【読切ドラロナ】花満ちる棺

2023年3月発行読切ドラロナ本「花満ちる棺」
花吐き病になる読ロ様の読ドロWeb再録。

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三章




 花吐き病が完治する時、患者の唇からは白銀の百合が吐かれるという噂がある。何故噂という形になっているか真相は分からない。医学書や資料などには白銀の百合という記載が一切なく、一様にして完治した患者は花弁の嘔吐が収まり、身体に生えた茎葉が枯れて落ちていくということだけが記載されていた。どの文献をあさっても、白銀の百合という単語は見当たらない。しかし、そんなこの世にはありもしない百合の噂だけが、まことしやかに蔓延っていた。
 ドラルクはロナルドの唇から、見たこともない輝く花弁が吐き出される瞬間を想像した。項垂れたことで鍔広の帽子が落ち、銀色の髪に覆われた後頭部と頸が晒され、思わずごくりと唾を飲み下していた。何度もえづき、喉奥から迫り上がる圧迫感に苦しむロナルド。ドラルクはそれをただ見下ろしている。膝を折って喉仏を繰り返し上下させえづいて、胸を抑えて唾液混じりに吐き出される百合の大きな花弁が、床に落ちる様を見ていると、次第に恍惚とした気分と、視界を真っ赤に染め上げるような感情が同時に湧き上がった。
 獲物が目の前にいる。知らず牙と唇を舐めながら、果してロナルドはその白銀を何枚吐き出すのだろうかと、ドラルクは燃え盛るような心臓の拍動を感じながら、そんなことを考えていた。

 ――はっと落下感に似た衝撃と共に目が覚める。危うく死にかけたところで、ドラルクは自分が目を覚ましたことを知った。上がった息を何度か飲み込んで、ゆっくりと吐き出してを繰り返し、最近やかましくなることが増えた拍動を落ち着けて、ようやくひと心地つく。
 ぎぃ、と軋み音を立ててドラルクは棺桶の蓋を持ち上げる。その痩躯を起こして先ほどまで見ていた夢を思い出しながら、もう一度細く長く息を吐き出した。
 ロナルドがここにきて一ヶ月と少しが経過していた。今や締切を伸ばしてもらったという原稿の話も、休業している退治人の仕事も、一切が話題には上がらず、ああしてロナルドがもたらす種々様々な出来事がまるで彼方の夢だったような心地になっていた。そもそもがそれがロナルドと会う以前のドラルクの常のものの筈が、どうしてそんな「異常」を「今まで通り」などと称していられたのか。
 ただ、退屈ではなかった。そもそもロナルドを介して世俗に触れていたつもりはなく、今思えば、ドラルクにとって外の世界というのはロナルドだけだったのかもしれない。ロナルドだけがドラルクの城の外にある面白いものだったのかもしれない。そう考えれば合点が行く。ロナルドがずっとずっとこの城にいるのなら、それでいい。
……
 自身の思考に納得と同時に違和感を感じながら棺桶から出る。いつもよ身支度を整えたドラルクは部屋を出て、すぐ隣の部屋の扉の前に立った。緩く拳を作ってノックする。暫し返事を待ってみたが、部屋の借主の声は聞こえななかった。そっとドアノブを捻って、部屋に入る。
 部屋中に散らばる白い花弁がまず見える。ドラルクが入室したことによって空気の流れが作られ、幾つもの花弁が舞いあがった。まずはそれらを入り口の側に置いた箒で履けていくのがここ数日の日課になっていた。
 ベッドまでの道を作ると、それを壁に立てかけて、ドラルクはそっとベッドの縁に腰を下ろす。ベッドが微かに揺れることで、ようやく眠っていたロナルドが身動いだ。
……
「おはよう、ロナルド君」
 おはようという挨拶を吸血鬼はあまり使用しないが、これはロナルドの習慣に合わせた挨拶だった。呼び掛けるのにはちょうど良く、事実ロナルドが寝返りを打って、薄ぼんやりと開かれた青い瞳がドラルクに向けられる。右目を隠していた髪を押し除けて開かれているスノードロップが答えるようにして揺れた。
「起きられる?」
……ああ」
 未だ寝惚け眼のロナルドは気怠げに身を起こして、頭を振った。それでもまだ目は冴えないようだったが、ドラルクを数秒ぼんやりと見返した後に、緩慢な動作でベッドから降りようとする。枕元で一緒に寝ていたカボヤツやツチノコたちも目を覚まし、それぞれぴょこぴょこと動き始め、ロナルドの足元に降りて心配そうに見上げた。
 服を脱ぎ着するのは入浴時だけではないことに、吸血鬼であるドラルクが気がついたのは、こうして四六時中ロナルドに侍り、共寝をしているカボヤツとツチノコのお陰だった。何日か前に部屋から出てこないロナルドに声をかけたドラルクは、扉の向こうからメビヤツたちの鳴き声のようなものを聞き取った。中に入ると着替えに苦慮するロナルドがいて、それからというもの、ドラルクは毎夜目が覚めてからロナルドの身支度を手伝うようになっていた。
 ロナルドが寝巻きから着替ようとするところに手を伸ばし、ほらと声をかけると黙って腕が持ち上げられる。ロナルドの身体の表皮を突き破るようにして生える茎葉は、昨日見た時よりもやや育って見えた。背中に綻んでいた九つの小さな蕾のうちの三つが花開こうとしており、ドラルクはそれらを傷つけないようにロナルドに服を着せていく。
「違和感はない?」
「ああ」
 ロナルドが頷きながら腕を動かし、身体を捻って頷く。
 右目の花が開花してからというもの、ロナルドは昼間ほとんど眠っているらしかった。そして夜にドラルクと過ごしているうちでもいつの間にか眠ってしまうことが多く、殆ど目を離すことが出来なくなっていた。調べたところ、頭部に花が咲いた場合は脳に根を張っていることが多く、何らか意識障害を起こす症例が多いという記載を見つけてドラルクは一人納得していた。ロナルドの場合は右目から生えている花の根が脳に張っているのだろう。
 脱がせた寝巻きを畳んでいる間にもロナルドは咳を繰り返し、その度に白い花弁が床に舞い落ちる。
「ジョン、ロナルド君と先に食堂に行っててくれるかい?」
「ヌン!」
 昨夜のうちに食事の仕込みはほとんど済んでいたので、ドラルクは傍にいたジョンに、先にロナルドを食堂に連れていくように頼んだ。優秀な使い魔は任されたと胸を叩いて、ロナルドを伴って部屋を出ていく。皆が部屋を出ていった後、ドラルクは散らばる花弁を集め、手で掬い上げた。今やロナルドの吐いた花弁が城中のそこかしこにある。それこそ、全てを拾い集めることが出来ないほどに。
 床に膝を折って、ドラルクはその花弁を掬い上げる。真っ白で汚れのひとつない手の中に満ちる花の芳香に、ドラルクは人知れず顔を寄せていた。




 食事を終え、うつらうつらと目を擦るロナルドを連れていつもの遊び部屋に向かった。今日は食後に紅茶を用意している。少し前にロナルドと遊ぶために購入したゲームは、もう三日も起動させていない。
 今宵は月が強く煌々と輝いているせいで周囲の星すらも見えにくい夜空が拡がっている。庭園がよく見える窓際は人工灯が不必要なほど明るかった。テーブルをそこに寄せて、ティーセットを並べる。ソファーまで動かすことは出来なかったので、苦労しながらも椅子を三脚持ってきて、ジョンを挟んで座った。
「おかわりいる?」
……ん」
 無造作に差し出されたティーカップを受け取って、ドラルクは空になったそこに琥珀色の液体を注いだ。はい、とロナルドにカップを返しながら、そういえばロナルドが食事と比較して、水分をよく摂取しているということに気がついた。この紅茶もある種の養分となって、ロナルドの身体中に蔓延る花茎に栄養を与えているのだろうか。
「ロナルド君、今日は何をしようか」
……
「ロナルド君? ……!」
 程なくして、ロナルドの手からカップが落ちた。当然中身がぶち撒けられてロナルドの服を濡らし、そのまま転がり落ちたカップがけたたましい音を立てて床で割れる。ドラルクが伸ばした手はあと少しのところで届かなかった。
「っ!」
 遅れて、カップの割れる音に驚いたらしいロナルドが身体を揺らす。ぱっとこちらを振り向く動作ですぐに分かる。ロナルドは、傍にいたカボヤツたちやドラルクが紅茶をかぶっていないかを確認すると、ほっと息を漏らしたのだった。
「悪い、大丈夫か」
「大丈夫かじゃないよ! 火傷するだろう、早く服を……
 慌てるドラルクを尻目にロナルドは立ち上がると、割れて床に散ったカップに手を伸ばす。片付けようとしているのだろう、そんなことをしなくてもいいとドラルクが立ち上がって、テーブルの向こうに回り込もうとしたところで、ロナルドの背が大きく膨らむのが見えた。
「っげほっ、ッ、ォエッ」
「! ジョン、片付けるものを持ってきて」
 狼狽えていた使い魔に指示を出すと、カボヤツやツチノコもそれを追って部屋を出ていった。
「ロナルド君、大丈夫……っ」
 ドラルクは椅子を避け、大きく咳き込みえづくロナルドの背に手を添えようと手を伸ばす。しかし、蹲るロナルドの姿を視界に入れた途端に、今日見た夢を想起させられ立ち竦んでしまった。見ている間に、夢とは異なる白い花弁が床にはらはらと舞い落ちていく。ロナルドが背を丸めて何度も何度も咳き込み、花弁を吐き出し続ける。この城にいる間に伸びていた銀の髪が首筋を伝ってするりと流れ落ち、真っ白な頸と肩口が曝け出された。伸ばされたドラルクの手が宙を彷徨う。
 加えて、血臭がドラルクの鼻腔をくすぐった。一体どこから、と視線だけを動かして探すと、ロナルドの指先をカップの破片が傷付けているのが見えた。それを案じる事よりも先に感じたことも無いほどの衝動がドラルクの中で湧いて溢れた。咄嗟に口の中で大きく迫り出した吸血牙を隠すため、鼻ごと手で覆う。
……ドラルク?」
 咳が落ち着いたロナルドがドラルクを見上げる。何気ないその動きで、花の芳香に混じった血液の匂いがドラルクに向けられ纏わりついてくる。このままでは耐えられそうもない。内心で必死に衝動を抑えつけながら、ドラルクは一歩後退してロナルドから距離を取ろうと試みた。
「ご、めん……カップは、そのままにしておいて……今救急箱を」
 声の震えすら隠せないまま、ドラルクはまた一歩後退して、踵を返そうとした。その時。
「ドラルク」
 その声は有無を言わせない退治人の声に聞こえた。かち、とドラルクの口内で上下の牙が音を鳴って、ゆっくりと振り返る。ロナルドの足元に花弁が落ちる瞬間を見た。
 ドラルクのドレスグローブに包まれた手が取られる。ロナルドの指先から滲んでいた血が、真っ白な質のいい布地に吸われていく。
「ロナ……
 困惑の混じったドラルクの声はそのまま閉じ込められるように塞がれた。頬にスノードロップの花弁が触れてくすぐったさを感じたかと思うと、口内に花の香りが流れ込んできていた。掴まれた手を咄嗟に持ち上げようとしたが、強い力で押し止められてしまい、更には互い違いに指を絡めとられてしまう。
 触れたロナルドの唇が僅かに開かれて、ドラルクの唇に何かが押し当てられる。
「んっ……!」
 舌先だけでなく、それは薄い花弁を纏わり付かせており、ドラルクの唇を割って捩じ込まれ、どうしてかそれを受け入れてしまう。舌はすぐに引っ込められようとしたが、迫り出していたドラルクの牙に引っ掛けたのだろう。ロナルドの手が痛みによる反射で緩んだ。
「っ、な、にを」
 手を払ってロナルドの二の腕を掴んで身体を離すと。唇から血を滴らせるロナルドと視線がかち合った。ふと、この青い左目を見るのが随分久しぶりのような気がして、ドラルクは思わず閉口してしまった。その目の下には色濃い隈が出来ていた。
「俺の血を吸えよ」
「は……?」
「まだわからねえのかよ。俺は退治人だぞ」
「いや、な、何を……うわぁっ!」
 ロナルドの脈絡の無さにドラルクが戸惑っていると、クラバットを鷲掴みされ再び引き寄せられたが、あまりに強引な動作に首が締まって耐えられず、とうとうドラルクは塵と化してしまった。
「おい、ふざけんな……っ、げほっ」
 再生しかけたドラルクの頭にぱらぱらと花弁が降りてくる。ロナルドは一頻り咳き込み何度も花弁を吐いた後に、ぜいぜいと肩で息をして再生途中のドラルクに覆いかぶさるようにして蹲ってしまった。
「だ、大丈……
 自分の身体の上で顔を伏せるロナルドに手を伸ばしかけたが、今度はその手が叩き落とされる。勢いも殆どなくロナルドが顔を上げて睨みつけてきて、その険しい表情にひゅ、とドラルクの喉がなった。
「俺は、お前のことを……
 何度も喉を詰まらせながら、ロナルドは再びドラルクのクラバットを掴む。
「お前を……殺しに来たってのに、なんなんだよ、その体たらくは……!」
「私を……? 殺しに?」
「当たり前、だろうが……俺は退治人だぞ!」
 吸血鬼の城に来た退治人がやることなんか、一つに決まってるだろ。ロナルドは息も絶え絶えにしながらそう言った。
……この、花」
 ドラルクの薄い腹の上に落ちた多量の花弁を、ロナルドは震える手で掴んで持ち上げる。指の隙間から溢れる花がドラルクの眼前に突きつけられた。
「この花の根っこには、毒があるんだよ」
「花……この、スノードロップのこと……?」
「そうだよ」
 語気こそ荒いものの、ロナルドの顔面はまるで色を抜いたような白さだった。首元には薄らと冷や汗が浮いているのが見えて、はたとドラルクは気がついた。紅茶で汚れた服の下で身体中を蝕む茎葉や開花しかけた蕾ばかりを見てばかりで、ロナルド自身を見ていなかったことに。記憶を遡ると、あの美しい肢体が随分痩せ細ってしまっている映像が過ぎった。
「俺の、体にも頭にもこいつの根っこが張ってるんだ。今お前が、俺の血を吸えば、お前は毒に冒されて死ぬはずだろ……
「ど、どうしてそんなこと」
 ぐらりとロナルドの身体が傾きかける。いつからそんなことを考えていたのか想像もつかないドラルクは、ロナルドの言葉が未だ咀嚼できない。ロナルドは唇を噛んで、倒れかけた身体を再び持ち上げたが、顔を伏せたまま今度は独白のようにして言葉を発した。
「そんなの……お前を、俺の、千体目にするために、決まって……
「わ、私を? まだそんなことを、」
 途端にロナルドが顔を勢いよくあげ、鋭い視線を向けてくるので、ドラルクは言葉を噤む。向けられたそれは、間違いようもなく純然たる殺意と怒りだった。
「そんなこと、だと」
 クラバットを掴むロナルドの手に力が込められる。しかし、先よりは随分弱々しい力だった。
 ドラルクはどうしていいか分からなかった。こんな感情を向けられていることに今の今まで気がつきもしなかった。そもそも、何故ロナルドがそんなことを考えたのかも想像が出来ない。そうして、目の前で苦しげに顔を歪ませるロナルドは何度も口を開こうとしては閉じて、再び開きかけて、また閉じてを何度も繰り返した末に、がっくりと項垂れてしまった。
 暫しの沈黙が流れていた中、散らばったカップなどを片付けるための箒などを持ってきたジョン達が戻ってくる。それぞれの主人の元に使い魔たちが集って仕舞えば、ロナルドは深く深く息を吐いて、ドラルクの上から退いて、そのまま床に座って膝を抱えてしまった。ドラルクも身体を起こしては見たが、膝が震えて立ち上がることができない。結局二人、床に座ったままで向かい合うしかなかった。
……お前なんぞのために、こんな馬鹿みたいなもんに罹って」
……え、」
「もうすぐ俺は死ぬから……だから、お前を、殺してやろうと……
 ドラルクの喉が何かに締め付けられている。ぐるりと腹の底がひっくり返ったような心地が、何週間かぶりに帰ってきた。
 ――死ぬ? 死ぬの、ロナルド君。というか、待ってくれ。その前に言った言葉も、どういうことだろうか。私のためと、ロナルド君は言った気がする。
 しかしそれをドラルクが尋ねる前に先に立ち上がったのは、病に冒され、死期の差し迫ったロナルドの方だった。よろめき、椅子の背もたれに手をかけて自分の体重を支えながら、ロナルドは何度も花を吐く。ほんの一ヶ月前までその身体に満ちていた覇気も体力も、ドラルクの気づかない間にごっそりと失われていたらしかった。
……せいぜい、花が咲くのを楽しみにしてろよ」
 種明かしは終わりだと言わんばかりに、ロナルドは重い身体を引きずって部屋を出ていってしまう。カボヤツとツチノコがその後を追っていくのを見た後に、ドラルクは自分の身体の上に散らばる白い花弁を見下ろした。
 何故あれほどにロナルドから吐き出されるこれや、ロナルドを苗床にしているものに心を奪われてしまっていたのか、途端に分からなくなっていた。
 これらはロナルドという人間の恋心の証だ。それがどこかの誰かに向けられて、そうしていつかロナルド自身が花と化すことを想像していた。
……
 ドラルクにとって面白く愉快な毎日を与えてくれるはずのロナルドが、どこかの誰かに奪われるくらいなら、この城を飾る花になってもらって、いつまでも自分が世話してやることを想像していた。
「ヌヌヌヌヌヌ……
 ジョンに手をぎゅっと握られてそちらを見やると、血の滲んだドレスグローブが目に入った。使い魔を抱き上げながら、ドラルクは自分の手に鼻を近づける。鼻先を掠めた血臭の残り香は、ほとんど毒花の香りでかき消されていた。



 次の日も、その次の日もロナルドは部屋から出てこなかった。ドラルクはその扉を日に何度かノックをしたが、今までのように返事がなくとも入ろうという気になれなかった。もう花の世話をしたいのではない。ロナルドと、話をしたかった。けれどロナルドはそれこそを拒絶しているように感じられた。食事だけを部屋の前に置いて立ち去って、寝る前に少しだけ手がつけられた皿を回収する。もしかするとこれからずっとこうなのだろうかとドラルクは想像したが、そんなことが続いたのは二日だけだった。
 ロナルドが部屋に閉じこもって三日目の、夜明け前。用意した食事は皿の中でそのままになっているのを見て、気がつけばドラルクは目の前の扉を開け、部屋に飛び込んでいた。
「ロナルド君!」
 殆ど叫ぶようにして入ると、足元にカボヤツとツチノコが駆け寄ってくる。泣きながらドラルクを見上げてくる二匹を一瞥して、部屋の床に散らばる花弁を蹴ってベッドへと駆け寄った。
「ロナルド君!」
 横たわって目を閉じたままのロナルドをもう一度呼んでみたが、返事はない。ごく、と息を呑んで、そっと唇に耳を寄せると、静かな寝息がかろうじて聞こえてきた。
 どうしよう、どうしよう、どうしよう。
 シーツの上に散らばった白い花弁をドラルクは雑に払いロナルドの身体に被せられた毛布を捲る。どうやってか着替えたらしい寝巻きの首元や裾からも白い花の蕾や茎葉が見える。
「ロナルド君……
 たった三日呼ばなかったその名を呼んでもロナルドの左目は開かれない。ロナルドの青い瞳を突き破って生えている白い花が代わりに揺れるのを見て、いっそ憎らしさが湧いてくる。
 真っ白な花に覆われようとしているロナルドを想像して、嘔気が迫り上がってくる。この三日、ドラルク自身も殆ど寝付けないまま過ごしていた。
 ロナルドはこのままだと死んでしまう。花になって、二度とあの赤い退治人の姿を見られなくなってしまう。この城に突然現れた赤い退治人が、真っ白な毒花になって――
「ヌヌヌヌヌヌ!」
 ジョンの声は聞こえていたが、ドラルクはいつの間にか部屋をでて駆け出していた。
 そうだ、白なんてロナルドには似合わない。そんな、殆ど妄執のようなものに囚われて、ドラルクは庭園に向かう。庭園の奥のガゼボ。その片隅に置いていた用具箱の中から剪定鋏を手に取って踵を返す。そうして、あちこちに咲いている赤い冬薔薇を摘み取っていった。
 すぐに手では抱えきれないくらいになって、外套を脱いでその上にぼたぼたと薔薇の大きな花を投げ込んでいく。温室ではなく、寒い冬の環境で育てた薔薇は、今年は特別に多かった。あらかた摘み取ったドラルクは剪定鋏を投げ捨てると、外套に薔薇を包んで、再びロナルドの部屋へと走った。途中、白い花弁が散らばる廊下に薔薇の花がぽとぽとと落ちたが、そんなことには構っていられない。
 ばくばくと心臓が鳴っている。吸血鬼の拍動は人と比べて必要最低限の筈なのにどういうことだろう。走っているからに違いないけれど。
 ドラルクは、あの日あの時に突然現れた赤い退治人、ロナルドの姿を思い出していた。めちゃくちゃな日だったし、ドラルクの長い生の中で一番死んだ日だ。陽の光を浴びて死んだときはどうなることかと思ったが、なんとか復活できてよかった。
 それから何故か毎日ロナルドのことを考えていた。それほど考えていても、再びまみえることなどなかろうと思っていたある日、ロナルドが再び現れて仕事の手伝いをしろと言ってきた。意味も理由も分からなかったがドラルクはそれにのこのこと着いて行った。ロナルドの受けてくる依頼はどれもめちゃくちゃなものばかりで、二人揃って散々な目にあってばかりだった。
 ロナルドが仕事以外でも顔を出すようになってからは、ロナルド専用のコントローラーを用意までした。食事を作ることは元から好きだったが、ロナルドの味の好みを知って、それに合わせてまた新たなメニューを用意した。
 ドラルクは腕いっぱいにロナルドから齎された彩りを抱き、息せき切って廊下を走った。
「はぁっ、はぁっ……
 再びロナルドの眠る部屋に戻る。ロナルド君、とドラルクは何度もその名を呼んで、ベッドの上の白い花弁を払って、代わりに赤い薔薇を横たわるロナルドの周りに敷き詰め、やがて、赤い薔薇がロナルドの周りをすっかり満たしたところで、その様を見下ろした。
 全身にじんわりと汗をかいていた。自分が汗をかく生き物なのだとドラルクは初めて知った。これほど心臓が速く動いても死なないということも、ロナルドと出逢ってから初めて知ったのだ。きっと自分の心臓はあの日あの時あの瞬間から、ずっと高鳴っていた。
 もしも自分が人間だったら、先に花を吐いていたのはきっと自分の方だったに、違いない。
 ドラルクは外套を床に投げ捨てると、ベッドにそっと腰を下ろした。目を閉じたままの美しいロナルドの相貌をまじまじと見る。その姿はまるで人形のようで、ドラルクの記憶に鮮明に残っているロナルドの唇は、こんな真っ白なものではなかった。
 その白い唇にドラルクは口付けを落とす。ドラルクの高くなった体温よりも随分と冷たいそれに音もなく触れ、離れた。
「好きだよ、ロナルド君」
 言葉にしてみると、それは驚くほどドラルクの中でくっきりと形作られていく。この男のことを、自分は。
「好きだよ。好きだ。ロナルド君……そうか……これが」
 これが、ロナルドがこの一ヶ月以上の間さんざ吐き出し続けたものなのだと、ドラルクはようやく知ることができた。こんなものは堪らない。いくら吐き出してもおさまらない。腹の底から胸の内を通じて迫り上がる。こんなものが自分から吐き出されることが俄かに信じがたい。解ったような、解らないような。これほど理解し難い感情を今まで持ち得た事が無かった。
「死なないでロナルド君。好きなんだ……
 どうか手遅れでありませんようにとなにかに願いながらドラルクが同じ言葉を何度も吐き出しながら見つめ続けていると、ロナルドの瞼がぴくりと小さく動いた。真っ白だった唇や頬に血の気が戻ろうとしている。やがてゆっくりとその瞼が開かれると、まず先に右目のスノードロップが根を無くしたようにぽろりと落ちてしまった。
……な、んだ……?」
 ロナルドの視線はドラルクに向けられないが、うろうろとあちこちを見ているうちに恐らくは気がついたのだろう、右目の視力が戻っていることに。
「っ!」
「うわぁっ!」
 ロナルドがバネのように飛び起きる。その勢いにドラルクはバランスを崩し、ベッドから落下して死んでしまった。
「おい! 何死んでやがる! ……ていうか、何を……っ!」
 ロナルドは自分の喉を押さえて言葉を途切る。口元にも手をやって、苦しげな音を喉奥から鳴らし始めた。
「っ、ぉえっ……!」
「ろ、ロナルド君? 大丈夫?」
 慌てて復活して、ドラルクは喉を詰まらせ苦しむロナルドの背に、今度こそ手を伸ばして撫でさすった。
「げほっ、かはっ……
 ロナルドの血の気が戻った唇から唾液がまず溢れ、赤い薔薇を濡らしていく。それは中々喉を通らないほどに大きなもののようだったが、遂にぼたりと一枚目が吐き出された。薔薇の上に落ちた白い小さな花弁ではないものを、二人は暫し見つめていた。
……おい」
「え?」
 次の瞬間、信じられないほどのスピードで拳が飛んできて、ドラルクは再び死んでいた。今日二度目の死だったこととこの数日の寝不足が祟って、復活するのに二時間以上かかってしまった。





「本当に、本当にもう帰っちゃうの?」
「うるせえな、仕事が溜まってるんだよ。くそ、あのまま死んでればやらずに済んだものを……
 余計なことしやがって、とロナルドは吐き捨てるように言って、食い下がるドラルクをきつく睨みつけてくる。夜明け前の玄関先で、かれこれ数十分はこんなやりとりを繰り返していた。
 ロナルドの花吐き病が完治してから、更に一ヶ月ほどが経過していた。衰弱していたロナルドの身体からすっかり花茎がなくなるのに二週間、更には体力がある程度戻るまでに二週間を要した。おそらく回復は早い方なのだろうが、それでもやや痩せた身体に纏う退治人服は少しばかり緩めに見える。もう少し食事をしていって欲しかったが、一ヶ月もここに引き止められたことの方が奇跡なので、これ以上は無理だということはドラルクも理解していた。
「次はいつ来てくれるんだい」
「知らねえよ」
「えーん……恋人が冷たい」
「誰が恋人だ」
「違うの⁉︎」
 あまりの言葉にドラルクは危うく死に掛けてしまう。ロナルドは苛立たしげに舌打ちをしながら棒付きキャンディーの封を切ると、ぽいと口の中に入れた。
「俺は退治人だぞ。吸血鬼なんぞの恋人になるわけがないだろ」
「でも、両想いじゃないか私たち」
 ねえ、と言ってドラルクはロナルドの手を取った。すぐに払われるかと思いきやそうではなかったので、更に食い下がってみることにした。ぎゅう、とその手を両手で握ると、ロナルドがびくりと身体を揺らした。
「ね、またすぐに来てよ。君の好きなもの作って待ってるから」
…………
 結局ロナルドは口をへの字に曲げたまま、何も言わずに城から去っていってしまった。その背が見えなくなるまで眺めて、姿が見えなくなってからも暫しその姿を名残惜しんだ。
「ヌー」
……はっ、まずい」
 日が登ろうとしていることにジョンの呼び掛けによって気がついたドラルクは、慌てて城の中に逃げ込む。
「ふあーっ……そろそろ寝ようか、ジョン」
「ヌー」
 一つ大きな欠伸をしてジョンを抱き上げると、ドラルクは寝室へと向かう。
 城中に落ちていた白い花弁は、ドラルクが綺麗さっぱり片付けていた。ロナルド達が去ったあとの広々とした空間はもの寂しげではあったが、ドラルクの足取りは軽い。
 使い魔を暖かな寝床にいれてやって、おやすみと小さな頭を撫でる。そうして、自身の棺桶の蓋を開けて、その中に身を横たえた。
 ドラルクはすう、と大きく息を吸って目を閉じる。真っ暗な棺桶の中を満たしている白い花弁と、組んだ手のうちにある白銀の百合の花弁が、華やかに香ってドラルクを包んだ。



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