mishiadd
2025-02-02 17:45:38
23649文字
Public
 

ごはんのおとも

【鵠と月夜展示品】原作軸、成立してないゆるい剣伊。若旦那EDを迎えてなんとなくいい感じに丸め込まれながら受肉したセイバーとなんとなくいい感じに気を逸らしてもらいながら若旦那に仕官して全世界を旅する伊織くんのまったりご飯事情回遊記。



四、《イスタンブール(コンスタンティノープルでない)》



江戸の町にも人懐こい犬や猫がそこかしこにいて、伊織もセイバーも見掛けるたびに撫でては心身の回復に役立てるなどしていたが。――あの摩訶不思議なシステムがこの国でも適用されるのだとしたら、きっとおむすびなど一切口にする必要すらなくなるのかもしれない。
――と思える程に猫で溢れかえっているのがこの国であり、この街であった。

風情のある煉瓦造りの古い町並みを歩けば、いつの間にか数匹の猫が後をついて来ている。似たような年頃の若い猫に見えるので兄弟かと思い、伊織とセイバーがしゃがんでいつものように一匹ずつそれぞれ撫でてやる。日ノ本の猫などはそれだけで満足して地面の上で腹を見せてはゴロゴロ言っていたものだが、この国の猫はなんというか――押しが強い。相手がしゃがんだのを見て取って、これはもう膝に乗ってよいものだ、むしろ乗れと言ったのはおまえだろう、とばかりに寸分の遠慮もなく膝の上に器用に乗り上げてくる。「あ、おい」とセイバーなどは慌てたが、伊織などは猫の押しの強さに負けてされるがままに膝の上に乗せているので、やがてもう片方の膝の上にも別の猫が乗ってくる。しまいには伊織の太腿の上で大欠伸をしてすやすや眠り始めてしまったので、伊織は中腰の姿勢のまま微動だにせぬことを余儀なくされる――ということが角を曲がるたびに起こるので、最終的には若旦那からしゃがみ込み禁止令が出た。

「まったく、たったこれだけの距離を移動するのに一体どれだけ時間を掛けさせておるのだたわけ」
「面目ない」

六番目だったか七番目だったか――に膝に乗ってきた猫が、伊織のぬるいような心地のいい体温にすっかり気を良くしてしまったのか、あろうことか伊織の太腿で爪とぎをし始めてしまったため――その猫にはそっとご退却を願いつつ、ひりつく太腿をさすりながら伊織が言った。

「まあよい。――目的の店はその橋の下だ。そこのオープンテラスで座って待っておれ」

抜けるような青い空の下、青みがかった陰のかかる橋の下のオープンテラスで伊織とセイバーが待っていると、カウンターで注文を済ませてきたらしい若旦那が後からやってきて席に座った。「そんなことは俺がやるのに」とでも言いたげに伊織が若旦那を見ると、面倒くさそうな苦み走った顔をして若旦那がしっしっと手で払う仕草をした。

「貴様なぞに命じていたら注文を終えるまでに日が暮れてしまうわ。――カウンターの上にも足元にも猫がいたのでな」

ついでにあそこにもだ、と若旦那の指さした方を見る。オープンテラスの別の席の無人のテーブルの上に、猫が大の字になって腹を出して寝ていた。

しばらくすると店員が三人分の食事を持ってきた。名物のサバサンド――と一緒に運ばれてきたのが、花瓶のような形状をしたグラスに入った紅茶と、小さな菓子だった。一見してパイのように見える焼き菓子が、甘いシロップに浸されててらてらと光っている。

サバサンドをあっという間に平らげてしまったセイバーが、その小さな菓子の置かれた小皿を持ち上げて、くん、と鼻先で香りを嗅ぐ。甘やかな――しかし瑞々しいような上品な香りが、焼いた生地やナッツ類の香ばしさに混じって漂ってくる。

「ワカダンナ、これは何だ」
「バクラヴァ、と言う。この地で生まれたとも、また別の土地で生まれたとも言われているが、まあこのあたりで広く親しまれている手の込んだ菓子である」
「ほう」

セイバーが小皿を目の高さに持ち上げ、まじまじとその菓子――バクラヴァを横から眺める。何層にも重なったぱりぱりと薄い生地の間に細かく砕いたナッツのようなものが塗りこめられており、その全体が水のようにさらさらとしたシロップにたっぷりと浸されている。ふむ、と頷き――フォークを刺した。ぱくり、と一口でまるごと食べてしまう。

まずは噛むほどにじゅわじゅわと生地の合間から瑞々しく甘いシロップが染み出してくる。それから遅れてナッツの香ばしい風味と食感が口の中に広がり、最後にはシロップでひたひたになった繊細な薄い生地がほどけるように口の中で消えていく。後味は甘く、しかし紅茶を飲むとすっきりとした。

「うん!」とセイバーが大きく頷いた。

「これは『美味い』ぞ、イオリ! この、かかっているのはあれだな、我らも口にしていたあの甘い『冷や水』のようなものだな! ……いや、あれよりはちと甘いか? だが似ていると思うぞ」
「なるほど」

ふむ、と伊織がかたちのいい顎に手を当てて納得したように頷いた。それから、約定通りに――自分の分のバクラヴァを口にした。
もご、とわずかに頬を膨らませて咀嚼し――こくん、と飲み込む。「どうだ?」と笑顔で尋ねたセイバーに、「ふむ」と特に表情の変わらぬまま、告げた。

「食感はいい。香りもよい。――だが、少し甘さが過ぎるきらいがあるな」

無感動な表情のまま伊織が紅茶を飲む。「むむう」とセイバーが頬を膨らませた。

「私は、これは絶対に美味いと思ったのに」
「ああいや、これは間違いなく『美味い』。ただ、俺の味覚には甘すぎただけだ」
「きみの味覚に合わなければ意味がないのだ」

ぷう、と唇を突き出してテーブルの上に突っ伏したセイバーの前に、ことん、と伊織が自分の小皿を置く。セイバーが見遣ると、皿に二切れ載っていたバクラヴァの、残りのひとつが残っていた。
すっかり拗ねてしまい眇めた目でそれを見遣るセイバーに、穏やかな声で伊織が言った。

そんなことはない。そんなことはないよ、セイバー」
「む……
「おまえが美味いと思ったのなら、それは美味いのだ。――ほら、これもおまえが食っていいから」

下唇を突き出したままセイバーが行儀悪くバクラヴァにフォークを突き刺して口の中に放る。しかし、やはり美味かったのか、咀嚼するごとにみるみるうちに機嫌が直り、あっという間に笑顔になった。
紅茶を飲み干しながら、「ほらあ、イオリ」とフォークの先でセイバーが伊織を指した。

「やはり美味いではないか!」
「ああ、そうだな。その通りだ。――よかったな、セイバー」

ふ、と伊織がかすかに頬を緩めて目を細めて微笑んだのを、セイバーが見る。急にどぎまぎとして目を逸らし、それから――真っ赤に火照る顔を誤魔化して、不貞腐れたように憎まれ口を叩いた。

「この美味しさがわからぬとは、まったくだらしないぞイオリ。普段からきちんと意識して味わわぬからいざというときに美味の何たるかがわからぬのだ。鍛え方が足りぬのだ、鍛え方が」
「かもしれん」
「よいかイオリ、この旅路の果てに私は絶対にきみがぎゃふんと言うところを見るのだ。あまりの美味しさにきみのその仏頂面がはじけ飛んで――
「仏頂面のつもりはないが」
「『セイバー、これは美味いな、頬が落ちそうだ』ときみが大騒ぎするところを見るのだ。そしてそれを食べさせるのは私だ。この世界のどこかにはきっと必ずある筈の、きみの『好物』を絶対にこの私が探し出してやる。覚悟して待っておれ」

言うだけ言ってセイバーが席を立つ。「どこへ行く」と若旦那がのんびりと尋ねると、「サバサンドをもうひとつ買ってくるのだ!」と大声で返事をしながら店の中に入っていった。

若旦那が紅茶を啜り、伊織が橋の下の広大な金角湾に目を遣る。抜けるような青い空に、それを映し込んだようなコバルトブルーの海。白いような眩い日射しが白い壁に反射しつつ、日陰には海面の波を反射した青い影が踊る。



――よい日だった。