【読切ドラロナ】花満ちる棺

2023年3月発行読切ドラロナ本「花満ちる棺」
花吐き病になる読ロ様の読ドロWeb再録。

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一章 





 ひょんな事から“友情”を育むことになった眉目秀麗な退治人の唇から、不意にひらりと一枚の花弁が落ちたのを見た時に、ドラルクの中で腑がぐるりとひっくり返るような不快感が巡った。日頃であれば死ぬようなそれで死ねず、ただ目の前に落ちた花びら一枚と、同じように目を剥いてそれを見つめる当の本人を前に固まってしまう。花弁は細長い真っ白なもので、一目ではなんの花なのか検討がつかなかった。
「っ」
 コントローラーがかしゃんと音を立てて床に落ちる音にドラルクは今度こそ心臓を跳ねさせて死にかけた。しかし何かがドラルクの形をそこに留めている。退治人――ロナルドの手が慌てて唇を塞ぎ、もう一方の手が花弁を拾い上げるところまでをただ凝視していた。
……触ってねえだろうな」
 煌々と部屋を照らすテレビ画面の灯りを横顔に受けたロナルドの表情はどうしてか見えにくい。元々隠されがちな美しい相貌がちぐはぐに見えて、それでもドラルクは何とかして、二度頷いた。頷いただけで再び喉の奥が張り付くような心地悪さがあったが、ほぅと息を吐いて安堵するロナルドを見れば、少ない唾液を飲み込むしかない。
 結局その日、ロナルドは急な仕事が入ったと言って帰ってしまって、吐き出された花弁のことは何一つ聞くことが出来なかった。朝になるまでロナルドとやるはずだったゲームを進めようとして、どうしてか進められず、寝床の棺桶の中に入った今も、ドラルクは寝付けないでいる。
 何故ロナルドの口からあんなものが吐き出されたのか。長命であることが幸いしたと言っていいのかは分からないが、ドラルクの知識の中に、一つ心当たりがあった。確か、随分昔に流行った病のこと。最近はめっきり聞くこともなかったその流行り病は、ドラルクのこれまでの吸血鬼生からは随分と遠く離れた事象の一つだった。
 吐き出された花弁はロナルドが拾って持って帰ってしまった。ドラルクは、何とか目だけは瞑ってみる。もしかするとあれは錯覚とか幻とか、そんな類のものかもしれない。
 しかし白い花弁が瞼の裏にくっきりと浮かび上がると、腹の底の臓腑がもう一度ぐるりと回ったような気がした。
……はあ」
 ドラルクは顔の横に置いていたスマートフォンを手に取り画面をタップして、指先で操作して商品をいくつかピックアップしていく。試し読みができるものは軽く目を通していき、最終的に一冊を選んだのちに決済完了のボタンを迷いなくタップした。僅かばかりだが、不快感が遠のいていく。
 再びスマホを元の場所に戻して、目を閉じる。やはり、瞼の裏には何度もあの小さな白い花弁がちらちらと蘇ったが、それでもなんとかその日は寝付くことが出来たのだった。



 退治人のロナルドという男と出逢って、ドラルクの暮らしにはこれまでに無い彩りが加えられた。数百年に及ぶドラルクの吸血鬼生において、ロナルドとの出会いはあまりにも鮮烈だったが、その後にしても何かにつけ愉快極まる体験ばかりだった。ロナルドが妙な退治案件の度に連絡を寄越すようになってからは外出の頻度がぐんと増え、おかしな事件に遭遇しては何度も死にかけたり、実際に死ぬこともある。
 逆にロナルドがドラルクの城を訪れることも、今となっては月に数度はある。この間などは何故か原稿合宿をしに来たので驚いたのだが、閉じこもることさえ出来ればいいと言うロナルドの身の回りの世話をするという体験もドラルクにとっては新鮮な日々となった。
 ともかく、ロナルドは心底から愉快な男だった。見目の麗しさからは寡黙そうな印象を与えるが、実のところその気質は騒がしく荒々しく目が離せないような危うさがある。けれどロナルドは歴戦の退治人であり、超売れっ子作家でもあるらしく、詳しく聞いたことはないがネットにある経歴を見る限りは相当な若さのはずだった。そんなロナルドを、きっと市井の人間達は誰も彼も放っておかないだろう。ドラルクが一度ロナルドの見目について誉めそやした時に心底から嫌な顔をしていた理由は分からないが、あの見た目だ。きっと彼とお近づきになりたい人間は、それこそ外の世界には山のように居るに違いない。
 ドラルク自身、人間どころか他吸血鬼とすらこれほど懇意にしたことはなかったが、おそらくはこれからも、少なくとも数十年くらいはロナルドと共にこんな日々を過ごすことが出来るような気がしていた。それはきっと、愉快でたまらない日々に違いない。外の世界はロナルドと歩くから面白おかしかったし、ジョン以外に誰かとゲームをやってこんなに気が合う者がいるとは思わなかった。自分の作った食事を、最初は訝しんでいたロナルドが初めて口に入れてくれた時は棺桶の中に入っても眠れなかったし、それこそこの間合宿と称して泊まってくれた時はもっと早く言ってくれれば特別にロナルドのための部屋を用意したいと思ったくらいで、そして今はその為の部屋をきちんと用意してあるのでいつ来てもらっても構わない状態だ。
 ロナルドは間違いなく、ドラルクにとって特別な存在だった。どんな特別なのかと言われたら言葉では言い表すことが出来ないが、とにかく面白いのだ。ロナルドと過ごす時間は、特別に楽しい。そんな中でドラルクは原稿を終えてロナルドが帰った日、棺桶に入った時に、果たしてあとどれだけの間ロナルドは生きていてくれるだろうかと考えたことがあった。ロナルドは作家でもあるが、退治人だ。そして、自分と出会う以前は九九九体の吸血鬼を殲滅した歴とした戦いの中で生き抜いてきた退治人である。そんな男がどうして今この瞬間、今日も明日も生きているに違いないと思っていたのだろうかと自分に愕然として、一度死んでしまったほどにドラルクは動揺した。
 ロナルド君に死なないで欲しい。あと向こう五十年は生きていて貰わなければ。
 そんな風に考え始めていた中で、ロナルドは突然花弁を口から吐き出したのだった。驚いた。一瞬何が起きているのか分からなかったし、ロナルドのあんな表情も初めて見たものだから、なんと声を掛ければいいか考えあぐねていた最中で、ロナルドがスマホを確認したかと思うと、「仕事が入ったから帰る」と言って帰ってしまったのだった。聞きたいことがようやく浮かんだのは、ロナルドが城を去って、翌る日、つまり今日になってからだった。
 その為には、あの花弁のことを調べなければ。
 城のインターホンが鳴り響く。昨夜のことをあれこれと考えながらも指先だけでコントローラーを操作していたドラルクは、ゲームをポーズ画面に切り替えて、膝に乗っていたジョンに一言声をかけて下ろした。立ち上がって玄関まで行って、当然ロナルドが初めて現れた時のように突然開け放たれるわけもないので、苦労して重たいドアを引いた。
「あ、どうも。サインお願いします」
 はいはい、と答えて差し出されたペンを受け取って伝票にサインを施す。用の済んだ見慣れた配達員は直ぐに踵を返して立ち去った。届けられた荷物はパックの形をしており、表面のツマミを引っ張って開けるタイプだったので書いてある通りに封を開ける。中から出てきたのは一冊の本だ。
「ヌンヌヌン?」
「ん、医学書だよ。簡単なやつだけど」
「ヌヌヌヌヌンヌヌヌ?」
「うん、そう」
 ドラルクは再びジョンを膝に乗せて、一緒に本を眺めてみることにした。目次で探すと多くの分類がずらりと並んでいた。ここは巻末の索引で引いた方が早いかと判断して、後ろの方のページを捲る。
「確か……正式名称は……
 嘔吐、確かそう、嘔吐中枢なんとかという名前だった、と指先で記憶と索引を辿っていくと、それは直ぐに見つかった。
「嘔吐中枢花被性疾患……
 半世紀も前に流行した時などそれこそ人間に対する興味は殆どなかったものだから思い出すだけで一苦労だった。先ほど城の書架に行って開いた医学書では、予想した通りあまりに情報が古過ぎて役に立たなかったので、注文して良かったと、ドラルクは指定されたページへとまた繰っていく。通称花吐き病に関する内容は、ページ数にしてみれば五ページほどにまとまっているらしく、かい摘んだ概要が書かれているようだった。
 まず確認したかったのは、吸血鬼がこの疾患に罹患するか否かだった。確か感染力の高い病気だと聞いたことがあるし、恐らくロナルドもそれを心配しているに違いないと思ったので、文面を指でなぞって感染に関わる部分を見つける。
「へえ、私たちは平気……というか、人間しか罹らないんだねぇ」
「ヌンヌ、ヌイヌーヌ」
「そうだね、私たちの心配はしなくていいって、ロナルド君に伝えよう」
「ヌン!」
 ジョンと顔を見合わせて頷く。次にこの病気の症状だ。代表的な花弁を吐き出すという症状以外にも何かあるかもしれない。症状、経過の小見出しを見つけて読み進めていく。その文面は専門書らしく、ごく淡々としたものだった。

 まずステージ一で花弁が吐き出される。花の種類に昔は意味合いがあるとされていたが、それは今は否定されているということ。前駆症状として咳、喉の異物感から始まり、花弁を吐き出したことが確認されれば嘔吐中枢花被性疾患と認められる。発生源は喉頭付近であり、年齢が幼児期または高齢であると、この段階で窒息死する可能性もある。
 ステージ二。肌が植物化する。植物化する、というのは個人差があるが、総じてよく見られる症状は背中の皮膚を突き破って茎が生える。それは手足などにも及ぶことがあり、痛みを伴うことは少ない。この時にレントゲンを撮ると、体内に根があることが確認される。早期に発見されれば外科手術で除去も可能ではあるが完治には至らず一〇〇パーセント再発する。逆に、ステージ一ではこの根が確認できないため治療がしにくく、この先のステージに進むと根が体内に張り巡らされてしまうため、こちらも除去が困難になる。
 ステージ三。体内にあった根が脳へ到達する。記憶障害や遂行機能障害などが見られるようになる。この時点で致死率は八〇%を超えるが、そもそも完治の要因が「心理的・対人交流からなる現象」に由来するためはっきりとしたことは言えない。
 ステージ四。全身が「花化」する。この時点で脳波等の測定をおこない、回復の見込みがないと診断された場合は脳死、死亡判定が行われる。

……結構えげつない病気だなあ」
「ヌン……
 症状について記載された行間には、ステージ三にあたる患者の写真まで掲載されていた。画質の悪い白黒写真で、ベッドの上でうつ伏せになった女性の背中から蔦や葉が無尽蔵に生えている。あまりジョンに見せたいものではない。ドラルクは次のページを繰った。
 最後の方に載っているものは当然治療、完治基準に関してだったが、そこに記載されているものはやや特殊だった。
 花吐き病に共通するのは、特定の人物に対して恋愛的感情を向けている者が罹患することが確認されている。現代においての発症率はかなり低い上、この疾患に対するスティグマもあるためステージ一の段階で受診する者は現在でも極めて少ないらしい。
 また、自死率も高いという文面もあった。
 ドラルクはそこで始めてごくりと唾を飲み込んだ。口の中が何故か乾いている。今朝は血液パックを一つ摂取して、体調も比較的良好な筈なのに。
 ドラルクの脳裏に、ロナルドのあの薄い唇から真っ白な花弁がぽろりと落ちた光景が蘇った。また、ぐるりと身体の中が掻き回されるような不快感が一瞬だけ全身を駆け巡る。知らず、自分で自分の口元を抑えて、本を閉じていた。
「ヌヌヌヌヌヌ……
 不安気に自分を見つめるジョンの声に、閉じていた目を開ける。まさか自身が花弁を吐くわけでもなし。そうだ、とドラルクは気を取り直し口元を抑えていた手を下ろし、本はソファーの座面に置いた。
「大丈夫だよ。友達が病気だって知るって、こういう気持ちなんだね」
 初めて知る感情だった。同時に、やはりロナルドは自分に何か新鮮さを与えてくれる存在なのだとも思う。
「まあ片恋なんて、彼らしくない。すぐに相手を落として治してしまうさ」
 ジョンを安心させるためにそんな軽口を叩いたが、なぜだか、今朝飲んだどこかの誰かの血液を吐き出したいなどと内心で思っていた。



 数日後、まるであの日のことなどなかったかのようにロナルドからメッセージが来た。何でも、ドラルク城方面で仕事があるので前泊したいという旨の内容だったが、それは以前のメッセージ画面を遡ってもこれまでと何ら変わらない文面だった。
 もしかすると、事が解決したのだろうかとドラルクは想像する。それならばそうと言ってほしいところだが、それをメッセージのやり取りでおこなうのは些か面倒だったし、そもそもそんな返しをして当のロナルドの方が面倒臭がって顔を出してくれなくなることの方が深刻に思える。ロナルドの方から連絡がなければ自分からしてみようかと思案していたくらいなので、ドラルクはともかくロナルドからのメッセージに了承の言葉と、今まで使っていたスタンプを一緒に送信しておいた。スタンプを使ったのは、ロナルドに警戒されないためのつもりで。
 翌夜、ロナルドはメッセージ通りに何食わぬ顔でドラルク城を訪れた。
「よう」
「やあやあロナルド君。よく来た……うわっ外寒い! 雪降ってる!」
「死ぬなよ、面倒だから」
 吸血鬼に招き入れられる退治人という特殊な状況にすっかり慣れている。今日は食事も食べて明日の朝に出発するというので、ドラルクは胸中の突っ掛かりを無理やり押し込め、ジョンと客人のために丹精込めて料理の支度をしていた。
「あれ、カボヤツとツチノコも連れてきたのかい」
「ああ」
 ぽんぽんとソファーの上に下ろされた不思議な生物たち……カボヤツに関しては元がカボチャなので、果たして一体何なのか、よく分からないでいる。吸血鬼化の類なのかもしれないが、しっかりと自我を持ち創造主であるロナルドに懐いているため特段支障は無いらしい……懐きすぎのきらいはあるが。
 ジョンがマスコット代表として出迎えてくれることで、このがらんとした大広間がちょっとしたふれあい広場のような様相に変わる。ロナルドも帽子や外套を脱ぐと、彼らの中に混じるようにして腰を下ろした。
「夕飯の支度済ませてくるから、少し待ってておくれ」
「ああ、わかった」
 ロナルドの様子は普段通りだった。やはりあの病は完治しているのかもしれない。ふと、妙な論理がドラルクの脳裏に走る。そう、例え想い人と両思いになったとして、一緒になることを選択するかどうかは当人たち次第だ。ロナルドはもしかすると両思いになれたのかもしれないが、今は自分の仕事を優先して相手と一緒にいることを諦めたのかもしれない。いかにも仕事やら作家業やらを優先するロナルドらしい締めくくりかただ。
 恋心などというものをドラルクは抱いたことがない。一族からはいくらか縁談を持ち込まれたこともあるが、家庭を持つことなどドラルクには考えられなかった。それにジョンもいる。自分の家族は、今はジョンだけでいい。気楽な生活をいつまででも過ごしていきたかった。
……ああでもすぐに結婚ってわけじゃないのかな、人間は」
 ドラルクが長らく引きこもっている間に世の中は大きく変わっていた。メディアに触れてこなかったわけではないが、あまり興味もなかった。人間が作り出すゲームだとか本だとか、そういった娯楽だけでドラルクは充分に満足できた。遠くの国の戦争だとか、吸血鬼との抗争だとかは見るだけ気分が萎えてしまうので、一応は把握していてもそれ以上知ろうとは思わない。それに、長年の不摂生で弱体化した身体で、今更人間たちと事を荒立てようという気もなかった。
 鍋の中でぐつぐつと煮えるビーフシチューをシードルで下から掬ってかき回す。ロナルドはああ見えて下戸らしいので、赤ワインは下処理をした上でフランベもして少量だけ入れてあるが、味の方が大丈夫だろうか。そうだ、これはロナルド君の快気祝いということにでもしようか。そんな気楽な思考の調子でドラルクは一度火を止め、足取り軽く再びロビーのロナルド達を呼びに戻った。
 ――考えてみれば、如何にも都合の良い暴論だった。
「出来たよ。今日はあちらに用意しているから来てくれるかな」
「ああ」
 ロナルドは頭にカボヤツ、肩にツチノコ、腕にジョンを抱いて立ち上がると、ドラルクの後ろを着いてくる。ジョンだけでも預かろうかと思ってちらと振り返ったが、ロナルドは心なしか嬉しそうな空気を纏っている。小さな生き物に懐かれやすい性質らしいのは少し意外だったが、しばらくこんな表情を見ているうちにその違和感はなくなっていた。
「寒くない?」
「俺が寒いと思うレベルなら、お前が死んでるだろ」
「まあそうだけど、城主としての気遣いだよ」
 軽口を叩きながら、ドラルクは自分でも不思議なほど心が浮き立っていた。最近はロナルドの花吐き病のことで頭がいっぱいだったのだ。そう、友人を心配するのはきっと当然なことだ。それが治って、ロナルドは今まで通りに自分の城に遊びに来てくれる。今まで通りが続くだけなのだ。ドラルクが再びちらと振り返ると、ロナルドが怪訝そうに眉を動かして「なんだよ」と言ってくるだけだった。
「さあどうぞ」
……お前やたら機嫌いいな」
「いつも通りだよ」
 そう答えてドラルクは再び厨房に向かう。お手伝いをかって出てくれたジョンにはカトラリーを並べてくれるよう頼んだ。一人でいる時には殆ど使っていなかった皿を棚から出して並べていく。
「っ……けほっ」
 不意にロナルドが空咳をしたのが聞こえたので、ドラルクは何気なく振り向く。その咳は二度、三度と続いた後、あの時と同じようにロナルドの唇から花弁が溢れ、テーブルの上に二枚、三枚と落ちていくのが見えた。
……え?」
 寒いわけでもないのに、ドラルクはそれを見てぶる、と身体が震えるのを感じた。
「あ、わりぃ、汚した……
 唖然とするドラルクとジョンを尻目に、ロナルドは何でもないといった調子で花弁をさっさと拾い集めていく。
「な、……
「悪い。何か拭くもの……
 調子の変わらないロナルドに身体が戦慄く。ドラルクは意識して必要な酸素を吸った後に漸く声を発することが出来た。
「治ってないの⁉︎」
「あ? ……ああ、悪い。そうか、感染したら良くないよな……仕事の間こいつらだけ預かってて……
 ドラルクの悲鳴にも近い叫びをロナルドは怒りと受け取ったらしい。席から立ち、部屋から出て行こうとするのをドラルクは慌てて引き止めた。
「ち、違うから! それに私たちは感染しない!」
「そうなのか?」
「それは、人間だけの病で……ああ、違う違う。そうじゃなくて……
「どっちだよ」
「私たちが感染しないのは本当で、でもそんな話がしたかったわけじゃなくて……
 食い違う話を修正すべく、ドラルクは頭を振って言葉を途切る。先までの空想が頭の中で風に攫われ崩れ去っていく。元からなかったものをなんて都合の良く、いっそ妄想に近いことを考えていたのか。掴んだロナルドの腕が振り払われることがないのが、せめてもの救いだった。
「君、その、花吐き病治ってないの⁉︎」
「あ? ……ああ、治らねえよ」
 その言い草はまるで治る見込みがない、というようなニュアンスに聞こえた。けれど日本語の言い回しというのは思っている以上に難しいものだとドラルクは分かっていたので、そんなわけないだろうとその思考をすぐに捨てた。そうしている間にもロナルドは再び小さな咳を繰り返して、その度に花弁を散らす。ひらひらと宙を舞ったそのうちの幾つかが、ドラルクの爪先に落ちた。
 ロナルドの顔をどうしてか見ていられず、そのつま先の花弁を見ながらドラルクは口を開いた。
……誰?」
……何が」
「君のこと、病気にさせるような相手だよ」
 吸血鬼は花吐き病に感染しない。この白い花弁が何の花だとかにも意味はない。ただ、どうしてこの状態を誰よりロナルド自身が見過ごしているのかが、わからなかった。
「早くその相手と、恋仲になればいいじゃない」
「無理だ」
「無理って……だって君だったらきっと」
「無理なもんは、無理なんだよ……なんだお前、俺のこと心配してるのか?」
「そりゃあ、するよ。だって君は……
 友達だから。そう言おうとして、どうしてかドラルクの喉が詰まった。ロナルドを見返しているうちに、自分が果たして本当にロナルドのことを心配していたのかどうかが分からなくなったからだ。友達を心配するのは当然だと、さっきまであれほど自分では納得していた筈なのに。
 心配という感情だったのだろうかあれは。あの、身体の中をぐるぐると掻き回されるような感覚は。途端に名付けた感情のラベルが剥がれて落ちたような気がして、ドラルクは一度口を閉じる。
……君が無理って言うってことは、そうなんだろうね」
 せめてもと口から絞り出したドラルクの言葉を聞いたロナルドは、小さくああと言って、ほんの少し笑っただけだった。





 その後は今まで通りだった。ロナルドから呼び出されることもあれば、ロナルドがドラルクの城に来ることもある。
 しかし、ドラルクが望む今まで通りが、このまま続いていくものだと錯覚しかけたところで、ロナルドは時折花を吐いた。咳をする回数は段々と増えていき、吐き出される花の量も増えていく。依頼人の前で咳き込んだ時は、慌ててドラルクが死んでみせて花弁を自分の塵の中に混ぜ込んで隠してやったこともあった。その日はロナルドに塵のまま運ばれて城に帰り、棺の中で復活すると服やマントの中からあの白い花弁と、ロナルドが書いたであろう「悪かった」というメモが落ちてきた。自分に紛れていたらしいそれを、ドラルクはそのままにして再び体を横たえ、暫しして一葉のメモを掲げて暗闇の中で見つめる。
 悪かった、とはどういうことなのだろう。ロナルドが何に謝っているのか、そもそも自分が何故ロナルドの花吐き病を隠すような真似をしたのか、よく分からない。
 もしも、あの退治人ロナルドが花吐き病などという大昔の不治の病に罹ったなどと世間にしれたら、どうなるだろう。同情や、奇異や好奇、そういった目に晒されることをロナルドはどう受け止めるか。有名税だ、とでも吐き捨てる姿なら想像出来る。むしろ自分を次のロナ戦のネタにするくらいやってのけるのでは。
 けれど、手の中のメモはそうではなかったし、花を吐きかけた時のロナルドの表情もそうではなかった。そう、あんな顔を見たから、死んでしまったのだ、自分は。
……あれ、何の顔なんだろう」
 人間の表情は読み取りにくいという。嬉しくても笑わず、悲しくとも泣かない、という人間がいる。そんなドラルクにとって難解な異種族の中でも、ロナルドは特別だった。無茶な依頼を嬉々として受け、強敵に出逢えば哄笑して、自分が病に罹ろうと取り乱す素振りも見せない。
 ロナルドの本心を知っているのは、この棺桶の中に散る数枚の花弁だけなのだなと思いながらドラルクはメモを胸に置いて、目を閉じる。再び身体の中で渦巻く何かを感じながら。



 それから数週間して、ある日ロナルドは何の連絡もなくドラルク城を訪れた。そんなことは初めてのことではあったが、ともかくドラルクはロナルドを招き入れて事情を伺った。
 それは初めてロナルドの方から花吐き病について話された、最初の日になった。
「わあ、こんなところから生えるんだ……
 常から右目を隠している前髪をそっと手で避けてやると、そこには小さな花の蕾が生えていた。それは眼球を突き破っており痛々しいようにも見えるが、ロナルドは相変わらず表情に乏しいので読み取れない。戦っている時と原稿している時との落差が激しすぎるんだよな、とドラルクは思った。
 その小さな小さな蕾に直接触れるという気にはなれず、ただドラルクはしげしげと眺めるばかりで、ロナルドはそれを許してくれている。
「痛くないの?」
「痛くねえな」
「他には?」
「背中にも、少し生えてる」
「そうなんだ……
 花弁だけでなく、こうしてしっかりと蕾として形が見えてしまえば、その花がなんの花かは一目瞭然だった。
「スノードロップかな、これは」
「お前、花なんか分かるのか?」
「まぁね。庭で育てたりもしてるし。ええと、ヒガンバナ科の球根植物だったかな」
「ふうん、そんなのよく知ってるな」
 やはりロナルドは、自らを蝕む病に無頓着に見える。水晶体からちょろりと生え、雫のように垂れ下がる花を左の目で見ようとしているが、それほど至近距離でその上片目では見えないのだろう。すぐに諦めると、ドラルクの手を軽く払い退いて、棒付きキャンディの封を切って口に放り込んだ。
 病状はステージ二に進んでいて、よく見れば、インナーで覆われた背中は所々隆起して見える。その背に生えているであろうスノードロップの茎や葉がどうなっているのかまでは見てとれない。手を伸ばしかけて、ドラルクはその手を引っ込めた。
 再び一緒に伴われてきたツチノコやカボヤツは心配そうにロナルドを見上げている。ロナルドは二匹を膝に乗せ、柔く微笑んでそれぞれの頭を撫でている。その横顔は再び髪に隠れて見えなくなった。
 ちらと床に置かれている荷物を見る。大きくはないボストンバッグはロナルドが持ち込んだもので、恐らくは数日分の宿泊用品は入っていることが窺えた。前に見たのは原稿合宿と称して乗り込んで来られた時と同じ量のそれを見ても、果たしてロナルドがどのくらいここに滞在する気でいるのかは検討が付けられない。
 ドラルクのその視線を察したらしいロナルドが、二匹から顔をあげて視線を向けてくる。その眼差しはドラルクにだけ向けられる、形容し難いものだった。
……顔にも出ちまったから、休業することにした」
「えっ、そうなの」
「見られたら面倒だろ。それに銃の照準が合わねえ」
 どうやら右目は視力を奪われることになったらしい。ふと、例えばこの段階でロナルドの体を蝕むこの病が治ることがあったとしたら、この目はどうなるのだろうと思った。あとで調べてみようと心に留め置く。
……どうしてウチに?」
……飯が出るから?」
「そんな理由なの⁉︎」
 あまりの言い分に一瞬死にかけたドラルクだったが、どうにか持ち堪える。そんなドラルクの有様を見て、ロナルドはくつくつと笑った。
「何だよ、作らねえのか」
「作るさ、作るけど……こう、相棒だからとか、そういうの無いのかい」
「そう言ってほしいなら言ってやる」
「本当、君って……
「何だよ」
 ドラルクはロナルドがどうしてこうも、こうなのかが理解出来ない。よく考えてみれば、ドラルクはロナルドという男のことを何一つわからないのかもしれないと思いながら、じっとその花の見え隠れする相貌を見つめた。
……ロナルド君ってさ」
「あ?」
「何歳なんだい?」
……幾つに見える?」
 ああ、これは教えてもらえないということだな、と思いながらドラルクは口を噤む。口元で愉快そうに笑っているのだから間違いない。それくらいは分かるが、それでもこの男のことを何一つ自分は知らないのだと思うと、何故だか自分まで吐き気が込み上げてくるようだった。
「なんて顔してるんだ、お前」
「え? 私?」
 吸血鬼は鏡に映らない。ロナルドの青い瞳にも自分の姿は映らないので、確認のしようがなかった。一体どんな顔をしていたのだろうと、ドラルクは自分の顔に触れてみたが、よく分からなかった。それを見ていたロナルドがまた肩を揺らして笑う。前髪が揺れて、ちらちらとスノードロップの蕾を見え隠れさせながら。
 どうして、何故、なんでなの。ドラルクの中で湧き上がる疑問と問いは、そのまま脳髄の中にだけ収められた。それを口にして、もしもロナルドがそれらの一つにでも答えてやろうという気になってしまったら、ロナルドは今日持ってきた荷物全てを持って城を去ってしまうような、そんな気がする。それは、嫌だなあと思った。
……じゃあ、ご飯は何が食べたい?」
 ドラルクはたった一つだけ聞いてもいいだろうことを口にすると、今後はロナルドの方が目を瞬かせたあとに、顎に手を当てて悩む素振りを見せた。
……唐揚げ」
「え、唐揚げかあ……材料無いから明日でもいい?」
「じゃあ何で聞いたんだよ」
 珍しく機嫌良く笑っているロナルドに聞けることが、それしかないからだとは口に出さなかった。



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