清春
2025-01-27 09:43:06
51501文字
Public 百合
 

リーヴ モルゲンタウ

いずれ破滅へと向かう、反乱者


祈り

「ほら、起きて」
 跨るのをやめてベッドから下りたオシラは手を差し出して起き上がらせる。血管の通っていない真っ白な手を差し出されたことに一瞬驚くが、彼女の変化を受け入れ、その手を握って体を起こした。
 ここで初めて、カノは自身の力でそのまま引き寄せてしまうのではと思うほど軽いのに、力が強いことに気がつく。人間とはやはり勝手が違うのだと思い知らされた気分になった。
 カーテンの隙間から光がこぼれる。外は晴れやかな空が広がっているのだろうかと考えて一瞬目を細め、外に出て日光でも浴びながら、彼女と会話をしたくなった。
……少し外の空気吸っていかない?」
……いいけど」
「ありがとう」
 素直に聞いてくれるのは新しいことを受け入れる態勢になったのか。オシラは「それになんの意味があるの」という顔にならながらも頷いてくれる。
 ちゃんと自室の扉から出て、廊下を渡り外に出るつもりだったが、オシラはぐんっと、カノの腕を引いて扉とは真逆の、明るくなってきた外が見える窓の方へと進む。間もまく窓の鍵がカチャンと開けられる音がした。
 カノが何かを言うよりも先に両膝の裏に手を回され、後ろに倒れかけるもののもう片方の手で背中を支えられることで体を支えられる。要するに、横抱きにされた。窓は開放され、朝の澄んだ空気と少し冷たい風が入る。目を丸くしていると「やっぱここから出た方が早い」と、オシラが自分の中で納得した様子になって口にしていたのを聞き、慌てて口を開く。
「お、オシラ」
「なに。……ああ、下ろせって? この方が早いから大人しく……
「それもそうだけど違う」
「はあ?」
……えーと、ちゃんとドアから出よう。寮には〈守護〉の魔法が刻まれているし、窓から出入りなんてしたら不審者だと反応してしまうよ」
……面倒くさい」
 明らかに納得のいかない様子でカノを下ろしたオシラは窓を閉じ、ちゃんと部屋の扉から出る意志を見せた。素直に聞いてくれることは本当に助かる、とカノは安堵した。
 二人並んで寮を出て、すぐ近くの庭まで行く。そこにはベンチや東屋やガーデンテーブルも置いてあるため学生たちがよくお茶会をしていることもある、綺麗な場所だ。
 不意に顔を上げた。夜が明けた空は紫から青へと移っていく様子がたまらなく美しく、つい目を奪われる。
 今日もこうやって朝を迎えられることに感謝を示す祈りを捧げることが、カノの習慣だ。毎朝部屋でやっている祈りだが、今回は外に出て陽の光を一身に浴びて行いたかった。
「すぐ終わるから待ってて」
「なにするの」
「オシラなら無駄だと認識するであろうことかな」
「ふうん。じゃあ、見て判断する」
 じっと見つめられて少し照れ臭くなる。これは早く終えた方がいい、と判断して片膝をつき、手のひらに余裕をもって収まる平べったい楕円形の石に〈炎〉を刻印して、魔力を回す。この紋は魔力の質もあってスルト一族にしか使えない特殊な紋だ。
 ぐるりと体内の魔力が、手足のつま先まで巡るのを感じると、楕円形の石の大きさの火柱が立つ。神々の嫌うこの炎は術者に熱が一切伝わらないが、周りの人には熱が伝わっているのだろう。オシラが身構える。
「大丈夫だよ」とカノは小声で告げた。
 カノには何かを焼く意思はこれっぽっちもない。一族のみに伝わるこの紋も祈りの時にしか使いこなせない宝の持ち腐れなのだ。
 火柱が立つ石に向けて〈鎮火〉の紋を刻み、染色し、またただの石へと変化するのを見届けて息を吐く。
「祈ってるの?」
 オシラが問いかける。
「祈り……っていうほど、大層なものではないかな」
「そう」
 オシラは短く返事をしてから黙り込んだ。相変わらず綺麗な顔をしていて、光に照らされて輝いている様にも見えた。少しだけ目頭が熱くなるような、体内がふつふつと沸き立つような。
 その視線を不審に感じたのか、オシラが視線をカノへ移動させる。琥珀とかち合って思わずドキリと胸が鳴った。
「カノ」
 小さくつぶやいてから、両手を軽くカノの手の前で上下に動かす。意識がはっきりしていない人の対しての動作に見え、疑問が浮かんだが沸騰しそうだった頭が急冷されていくような、落ち着きを取り戻している。
「あ、ごめん……ぼーっとしてた、かも」
「あたしの体から溢れてる魔力にあてられていた。一定時間見なければすぐ戻るから目をつぶって」
「魔力にあてられるって……
「スルトによく効く魔力だからおとなしく目をつぶれ。それとも抉られたいの」
「閉じる閉じる」
 カノは慌てて目をつぶり、深呼吸もした。たったこれだけでもずいぶんと気が落ち着く。
 すぐに目を開けたが、その時にはもう既にオシラが遠くを見つめていた。
 彼女と目が合わなかった理由が、少しだけわかった気がした。潜在的な意識からかもしれないが、本音の行動が普段から現れていたのかもしれないと考える。
「あたしの体って、魔法だらけなんだよね」
 不意に、静かに告げたオシラはちょうど胸の辺りに手を当てた。
 まるで絵画の中から出てきたような、幻想的な雰囲気がある。
「だから今後もこの体で周りに迷惑をかけるかもしれない」
「そんなこと気にしなくていいよ。あれば教師たちの目をかいくぐるのに必要だろうし……
「まあ、そこらへんは活用する。今教師陣に捕まって自由に身動き出来ないことが一番の悪手だし」
 案外ちゃっかり生きることもできる彼女の言葉を聞いたカノは小さく噴き出した。
 しかし、そのようなオシラの視線が鋭くなったことを確認した。
「ただ、この目は……カノ。お前を殺すための目だ」
 どこか野生動物を彷彿とさせるギラついた目の奥に、薄らと紋が浮かぶように見えたカノは肩の力が入る。これがいわゆる、緊張状態なのだろう。
「認識を阻害し、注意力を散漫にし、油断しきったところの寝首を掻く。……という想定で作られた目なんだよ」
「ね、寝首」
「で、カノ。魅了、まだ切れてないの?」
 長い睫毛に縁取られた琥珀はギラギラ光り、訝しんでいる。カノは慌てて距離を取った。
 オシラに不思議な魅力があったが、それを助長する魔法の存在に内心驚いていた。そのようなことをせずとも、オシラは十分に――と思いかけたところで、これが正しく魔法のせいなのかと、カノは軽く首を横に振った。
「切れてると、思うよ。元々、魅了されてた状態っていうのがよくわからないけど……
「ふうん」
 興味がなさそうな返事をするオシラの声だったが、そっと目に触れている。思うところは少なからずあるのかもしれない。やがて目の輝きが収まり、オシラは伏し目にカノを見据えた。
「なんで〈情愛〉なんて紋を刻んだのか、ほんと意味わからないな」
 息を吐いて物憂げな顔をするだけで絵になる彼女は、眼の下を指で押し込んでいる。溜息を吐くオシラに不器用ながらも何かしらの言葉をかけようとした。
「まあ、私は今生きてるし、大丈夫だよ」
「そういうのじゃない」
 かけた言葉は結果、ぎろりと睨みをきかされる羽目になり、カノは委縮した。美人の凄みを目の当たりすれば、当然だろう。
「不良品のあたしでも、そういうことじゃないのくらいわかる」
 一度言葉を区切ったオシラは再度息を吐き、カノを再度見つめた。
 改めて、何か気の利いたことでも、と声をかけようとしたカノが口を噤むほどには呑まれる琥珀の目は、どこか決心した表情をしている。
……だから、これが、あたしの誠意だ」
 そう言って、オシラは自らの右目に手をかけ――そのまま、抉り出した。
 突然のことに驚愕と恐怖が滲む表情で、カノは周りを気にせず大声をあげた。
「お……オシラっ⁉ 何して……!」
 肩に掴みかかる勢いで近づこうと、抉り出した事実は何も変わらない。カノは頭の片隅で理解していても確認のため顔を見ようとした。しかし、オシラは至って普通の表情だ。焦っているのはむしろ見ている側であることが余計に焦燥を駆られた。
 人間ならグロテスクになるはずの眼窩は、ただ丸みを帯びた窪みとなっているだけ。オシラの人形っぽさが増していて人間でないことの確認だけとなった。
「勘違いしているようだけど、あたしには痛覚がないし、そもそも人間じゃない。人間の女体を模しているだけにすぎないから」
「だとしても……
「この右目には《魅了》《阻害》の魔法が刻まれている。あった方が不便だ」
 右目にぽっかり穴を空けたままのオシラは淡々と口にした。授業中の彼女を彷彿させる姿にカノは面食らった。魔法だらけとは聞いたが目玉ほどの大きさにすら《魅了》以外に複数魔法が刻まれていると知り、目を丸くさせる。
「そ、阻害?」
「あたしの意志を邪魔する根源の魔法。今それを抜き取った」
「魔法……
 オシラ手のひらの美しい琥珀色のそれはまるで宝玉のようで、何も知らなければ見惚れるものだ。しかし、よく見ると刻印されているのが見える目玉だったものには見たことない紋も見える。これが〈情愛〉と、オシラが言っていた紋なのかもしれない。
そういえば、と。神々から模倣できなかった魔法がいくつかあると歴史で学んだことをカノは思い出す。恐らく、それの一部なのだろう。
……オシラ、これは、どうするの?」
「どうするにも何も――
 パキ、パキ。オシラが答えを言うよりも先に、琥珀にヒビが入り始め、あっという間に砕け散った。破片は煙を立てて消えてしまう。
――破壊。魔法の効果をなくすのにはこれしかないでしょ」
 カノは「確かにそうだけども……」と小さく口にする。
 刻印、染色、施行、これらを理解した上で行う魔法を解くのは、破壊。間違いは何一つない。
 頭でわかっているが、オシラは自分の体の一部だったものをなんの躊躇もなく砕いてしまったため、動揺が走った。
……そんな顔をする必要、ないと思うけど?」
 オシラは意味がわからないとでも言いたそうな顔で首を傾げる。
 カノは首を横に振り、軽く目をつぶった。
「いや、これは完全に私のエゴだから……気にしないで……
「代わりの目を作ればいいってこと?」
「そういうのじゃ……って、目?」
 目を見開いたカノはオシラを見つめると、手のひらを見せるようにして開いていた。すると、その手のひらの上に石が形成されていく。
(刻印するための、道具生成……の魔法?)
 無の状態から生み出すことができないはずが、なぜそんなことを、と脳裏を掠めてすぐに理解した。これはオシラの体自身になんらかの刻印が施されている証だ。オシラは体自体が魔法を介するための媒体なのだ。
「義眼っていうのが人間にもあるでしょ」
 さも当たり前の顔をしたオシラは、慣れた手つきで石に刻印し、染色をした。形がみるみる変化し、目玉そのものになったところで、眼窩へきゅっとはめた。
「はい。これで見た目は元通り」
 あっという間に、また双眸が揃った顔になる。これならば急に片目を失ったとか騒ぎになることもないだろう。
 ぽかんと口を半開きにして、はたから見たら間抜けな顔をしているカノはなんとか言葉を絞り出そうとした。
「オシラって、ほんと……
「なに」
 あっけらかんとしているオシラに対してなにか言おうとしたが、カノをじろりと睨みつけたこともあり、苦言は飲み込んだ。
 代わりに、カノは精一杯の笑みを浮かべる。
 苦言なんかよりも、よっぽど言うべきことがあると思い出した。
「朝ご飯を食べに行こうか。……オシラの好きな物、探しに行こう」