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ラガフィオ
追加日:2025/09/07
青
仕事を破り捨てたことがある。
自分の仕事ではない。彼女が任務内容に目を通す前に、目の前で書類を暖炉に投げ込んで焼き捨てた。お前の仕事はたった今なくなった、そう言い放ったら激怒された。多分、仕事を横取りされたとでも思われているだろう。
あれから一年経つだろうか。
それで正しかったと思っている。
「おお」
フィオリトが五階に降り立つと、青い世界が広がっていた。まるで海の中だ。
真っ青な長い窓が廊下の片側の、たっぷり上半分を占めている。ステンドグラスだ。真夏の昼間だから、光源は青い窓のみで薄暗く、淡い色らしい壁と天井、カーペットも全て元の色が分からないほどに青く染め上げている。
しばらく存分に真っ青な世界に見惚れた後、今日の仕事に向かうため足を踏み出す。長い廊下の先、角を一回曲がったところに今日の仕事場がある。支配人の説明通り、広い廊下の壁際に、簡素な折り畳み机と、机の安っぽさに不釣り合いな布張りの長椅子が用意されていた。机に受け取った資料と道具類を広げる。窓が近いので机上も真っ青だ。
どれどれ。これまでの挑戦者は、鍵屋、魔法使い、魔法使い、鍵屋。
今回の仕事は、開かない扉を開けること。
夏のアウギュステは何が起きてもおかしくない。
つい先日はフィオリトが身を寄せる騎空団の団長と団員数名がアルバコアと中身が入れ替わったらしい。どういうこっちゃ。
そんな事件からあまり日を置かずに、また別の依頼でフィオリトたちはアウギュステに来ている。
曰く、とあるホテルで、現在使っていない別館に魔物が棲みついているので、駆除して欲しいとのこと。また、鍵が壊れたのか入室できない客室が一室あり、駆除の片手間に挑戦して欲しいとのことだった。というわけで団長らが魔物の駆除に、属性相性が悪かったフィオリトが開かずの客室に向かった。
とりあえずドアノブを引いてみる。動かない。押してみる。びくともしない。引き戸の要領で横方向に引っ張ってみる。うんともすんともいわない。
受け取った鍵を差し込み、回してみる。豪華なキーホルダーがついている鍵だ。
かちん。手応えがある。滑らかに回せた。
説明書曰く、今の状態が開錠状態だ。しかし、押しても引いてもびくともしない。
まずは資料を読み込むところから。紙が青い光で染まっていて、ちょっと読みづらい。
扉と睨めっこしながら、今までの挑戦者が試した方法をまとめ上げ、フィオリトが出来る範囲で、念の為再試行を行ったが、何も起こらないまま、今日の作業は終わった。
夕食は全員揃ってホテル近隣の食事処に行くことになっている。
「鍵屋や魔術師は専門的な知識があるじゃん」
フィオリトは夕食をつつきながら今日の仕事について相談していた。
「アタシはそういうのないんよ。じゃ何がやれるのかって考えてたんだけど」
「拳があるな!」フェザーが言う。
「腕っぷし」ランドル曰く。
「筋肉」ラガッツォ曰く。
「テキトーすぎん?」フェザーは良いが、後の二人。
「マジな話、ヘタに大穴開けらんなくてさ。そこの部屋にある絵が必要だって話だから」
ホテルは一度経営者が代わっている。前の経営者の時に、地元の画家に依頼した絵画があり、今もこのホテル内にあるはずらしい。しかし見当たらないので、閉ざされているその部屋にあるはずなのだ。
「建て替えで解体する前に見つけたいんだって。回顧展もあるらしいし」
「別館の魔物も片付けないと業者が入れねェって話だったな」
ラガッツォが頼んだのは卵とじ系の丼物で、見た目は美味しそうだ。
「それどう? 美味しい?」
「美味い」
そう言う割には箸が進んでいない。ラガッツォって食べるの遅かったっけ?
「十年ちょい放置してたってのも変な話だよな」
「それ。多分なんだけど
……」
「フィオリトー、明日の相談」
会話の途中で離れたテーブルから呼ばれ、離席する。団長が手招きしていた。こちらにはジータの他にルリアにビィ、クピタン、コルルがいる。
「調査の方はどう?」
「まだ始めたばかりだけど
……煮詰まりかけ」まだとっかかりが思いつけていない。
「そっか。助っ人要る?」
「あー助かるかも、けどそっち人減って平気なん?」
「一人くらいなら。ちなみにラガッツォと仲良い?」
先が読めてきた。
仲良いかはさておき。
「
……魔物、風属性なんでしょ?」属性有利を取れるラガッツォを調査班に回していいのか? ルリアとかではなく。
それがねとジータとクピタンが顔を見合わせた。クピタンが続ける。
「属性上は問題ないはずなんですけれど
……なんだか今回の魔物と相性が悪そうで」
「うおっすげえ青い」
例の部屋がある五階は、青かった。
「でしょ!」ラガッツォの感嘆の声を聞いてフィオリトが笑っている。
真っ青なステンドグラスは海中をイメージした造形なのか、海の生物があしらわれている。魚群の中には水のエレメンタルなど魔物も混ざっている。
昨晩、団長の一声で突如魔物退治から外されたが、正直ありがたかった。昨日はエアグレイブが右から左から前から後ろからぶんぶんぶんぶん次から次へと飛んでくるのに辟易した。今日は静かで眺めも良い。懸念は人の出入りが全く無さそうなので、フィオリトと二人きりになる気まずさだけ。
「ここが例の部屋か。こりゃまた派手な
……」
「それね、バカ高い木彫りなんだって」フィオリトの言葉を聞いて、ラガッツォは扉に伸ばしかけた手を引っ込めた。彼の機械の指先は尖っている。
フィオリトは抱えていた紙束を机上に並べ始めた。
「こっちが今まで試したことの記録の原本。これはアタシが手段別に分類したやつ」
過去の挑戦者は鍵屋が二人、魔法使いが二人。最初の鍵屋はこの鍵を取り付けた鍵屋本人らしい。彼らが残したメモを元に物理的アプローチと魔術的アプローチにわけ、重複分も記録している。
「読める? 青いし薄暗いし、一人でやるつもりだったから字もアレなんだけど
……」
「ぜ〜んぜん読めるぜ」
「ならいいけど」
鍵屋の報告では、鍵に異常無し、しかし開かないとのこと。専門用語は原文そのまま書き写した上で、彼女なりの解釈を添えているので、わかりやすい。昨日一日でよく作ったものだ。
「鍵がぶっ壊れてるとは思えないんだよね」
隣に腰掛けたフィオリトは、所在なさげにぷらぷら鍵を弄んでいる。例の部屋の鍵だ。
「そのキーホルダー、こまけェな」
鍵に魚群の透かし細工が入った銀色の円柱がぶら下がっている。上等の部屋らしく、高級感がある。宿屋のルームキーホルダーはどこも独特だが、ラガッツォ達の部屋のものとまるで違った。
裏にも書いてあるからと促され、ひっくり返す。
「ピッキングもやったんだな」
「四人ともね。物理と魔法で。でも開かないって」
というか取り付けた鍵屋本人がお手上げだったのだから、鍵に対してこれ以上できることはないのでは?
「で、こっちが魔法のまとめ」
鍵屋の分にざっくり目を通し終えたところで、もう一枚手書きのリストが差し出された。
「アタシは魔法よく知らないし
……アンタはどう?」
「
……」なんとも言えない。
ラガッツォは魔術に関しては幼少期に早々にドロップアウトしているので、基礎知識しかない上に実践となるとからきしである。
ひとまず、読むだけ読んでみる。
先に挑戦した魔法使いの分析曰く、例の部屋にかかっていた魔法は全室共通の、高級客室用の防音魔法のみ。鍵に魔術的仕掛けは施されていない。
「こいつは?」フィオリトの作った書類に小さく書かれているメモが気になった。
小さく『認識阻害の痕跡?』と記されている。
フィオリトはちょっと待ってと魔法使いのメモをひっぱり出し、元の記述を指し示した。
「開かずの間のまま、十年以上ほったらかしてたっておかしいじゃん? これ、人払いの魔法とか
……注意を逸らす魔法をかけられてたんだと思う」
「それがどっかの時点で解けた」
「そういうこと。ただの予測だけど」
気を遣って長椅子の端に腰掛けたのだが、フィオリトはいつの間にか近くに寄ってきている。
あとさっきから真顔でものすごく見てくる。
「
……なんだよ」
「いや、赤に青い光ぶつけると、赤が負けるんだなって。そんだけ」
ラガッツォが自分の髪をつまんで視界に持ってくると、確かに元の色がよく分からなくなっている。
「とりあえず、今までの四人が試したことに漏れがないか、できる範囲で再検証しようと思ってて
……その後どうする?」
そう言われても、すぐには思いつかない。フィオリトが頭を抱えていたのも頷ける。
「作業しながら考えればいいんじゃねェの」
「そうだよね。よし、やろう!」
フィオリトは元気よく立ち上がった。
コルルの就寝時刻に合わせてよく寝たと言っていた。昨日より声が明るいのは、そのせいだと思う。
たまにはアウギュステでも、海から離れた場所に泊まるのも一興だろう。パーシヴァルはそう考えて宿を選んだが、今回は良い宿を引き当てたかもしれない。
廊下の片側が一面真っ青なステンドグラスになっていて、晩夏の西陽を透かして空間を瑠璃色に染め上げている。ランスロットがはしゃぎそうな眺めだ。彼は何かと青を選ぶ友人を想起した。
この階の客室は三部屋のみ。てっきり誰もいないと思っていたが、曲がり角の先で誰かが会話している。
「一三〇号の絵って何、号って大きさ?」
「知らねェな」
話しているのはおそらく男一人と、女か子供一人。男の方は直近で聞き覚えがある声だ。
「あと昨日、コルルちゃんと話してて思い出したんだけど
…… アタシの案件をアンタが横取ったことあったじゃん? アレ、結局どうなったの?」
「横取ったァ? んな覚えねェぞ?」
「嘘だあ目の前で指示書燃やしたじゃん、一年位前」
「あ〜アレかァ、いや、それは
……」
この一瞬で揉めかけていないか?
「一三〇号の絵画なら、短辺がお前たちの背丈くらいあるぞ」
「パーさんだ」
「こんにちは!」
騎空団で顔見知りの二人だった。二人揃って椅子からパッと立ち上がって挨拶をする。赤髪の少年とは、今夏のアルバコアの一件で交流した。
ラガッツォの隣の少女とは得意属性が被らないのでよく知らない。確かラガッツォとは旧知の仲のはず。
「お前たちはここで何を?」尋ねてから、二人が首に下げている従業員証らしきカードに気づいた。
「団長たちが魔物の駆除。俺たちは開かずの間の調査。パーさんは?」
「諸用でな。遊びじゃないぞ」
奇遇にもジータら騎空団の面々が依頼で滞在しているという。
「開かずの間か」
「おう。
……話して良いやつだったか?」
「良いんじゃない、期限迫ってるみたいだし」
聞けば、パーシヴァルの隣の部屋は十年以上開かずの間になっているという。
「ここの調査はお前たちだけか」
人が通りかからない空間だ。先日の印象では好感の持てる少年だが、一応気にかけておこう。
何かあったら声をかけろと伝えると、「おう!」と「はい!」が揃った良い返事が返ってきた。
礼儀正しい二人だ。
空調の微かな唸り。管理された生温い空気。古い本の香ばしい匂い。
ここは地下である。
滞在三日目の朝。二人はホテル内での調査に限界を感じ、図書館に来ていた。ラガッツォが探している資料は地下にあった。開架とはいえ、地下書庫にまで用事がある利用者は滅多に居ないらしく、人の気配がまるでない。人工的で、管理された空間だ。そこらの地下迷宮とは違い、安全な地下である。
とはいえ一人きりで作業していると、どことなく心細さが忍び寄ってくる。
「なんかわかった?」
「おわ」
急に背後から話しかけられて心臓が跳ねた。フィオリトだ。無音で歩いてきたらしい。
「足音殺すなよ」
「そうだった? うっかり」
ラガッツォも、ナビスで身につけた習慣が無意識で出ることがある。彼女も同じなのだろう。
お店広げすぎ、いいだろ誰もいねェんだから。本当に誰も居ないので、多少閲覧席の机を広く使っても、会話をしても叱られまい。
「読み辛ェとか言うなよ」
持ってきた書物を下ろして隣に座ったフィオリトに時系列をメモした紙を渡す。
「アンタの字変わんないね」
ラガッツォはホテルの過去、特に前の経営者時代について、支配人から聞いた話とは別角度の話を探したかった。要はいつから開かずの間なのか気になったのだ。尤も、分かったところで扉が開けられるかと直接関係なさそうだけれども
……
「この情報の出処何?」
「アウギュステの地元新聞」
ホテルが建てられたのは三十七年前。経営母体が変わったのは十一年前だ。
「当時の最大の出資者は、ある他島の政治家。んで、そいつが収賄で捕まったと」
ホテルは別館の改修中だった。事件の影響で、本来なら逮捕された政治家が出す予定だった改修資金を他所から借りる羽目になり
……経営難に陥った。
それで売りに出され、複数のホテルを経営している今のオーナーが買い取って現在に至る、らしい。
「俺らが探してる絵画の分も売却金に足したんだろ。で、絵はホテルに残された」
「そっか。こっちは何、雑誌? ゴシップ誌だ」
「政治家についてちょっとな。メインの罪状は収賄だったんだが、他にも違法賭博やら人買いやらクスリやらいろんな疑惑がって
……ま、本当はどうだか」
一方、フィオリトが地上階から抱えてきたのは古いホテル名鑑が数冊と、一抱えある厚い本が一冊。
フィオリトはまず一番上に乗っていたホテル名鑑を手に取った。
「これ二十年前のなんだけど、こことか、あとここ。あのホテルが載ってる。人気あったみたい」
あんまり有益な情報は無さそうと本人が言う通り、ステンドグラスが名物くらいしか書かれていない。
「見て見てでっかい本」一番下に敷かれていた本は、彼らが探している絵の画家の画集だった。
「あの部屋の絵について、何か分かるかと思って」
フィオリトは紙切れが差し込まれていたページを開いた。
「これがあの部屋の絵の下絵なんだって」
巨大な花に数人の少女が埋もれている。いや、ただの少女じゃない。ピクシーだ。
あとここ。フィオリトは別のページを開いた。水のエレメンタルの絵だ。見覚えがある。ステンドグラスも、同じ画家が意匠を手がけたらしい。
「他の階もああいう窓なんだってね。帰りに裏寄って見に行こ」
幾つかの疑問が解消されたが、結局、開かずの間になった経緯と時期は分からなかった。
「めっちゃ綺麗な気がする。ほぼ見えないけど」
「こっからじゃ角度がなァ〜
……」
図書館から帰ってきたのは正午近く、陽が高く、ステンドグラスは逆光になっている。普通に見上げると眩しくて目が開けられないが、建物の短い影に入って急角度で見上げると見られなくもない。ただ見辛い。
ステンドグラスは上階ほど青が濃いらしい。海中と逆だ。五階は深めの海中だった。
「アウギュステでよくこんな割れ物を
……そっか、海の方じゃないから」
この列島の海辺はトンチキ生物に高頻度で襲撃される。ラガッツォも訪問一回目にして早速遭遇した。海から離れた場所だからこそ、割れやすいステンドグラスが今まで無事だったのだろう。
「建て替えン時にどうすんだろな」
「ね、取り外せるといいね」
日陰から出ると途端に晩夏の日差しが照りつける。
帽子持ってくるんだった、フィオリトはそう笑って手で顔に影を作っている。
クピタンほどではないが、フィオリトの髪も色素が薄めだ。それが晩夏の未だ強い日差しを受けている。
眩しい。
一仕事終えたパーシヴァルは、部屋の風呂で一人、蛇口と睨めっこしていた。
水と熱湯をそれぞれ別のつまみを捻って、混ぜて湯の温度を調整する方式の蛇口があるだろう。彼の前にあるのはそういう蛇口だった。
一つのつまみを左右に振って温度を調整する型の蛇口、あれは使いやすい。それに比べ、こいつはなんだ。適温の湯をブレンドできても水量が多かったり少なかったりして、また捻り直せば今度は熱湯が飛び出たりする。しかも今回の蛇口は目盛りがないものだから、左右の捻り具合を視覚的に記憶する方法が無い。
とはいえこの種の蛇口とは何回も遭遇しているため、ある程度慣れつつある。
昨晩は確か右をこうして左をこうして
……。
「よし」
やや水量が物足りないが、適温が出たので良しとする。直感で使えはするものの、好かない。
体の泡を洗い流しながら、蛇口を観察する。蛇口の構造上必要なのかもしれないが、冷水の管と熱湯の管の根本にそれぞれ深い窪みがある造形も好かない。中に水が溜まり、不衛生だ。昨日も思ったが、綺麗にしているものの、こういう細部に古臭さを感じる。
……いや、なんだこの穴は。本当に必要か? この手の蛇口にこんな穴あるものだったか。
穴の直径は二センチ程度、覗き込むと深さ十センチはありそうだ。中は案外複雑な凹凸がある。
穴側面の窪みの形。
「
……魚?」
「人が入れることには入れますが、客室上に点検口が無いので
……それに良い環境ではないみたいですね」
天井裏に人は入れますか? 夕食後、フィオリトとラガッツォはフロントの端で、明日の調査をどうするか支配人に相談していた。
図書館から戻った後、日中あれこれ試していたが、彼らでは扉について鍵に関しても魔術的アプローチに関してもこれ以上やれることが無い。いっそぶち破るしかないのではと相談すると、支配人も二人の意見に賛成した。工事の期日が迫っているからだ。
絵が掛かってなさそうな場所に見当を付け、慎重に穴を開けて密室内に入り、絵の位置を確認する。その後、絵を運び出すため、最初に開けた穴を広げるか、別の場所に大きめの穴を開けるつもりだ。幸い、素人の二人が適当に破壊しても問題無い建材らしい。
「埃ヤバいかな」まだ話し合っていないが、フィオリトは自身が侵入担当をするつもりだった。
「どうせ中もだろ。ま、どのみち天井からは運び出せねェから二度手間だ」
「ならバルコニーからもムリじゃん? 五階だよ」
考えるために上を見上げたフィオリトは、天井近くにある変わった照明が目に留まった。
「ねえあれどっち? 風鈴茸?シルフィードベル?」
少女姿の魔物を模したガラスランプだ。フィオリトが指す方を見上げたラガッツォが首を捻っている。
「アイツらサイズ違うだけで造形は同じじゃねェ?」
「ここのホテルさ、こんな感じの調度品多いよね。オーナーの趣味?」
「いえ、前の経営者が置いていった調度品が数多くありまして。あのランプもそうなんです」
「もしかして例の絵もそう?」
「ええ」
「話戻すぞ、あとは
……便所? 風呂?」脱線した会話をラガッツォが軌道修正した。
「水場には絵置かなそうだもんね」
ひとまず壁を壊す方向で、やり方と工具の打ち合わせをした。では明日お願いしますと支配人は別の業務に向かっていった。お疲れ様です。
「
……アタシちょっと苦手なんよ、ああいう造形」支配人が去った後、フィオリトはポツリとこぼした。
「なんだ、ランプの話?」
「そう。あと五階のステンドグラスにいる魔物もだけど、なんかツルってしてない?」
「元々あんなヤツらだろ」
「そう、そうなんだけど、筋肉が少ない身体ってあんなだよなー、って納得できる造形なんよ」ちょっとすけべな感じがするとは言いづらかったので、やめた。
「お前らしい着眼点だな
…… あっしまった」
間取りを眺めていたラガッツォが声を上げた。
「よく見たら風呂の壁って、パーさんとこからぶち破るしかねェわ」
「ダメじゃん。めっちゃ迷惑っしょ」
「俺がどうかしたのか」
「あっパーさん」
「こんばんは!」
噂をすれば本人が来た。
「フロントに用があってな
……その前に丁度良い、お前たちに聞きたいことがある」
「お前たちが調べている開かずの間、部屋の鍵はこれと似たものがついているか?」
パーシヴァルが差し出した手の上に円筒形の銀の透かし細工と鍵が乗っている。
大体同じだと答えると、次は明日の業務開始時刻を問われた。午前九時だ。
「ならば間に合うか。明日、見て欲しいものがある」
滞在四日目、最終日。
「広いお部屋でごんす!」
「スイートルームでしょうか?」
「私たちの部屋の四倍くらいありません?」
「一人ででっかい部屋とるんだな!」
「立場上グレードを落とせないとかだろ」
「お前たち
……全員朝から元気だな」
部屋の主は十代の口数の多さに押され気味である。
魔物討伐に取り掛かっていた面々も全員招かれたので、一向はパーシヴァルの部屋に集まっていた。
フィオリトとラガッツォ、それに一向の代表者としてジータが浴室に案内された。
「これなんだが」
パーシヴァルが洗い場の蛇口を指差す。
蛇口の根本に、深い穴が二つ、空いている。
「内側に魚らしい窪みがあるだろう」
「どれ?」フィオリトが覗いても暗くて分からない。
「このあたりじゃねェの」
「ほんとだ」
隣にしゃがみ込んだラガッツォが義手で照らした。
冷水側の穴に、パーシヴァルは部屋の鍵のキーホルダーを深々と差し込んだ。開かずの間のものとほぼ同じ造形のそれは、穴にピッタリ嵌まった。
「偶然とは思えなくてな。それと、左の穴には引っかかってな。嵌まらなかった」
穴はもう一つある。
「つまりこういうことでしょ」
フィオリトはもう一方の穴に、開かずの間の方のキーホルダーを深々と差し込んだ。
「うぉテメェ軽率にやんなよ何起きっかわかんねえだろ」
いきなりキーホルダーを突っ込んだのでラガッツォに猛抗議される。私も一声欲しかったかなと団長にもやんわり嗜められた。
「ゴメンって、でもホラ何も起きない
……し
……」
フィオリトの言葉を遮るように、差し込んだ場所を起点に壁の内部でカチカチカチと異音が広がった。
異変を察した四人は、各々身構えて距離を取る。
最後にカチッと一際はっきりした音が響いて、まるで扉のように、鏡の一辺が壁からわずかに開いた。
「この鏡の向こうって
……」
隣の客室。開かずの間。
ルリア曰く、星晶獣の気配は無い。
「何か出てくるとしたら?」
「クモかゴキブリかネズミかコウモリとか、あと魔物とか幽霊とか
……」
「何も出ねェことを祈るわ」
ラガッツォが一行を代表し、隠し扉を開けることになった。
鏡の前にラガッツォ、浴室内にパーシヴァル、入り口にフィオリトとジータ。他の面々も有事に備え、浴室の外で武器を構えている。
ラガッツォは鏡の縁に手を伸ばしかけ、ふと入り口を振り向いて、指先をチョイチョイと右に振った。
「フィオリトもう少し左、じゃねェや右に立て。団長も。パーさんは
……まあいいか」
「この辺?」
ラガッツォの指示で一歩横に移動したものの、この位置からだと鏡の中が見られないのだけれど
……
果たして。
ラガッツォが慎重に鏡を手前に引いた。軋んだ音をたてて鏡が開く。
開いた途端に何かが急に飛び出してくる、といったこともなく。静かだった。ラガッツォは、よく見えねえなと内部に光を向け、覗き込んだ。
しばらくして顔色を変え、静かに鏡を閉じた。
「何? 何があるん?」
フィオリトは浴室内に踏み込もうとしたが、ラガッツォに制止される。
「フィオリト、見んな、見ねェほうが良い」
「でも」
入り口でもたついている三人の後ろでパーシヴァルが鏡を開け、中を覗き込んだ。同様に顔を顰め、鏡を再び閉じた。
「警備隊を呼べ」
「人骨だ」
地図を見るために立ち止まった。
アウギュステの首都ミザレアというのは立体的な都市だ。至る所に橋と階段があり、路地が入り組んでいる。気を抜くと迷いそうだ。
地図だと今この橋の上だよねとラガッツォに問うと生返事が返ってきたので、見ると遠く水平線を眺めている。そろそろ日没だ。
迎えの騎空艇は既に停泊している予定だが、出立は明日だ。団長たちは一足先にホテルを出たはず。急いで合流しなくてもいい。夕焼けを見て立ち止まるくらい構わないだろう。
彼らが立ち止まった大きな橋の上は閑散としていて、それと対照的に、下に沢山の人が集まっている。
「なんかあんのかな」
「さァな」
あの後。フィオリトとラガッツォ、パーシヴァルが事情説明を担い、居合わせただけの団長たちは魔物退治の仕上げに行った。今はパーシヴァルが詰所に向かって、残りの事情説明をやってくれている。秩序の騎空団にも通報するかという話をしていたので、二人が先に退出できるのはありがたかった。彼らの身の上は相当後ろ暗いのだ。
「どうなんだろね、あのホテル」
支配人は事態に驚愕していたから、本当に何も知らなかったらしい。
「発覚した方がマシだと俺は思うぜ。いわくはついちまったが、闇に葬られるよりゃうかばれるだろ」
昼間、フィオリトたちが状況を説明している横を、室内から次々と布に覆われた何かが運び出されていった。その中に、薄く透ける、レースで装飾された朽ちた布きれがあるのをフィオリトは見た。
「アンタ、あの部屋が何かって、気づいてたっしょ」
ラガッツォはフィオリトとジータを、隠し扉の内部が見えない角度に立たせた。多分、彼女たちに見せられない何かがあるかもしれないと察していたのだ。
「
……何となくだ、何となく」
「どこで気づいたん?」
「内装で。お前が嫌がったから」
昨晩の会話か。
「ピクシーの絵画、ステンドグラスに水のエレメンタル、風鈴茸のランプ
……どいつも少女姿の魔物だろ。で、ホテルの過去がどうにも不自然だった」
立ち入った捜査員が、まだ子供じゃないですかね、これ十人目です、そんな会話をしていた。
かつて、収賄で捕まった政治家の疑惑。違法賭博、薬物、人買い。
前の経営者は、調度品も全てそのままに、ホテルを手放した。
開かずの間。あの部屋で行われていたこと。
「やっぱり、そういうこと
……ね」
彼女たちは今日まで日の光を見ることもなく、人知れず。すぐ近くに人がいただろうに。
「お前も気ィ付けとけよフィオリト。人ッ子一人居ねェとこ歩く時とか」
「心配してくれてんの? 気をつけてるって」
「いーや、弛んでる。昔はもっとトゲあったろ」
「それはナビスにいたから
……」
今フィオリトの周りにいる騎空団の面々は信頼できる人々だ。ラガッツォだって
……
「離れたからこそだ。まァ監査屋のままでも何されっか、知れたモンじゃ無かったけどなァ」
「されるって、アンタの腕みたいなこと?」
「なんでそこで腕
……しまった」
ラガッツォは舌打ちして口を噤んだ。
どういうこと、ハッキリ言えと詰め寄る彼女にラガッツォは長いため息を吐いて、渋々話し出した。
「あんま聞かせてェ話じゃねェけどなァ
……ついでに言っとくわ。恩売る訳じゃねェぞ、今後も気をつけろって話で」
ひとまずそう宣言したものの、まだ言いづらそうにガシガシ頭をかいている。
「
……一年位前」
ようやく重い口を開いた。
「俺は横取ったんじゃねェ。先に内容を読んで
…… 上に掛け合って。結局先延ばしにさせたんだよ」
あの部屋の前で、なんとなくした思い出話のこと。
ラガッツォに目の前で指示書を燃やされた時の話。
理解して息を呑んだ。
「アタシ、何やらされるとこだったの」
「言わねェ。知らねェ方が良い」
「
……ねえ、それって」
ナビスで酷いことをしてきた自覚はある。だが、彼女自身が酷い目に遭う仕事は無かった。勿論多少の負傷はした。けれども、犠牲になりなさいと命じられたことはなかった。
「まァアレだ、お互い抜け出せて万々歳ッてこった」
からりと話を締めくくるその声が、存外柔らかで、穏やかなので、不意に泣きそうになる。
知らぬ間に守られていたのだ。知ろうともせずに。
太陽が眩しいふりをしたくて、水平線を見た。海の方を向けば、髪が表情を隠してくれそうだ。
海が穏やかな日だった。水平線の太陽から、海に、金色の帯が垂直に伸びている。何て名の現象だろう。ラガッツォは知ってるかな。
水平線の眩しさが和らいだ。日没だ。
橋の下の喧騒が騒がしくなった。
見ると、先程まで停滞していた群衆が、一斉に同じ方向に歩き出している。
「
……もしかしてよォ」
隣を見ると、ラガッツォも橋の下を見ていた。
「日が沈むのと同時にくぐると願いが叶うっつー橋、ここじゃねェ?」
言われてみればそんな話があったような。
二人の間を潮風が吹き抜けていった。
また来た時でいいんじゃない。フィオリトが沈黙を破ると、ラガッツォは一瞬ハッと目を見開いて、それもそうかと笑顔を向けた。
「ここの方が眺めも良いだろ。夕焼けがよく見える」
金色の水平線、橙、桃、藤、夜の青。ちょうど建物が途切れていて、昼から夜に変わる空を一望できる。
「日が沈んだ途端さっさと解散してらァ」ラガッツォは橋の下を見下ろして笑っている。
夕焼けよりずっと赤い髪。
青に沈むにはもったいない。
この空では、青が好まれるけれど。
赤だって。