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【読切ドラロナ】花満ちる棺
2023年3月発行読切ドラロナ本「花満ちる棺」
花吐き病になる読ロ様の読ドロWeb再録。
フロマさんに委託中です↓
https://x.gd/N0MUB
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二章
スノードロップ。ヒガンバナ科、マツユキソウ属。多年草で、下向きに白い花を一輪咲かせる、春を告げる花と言われている。日本においては「スノードロップ」という名で親しまれているが、英名では「コモン・スノードロップ」と呼ばれる。二月から三月に開花し、六月ごろに茎葉が枯れて休眠し、夏の間は乾きすぎない落葉樹の下や、ロックガーデンなどでの栽培が向いていると言われている花だ。
「
……
」
ドラルクはそこまで字面を視線で追ったあと、本を閉じた。
花吐き病において花の種類が着目されたのは随分前のことで、それも心理学的な側面から治療アプローチがされていた時代のことだった。
例えば、催眠などを利用して患者に「その恋は見事成就した」と思い込ませるといった極端な手法が試験されたことがあったという。いくつかその試験の中で成功事例があったという論文は見つけられたが、その数少ないケースは特別なものだったと記載されていた。曰く、「相手が死亡、ないしは行方不明となっている」というケースだ。死に別れた相手に恋慕するうちに花吐き病に罹った患者たちのうち数ケースが心理学的なアプローチによって快癒したという事例を幾つか見つけることが出来たが、大した進展とは言えなかったので、結局ロナルドに伝えてはいない。
最初に買った家庭用の医学書の他にも数冊ほど同系統の本を取り寄せては、花吐き病の治療方法や寛解の条件を探っている。しかし、これと言って目新しい情報はなく、時代が現代に近付けば近づく程、末路の事例ばかりが増えていった。ネットを漁れば「グロ注意」などという注意書きが添えられて、すっかり花化した遺体まで出てくる始末だった。人の享楽というのは時々吸血鬼から見ても度を超えることがある。しかし、同胞の中にもロナルドが最初に言っていた、肢体を剥製にして飾るものもいることにはいるので、それこそ人のことは言えない。知性ある種には残虐性も備わるものだ。残念ながらそんな趣味は毛頭ないドラルクは、マントの裾で口元を抑えて画面を消した。
ロナルドと共にこの城で過ごして二週間が経過していた。
「ドラルク」
てっきり地下の温泉に向かったとばかり思っていたロナルドがロビーに戻り、呼ばれたドラルクはゲーム画面から視線を外して振り向いた。
「どうしたの? あ、シャンプー切れてた?」
いそいそと立ち上がって、日頃自分は使わないものの在庫を頭に思い浮かべながらドラルクはロナルドの傍へ行く。ロナルドは首を横に振った。
「そうじゃないんだが
……
」
「?」
意外なものを見た気がする。ロナルドがやや口籠もりながら視線を外すので言葉を待ってみた。察するに、何か頼み事があるように見える。
「どうしたの?」
「
……
服を」
「え?」
「服を脱ぐのを、手伝え」
「
……
え?」
同じ疑問符を二度繰り返す事になりつつも、ドラルクは一先ずロナルドと共に地下へと向かった。
この二週間の間でようやく見慣れた、ロナルドの退治人衣装以外の普段着姿。寒い今時期のロナルドは、ゆったりとした色の深いセーターと、タイトなシルエットのパンツがデフォルトだった。
「ええと、手伝うって
……
?」
「背中が引っ掛かる」
その言葉にドラルクはああ、と思い至った。目から生えている蕾の方はまだそれほど大きくなっていなかったが、普段見ていない背中の方は進行していたらしい。この二週間で初めてロナルドの方から、病に関わる頼み事をされたなと思った。ついそのことを聞くのはタブーなのかと気を遣っていたが、これからはもう少し具合などを聞いてもいいのかもしれない。
脱衣場に着くと、ロナルドはすぐに着ていたセーターを脱いで見せる。くるりと背を向ける様に、吸血鬼にこれほどあっさり背を向けていいものなのかと逆に聞きたくなったが、よく見れば脱衣籠の中にきらりと金属製のものが光るのが見えた。銃口だ。ドラルクは自身の中に過ぎった考えをロナルドに察される前に慌てて流した。
セーターを脱いだロナルドの背中は、最初の日に見た時より随分とぼこぼことしていた。触ってもいいか、と尋ねると素直にうんと頷くのでやや拍子抜けしてしまう。
指でつと触れると、くしゅ、と茎や葉が布地の下で音を立てた。生えたばかりの柔らかな植物特有の感触だった。なるほど、このまま遠慮なしに脱げば皮膚が引っ張られてしまうか、生えたばかりの芽茎がちぎれてしまうだろう。
「
……
痛くないの?」
「引っ張られると、痛む」
身体に細かな根が張られている証拠だった。服の上からそろそろとその背を撫でて、服の下で逆立っているものを整えていく。恐らくは茎や葉の感触に初めて触れていく。何やら言い難い感情がふつふつと湧くのを感じながら。
「服、持ち上げるよ」
「ん」
服裾を強めに引くがロナルドの体幹はびくともしない。茎葉に触れないように持ち上げていく。
ドラルクは思わず声を漏らしかけて、けれどどうにか口を閉じてその背を見た。想像していたよりも、ロナルドの背は傷が少なかった。日頃分厚いマントやぴったりと身体に纏う衣装のために見えはしないが、歴戦の退治人ということであれば、身体中に何らかの古傷があることを想像していた。実際グローブを外してコントローラーを握るロナルドの手は、よく見れば細かな傷がたくさん残されていた。
そんな滑らかな背の皮膚を突き破って現れている茎葉の数々に息を飲む。所々、眼球を突き破っているものと同じように大小の蕾が成っていた。いくつかの蕾がポロポロと床に落ちてしまったのは、恐らくドラルクがこうして手伝う前にロナルド自身が無理に引っ張ったせいかもしれないが、それでも幾つかの蕾が残されている。そして肩口には、かつて自分がつけた噛み傷の痕が
――
「
……
おい」
「あ、ああ、ごめん」
持ち上げた服裾を、ロナルドの手に託すとあっさりとインナーが脱ぎ去られる。顕になった引き締まった体躯は、絵画を思わせるほど芸術的だった。けれどそんなものはこうして見ずとも、普段の退治人衣装の着こなしからも分かっていたはずだ。
いつか、自分が残したあの噛み痕も、葉や茎に覆われてしまうのだろうか。脳裏に、そんな思考が過ぎる。
「
……
もういいぞ」
「えっ、あ、う、うん」
思わず死んでしまうところだった。ドラルクはじゃあごゆっくり、と言葉を吐いてその場を離れた。
ドラルクは駆け上がることなど出来もしないのに、足早に階段を登っている途中で死んでしまった。幸い今日は起き掛けに血液を飲んでいたのですぐさま再生することが出来る。しかし今はそれ以上登ることが出来ない。二度目の再生はロナルドが風呂から上がる頃かもしれないので、今のうちに息を整えなければならない。
そうだ、息。ようやっと思い至って、どっと詰めた息を吐いて、階段途中の壁に背を預けた。ロナルドが花吐き病になってからというもの、腹の奥で渦巻いていた不快感とはまた別のものがドラルクの中で蠢いていた。あらゆる思考を抜かして、その恍惚にも似た欲求がドラルクの中で言葉として浮かび上がる。
――
あの花々が、咲き誇る様を見てみたい。
資料やネットで散々みたあの花に食い散らかされたような遺体が脳裏に浮かぶ。あの末路とロナルドという点がようやく結びついてしまった。ロナルドも、このまま想い人と心を通わせることがなければああなってしまうのだ。
ロナルドの身体を土壌にして、あの小さなスノードロップの蕾たちが花開く瞬間を想像してしまう。あの白い肌を割って、若く猛々しいロナルドの肉体と、灰色の脳から養分を吸った真っ白な花々が咲き誇る瞬間。見てみたいと、思ってしまった。成された言葉を頭で反芻させると、もうその欲求は押し留めることが出来ないほど大きなものに変わっていく。再びロナルドが言っていた言葉が思い出された。女殺して剥製にするとかさ。そんな趣味はドラルクの中にありえなかった。友達が病の苗床になって、死んでいく様を見てみたいだなんて。
結局そんな想像に耐えきれずにドラルクは階段途中で再び死んでしまった。風呂上がりのロナルドがそれを見つけ、不可解な視線を向けながらも塵を集めてロビーまで運んでくれた。
「なんであんなとこで死んでたんだよ」
「あ、ええと、いや
……
登り階段で疲れちゃって」
「ふっ、マジで雑魚だな」
ドラルクの嘘に小さく吹き出して笑うロナルドの前髪が揺れる。さっきよりも蕾が大きくなっているように見えた。
何か困っていることはないか、と聞くとロナルドはきょとんと左目を瞬かせた。
「急になんだよ」
「いや、昨日みたいにお風呂入る時以外にも不便にしていることがあれば、教えてほしいなと思って」
食卓を囲んでいる時が絶好のタイミングだろうとドラルクは踏んで、ロナルドに尋ねてみた。何せ食事とは日常の中でも人間にとって欠かすことの出来ないものだ。ドラルクにとっても、自分は必要なくともジョンのために毎日用意しているもので、日常の中に定着している。種族差を一番感じることなく過ごせる場面を選び、ドラルクはこれまで触れてこなかったロナルドの病の症状について、聞かなければならないと思った。
「そこまで気遣わなくていい。悪かった。風呂入る時も、自分で脱げるように工夫するし」
「気遣いとかじゃなくて」
そんなドラルクの思惑を無視して、ロナルドはローストビーフを口に運びながら会話を途切らせようとしてしまうので、ドラルクは慌ててグラスを置いて話を続けた。しかしそれ以上をどうやって伝えればいいか分からない。まさか、君の花が開く瞬間を見届けたい、などと思ってはいけないような類の事を口になど出来ない。
「
……
手伝えることは手伝いたいなと思って」
結局出てきた言葉は主語を欠いた言葉だった。
「
……
」
「昨日みたいに困ったことがあれば言ってほしいし」
君が乱暴に服を脱いで、せっかく綺麗に育っている蕾が落ちるのを見るのは嫌だから。
「部屋もよければ、私の棺桶が置いてある部屋の近くを用意するから」
君の体の蕾が一つでも花開く瞬間を、見逃したくないから。
「服とか、身につけるものももっと楽なものを用意する」
君の花が、君の花が、君の花が見たい。
「だから」
「ドラルク」
呼び止められたドラルクはハッとして顔を上げる。ロナルドの片方だけ残った青い左目に見据えられて、自分が立ち上がりかけていたことに気がついた。恐る恐る腰を下ろしかけたその拍子に指先がグラスの縁を叩いて大きく傾くと、それは呆気なく倒れ、中の血液がテーブルクロスを真っ赤に染めていく。いつの間にか、ひやりとした何かがドラルクの背を伝っていた。きっとロナルドは、あの分厚いセーターの下に銃を持っている。
「あ、の
……
」
「大丈夫だ」
「
……
えっ」
「風呂は、そこまで言ってくれるなら脱ぐのだけ手伝ってもらいたい。部屋もお前がそうしたいならそうしてくれていい。服はいらない。
……
今はまだ大丈夫だ」
退治人はもう一度大丈夫だと繰り返すと、そのまま吸血鬼の居城で食事を再開した。ドラルクは提案の全てをそのまま受け取られたのか、それとも内心を読み取られたのかと疑心暗鬼のような心地になりながらも、グラスを戻して再びボトルを傾けようと手に取った。けれど、胸が悪いような気がして結局それ以上は飲むことが出来ず、諦めてボトルに栓をしてテーブルに置いた。
「そういえば」
ロナルドが口を開く。ドラルクは伺うように視線だけ上げてその言葉に応じる準備をした。
何を自分が畏れているのかが分からない。ロナルドを畏れているのか、それとも自分のこの湧いて出た欲求に畏れているのか、それとも別の何かなのか。遠慮なしに、ぶっきらぼうに振る舞うことの出来るロナルドがいっそ羨ましいとすら思えてくる。
「今日新作のゲームが届くんじゃなかったのか」
「えっ、あ、ああ。うん」
「俺もできるやつなのか?」
「
……
うん、君とやりたくて、買ったから
……
」
ロナルドの言葉はやはり今まで通りだった。今まで通り過ぎて、もう今にそぐわないものばかりだ。しかし、ドラルクもこれ以上自分の中にある邪なものを大きくしたいと思わない。かと言って、ロナルドをここから追い出してしまおうとも思えなかった。
「楽しみだ。お前がやりたいものなら尚更」
「
……
きっと楽しめると思うよ」
自分のことも、ロナルドのことも、何一つ分からなくなったまま、ドラルクはそれから今しばらく目を逸らすことにした。どうせ、いつかまみえるのだからと思うとほんの少しばかり届くゲームの方が楽しみになったような気がする。
ロナルドと暮らして三週間経った頃から、城のあちこちでロナルドの吐いた花が見受けられるようになった。
「散らかして悪い。拾いきれねえ」
言いながらけほけほと空咳をして吐かれる白い花弁を、ロナルドは見える範囲で拾ったが、拾いきれなかった二枚の花弁をドラルクはそっと拾い集めてハンカチに包んで、懐にしまった。いつの頃からかひっそりとロナルドが見ていないところで、ロナルドの吐いた花弁を拾い集めるようになっていた。
「お前、片付けてるのか?」
「ああ、うん。見つけたらね」
これは嘘でもなんでもない、と自分に言い訳をしながらドラルクが頷くと、ロナルドは少し決まりが悪そうに口元を歪めた。
「触っても感染らないのは助かるけどな」
「そうだねぇ」
最初に調べた際に、花吐き病は吸血鬼に感染しないというのは本当のことだった。そもそも発症要因が満たされた場合にのみ感染するというなら、ドラルクが例え人間であっても感染することはないのだが。その要因の方に思考が行きかけて、留めた。
「まだ続きやる?」
「おう、今日は勝ってやるよ」
操作にもだいぶ慣れたからな。そう言ってロナルドはすっかり専用と化し、手に馴染んだのだろうコントローラーを構える。
新しく買ったゲームは今流行りのPvPゲームだ。基本四人対四人で分かれてやるゲームなので、ロナルドとはチームを組んでもいいのだが、ロナルドの方がドラルクと対戦したがるため基本的にチーム分けはランダムにし、それぞれオンライン上の見えない誰か三人とチームを組んでの対戦を繰り返していた。
「ねえ、ロナルド君も上手になったし、一緒のチーム組もうよ」
「嫌だ。お前をぶっ殺すまで認めねえよ」
「そんなこと言ったって、私このゲーム一作目からやってるんだよ」
コントローラーを操作しながらドラルクがいくら喚いても、ロナルドはうんと頷くことはなく、集中し始めたのか応答すらしなくなってしまった。仕方なく、ドラルクも自分の画面の方に集中する。
「っだあ! クソが!」
長距離射程の武器で一瞬のうちに撃ち抜かれたロナルドの操作キャラクターが弾けて、スタート地点まで送り戻される。もちろんロナルドを撃ったのはドラルクだった。
「そんな場所から撃ってきたのか? セコいんだよ!」
「そういう武器なんだってば!」
手心を加えると何故かすぐにバレてしまうのは、職業がゲームにも反映されているからなのか。飽きることはないし、実際他の三人にも勝敗は左右されてしまうので対戦成績は実際半々というところだった。
そもそも片目でこのゲームをしている時点で倍は苦心することになる筈だ。別画面を睨みつけているロナルドを横目で一瞬伺うと、光の加減なのか判別しかねるが、疲労が色濃いように見える。
「ねえ、そろそろちょっと休憩して
……
」
「オラぁ!」
「あっ、あー!」
一瞬油断した隙に、ドラルクの操作するキャラクターがロナルドの連続攻撃によって倒されてしまった。
これほど接近していたことに気が付かず回避が間に合わなかったが、そもそも近距離の武器をロナルドが選択していたため、近付かせさえしなければと考えていたのを逆手に取られてしまった。復活し再び位置取りをしつつ応戦したが、結局その後はロナルドのことは倒せないまま、全体の勝負の結果もドラルクのチームの方が敗北してしまった。
「くっそ
……
あそこで死んだのはまずかった
……
!」
「おいおい、真祖の高等吸血鬼様の癖に口が悪いな」
「ぐぅ
……
!」
「疲れた、今日はもうやめる」
「あっ、勝ち逃げするつもり!?」
「そうだよ」
純粋な悔しさに歯噛みしていると、ロナルドは立ち上がって固まった身体を屈伸させて解す。くあ、と欠伸をするのが見えて、時計を見ると零時を超えて二時間、というところだった。吸血鬼からすればまだ寝るには早い時間だったが、人間からすればもう就寝していてもおかしくない時間だろう。
そういえば、とドラルクは少し前にこの部屋に用意した、ロナルドの執筆専用の簡易机を見る。ここ最近パソコンが開かれた様子はない。今も畳まれたままのノートパソコンの姿に、原稿は終わったのだろうかと首を傾げてからロナルドを見上げた。
「ねえ、そういえば原稿は?」
「
……
締切延期してもらってる」
ふいとロナルドは顔を背けると、棒付きキャンディーを取り出して口に入れ、再びソファーに腰を下ろして身体をどかりと預けた。
「えっ、大丈夫なの?」
「書くネタが無えし、最近昼間は眠くて起きられねえんだよ」
「昼間も寝てるの
……
?」
その割には、夜もよほど対戦に熱中しない限り、ロナルドは日付を跨いで直ぐに寝ていることが多い。ドラルクが用意している朝食や昼食の作り置きを食べているというが、そのほかの時間はほとんどうとうとしてこのソファーで寝てしまうことも多いのだと、ロナルドは打ち明けた。
「お前の生活時間の方に傾いてるのかもな」
「えっそうなの」
「何で嬉しそうなんだよ」
嬉しそうに聞こえたのだろうか。そんなつもりも無かったのだが。
しかし、ここに来てからロナルドは殆ど外出していない。城の裏に庭園があることを教えてからは、そちらを散歩がてらぶらついていると言っていたが。
「でも、買い物とかも行ったりもしなくていいのかい」
今はまだ顔の蕾も隠そうと思えば隠せるだろうし、あの極めて目立つ退治人衣装でなければ、城から少し離れた街くらいには降りられるだろう。
「別に欲しいものもないからな」
「そうなんだ
……
」
ドラルクが用意するもので事足りているなら、それでいいとは思う。ロナルドの身の回りのもの
――
例えば禁煙用の飴も、食事も、何もかも必要であれば言ってもらえれば用意できるものばかりだった。逆に言えばこの城にロナルドのものは、身につける服や歯ブラシなどの細かな使い捨てられるもの、消費されるもの以外は一切ない。当たり前といえば当たり前のことなのだが。使い慣れたものに囲まれていないと不調をきたすドラルクからしても、ロナルドは物欲が随分と少ないように見えた。
「少し疲れた、寝るわ」
「えっ、ああ、うん。おやすみ
……
」
既に眠っているカボヤツやツチノコを抱き上げたロナルドは、ドラルクに貸し与えられた寝室へと向かっていった。夜明けまではまだ早いものの、ドラルクもそれ以上ゲームを続ける気にはなれず手持ち無沙汰になってしまったので、先にジョンが休んでいる自室へと向かった。
ドラルクが提案したように、ロナルドの部屋はドラルクの使う部屋の隣に移動してもらっていた。自室に入る前にちらりとそちらの扉を伺う。元々空き部屋だったそこからは、以前と同じく何の音も聞こえない。そうっとロナルドが向こう側にいる扉の前に立って、ひたりと手を添える。ここはドラルクの居城なので、入ろうと思えば入れるこの扉の向こうで、あの退治人は確かにベッドに身を横たえて眠っているだろうに、その姿をいまだに想像できない。ドラルクは扉の前に散っていた花弁をそっと拾い上げ、さきほどのハンカチを広げて包んでしまいこんだ。
翌夜。というより夕方頃に目が覚めたドラルクは、ジョンを胸に抱きながら城に差し込む夕日を恐々回避しながらロビーに向かった。いつもであれば先に起きているだろうロナルドの姿が見えない。たまたまだろうか、それともまだ隣の部屋に篭っていたのだろうか。互いに顔を合わせた時以外は干渉し合わないという暗黙の了解があったため、ドラルクは今日の夕飯の献立を考えつつも、支度にはまだ早いため携帯ゲーム機の電源を入れた。
しかし待てど暮らせどロナルドは姿を現さない。
「ロナルド君、どうしたんだろう」
「ヌー
……
」
あれで病人だ。もしかすると気分を悪くしているのかもしれない。ジョンも心配そうにしているため、ドラルクはゲーム機の画面をスリープモードに切り替え、再びロナルドの自室まで窓際を避けて向かった。幸いにして二人の並んだ部屋は西日の差さない廊下だったので、それほど苦もなく辿り着いた。
少し緊張しながら、ドラルクは扉をノックした。
「ロナルド君?」
しばし応答を待つ。が、返事がなかった。もう一度ノックをして、声高にして名を呼んでみたが扉の向こう側から返事をする気配はない。焦燥感が増していく。まさか急激に病が進行しているのではないか、それとも。
「
……
ごめん!」
謝罪し、もしも中にいたのならば殺される覚悟すらして、ドラルクはドアノブを捻って扉を開けた。
「
……
ロナルド君?」
しかし、部屋の中にはロナルドの姿がなかった。見間違いかとも思って、よくよく目を凝らしたが、必要な調度品以外揃っていない突貫のゲストルームではそこまでよく見ずとも無人であることがすぐに分かる。
「ヌ!」
慌てて踵を返す。ここでなければ、あとロナルドはこの城のどこに向かうのか。風呂であればドラルクに声をかけるはずだ。トイレなどであればここに来る途中で出会している可能性の方がきっと高い。あとは、あとは。
城中を死ぬことも忘れて駆け回る。部屋に荷物は置いてあったから、出て行ったということだけはないだろうと半ば願いながら隈なく、隅々まで探し歩く。罠の部屋まで見にいってみるが、ロナルドの姿は見当たらなかった。
「
……
ロナルド君」
ぽつりと呼んだ名は虚しく城の中で響くだけだった。まさか本当に出ていってしまったのだろうか。いや出ていくというのはおかしな言い分で、そもそもここはロナルドの住むべき場所ではない。吸血鬼の城だ。退治人が暮らすには一番おかしな場所だ。吸血鬼の城に赴く退治人のやることといったら。
どうしてロナルドはここに来たのだろう、という理由にドラルクはようやく思い至った。
――
死ぬために?
「ヌヌヌヌヌヌ!」
「っ!」
振り向くと、必死に駆けてくるジョンの姿が見えた。
「ヌヌヌヌヌン、ヌッヌ!」
「!」
自分とは別にロナルドを探し回ってくれていたらしい使い魔の背を追いかける。その先は、庭園だった。
「ヌッヌ!」
ぜいぜいと息を切らすドラルクを振り返って、ジョンは庭園の更に奥へと向かった。決して大きなものではないが、庭の端にはガゼボがある。ジョンはどうやらそちらに向かっているらしい。途中でカボヤツやツチノコがおろおろとしながらジョンとドラルクを待ち侘びており、ドラルクは三匹が示す先へと急いだ。いつの間にか陽はすっかり落ちて、辺りは暗闇に包まれていた。そこに植わっている多くの薔薇が咲き誇るのは、本来あと数ヶ月先のことだったが、ドラルクが育てているバラの中には冬バラの品種もあり、そのうちのいくつかが花弁を広げつつあった。
「
……
ロナルド君!」
すっかり冷え込んだ庭園の片隅のガゼボで、赤い退治人の外套を肩にかけただけのロナルドがガーデンテーブルに身を預けて目を閉じていた。
「ロナルド君
……
!」
もう一度呼び掛けたが返事はなく、ロナルドは身動ぎ一つしなかった。喉が詰まるような思いで、ドラルクは一歩、また一歩とロナルドに近付く。
腕を枕にして眠るロナルドの肌は白く、閉じられた瞼を縁どる睫毛はぴくりとも動かない。恐る恐る手を伸ばす。もしも触れた時に、自分よりも冷たかったらどうしよう、と思った。
「
……
ロナルド君」
何度目か呼び掛けて、肩に触れる。すると、ぴくりとその身体が僅かに揺れた。生きている。一瞬それに安堵してしまったが、しかし反応は鈍い。常のロナルドであれば飛び起きて、懐からいつも装備している銃をドラルクの眉間に突きつけているはずだ。
「
――
ん
……
」
ロナルドの眉間に皺が寄る。意識が浮上し始めたことで外気温の寒さを認識したのか、ぶると身体を震わせた。その振動で、右目を隠していた前髪が揺れ、その下に隠されていたスノードロップが顕になった。
「
……
あ?
……
ドラルク
……
?」
目を覚ましたロナルドが身体を起こし、ドラルクを見上げる。
「
……
どうしたんだ?」
小さな花弁が開いていた。
ドラルクはロナルドが目を覚まし、名を呼ばれたにも関わらず、その右目から生え、開花しているスノードロップから目を離すことが出来ない。は、という荒い息遣いが自分のものだと気がつくのに数秒を要した。
「
……
ああ、これか」
ロナルドはドラルクの様子から何かを察して、前髪を軽く持ち上げて見せた。ドラルクはぎくりと身を竦ませたが、それでも視線を外すことが出来ない。そんなドラルクを見上げていたロナルドが、更に顎を上向けた。やや下向きに生えた大小の白い花弁が綺麗に並んだその花に触れるように促されて、ドラルクは恐る恐る手を伸ばす。
触れた花弁はドレスグローブ越しでも分かるほど薄く、ほんの少しでも力を入れれば手折れてしまいかねないほど儚い。通常のスノードロップよりもやや大きく育ったのだろう蕾から開花したその姿は、ロナルドの面持ちに影を落としていた。
「これが見たかったんだろ、お前」
言われて、ドラルクはごくりと口の中に溢れる唾液を溜飲し、震えながらももはや取り繕うことは出来なくなっていた。
「お前がそうしたいのなら、そうしたらいい」
ロナルドはドラルクに自らを苗床にした花に触れさせ、笑いながらそんなふうに嘯いて、残された左目でドラルクをじっと見ていた。
ドラルクがその青色を見返すことは、ついぞ無かった。
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