【読切ドラロナ】花満ちる棺

2023年3月発行読切ドラロナ本「花満ちる棺」
花吐き病になる読ロ様の読ドロWeb再録。

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薔薇色の日々





 右目の視界が奪われたことに大して動じなかった自分にロナルドは僅かながら驚いた。先日の退治依頼に間に合ったことだけは胸を撫で下ろしたが、その以上に焦燥したり困惑することもなく、ただこんなところからも生えるのかと思うだけだった。
 洗面所で汚れた顔を洗い、タオルで拭うと花が布地に引っぱられてちくりと目が痛んだ。それで漸く、不便なことになったという実感だけが湧いた。前髪に引っかかっている小さな蔓を鏡の前で慎重に解いてみたが、きっとすぐにまた絡まってしまうだろうことを想像して、早々に諦めることにした。
 さて、どうするかとロナルドは一人掛けのソファーに腰を下ろす。今日は遠方への出張退治を請負い、怪我ひとつなく仕事をこなしてきたところで依頼人の用意したホテルにチェックインしていた。そこそこ上等な部屋だが、微かに残るタバコの臭いのお陰で頭が勝手にニコチンの枯渇を思い出させてくるために、先ほどからキャンディーの消費が激しい。
 頭の中で明日以降のスケジュールを組み立てていく。明日の朝一番にでもここを出て、帰路の中でメールを打ち関係各所に連絡を入れる。まずはギルド、その次に出版社。文面に打ち込むのは、一時休業の知らせだ。
 兄の姿が一瞬過ぎったが、それは二の次にしておくことにした。あれに連絡を入れるのは、それこそ最後の最後で構わない。そうして順番をつけていくと、最後に浮かんだのは黒衣の吸血鬼の姿だった。
……今の方がいいか」
 ベッドに投げていたスマホを手に取って、画面を操作する。ロナルドの交友の中では数少ないプライベートな連絡先の中に表示されるアルマジロのアイコンをタップして、メッセージを数行かけて入力して――そして全部削除した。
 目から花が生えて仕事が出来なくなったから、お前の城に行く? なんだそれ。ロナルドは再びスマホをベッドに放り投げて、ソファーの背凭れに頭を預けた。
 数週間前にドラルクを呼び出して下等吸血鬼駆除をした時のことを思い出す。つい堪えられず、依頼人の前で花を吐いてしまった。ドラルクがそれを見て、慌ててロナルドの吐いた花を覆うようにして塵になったことで、ロナルドの花吐き病は世俗に露呈せずに済んだ。助かった、と思うのと同時に、ドラルクが言外に自分のこの病に蓋をしたのだと思った。思い出すうちにロナルドはまだ口の中で転がしていたキャンディーを強く噛んで割った。
 それほどに伏せておきたいことなのだったら、いっそ目の前で見せつけてやろうと、時間が経てば経つほど強くそう思った。苛立ちと焦燥は迫る死期から来るものではない。自分が花と化して尚、悠久を生きるだろう吸血鬼のことを考えてのものだった。
……あー……
 苛立ちを抑えるためのタバコはない。代わりの棒付きキャンディーも、これが最後のひとつだった。ロナルドの口から無意味な音と息が吐き出される。
 こんなものか、俺は。こんな風に終わるのか。
 しかし、外野から見ればそれなりの人生かもしれない。昔はロックスターたちの間で、一定の年齢に達すると死んでしまうという伝説があったことを思い出す。それを考えれば自分の生涯の華々しさなど十二分だろう。
 退治人として鮮烈な生き様を残してきた。様々な善意も悪意も浴びてきた。惜しむらくは――
 ドラルクが自分をこの病にした相手のことを気にしていたことだけが、唯一愉快極まることだった。あの時のドラルクの表情を思い出すと、ほんの少しくらいは溜飲が下がる。
 ずっと名を付けずにいた感情を、勝手にこんな馬鹿らしい病に名付けられてしまった気持ちを、あの吸血鬼に解るはずもない。だから伝えないし、教えない。些細なことで簡単に死ぬ人外に解ろう筈がない。初めて花を吐いた時、こめかみに銃口を構えたことだって絶対に絶対に教えてなるものかと、ロナルドはそう決めていた。
 何度も繰り返した思考の中で、唯一ロナルドが自分自身のことでありながら解せないことがある。それについては、今日も結局解らず仕舞いだった。
 いつの間にかうつらうつらと船を漕いでいた。ふと目を開けると、薄暗いホテルの照明が残った左目を眩ます。瞼の裏に映っていた黒衣が消えたが、根に侵食されつつある頭の中にはしっかりとその姿が残っていた。





「ロナルド君、今日は何食べたい?」
 連絡もなく転がり込んだ自分に、ドラルクは甲斐甲斐しいほどに世話を焼く。発された言葉は毎日のように聞かれるもので、自分も真面目に考えて返すのがややバカらしく思えてくるほどの時間が経っていた。
……油淋鶏」
「油淋鶏かぁ。鶏肉はあるし、生姜もあるけど……ニンニクは抜いてもいい?」
「あれニンニクなんて入ってるのか」
「ソースにね。風味は他のもので補わせてもらうね」
「好きにすればいい」
「中華は久しぶりだなぁ。油跳ねで死なないようにしないと。ジョン、ソースの味見してくれる?」
「ヌン!」
 マントを翻して、味見係の使い魔を伴ったドラルクは部屋を出ていく。壁にかけられたアンティーク時計を見ると、ロナルドにはあまり馴染みのない夕餉の時間が訪れようとしていた。
 画面に視線を戻したところで、ふと一体自分は何をしにここに来たのだったかとロナルドは内心でごちた。最近はそれを毎日自分に問うている。そして、その度にまるでキャンバスを乱雑に、真っ黒に塗りつぶすようにして単純な目的を思い出している。あの吸血鬼を、吸血鬼ドラルクを自分は倒すために自分はここに来たという目的を。
 銃はいつも分厚いセーターの下に身につけている。照準は合わせられなくとも、この距離感であればいつだってあの眉間を銀弾で撃ち抜くことが出来るはずだ。指の神経までが根に侵され、引き金が引けなくなる前に。
「げほっ、っ、かはっ」
 咄嗟にえづいて、花を吐き出す。毎夜毎に酷くなる症状のせいで腹筋も背筋も痛んで仕方がなかった。
 日毎に鈍る殺意はそれでも自分の中で沈着していることを何度も何度も確認する。こんな有様になっても退治人であることをあの吸血鬼に望まれているなら、そうありたいという思いだけで、ロナルドは口元を拭って再び画面に視線を向け、キーを打っていく。
 ドラルク城に来る前に、一度だけ病院に行ってきた。全身を調べてもらい、嘔吐中枢花被性疾患の確定診断を受けたところで医者に数百万を支払って口止めをしてきた。それに気をよくした医者が教えてくれたのは、一つだけ他の花吐き病とは違う点について、ロナルドの身体を巣食うこの花が毒花だということだった。少量ずつ摂取して身体を毒に慣らすという大昔の忍者だかが使っていた習慣が、自然とこの身体の中で行われているのだと言っていた。なので、この毒花の毒でロナルド自身が死ぬことはない。ロナルドの体液や肉体そのものが毒となっている。
 だから、例え引き金を引けなくなろうとも、最後の最後、この身体の中に流れる血液をあの時のようにドラルクに飲ませてやればいい。それがロナルドにとって最後の手段になっていた。
……
 画面から視線を外し、床に散らばった花をかき集め鼻先を寄せてみたがそれはなんの香りもしない。当然だと思った。退治人ロナルド。ロナルドウォー戦記のロナルド。吸血鬼ドラルクの相棒のロナルド。それらの「ロナルド」からは決して吐き出されることのない真っ白な花弁を、ロナルドは手の中で握りこむ。柔らかな花弁に爪が食い込んで、手を汚した。
 この城に来た理由をはっきりと思い出して、ようやく息が吸えたような心地を得る。そうだ、あの吸血鬼を退治人として倒して、それでサウザンドウォーは終わりだ。
 打ち込んだ文章は、ラストシーンだけを残して保存をかける。画面をシャットダウンしたロナルドはパソコンを閉じて立ち上がり周りに侍っていたカボヤツとツチノコを抱いて食堂へと足を向けた。
 空咳が止まらず、抱き抱えた二匹の頭に落ちた花弁を払ってやりながら城の中を歩く。改めて見れば賃貸などと漏らさなければ立派な城だった。日頃は掃除が行き届いているはずの回廊も、今は所々ロナルドが吐いた花弁が落ちていたが、それでもドラルクの几帳面さは常軌を逸しているため、どこまでも掃除が行き届いている。日頃はあまり見せることのない見栄で用意されたものであることを知っていると、どうにも文を打ち込む速度が鈍って仕方がないが、ここは自分の最後の戦場だと思って左目に焼き付けながら歩いた。暖かな食事や風呂やベッドが用意された戦場など馬鹿げているが、それでもここはロナルドにとって最期の場所になるのだと思えば、あの常識人ぶった吸血鬼の数少ない見栄もロナルドにとっては役に立つだろう。どうせならいっそ死なば諸共、盛大に爆破でもしてやろうか、なんて想像をしてつい一人で笑ってしまった。
「? どうしたの、なんか面白いものでもあった?」
 食堂でリクエストした油淋鶏の乗った皿を並べ待ち侘びていたドラルクからそう言われて、ロナルドは顔に出ていたことを初めて自覚し「なんでもねえよ」と返した。ふぅんとさして興味もなさそうにドラルクは声を漏らして、再び慌ただしく調理場に戻って行った。実はここを爆破してやろうかと考えていたんだ、などと言っただけでもきっとドラルクはショックで死んでしまうに違いない。
 思わずくつくつと肩を揺らして笑ってしまう。テーブルの向かいでブラッドボトルを開けようと悪戦苦闘しているドラルクが、また首を傾げるのでそれすらもなんだか愉快だったが、ロナルドは再び「なんでもねえ」と言って手を振るだけだった。





 妙にのんびりとした日々の中で、段々とロナルドは頭をまともに動かせなくなる時間が増えていた。ドラルクはまだ気が付いていないが、今までは遅くとも昼には起きてロナ戦の原稿を進めていたロナルドだったが、今は夕方近くになってからようやく身体を起こしている。眠る時間が増えたロナルドに、カボヤツやツチノコは心配そうにずっと寄り添っているようだった。
 ふと、もし自分が死んだらこの二匹はどうなるのだろうかと思った。ドラルクと自分以外はほとんどこの二匹の存在を知らない。兄の姿が過ぎったが、かぶりを振る。いざとなったらギルドの気心知れた者に手紙でも残しておくか、と心に留めおいた。
 今日はもう既に日が落ちかけていた。背中の蔓が引っ掛かってしまうので着替えはひどく手こずるが、なんとか身なりを整えて寝室を出る。城の中は冬の訪れと共に少し冷えていたので、久しぶりに真っ赤な外套を取り出して肩にかけていった。
 隣の扉の前を通り過ぎる際にちらと視線だけ向ける。吸血鬼が起きる時間にはまだ早い。恐らく食堂にはロナルドのための食事が用意されているが、この数日はあまり腹が空くという感覚が鈍っていた。そのままロビーに行くと、何故か足が庭園に続く大きな窓際へと足先が向いた。
 いつだったかドラルクに案内された自慢の庭は、雪こそ降っていないが日落ちとともに気温も下がって、身震いするほどの寒さになっていた。もしかすると自分から生えている花が寒さでダメになるかもしれないと思ったが、その分だけこの身体から養分が吸われるだけだろうと踏んで、ロナルドは足を止めなかった。
 殆ど夢遊病患者のようにして、ロナルドは庭園を進んでいく。冬場でさえなければこの生垣は色とりどりの花で埋め尽くされるんだ、とドラルクは言った。ロナルドが訪れたのは冬の始めだった。そして、恐らくこの病の進行具合を考えれば次の春までは持ちそうもない。自分の墓場となるこの場所が花で彩られることを想像して、しかしそれをこの残った左目で身納めることもできないのは、ほんの少しばかりロナルドは残念に思った。
 ドラルクの様子が少しずつ変わっていっていることにロナルドは気が付いていた。自分の吐き出す花を時折焦がれるように凝視している時がある。何より、食事の時に向かい合わせで座り、ロナルドが食事をしている時にじいとあの赤い目がロナルドを見据えるのだった。
 もしも戦って、万が一にもロナルドが負けることがあれば、まるでこの庭園を彩る花々の代わりのようにドラルクは自分を愛でてくれるかもしれない。あの吸血鬼は、そういう生き物だ。
 ふらふらと重たい足取りを引き摺ってロナルドは庭園の中を進む。やがて、近頃は見ることのなかった赤が見えた。薔薇だった。
 それを見て、ロナルドは気分が急速に悪くなっていく。なんだよ、ちゃんと咲く花もあるんじゃねえか。だったら、こんな小さい花なんてすぐにドラルクは飽きてしまうに違いない。
 どうしてここに足を踏み入れてしまったのか。酷い気分になってしまったが、しかし戻るのも億劫で、ロナルドはその場に腰を下ろしてしまおうかと思った。そんなところで視界に小さな東屋のようなものが見えた。洋風のそれは、確かガゼボと呼ぶのだったか。ともかくロナルドは腰を下ろせる場所を見つけられたことに安堵した。
 屋根はあってもすっかり吹曝のそれは風を遮るものなど何もない。ロナルドは該当の前を押さえながら備え付けられた椅子を引いて腰を下ろすと、金属製のそれは氷のように冷たかった。
 たったこれだけの移動距離で、くたくたに疲れるほどロナルドは衰弱していた。これほど体力を失ったことなどないが、もしかするとあの虚弱な吸血鬼はこんな身体を抱えているのかと思うと難儀なものだとほんの僅かに、ロナルドの中に共感性が生まれた。
 身体を起こしているだけで疲労感が蓄積する。頭を持ち上げていることすら億劫に感じられて、椅子と同じく金属製のテーブルに顔を伏せると体の芯まで冷たさが伝わってきたが、いっそ心地よさすら感じられた。吐き出した息が白く、まだ自分に体温が残っていることが不思議に思える。
 うつらうつらと再び微睡が訪れる。枕がわりにした自分の腕は硬く寝づらいが、それでもこの強い眠気には抗うことが出来なかった。
 根に侵食されているであろう頭に浮かぶのは、今正に毎日見ているはずの吸血鬼の姿だ。自分が倒すべきものの姿ばかりが瞼に浮かんでしまう。その中の、再び牙を剥いて自分に噛み付く人では無いものの姿は、きっと誰もが求める「ロナルド」の仇敵だった。
「っ、げほっ、ぉえっ」
 喉に迫り上がる花弁を吐き出すと、勝手に涙が出る。それすら許せないロナルドは伏せった袖に顔を擦り付けた。あの吸血鬼のことを想って花を吐いて、涙を流すなどという醜態を誰に見られるわけでなくともこの世界に存在させたくない。
 ドロドロに溶けた思考の中で、思う。ああ、自分は何てものに心を寄せてしまったのだろう。そもそもどうしてあんなものに。観念してしまいたい。どうして、あの吸血鬼を、ドラルクを。
 理由なんて自分にもさっぱり解らない。ロナルドはいっそ傲慢なほど自分に解らないことなど無いとすら思っていた。例えば日頃から寄せられる奇異や好奇心などの感情。あれらは欲に塗れていて、まとわりつくことを許してはいたが不快そのものだった。純粋な尊敬や好意も耐え難い重荷だった。そんなものを受け入れないために、「ロナルド」というものを生み出したのだから。
 それらに属さない、何にも寄らないドラルクから自分に向けられるものが珍しかったのかもしれない。それを希少で価値のあるものと思い込んでいるだけなのかもしれない。
 いっそのこと、あの吸血鬼のように何もかもが塵に還ってしまえばいい。生まれて初めて湧いたこの感情は「ロナルド」には、荷が重すぎた。
 ロナルドは項垂れるようにして伏せると、はあとひとつ息を吐く。白い息がたなびいて、右目を裂いて咲く花が揺れる。陽はすっかり落ちて、残った左目を閉じれば視界に暗闇が広がって、身体の中でぞろりと根が身体の内側を張ったような感触がした。


……ルド君、…………ロナルド君」
 名前を呼ばれる。その声があまりにも不安げだったので目が覚めてしまった。ぼやけた視界は二度、三度瞬きをすればはっきりとしてくる。重たい上体を持ち上げると、顔色の悪い吸血鬼が、更に様相を青くしてロナルドを見下ろしていた。肩に触れられていることにそこでようやく気が付くほどに自分の体が冷え切っているが、しかし驚くほどに寒さを感じない。
 ドラルクがあ、と声を上げたのが聞こえた。その顔をもう一度見上げると、見たことのない変な表情をしていた。
 人でも無いくせに、まるで葛藤するような。相反する感情に揺さぶられたような表情だった。吸血鬼はそんな顔をしない。少なくともロナルドが相対してきた九百九十九体の吸血鬼たちはしなかった。
……どうしたんだ?」
 呼ばれたから返事をしてやったというのに、ドラルクはロナルドの声に反応しない。間近でよくよく見なければ分からない小さな赤い瞳が揺れながらもロナルドの「花」へと注がれているのが見えた。どうしたのかと間抜けに問いてはみたが、ロナルドはよくよく分かっていた。ドラルクのぽかりと開かれた口の中で、大きく真っ白な牙がよく見える。ドラルクを構成するものの中でほとんど唯一、真祖にして無敵の吸血鬼らしいその牙が大きく迫り出していた。
 ロナルドは顎をあげて、右目で自らを養分にしたらしい花に触れることをドラルクに赦してやった。
 これが見たかったんだろう、と言えば、ドラルクの目は一層赤みを強めた。ロナルドの耳に届くほどの溜飲は、まるで頷いているように見える。
 吸血鬼のくせに、あれから吸血しようともしてこなかったドラルクから、今ロナルドに注がれる視線から、はっきりと「獲物」として認識されたという感覚がようやく得られる。これで完璧だと思った。ロナルドは遂に、ドラルクが吸血鬼としての本能を押し込めていられないほどに追い詰めることが出来たのだ。
 退治人として在り続けられる歓びと、恐らくは心臓まで達したのだろう花の根がロナルドを、きつくきつく締め付けた。




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