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清春
2025-01-27 09:43:06
51501文字
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百合
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リーヴ モルゲンタウ
いずれ破滅へと向かう、反乱者
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今日は月の日。七日に一度行われている儀式がある日。魔力を高めるために行われるもので、来るべき時に備えて増幅させるもの。儀式の間には二百名弱の全生徒、そして教師たちが集まっていた。
そして、教師ではない人たちもいる。緑のローブを着て目深に被られた、つばありの帽子の大人たちが十数人。円形に並んで剣の柄に魔法を刻み、天高く掲げていた。祈りの儀式の一種で、体内を巡る魔力の濃度がぐんと濃くなるのを感じる。
「地上は業火に覆われ、現存する人間は天空都市にいる五百名弱のみとなっている」
「我々は選ばれし人間だ。神になるべく日々邁進せよ」
「焼き払われた地上の無念を無駄にしてはならない」
「神を討つぞ」
いつもの儀式。いつもの言葉。
カノは存在を極力消す。存在を消してどうするのかなど、いつぞやのアンスズとの会話を思い出しながら眉間にぐっとシワを寄せて耐え忍んだ。
――
儀式中はどうも、気分が悪くなる。
込み上げてくる不快感を飲み込み、早く終われと祈りながら儀式を終えた。
一週間の内、月の日は儀式があり、実習室で魔法を刻むための講義があるくらいで、午後からは何も無い。
ぼんやりしたまま講義を終えて、まっすぐ寮に戻るか悩みつつオシラに声をかければ「帰る」とカノになど目もくれず寮に戻った。珍しくアンスズの姿は見えなくて、一人になることで何か用事はないかとじっくり考える。
(
……
そういえば黄色の染色液が足りなくなっていたな。神樹の間に行って染色液の補充をしよう)
そうと決まればすぐさま移動を始めた。
アンスズ、オシラのいない移動が久しぶりに感じたが、本来カノは一人で行動することの方が多かったことを思い出す。アンスズがいくら絡んで来ようと壁を作っていたカノが、彼女ともきちんと会話するようになったあたりが成長と言えた。
移動先の神樹の間は学園の全生徒が余裕で収まるほど広々とした石造りの空間だ。目を凝らさなければ一番上が見えないほど高い天井に届く大樹、もとい〝トネリコ〟〝エルム〟〝キャラ〟三本の神樹が等間隔に地面の見えない石畳の上に根を生やしている。植物に必要な日光、水、気温、空気が必要ない神聖なもので、淡く光る神樹は正しく神の所有物だ。
既に数人の生徒が神樹の間にいて抽出をしているが、先客はキャラとトネリコにいる。カノが抽出したい色はエルムからのため、気にせず神樹に近づいた。
ベルトと繋がっている革ポーチから空になった小瓶、ペンを取り出し、ペンを神樹の根元に近いところへ突き刺す。するとペンが黄色に染まっていき、手を離して小瓶をペンに近づける。神樹の部位によって抽出できる色が変わるのだが、ここは黄色。魔法は〈記憶〉が一番使うのもあって消費量の割合を示すなら黄色の染色液がほとんどを占める。ペンから滴り落ちる染色液は吸い込まれるように小瓶に入っていった。
カノはこの、神樹から染色液を抽出する瞬間はまるで血液を採取しているようで苦手だ。目を背けたくなるが、見ていなければ小瓶に上手くいれることができない。逸らしてはいけない
――
人間の罪の証から目を逸らしたら、それこそ大罪だ。数秒もせず滴り落ちるのが止まり、ペンからも黄色が抜けていく。これは抽出が終わった合図。特になにかした訳でもないが、精神が摩耗した。
やはり神への反抗心が薄いのもあってか罪悪感が凄まじい。こんなこと、バレてはいけないとカノは表情を引きしめた。
(
……
こういう時こそ食堂に行き甘いものを貰おう)
シナモンロールあたりならありそうだが、どうだろうか。そのような想像を膨らませて門をくぐり、くるりと方向転換してまたⅤの門と向かい合って食堂に繋がるよう浮かべる。
すぐ到着した食堂にもあまり人がいなかった。過ごしやすくて何よりだ、と思うカノはシナモロールを注文しに行く。
シナモロールとコーヒーを受け取ったら食器返却棚に近く、門がよく見える一番端の席に座って一息ついた。
コーヒーを一口飲んで香ばしさと酸味を堪能していると、食堂にアンスズが入ってきた様子が見える。彼女もおやつを求めにやってきたのだろうか、と考えながら拳よりも大きいシナモンロールにかぶりつく。
シナモンより強く香るカルダモンの風味は鼻を抜け、水分の抜けたパサパサもそもそした触感で口の中を占領する。しかしこれがいい。浅煎りの酸味が引き立つコーヒーのお供として最適なのだ。いわば相棒といったところ。そんなシナモンロールとコーヒーを食していると、いつの間にか目の前にアンスズがいた。
「席、いいかい」
トレイを持ったアンスズが問いかけてくる。どうせ拒否をしようが前に座ることがわかるためカノは「どうぞ」と短く答える。シナモンロールをまた齧り、もそもそした触感のパン生地をコーヒーで流し込んだ。
「オシラには逃げられちゃってね。仕方なくちょっと時間潰しをして、食堂に寄ったんだが
……
カノがいてついているな。ふふ」
全くそんなこと考えていなさそうに笑うアンスズが目の前の席に腰掛ける。視界はいっきに青一色となった。不敵な笑みを浮かべたまま、余裕綽々といった顔をしている。
「オシラと一緒に居なくていいのかい」
「何もいつも一緒なわけじゃないよ」
「そうか。じゃあ私も押してダメなら引いてみろ作戦で彼女と関わろうかな」
カノは決してそのようなことを考えてオシラと接しているわけでないが、否定が面倒くさい。目線はシナモンロールに落として「そうした方がいいよ」と適当に返した。
返したとほぼ同時、翼の羽ばたく音が聞こえ顔を上げる。
案の定、伝達鳥(ムニン)が壁をすり抜けて私とアンスズの頭上で止まった。食堂内にいる他の生徒の元にも伝達鳥(ムニン)がいて、今来るということは緊急連絡と理解する。
『伝達《こちら、全生徒に向けています。黒妖精が南東の森にて出現しました。学園内にいる生徒は後ほど寮まで転移するため伝達鳥(ムニン)が来るまでその場で待機。寮内にいる生徒は部屋に戻るように。繰り返します
――――
》』
無機質な伝達鳥(ムニン)に負けず劣らず、無機質な声音の教師の声が食堂に響いた。
また出たのか、と思いながらシナモロールとコーヒーの最後の一口を食べる。コーヒーの苦みを楽しみ、ふやかされた生地を咀嚼していると。
「黒妖精が出現したって」
淡白なアンスズの声がかけられた。目線はテーブルの上にあるきのこのキッシュに向いて会話を切り出す。さくさくしたパイ生地にきのこ以外にも具沢山なフィリングが入っていてこんがり焼かれている、バターの香りが豊かで美味しそうなキッシュだ。中指と人差し指、それと親指で持ったフォークで切り分けて刺したら、口に運ぶ様は美しく、相変わらず礼儀作法がしっかりしている。
「で、カノ。見に行く?」
そして、オシラが落ちてきた時聞いたことと全く同じ調子で、面白いことをしてくれるかどうか聞いてくる。
――
黒妖精。これも絵本に出てくる人外。恐ろしい異形だったり、人型でも腕が異常に長かったり様々だが、おぞましき容姿なのは共通。そして、人間に害を及ぼすとされるもの。白妖精と違って神の使いとして現在進行形で現存している、人間の首を狙う恐ろしき刺客。
国を乗っ取った人間を恨む神々の怒りの現れだろうか。その妖精たちは御使いなだけあって神々を代弁するかのごとく、憤怒の感情で満ちている。
生徒たちは黒妖精が出る度、寮に閉じ込められていた。学園内にいた場合、大人数での移動時にのみ使用している〈航海〉の魔法が刻まれている転移陣を円形大ホールに広げて寮へと送られるようになっている。今回もそうされるだろう。黒妖精は教師たちや、警備隊たちが対処している。生徒の出る幕はない。
「
……
行かないよ」
カノの返答に、アンスズは溜息を吐く。知ってた、と今にも聞こえてきそうな溜息だった。
そのような反応をされても、人間がそう簡単に変わるわけないのだから当然だと頭の片隅に残っている。キッシュをぱくぱくと頬張っていく目の前のアンスズはただ腹を満たす行為を進めていった。そして飲み込んだちょっとの隙間に言葉をずらっと並べ立てる。
「いつもそれだね。カノはやはり優等生かつ模範生でありたいんだね」
最後の一口であるキッシュが先端からなくなったフォークを揺らしている、冷めた態度のアンスズを同じように冷めた言葉で返す。
「
……
そうだね、私は、何もしたくないんだ」
目立ったら自分が困るから。そうやってカノは自身を抑えた。
何か大きな問題でも起こせば何をされるかわからない。
カノが何かしたわけじゃなくても、一族の罪は一族の血を引く者たち全員一生背負わなければいけない。だからカノの周りに人は寄り付かない
――
ただし、アンスズを除いて。だが、これはただの、カノ自身の出生に興味を持っているからこその言動。
所詮、全部保身のためにしか動けない。自分が可愛いから自分を守っている。自分が一番大事。それがカノの生き方だ。
――――
死にたくない。これに尽きる。
しかしこれは不死を望んでいるわけではない。多くの人間のように、神へ反逆しようと考えない。だからと言って、神の袂に昇ろうなど考えもしない。
ある意味、カノはこのどっちともつかない考えのおかげで命を拾われたようなものだ。神への反乱の意思があればこの都市で生きることを許されるのだから。
カノの思いを理解しているわけじゃなかろうに、アンスズは全てを見通したように黒い目を閉じ、緩やかに微笑む。見覚えのある、見切りをつけた誰かの顔と似ていた。
(
……
懐かしいな、なんか)
ふと、ストンと腑に落ちた。
この顔は、神に従うことを選び、神の袂へ向かうべく高みへ昇ったカノの兄によく似ている。
じっと押し黙り、和解を諦めた兄もこのような顔をしていた
――
カノの脳裏を掠めた。
「やっぱり面白くないな」
今回は随分と、胃痛のする対話だった。転移陣で寮に戻された後、アンスズの最後の言葉が身に染みているカノは重い足取りで自室に向かう。いつもより部屋が遠く感じた。
自室のドアノブに手をかけた瞬間、オシラの部屋の方へ視線を向ける。
カノが呼びかけなければ部屋にいることが多い彼女のことだ、ちゃんといるはずだと思っていた。不意に視線を向けても、ノックをしなければ中はわからない。そのことをわかっていても見つめ続けた。
そこでようやく、オシラの部屋の扉は人間が入れる隙間ほど開いていることに気づいた。不用心なことに見ているカノの方が焦りを覚えている。
世話が焼ける、と苦笑して近づいた。さっきよりも足取りが軽くなって、あっという間に目の前まで辿り着き、室内が見える。調度品は備え付けのもののみ、カノとほとんど変わらない簡素な部屋。
他の人の部屋を見る度に、寮内に本人の趣味嗜好が反映された部屋にしている人はどれほどいるのだろうかとカノは思う。ほどほどに話せる友達すらもいないため、カノは大して交流がないが、今まで見てきた限り凝らされた部屋の生徒はそう多くない。改めてここが牢獄みたいなところだと実感する。
「オシラ。部屋、空いてるよ。ちゃんと閉じないと」
部屋に閉じこもる彼女に優しく声をかけた。神経質そうで、そうでもなく。だが気難しい。世話が焼けて愛おしくすらある。まるで手のかかる子どものようで、弟や妹はいなかったカノにとって新鮮な感覚だ。返答が来ないのもいつも通り。
仕方ない、と隙間から顔を覗かせれば、オシラは窓の方へ向いている。部屋の位置的に森寄りのため、窓からは木々が揺れているのが見える。魔法を刻まれているため外から窓の中を見ることはできないが、寮内から外は見えるようになっていた。
「
……
」
まるでとりつかれたように、琥珀の目は森
―――
黒妖精が出現したという南東の方へ向いている。その姿が、不穏だった。
「オシラ?」
声をかけても無反応。ただいつものごとく無視しているわけではない、聞こえていないように見える。
そしてオシラは、こちらへ真っ直ぐ歩いてくる。なぜ、と思う間に扉が開かれて黙って部屋を出た。その間にカノと目が合わなかった、というより見えていないように感じた。明らかに様子がおかしい。
行先はどう見ても外。何度名前を呼んでも返事がなく、彼女の意識だけ別世界に飛ばされたみたいだ。必死にあとを追いかけて手を伸ばしても空を掻くだけで、あの細い肩も、腕も、掴むことはない。蜃気楼に手を伸ばしている気分になった。
必死に追いかけるもののオシラとの距離はなかなか詰まらない。やがて外へ、森へと入ってしまう。外はやたらと風が強い。人間を拒むように強風が吹き抜けていく。
黒妖精が出たと報告のあった方向ではないとはいえ、無断で外出してしまった。もしこれが教師にバレでもしたらどうなるのだろうか。そう考えると息が詰まる。でも、オシラを放っておくことができない。
どんどん進んでしまうから、ついには見失った。
どこへ行ったんだ、怒られるだろ、早く帰ろう。カノの中で様々な言葉に変えて焦燥が交錯する思いを抱えて探索を初めて数秒。オシラはすぐに見つかった。それほど離れていなかったみたいだ。
よかった、今からすぐに帰れば怒られずに済む
――
と、足を踏み出そうとした瞬間だった。
醜い、異形の何かがいる。
「っ───」
黒妖精。昔見たものと形は全く違うが、漂う雰囲気が似ていた。
一族のほとんどを掃討し、カノも死にかけた、恐ろしき化け物が、オシラの目の前にいる。
足が竦む。膝が笑う。全身の震えが止まらない。魔法を学んだところで所詮このありさま。カノを苦しめた〝あの時〟と違うのはわかっているのに、なぜこんなにも恐ろしくて仕方ないのか。
人間を憎み、一切の慈悲なく首を狙う暗殺者である黒妖精なのだから当然かと考えても、落ち着くことはない。
それでも、カノはオシラを助けなければいけないと使命感に駆られる。笑う膝に喝をいれて進もうとした。
『いつまで人間の真似事をしているつもり?』
――
前から襲う強風に足を止められ、かき消されることなく届いた音。異形のなにかは声帯から発していないとわかる音を発していた。人間ではない、なんらかの音はオシラに向けられている。彼女の華奢な背中しか見えないため、今オシラがどんな表情をしているのかわからない。
無言を貫く彼女は今、どんな顔をしているのだろう。
「
……
」
『まぁ、良いわ。人間共に見つかって動きにくいから、落ち着いた頃にまた来るから』
黒妖精は異形の体をゆらり、輪郭を失わせて影へ溶け込もうとする。一度区切った音を紡ぐように、
『お前のその見た目は神々の憎悪の権化、炎の一族を滅ぼすための一手に繋がるのを理解している? 不良品。少しは気を遣いなさい』
森に入った際にあちこちにひっかけて汚れた頭や服を見ながら勧告し、完全に溶けた。ゆらゆらと、まるで陽炎のように空気が蠢く。オシラは黙ったまま、まるで時が止まってしまったかのように動かない。強風が吹き抜けるから今も時は流れているのだと理解に及べる。
……
知らなくていいことがこの世には、ある。それは今、聞いたことが当てはまる。
「オシラ」
よってカノは、聞かなかったことにしようと思った。思考を止めたとも言える。
立ちすくむオシラに声をかけて、寮に戻ろうと。これでまた明日からいつもの生活に、と。どこに置くべきか悩み、宙に漂わせながら手を伸ばした。
「触るな」
だが、はたき落された。前聞いたアンスズの手を叩き落としたものも変わらない声音、口調だというのに虚無感に襲われる。
ぱきりと、彼女の左目の琥珀にヒビが入ったように感じた。相変わらず美しい琥珀の双眸を揃えているため幻覚だろうと何度か目を瞬く。その琥珀と私の茶色の目が合うことはなかった。
だんだん頭も目も冴えていくのに比例して頭が痛む。胸騒ぎもしてきて、気分が落ち着かない。
そしてオシラはカノを置いて亡霊のように歩いて森を出て行った。その背後を眺め、見えなくなった頃にようやく動く気力が湧いて、足元の生い茂る雑草を踏み進むが、牛歩でしかない。
自分でも驚くほど傷ついたのかもしれない。少しずつだけれど、仲良くなっていると思っていたから。一人であればこうやってじっくり考えることが出来る。
(オシラ、私は確かに自分が一番大事で、家族たちのように処されたくないから優等生でいたい)
だからこそ、余計に惹かれてしまうのだろう。どこまでも自由で、縛られることなく、たゆたう姿は綺麗だ。
ぐるりと思考が回り、ふっと暗転したように、ぷつりと途切れる。
(
……
あれ。でも、なんで私は、それに惹かれているんだ?)
自由
――
アンスズを見てきて散々嫌気がさしているはずだ。
縛られることのない
――
拘束されなければ上手く息すら吸えない自分が何を言っている。
(私、なんでオシラのこと、気にかけているんだっけ)
あの美しい琥珀を見た瞬間からだ。
そう、あの
――
。
(なん、だっけ)
───気が付けば、カノは部屋にいた。たとえ牛歩でも、先生に発見されることを危惧した結果だろうが、無意識の内にしっかり部屋に戻っていたことに感心した。否、呆れた。結局のところ、保身のためにしか動けないのだと思い知らされたためだ。
この日はごった返した思考を洗い流すようにシャワーを浴びて、すぐに布団に入った。
そして、朝。いつも通り支度が終わった後、オシラを起こしに行こうとする。しかし、ノックする、すんでのところで軽く握られた右手は止まる。
なぜこのようなことをしていたんだという、感情に苛まれた。彼女が気になっていたからだが、あんなに嫌われているのになぜあそこまで関わろうとしたのか。
(
……
わからない、わからない)
なんでこんなに頭が混乱するのか、わからなくなったカノはぐっと握る拳に力を入れ、ヤケになってノックをする。オシラからの返答はなかった。返答がないから、オシラと顔を合わせなくて済むと思わず考えてしまった。
今はどんな顔をして会えばいいのかわからないのだから、仕方ない。自分に言い聞かせるようにして俯く。
(
……
本当に、私は最低な人間だ)
後悔が募るまま、その場を後にした。
結局その日オシラは部屋から出てくることがなかった。だと言うのに、一瞬気にしただけで生徒も、教師も、気にも留めていない。それがたまらなく気持ち悪いと感じた。
「オシラは?」
そのようなこともあって、アンスズの言葉に心底安心した。
いつもなら無理矢理にでも連れてきているオシラがいないことに訝しがる姿を見て、カノが異端なわけではないことと、オシラは蜃気楼なのではないと、同時に実感できた。
連れてこなかったのは上手く作用しない感情が大きいのだが、内へ内へと飲み込んでいく。
「
……
閉じこもってしまったようで、部屋から出てこない」
「ついに嫌気がさして引きこもりか? カノと喧嘩をした、とかじゃないんだな?」
「
……
なにも、ないよ」
なにもない。これは嘘だが、嘘ではない。森にて、オシラの身に何かがあったことはわかる。ただ、あの状況素材だけでは判断のしようがない。だから、なにもない。
「
……
ほう」
アンスズの黒い目は鋭利に光っていた。
カノには少なくともそう見えていた。
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