8話✧追械




6年後─

……どこか遠くで、誰かが話す声がする。

意識はまだ深い水の底に沈んでいて、声は波にかき消されるように断片的だった。

「──?」

「──!!」

「──……

それでも確かに、自分の名前を呼ぶ声があった。
誰かが、必死に何かを伝えようとしている。

その声に導かれるように、意識は少しずつ浮かび上がっていく。

……もう、こんな残酷な世界に目を向けたくない。

そんな思いが胸に重くのしかかり、まぶたは鉛のように沈み、身体も言うことを聞かなかった。

けれど、それでも……

まぶたを開けなければ、何か大切なものが過ぎ去ってしまう。

今ここで目を背けてしまえば取り返しのつかない何かを、きっとまた失ってしまう。
そんな予感がどこかで警鐘のように鳴っていた。

ゆっくりと、まぶたを持ち上げる。

たとえ何が映ろうと、何もしなかった過去をもう悔やみたくなかった。

視界が白く滲み、光が差し込んで目が痛む。

だが次の瞬間、その眩しさよりもはるかに眩しい“人影”が見えた。

「哥哥!!!」
「樊凌!!!」

……えっ?」



声と同時に、温かな腕が自分を包み込んだ。
柔らかくて、懐かしくて、胸の奥に眠っていた感情が一気にあふれ出す。

何度も夢に見たこのぬくもり。

信じられない気持ちのまま抱きしめられた勢いで倒れ込み、背中が床に触れた。



目の前にいたのは間違いなく、白浪とグラディエーターだった。

「小白……?」
「グラちゃん……?」



どうして……

その疑問が口をつく前に、涙があふれていた。

……なんで……ふたりは……もう……



つらい日々の記憶がよみがえる。
けれどそれ以上に、今はただ嬉しくて……胸の奥が喜びでいっぱいだった。

止めようとしても、涙は止まらない。

何度も夢で手を伸ばしては、泡のように消えてしまったぬくもり。
でも今、目の前にあるそれは確かにここにあった。

「っ……あはっ……ここが……天国っちゅうとこなんかなぁ……

笑うように言った声は、かすかに震えていた。
おとぎ話のような奇跡がすぐに消えてしまいそうで、怖くて、辛くて……それでも笑わずにはいられなかった。

そのとき、不意に頬に鋭い痛みが走る。

「何を言ってるんだ。ここは現実だぞ……!」

グラディエーターの指が、ぐいっと頬をつまんでいた。

「いったっ……! いったいってば、グラちゃん……!」

反射的に叫び返す。

この痛みはまぎれもない“現実”の証だった。

今、自分は間違いなく生きている。
そしてこの再会は、夢なんかじゃない。

……っはは、懐かしい賑やかさですね」

白浪が、目尻を下げて優しく微笑んだ。

「だろ? でももう“懐かしい”なんて言わせないぞ。毎日騒ぎ立ててやる!」

そう言って笑うグラディエーターの顔は、あの日のままだった。
変わらない声と、変わらない笑顔。それだけで胸がいっぱいになる。

……僕も……もう、この手は離しませんから」

白浪が、躊躇いつつもそっと自分の手を握った。

あの日、自分が離してしまったその手。
何度も何度も後悔した、小さくてあたたかいその手が、今こうして確かに握られている。

混乱も、戸惑いも、まだ消えてはいない。
なぜ自分がここにいるのか、なぜ彼らがいるのか……その答えは、まだ分からない。

けれど、それすらどうでもよくなるほどに、いま胸を満たしているのは安心だった。

ギュッと、もう二度と離さないと誓うように、白浪の手を握りしめる。

そして、目の前の眩しいふたりの笑みに負けじと、涙をにじませながらも微笑み返した。



「小白」

しっかりと、滲んだ視界でも彼の目を真っ直ぐに見つめる。

「もう、絶対に離さんから。今度こそ……ボクが守るから」

「せやから……

「また、小白の哥哥にしてくれへん?」