ぎんちき
2025-02-10 21:42:20
12986文字
Public ブン木手
 

過去作まとめ②

合宿所設定かつ、明るい雰囲気のものをまとめました。
1.染まった
2.不可抗力につき
3.怪奇!空飛ぶポメラニアン
4.冷たいものを
5.ある朝のこと


ある朝のこと

「おはようございます、丸井くん」
「おはよ。早速だけど今日はどうする?」

 早朝。まだ薄暗い合宿所で丸井と木手が顔を合わせた。ジャージを着用し、ラケットバッグを背負っている。
 丸井に尋ねられた木手は手を顎の下にやり、何かを考えるように黙った。その表情を丸井はじっと見つめている。普段通り、ガムは既に口に含んでいたので口元だけが動いていた。
 その口元から、綺麗な球体の風船が膨らんでいく。木手は未だ考えているようであったが、ゆっくりとした瞬きを一度してからようやく発した。

「決めました。いつも通りでいきましょう」
……えっ、あ。わかった。勿論、いいけど」
 いかにも何か新しいものを提案しそうだった木手から出た言葉は、それであった。どんなものが飛び出すものか、若干の期待感を持ち合わせていた丸井は拍子抜けのしたような心地がした。その丸井の様子を見逃す木手ではなかった。声音は穏やかに、しかし「文句でもありますか?」と言いたげな目線を向けつつ、問うた。
「けど?」
「あー、いや……。何でもないから! 気にすんなよ。じゃあ柔軟からだな」

 これ以上このことに突っ込んでしまうと一向に練習が始められなくなりそうだ、と判断する。その場にラケットバッグを下ろして、そそくさと相手から一歩離れた位置に立った。
 特に会話をするでもなく、各々が自分のペースで筋肉を曲げ伸ばしする。丸井はまず屈伸から始めた。冷たい空気に白む吐息をぼんやりと見つめながら、数度繰り返していく。

「いち、に……っと」
 対する木手は指を組むようにして両手首をゆっくりと回した。それに合わせるようにして、足首を片方ずつ回す。それらをひと通り終え、次は首を、と大きく回したあと、丸井とバッチリ目が合う。
「何ですか」
「何でもねぇよ。いや……あるか。でも秘密」
「はぁ……?」
 丸井の回答に納得がいかなかったのだろう。木手の眉間には深い皺が刻まれたままである。それを見て何を思ったのか、丸井はにんまりとした笑みを浮かべた。
「まーまー、さっさと済ませようぜ。腕貸して」
……え。またやるんですか、あれ」
「おう!」
 はぁ、と木手は深くため息をついた。しかし丸井の促すまま、彼の側へと歩み寄り、背中合わせに立った。そのままふたりの腕が交差する。
「じゃ、先に頼むわ!」
「はいはい……っ」
 ぐ、と両足に力を込めて、上半身を前方に倒す。その背に乗った形で丸井の両足が宙に浮く。
「あー、たのし! な、キテレツ!」
 戯けたような丸井の声に、木手は特に反応せず数秒で背を真っ直ぐに戻した。つれねぇの、と唇を突き出しながら声音にほんの少しの不満を混じらせながら言いつつもその表情自体は明るいままに今度は丸井の番となった。
「ふんっ!」
 気合いの乗った声と共に、丸井がお辞儀をするように背を倒す。肩幅よりも少し大きく広げられた両足は強く踏んばっていた。
「どう!」
……いい調子ですよ」
「っしゃ!」

 単純な体格差もある。そして、丸井は「力仕事」が苦手だと自認している。
 木手の靴先は、地面すれすれにあった。彼はそのままの体勢で晴れた空と、流れゆく雲を眺めた。するとすぐに背を通じて丸井の声が振動して伝わってきた。その声は震えていて、彼の限界を知らせるには十分すぎるものだった。顔が見られないのをいいことに、木手がくすりと笑う。
「キテレツ……終わり……!」
「はい。お疲れ様でした」
 膝に手を当てて、いかにも疲労していますといった様子の丸井を見下ろしながら木手はカチャリと音を立てて、眼鏡を上げた。
「それでよく試合中はスタミナが持ちますね」
「こういうのとは使うところが全然違うから、しょうがねぇだろい」
 先ほどとは打って変わり背を伸ばし、木手にウインクを飛ばしてみせる余裕があるようだった。木手は少しだけ狐につままれたような心地を覚えつつ、いつものことだ、と気を取り直した。
「では。もう少しストレッチをしたら、軽く外周でも行きますか」
「OK!」

   *

……で、あんとき食べたケーキがうまくって。いつかお前とも食べに行きてぇな〜って思ってるんだけど」
……
「おーい、キテレツ。聞いてんのかよっ?」
 両肘を曲げ、腕は胸下程に置きながら軽快に駆けてゆく。一定のリズムで揃った、土を蹴る音がまだ静かな周囲に響く。
 そうであった。丸井が木手に話しかけるまでは。

「俺、お前ともっと色んな話をしたいんだって」
 それなら今じゃなくてもいいでしょう、と木手は思うが口には出さなかった。あくまでも自分のペースを守ることに集中する。それこそ、食事の時間や休憩時間にでも話しかけてくればいいのだ、と。
 しかし丸井はそういった時間においては自身のチームメイトらと過ごすことが多く、木手とは時々話す程度だった。傍から見れば、どうしてこのふたりが頻繁に練習を共にしているのだろう、と思うことだろう。木手本人もそう思っている。だが、その割には何故か合宿が終わったら丸井に対してちょっとした贈り物をする約束などもしているので、彼のことも、彼に対する自分のこともよくわからなかった。
 規則的な呼吸の中に、ひとつだけため息を混じらせた。それを最後に木手は丸井の声をシャットアウトし、残り少ない道のりは走ることに集中することに決めた。

「ちぇっ。だんまりかよ。あ! 俺が先にゴールしたら今度、一緒にケーキな!」
「はい? あ……丸井くん!」
 何を言い出すのか、と。木手の頭が整理されるよりも早く、丸井が一歩早く踏み出した。元の速度を保つ木手とは徐々に差が開いていく。
……ケーキ、ですか」
 ぽつりとつぶやく。それを一緒に食べる、ということは別に構わない。しかし、もっと単純な理由から木手もペースを早めた。すぐに丸井に追いつきそうになり、丸井は更に加速する。
 頬を撫でる冷たい空気によって痛みすら感じる。乱れた呼吸によって口の中は乾燥して、喉も張り付くような感覚がしていた。しかしふたりは競うようにして一心不乱に脚と腕を交互に動かす。
 ゴールはもう間もなく、という位置で木手が更に加速した。並んでいる、というよりも若干自分が勝っていると思っていた丸井は驚きながらその背を目で追った。
「そんなのありかよー!」
 丸井の無念の叫びが響く中、木手は先に走るのを終えて、くるりと元来た方を向いた。息が上がっている中で「してやったり」とでも言いたそうな表情を浮かべている。すぐに丸井もゴールをしてその場に転がった。

……はっ、あ……
 弾む呼吸を整えながら、青く澄んだ空を見る。するとその視界の中に木手が現れた。丸井の方へ手を差し出している。
「サンキュー」
 その手を掴み、丸井は起き上がった。今の短時間でも体力は回復している。彼を起こしたあと、木手はふたり分のラケットバッグを手に取り、唇に微かな笑みを浮かべながら、こう告げた。
「まだ少しだけ時間に余裕がありますけど、打ちますか?」
「そうこなくっちゃ」
 と、返しながら丸井もまた笑んだ。そして、木手から自身のバッグを受け取る。ふたりは並んでまだ誰もいないコートへと向かった。

……
 その間、丸井も木手も黙したままである。
(「話がしたい」と言うのなら、こういう時間こそ有効活用すべきなんじゃないですかね)
 木手は僅かにもやもやとした感情を抱き、軽く睨むように隣を歩く男の方を見る。澄ました横顔で、口元には大きく膨らんだガム。
 自分から話しかけるのも何だか癪に障る、と木手は決して彼に話しかけることもなくすぐに前を向き直した。すぐにコートが目に入る。そういえばここでぶつかったことがきっかけで今のような関係になったのだったな、とふと思い返す。
(全て終わったのだから、今となっては別にどうだっていいことですが)
 それでも。あの試合の日を思い返せば、身体が熱を帯びるような心地がした。目的を遂行する為に終始しない高揚感が、確かにあったのだと、木手にはわかっていた。だが、理解はしようとせずにいた。
 頭のどこかで、それを理解すると自分の最大の目的がブレてしまうのではないか……ということを恐れているのかもしれない。そんなのは自分自身が許せない。だから、考えるのは今でなくていい。合宿が終わり、この丸井という男から距離を置いた時でいいのだ、と。それ自体普段の彼らしからぬことではあったが、現時点での当人とってはそうすることこそが最善策であるように感ぜられていた。
「着いた!」
 まるで木手の思考を遮るように。丸井の明るい声が発せられる。
「試合形式でやりたいとこだけど、そこまでの時間はねぇもんな。軽〜くラリーでもしようぜ」
「そうですね」
 丸井は二つほどボールを取り出して片方はポケットにしまいこんだ。そして、そろそろ始まるか――と、木手が腰を落とした瞬間。「あ!」と大きな声で言った。ネットを挟んで向こう側。遠くにいる丸井の表情はまるでいたずらな子どものようだった。

「一球勝負」

 そんな音が木手の耳へと届く。
「ミスった方が、カフェでケーキを奢……る! ってのはどう?」
 ボールを高く上げて。サーブを放ちながらそんな提案をした。
「それは! 私にメリットがあると言えますか?」
 あくまでラリーの体は保とうとしているらしい。丸井の打ったボールは決して際どいコースなどではなく、木手が縮地法を使うまでもなく届く。
「んじゃあ別のでもいいけど!」
 パコン、と軽い音が鳴る。
「例えば?」
 ラリーを繰り返して、身体と共に心もいくらか浮かれてきたのだろうか。そんな木手の様子に丸井の頬は緩む。と言っても、互いにコートの端と端にいるので木手にその表情は届かない。
……
 無言で丸井は前方に駆け、ネット前に陣取った。どうやら自分の得意分野で行こうと考えたようだ。
 それなら、と木手も仕掛ける。半身を引き、大きく身構え――しかし放たれたのは通常のショットで、それは丸井の手元へと向かった。
「フェイントかよい!」
「あくまでラリーでしょう?」
「ははっ、それもそうだな!」

 と、何度か繰り返すうちに木手がパシっとボールを手に取った。まだ次が来ると思っていた丸井は困惑する。身体を動かして、上がってきた意味の狭間に木手は告げた。
「時間。もう行かないと、朝食に間に合いませんよ」
 それを聞いた丸井は血相を変えて慌てて片付けを始めた。彼の元に近づきながら、手に取ったボールを渡す。
「勝負はお預け、ということでいいですか?」
「おう! 今度はさっさとケリをつけてやるから」
「ふぅん。やれるものなら、どうぞ」
 自身有りげな木手に、丸井は「次もちゃんと付き合ってくれるつもりがあるんだな」と思う。しかしそれは口に出すことなくラケットとボールをバッグへしまった。
「さて。軽く整理運動したら飯だな!」
「ええ。……丸井くんって、意外とそういうところ律儀ですよね」
「え?」
 木手のつぶやきに、丸井は顔を上げる。
「いや、ほら。早く飯だ〜とか言いそうだなぁと……思っていたので。毎回きちんと整理運動までしているのが、その……少し意外、でした」
「なんだよそれ〜。ま、それもそっか。でも怪我してテニスとかができなくなるのは一番嫌じゃん。それにさ、少しでも身体を動かしておけばもっと腹が減ってより一層美味しく食べられるかな! なんて」
 そんなことを言われたので木手も納得する。彼にとっては、人懐っこいようでありながらどこか飄々としていて、掴みどころのない丸井も自分と同じく「テニスが好き」なのだと。そう改めて納得した。

   *

「飯〜今日は何かな〜♪」
「ご機嫌ですねぇ」
「当然! いい汗かいて、いい具合に腹が減ってんだからな。何が来ても俺が食らいつくしてやる……あ、ジャッカル! じゃ、俺あっち行くわ。またな〜」
「はいはい」
 大きく手を振る丸井の姿は目立ち、何名かに注目を浴びる形になった木手は、ひどく居心地の悪さを感じた。そして周囲を見渡して、見知った顔を探す。……が、残念ながら今すぐに見つけることは叶わなかった。
 まぁいいか、と表情を殺して料理の方へと向かう。何を食べようか。丸井ほどでないにせよ、自分も空腹を覚えている。

……ん?」

 と、このタイミングで、気がつく。ランニング時の「一緒にケーキを食べる」という約束は自分が買ったので無効となった。しかし、ラリーの際の「ミスをした方がケーキを奢る」という約束は延期――つまり、結局のところ丸井とケーキを食べる、という事自体は変わりがないのではないか、ということに。
……いいですけどね。別に」
 既にチームメイトと合流してこちらの方は見向きもしない赤い髪を、眺めて。