾銃で撃たれてね」

私とホームズは息を飲む。つい数週間前に此処を訪れた依頼人が、頭を散弾銃で撃たれて死んだ? 一体何が起きている? 私の疑問を気取るようにヘルメスは言葉を紡ぐ。

「ヘルメス卿。何故ホールダーの元へ行かれたのです?」 ホームズがヘルメスへ問う。ヘルメスは一度瞼を伏せてから続けた。
「融資のお願いをしに。神秘管理局から法外な賠償金を吹っ掛けられましたので、仕方なく……ええ、本当に仕方なく。宝石を幾つか担保にして、賠償金の支払いをするつもりでした」
……私をそんな目で見ないでください」 メアリーは少し拗ねたような表情でヘルメスを見返す。「賠償金の決定に、私たち神秘秘匿執行官は一切関わっていません」
「それは失礼! まァそのような事情で、深夜に伺ったわけです。先方にも夜中に伺う旨は伝えていましたが、一向に返事がない。侍従が出迎える様子も無し。仕方なく鉄扉を勝手に超えて屋敷の中へ入りました」
「鍵はかかっていなかったのですか?」 とホームズ。ヘルメスは嘲笑して、
「いいえ? 鍵は掛かっていましたよ。ですが私は一定の条件が揃えば霞になれますので。鍵など意味がありません」 と答える。「そうして暫くお行儀よく、玄関で待っていましたが……誰も来ない。それどころか、室内には血の臭いが充満していました。明らかにこの屋敷で人が死んでいる。そう思って室内をあれこれ調べたところ、鍵のかかった部屋に行き当たりましてね」
「それがホールダーの書斎だったわけですか」
「ええ。戸を叩きましたが返事が無かったので、同じように室内へ入りました。私はその部屋の品性の無さに……いえ、惨状に暫し呆然としていたのですが、そこで散弾銃で頭を吹き飛ばされた彼を見つけたわけです。そして私はその部屋で、ドアには鍵がかけられていたことを確認しました──つまり、私が彼の部屋に来た時。その時、部屋は密室だったのです」
……密室殺人と来たか。実に興味深いですね。続けてください」
「私は鍵を開錠して部屋を出ました。しかし状況から考えて、警官を呼ぶわけにはいかないでしょう? ですから貴方にこの事件を解き明かしてもらおうと思いましてね……ですが! まさか背後から近づく者に遅れを取るとは! 嗚呼、ですがあれは魔術師の類ではありません。そう推察した理由ですか? 臭いですよ。獣の匂い。脚足らずの、ね」

彼が言う『脚足らず』とは人間や、人間との混血の馬子へ対する侮蔑がこもった言葉である。
ヘルメスは単なる純血の馬子というわけではない。彼は原種変態能力を有する馬子であり、尚且つ幻想の内側へ還った回帰者である。普通の人間がそのような馬子を襲うなど有り得ない。何故なら馬子は人間を遥かに凌ぐフィジカルギフテッドであり、その気になれば人間など片手どころか、指先で殺せるのだから。馬子に人間が喧嘩を売るなど自殺行為である──どう考えてもおかしいが、彼の話を嘘だと断じることは私にはできなかった。

「背後から襲ってきたその人物の顔は見たのですか?」
「いいえ。顔を布で覆っていまして、窺い知ることはできませんでした。強いて言うなら上背でしたね」
「他の特徴は?」
「持っていた刃物ぐらいでしょうか? ただの短剣などではありませんでした。湾曲した刃物でしたが、これと言って特に特徴のある脚足らずとは思えませんでしたよ」
……あー、まあ、貴方が人間に全然興味がないことは想定内です。メアリー、神秘秘匿執行官は人殺しも請け負うんだろう?」
「魔術師殺しならね。でもホールダーは魔術には何の関係もない普通の人間よ。魔術師が使う金庫なら今は神秘管理局の管理下にあるし、ホールダーを監視下に置いていた記録もない。もし秘匿執行官の何者かがホールダーを殺したのだとしたら大問題よ」
「執行官の仕業ではないでしょう。曲がりなりにも彼らは殺しのプロだ」 ヘルメスはどこか遠くを眺めるような表情で続けた。「もしも彼らが本気でアレクサンダー・ホールダーを殺すつもりで動いていたのであれば、あんな雑な犯行をするはずがありません。もっと徹底的に──証拠を残さず、誰にも気取られぬまま、全てを闇の中で終わらせたはずです。そうでしょう? アイアン・カーテン」
「ちょっ……ど、どこでその呼び方を!?」

メアリーは素っ頓狂な声をあげた。
神秘秘匿執行官──それは神秘管理局に所属する者のうち、魔術師の絶対的な戒律の違反者を殺す役目を担っている『魔術師殺しのプロフェッショナル』である。その執行官に名を連ねるメアリーは魔術師たちの界隈において最も恐れられている執行官の一人であり、『鉄の雨』──アイアン・カーテンという異名をつけられているのだった。
長さが違う銀の双剣を操り、魔術師を血祭りにあげる。彼女の通った道には血の雨が降る。そんな意味合いで呼ばれているのだろう、というのは想像に難くない。

「そんな事は些事でしょう? ミセス・モースタン」
「まあ、それは、そうですけれど」
「兎も角依頼は伝えました。こちらを手付金代わりにしてください」 ヘルメスはそう言って小さな箱をローテーブルに置いた。小箱の中身は大きな宝石が二つ収められている。ピンクサファイヤだった。「私は暫く湖水地方に引っ込みます。賠償金に関しても支払期限を引き延ばせるよう交渉してくれますね? ミスター・ホームズ」
「請け負いましょう」 ホームズはヘルメスの方を真っ直ぐに見据えて頷いた。
「いい返事です。ふふ、期待していますよ」