kurotera
2025-01-01 01:27:01
72939文字
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たとかとはなし 上

2023年12月に発行した温泉スカウトパロディ本の再掲です。
書き手本人が見た幻覚で諸々をねつ造しています。
高濃度の幻覚話。



「こっちも随分と寒くなってきたな」
 ふーっ、と紫煙を吐きながら三千院が呟く。本殿の奥では忘年会と称して小さな宴が執り行われていた。卓には酒や供物が並べられ、それを鴉天狗と狛犬二匹、三千院と雪女が囲んでいる。
 盃を干したところで、三千院はふと気がついたように口を開いた。
「そういや、不死鳥はいねえのか。いつもお前に雛鳥のようについてまわっているとばかり思っていたが」
 揶揄うような声色に、鴉天狗がゆるりと首を振る。
「ああ、彼は寺に手伝いに行っているよ。もうすぐ帰ってくる筈だけどね」
「手伝い?」
「大掃除じゃと。朝方に化け狸が泣きついてきてのう。俺達も社の片付けが少し残っておったので、代わりに不死鳥に行かせたんじゃよ」
 吽形が応えれば、静かに盃を呷っていた雪女がそっと眉を寄せた。
「へぇ……大丈夫なのかい?」
「狐の兄弟たちも共に行ったのを見かけたな! 化け狸も目を光らせているだろうし、問題ないだろう!」
…………余計に心配だな」
「まあ……なんとかなるんじゃないかな」
 
 天界からいなくなってしまった不死鳥が、現世にある小さな古寺の大掃除をしていると聞けばお釈迦様は驚くだろうか。
「尻尾がホコリだらけです」
 化け狸に借りた作務衣を着て、弟狐はぱたぱたとハタキで棚の埃を追い出している。全ての窓と扉を開け放った本堂、その濡れ縁では兄狐が無言で仏具を磨いていた。
「うう……本当にありがとうございます……
 化け狸が心底申し訳なさそうに礼を言う。そんな彼はというと、せっせと窓を拭いていた。
「今まではどうしていたんだ? 俺達がいなければ一人だろう?」
 兄狐の傍に放り出されていた座布団を一枚持ち上げ、不死鳥が呆れたように化け狸に問う。それをぱん、ぱん、と叩けば面白いぐらいに埃や塵が舞った。
「くちゅんっ」
 丁寧に木魚を磨いていた兄狐の小さなくしゃみを聞きながら、若い住職は軽く頬をかいた。
「去年までは村の方々に手伝ってもらっていたんです。でももう皆さんは人間としてはご高齢でして……
「人間はせいぜい七十ぐらいが限界だろうからね」
「前回は山田さんがお掃除を張り切りすぎちゃって新年早々に腰を痛めてしまって、申し訳ないので今年から一人で頑張ろう! と思っていたんですけど……さすがに本堂と家をするには大変すぎましたね」
 悟り顔で語る化け狸にしょうがないね、と兄狐がため息を吐く。
 朝起きて社に行けば不死鳥にお前達も付き合えと言われたので着いていくと、桃井の手伝いをする羽目になったのだ。
 今までの狐たちならば知ったことかと踵を返しただろうが、化け狸のひどく情けない顔と彼を見る不死鳥の困惑したような、気の毒そうな顔に負けた。
「皆さんが来てくれて、本当に助かります! 和尚さんも草葉の陰できっと喜んでいるに違いありません!」
「そのお坊さんとやらも引っ張り出して手伝わせればいいのではないでしょうか?」
……とにかく、早く終わらせよう」
 埃を落とし、道具を磨く。年の瀬、太陽が真上にあっても空気はからりと冷えている。乗りかかった舟、さっさと終わらせてしまおうと皆黙々と掃除をしていると。
「これ、なんだ?」
 不死鳥が声を上げた。
 どうかしましたかと化け狸がそちらを見れば、不死鳥は箱を持っていた。
 随分古く、蓋の上で埃が薄い層を作っている。室内で埃をまき散らす訳にはいかないと不死鳥が外に出てそれを濡れ縁の床に置き、す、と指で蓋をなぞり埃を払えば、飛雲模様が顔を出した。
「これは……経箱のようだけど」
「キョウバコ?」
「お経を入れる箱です。こんなに立派なものを埃まみれだなんて、お経が泣いて化けてきますよ」
「いえ、普段使っている経箱はきちんと手入れしていますよ。……こんなもの、あったかなぁ」
 訝しげな顔で化け狸が首を捻る。そうしている間に不死鳥が布を使い、埃をすっかり拭き取れば艶やかな黒に金の飛雲模様をあしらった姿に戻った。
「じゃあ……何が入っているんだ?」
 不死鳥の言葉に一瞬思案し、そして化け狸がそっと経箱に手を伸ばす。恐る恐るといった様子で蓋をゆっくりと、開けた。
…………
 四人が箱の中身を覗き込むと、中には、巻物が入っていた。
 経箱の中に入っていたからか埃を被るということはなく、それなりに年を経たと言うに相応しい出で立ちで静かに、そこにあった。
「何か書いてありますよ」
 弟狐が指さした所を兄狐が読み上げる。
「憂愁雨鬼絵巻……?」
「ユウシュウ…………?」
「ゆうしゅうう、おにえまき。憂いた雨の鬼ということだと思うけど……
「これは絵巻なんですね。開けてみましょう」
 化け狸が不死鳥から巻物を受け取り、紐の結び目を解く。封印の解かれた巻物が、床にコロコロと広がった。
 人の背丈ほどの長さだ。それの全てにわたって、黒い雲が立ちこめている様が描かれている。そこからは細い雨が降りしきっていて、そのけぶりの中で妖怪たちが列を成していた。
……これは、百鬼夜行だ」
 兄狐がぽつりと呟く。降りしきる雨の中、鬼や妖怪たちがぞろぞろと歩いているさまが描かれている。まさに人間が描く百鬼夜行、そして化け狐や化け狸たちが知る百鬼夜行そのものだった。
 弟狐がある一点を指さす。 
「兄者、狐です。ここで狐たちが列を成していますよ。まるで嫁入りですね」
「ああ、弟。これは化け狐達の列だ……でも狐の嫁入りではないよ。雨は降っているけど太陽がでていないし、それに……彼らは楽しそうじゃない。ひどく……憂鬱な顔だ。嫌だな」
 絵から漂う陰鬱な雰囲気に兄狐が顔を顰める。狐の列だけではない、雨の中で歩み続ける鬼や妖怪の誰もが同じような表情を浮かべている。
「どうして彼らは悲しいんだ?」
「うーん……雨が降っているからですかね? せっかくの百鬼夜行なのに雨が降っていて、悲しいとか」
「それならこれを描いた人間は、なんにも分かっちゃいませんね。雨が降ればあまのじゃくは大喜びです。オレたち狐だって、こんなに暗い顔にはなりません」
「そうだね、なにせオレ達にとっては雨はめぐみのものだ。続きすぎれば困りものだけど」
 狐兄弟の言葉にたしかに、と頷きながら化け狸が絵を眺めていく。雨の中続く百鬼夜行は、徐々に先頭に向かっているようだった。
「あ……
 妖怪たちの先頭には、男が描かれていた。
「琵琶を持っていますよ。琵琶法師でしょうか?」
「琵琶……?」
 化け狸の言葉に不死鳥が身を乗り出す。確かに男が琵琶を弾きながら妖怪達を導いている様が描かれている。
 ――不思議なことにどこか見覚えがある。
…………
「不死鳥さん?」
 それを凝視し続ける不死鳥を不思議に思ったのか、化け狸がそっと呼びかける。どこか心配そうな声色にはっと我に返り、弾かれるように顔を上げた。
「す、すまない……
 ひとつ謝り、視線を彷徨わせる。袖の内にある腕が、ずきずきと疼きだして無意識にそこをさすった。事情を知らない化け狸は、不死鳥の様子にきょとんとしている。――と、絵巻へと誰かが手を伸ばした。 
「さて……面白い巻物だけど、ずっと眺めていると日が暮れるよ」
 兄狐が声をあげ、巻物を取りあげる。軽く抗議の声をあげる化け狸を無視し、くるくるとそれを巻き直して、経箱にしまった。
「掃除を終わらせるべきだと思わない?」
 すらりとした指が空を指さす。先ほどよりも随分、太陽が傾いていた。
 
 ゆっくりと息を吸う。冷たい空気が肺を満たし、そして吐けば白い靄が漏れた。
「大掃除終わったぁーーー!」
 化け狸が声をあげる。ふっくらとした尻尾は埃まみれで、狐の兄弟や不死鳥も同じようにそこかしこに埃をつけていた。
 はぁ、と大きなため息とともに兄狐が耳についた埃を摘まみ取る。
「すっかり汚れてしまったな。……今ここで尻尾を思いきり振りたい気分だよ」
「兄者、オレもです」
「お願いなんでやめてください! あ、そうだ……! あそこに行きましょう!」
 今にも尾を一振りしそうな兄弟を慌てて止めた化け狸が、名案を思いついたと叫ぶ。その声色に三人が首を傾げれば、化け狸はにっこりと笑った。
「こんな場所があったとはね」
 古寺の奥から入った山の奥に連れてこられれば、そこには泉があった。ただの泉というわけではなく、水面から温かな湯気がたっている。所謂、温泉というものだった。
「村の方々にもあまり知られていないようです。ここならゆっくりと汚れを落とせますよ!」
 手拭いをどうぞ、と各々に渡してきた化け狸に、不死鳥が片眉を上げた。
「化け狸よ、ここはなんなんだ?」
「この地域は元々こういった……温かい泉が湧き出す場所なんです。ここ以外にもいくつかあってですね……例えば、村にも大きな源泉を使った施設があります。昔からここは知る人ぞ知る湯治場だったみたいです」
 説明になるほど、と不死鳥が納得する。それならばと作務衣を脱ぎ、傍に立つ木の枝にかけた。枝にとりついていた氷の粒がぱらぱらと落ちる音を聞きながら、不死鳥は水面に指先をつける。 
 たしかにただの泉よりもずっと熱い。
「どうして狸さんはここを知っているんですか?」
「それはですね……和尚さんの気分転換に連れてきてもらったんですよ。最後の年は流石に来ることは出来ませんでしたが……なので僕も久しぶりに来ました!」
 化け狸がしみじみとする横で、兄狐は弟狐の尾を洗っている。埃やすすで汚れていたそれは、元の白さに戻っていった。そうして、皆が尾や羽を清めてからそろそろと温泉に浸かっていく。大掃除で疲れきっていた身体に、熱い湯が染みた。
 湯の中で顔を緩ませ、化け狸が息を吐く。
「これで心置きなく年越しが出来ますね……それにしても、もう年末だなんて驚きました」
「お前はヒトとふれあう機会があるから、余計にそう思うのだろうね。オレ達にとっては一年なんて、瞬きのようなものだよ」
「あはは、それはそうかもしれません!」
…………
 狐の兄弟と化け狸が談笑しているのを聞きながら、不死鳥がふと空を見上げる。
 夜が訪れつつある空から、ひとひら小さな白いものがふわふわと落ちてきて、それを手のひらで受ける。湯で濡れた手のひらに落ちたそれはすぐに、溶けた。
「ああ、雪が降ってきたね」
 兄狐がぽつりと呟いたのが合図だったかのように、雪は次々と降ってくる。
……これが冬の間ずっと降るのか?」
「ああ、山も今に真っ白になるだろうね。……春まで、草木も虫も、あとは獣のいくつかも眠るのさ」
「暖かくなるまでおやすみです。ただの獣はこの寒さに耐えられませんから」
……お前達は?」
 不死鳥が首を傾げ、二匹を見る。どこか残念そうな顔をしている友人を見て、兄狐はくすくすと笑った。
「オレ達まで寝てしまうと、君は退屈になってしまうよね?」
「冬の間眠りこけるなんて、ごめんですよ」
「あはは……そうだと思ってました」
 狐たちの言葉に化け狸が苦笑いをする。
 彼らの答えにほっと息を吐いて、そして不死鳥は再び空を見上げた。ちゃぷ、と湯が揺れる。夜空から降る雪はほんの少し、多くなってきていた。

 雪の降る夜の道でも、温泉で温まっただろうか、寒くはなかった。
「不死鳥さん!」
 化け狸が帰路につこうとする不死鳥を呼び止める。その手には大掃除の途中で見つけたあの絵巻物が握られていた。
「化け狸殿?」
「これ、どうぞ!」
 それを差し出され、不死鳥が軽く驚いたような表情を向けた。その眼差しには、勝手に寺のものを持ち出していいのだろうか、といった遠慮と、この絵巻を調べたいという欲がない交ぜになっている。
「どうして俺に?」
「化け狸の勘! ……と言いたいところなんですが、さっきこれを読んでいた不死鳥さん、すごく興味津々だったので!」
……あ、ありがとう……
「いえいえ、実は僕も気になっているんで、何か分かったら教えてくださいね!」
 にこにこと笑う化け狸に頷き、絵巻物を受け取る。不死鳥を待っていた兄狐が口を開いた。
「それじゃあおやすみ」
「はい、おやすみなさい! 良いお年を!」
「よい年を」
 そうして、別れた。

 四人が山奥の温泉でくつろいでいた頃にはすっかり酒宴もたけなわとなっていた。阿形が気分良く酔い潰れたのを吽形が連れだし、雪女も酔いが回ってきたのか外に涼みに行くと出て行った。
 残るは鴉天狗と三千院だけになった。三千院はまだ飲み足りないと手酌を決め込んでいたが、鴉天狗のほうは酔いがじゅうぶんに回っている。
……で。どうなんだ、あいつらは」
……なにが?」
 不意に問いかけられたからか、三千院の言葉が何を指しているのか一瞬理解できず、鴉天狗が聞き返す。手元の盃をそろりと置いて心当たりを探す様子に、三千院は苦笑いを浮かべた。
「お前の客のことだよ」
「ああ……
 三千院の言葉に鴉天狗が小さく嘆息をする。金色の眼がのろりと外を見やって、暫く黙りこくったのち、頷いた。
「まだ身体は少しつらいだろうね。でも問題はないよ。……狐たちも最近は大人しいようだし」
「なんだ、つまらん答えだな」
 鼻で笑いながら三千院が酒を呷れば、鴉天狗が怪訝な顔をさせて彼を見た。つまらないとは、と眼で訴えかければ、元・親代わりの鬼神は肩を竦めたのだった。
「なに、あいつを持て余してるんじゃないかと心配でな」
……彼は、いい奴だよ」
「んなもん見りゃ分かる。あれは真っ当に天界生まれのものだ。邪気もなにもねえときた」
…………
「だがそこが危ういのさ。……ひよっこのお前でも分かるだろう?」
…………
 わかってる、と眉を寄せて鴉天狗が視線を彷徨わせる。その姿を横目に、三千院がふん、と鼻を鳴らした。
「あまり情をかけるのもどうかと思うぜ。前にも言ったが……忘れるなよ、お前はこの山一帯を治める山のあるじだ」
 酒にぼやけていた三千院の声が一瞬、低くなったのに、鴉天狗がそろりとそちらを見やれば桔梗色の双眸がこちらをじっと見据えているのが見えて、小さく唇を噛んだ。
「わかってるさ、先代殿」
…………はん、オレとしたことが嫌な酔いかたをしちまった。説教くせえなんざ随分つまらねえな。帰るとするか」
 のそりと立ち上がり、欠伸をひとつ零す。
 何も言わずに何事かを考え込む鴉天狗をちらりと見下ろし、戸を開ければ。
――……おやすみ」
「おう、よい年を迎えな。ひよっこ」
 当代と先代、最後にそれだけを交わす。
 しんしんと雪の降る外へと消えていく影をしばらく眺めながら、鴉天狗は僅かに酒の残る盃をとり、呷る。
……あんたが言うことかよ」
 ひとつ呟き、ややあって鼻で笑う。宴のあとを片付けるべく、社のあるじも立ち上がった。

「情をかけるのもどうか、ねえ」
 山奥の道へと向かう三千院を待っていたのは、雪女だった。
 灯籠にもたれかかりながら静かに降る雪と遊んでいた彼女は、三千院が姿を現すなりそう言って、肩を揺らした。 
 雪女の言葉を聞いて苦々しい顔をしたのは、つい今しがたその言葉を若者に向けた本人である。
「聞いてたのか」
「酔いが覚めてそろそろ帰ろうと声をかけにいったら、がらにもなく真剣なお前がいたからね。さすがに入れなかっただけさ」
「はっ……元はといえばお前だぞ。お前が、あいつを押しつけてきたんだろうが」
「おや、昔話でもするかい? いいさ、お前の酔いがさめるまでいくらでも付き合うよ」
「ウン百年も前の話だろ、覚えてるか怪しいもんだ」
「あいにく、僕はしっかり覚えているのさ。そう、あれは……秋だったねぇ。旧暦の秋だ」
 
 もうひと月たつと、当時の暦の上では冬になる頃のことだった。
 
 流浪の身である雪女は山の中を歩いていた。
 この地に来るのは初めてなのだが、どうやら人の手の及ばぬ山であることは、道中に見かけた巨大なみずちから察することが出来た。
「さて、どこで休もうか」
 そろそろ日が傾きかけている。今夜休む場所を決めなければならない。
 人ならざる雪女とはいえ、出来れば山小屋かどこかで夜を凌ぎたいと思うのは自然である。しかし、山の中だ。あまり人の出入りの少ないらしい山の中で、山小屋を探すのは至難の業だろう。せめて大樹のウロか、水源近くの洞穴か、そういった所がいい。雪女は疲れた身を励まし、探し歩く。
――……
 ――と、何か鳴き声が耳に届いた。
 鳥の鳴く音か、鹿の哀れな恋の声か。そう思ったがどうにも違う。
 もっと道理のないようでいて、しかし命の限り、泣き叫んでいる。
「おや……
 その声に誘われるように歩いた先、こんこんと清水が湧き出る泉の傍。そこで雪女が見たものは、人が両腕て抱えられるほどの籠であった。
 泣き声はそこから聞こえている。
 慎重に歩み寄り、籠を覗き込む。雪女が思ったとおりに、そこには赤ん坊がいた。
……君の母上はどこ?」
 答えが返ってこないのを承知で問いかけ、周囲を見渡す。
 見つけた籠とその中で泣く赤ん坊以外、生きた者の気配はない。ただ、微かに死の匂いが雪女の鼻腔をつき、泉の傍ら転がる大岩の近くに何か――黒い泥、のようなものと不自然なほどに散らばった猛禽の羽根が、見えた。
…………可哀想に。お前もこのままだと狼どもに食われるだろうさ」
 雪女がぽつりと呟き、その形の良い指先で褐色の頬に触れる。泣きじゃくっていた赤ん坊は、指先の冷たさに驚いたのか一瞬、大きく目を見開き黙った。
「しかし人間がこんな場所までどうして……
 雪女の疑問は赤ん坊を抱き上げた瞬間、消え失せてしまった。
 小さな背中に、小鳥のような小ささの羽がついている。
 つくりものでもなんでもない、時折むずがるようにぱたぱたと羽ばたいている。
「お前、天狗の子かい?」
 驚いた声をあげれば赤ん坊は再び泣き出してしまった、悪かったよ、と慌ててあやしながら雪女は途方に暮れる。長いこと各地を彷徨ってきたが、天狗の赤子を拾うのは初めてだ。
 赤ん坊はすっかり機嫌を損ねてしまったのか、雪女があやせどもあやせども、泣きじゃくるばかりだ。困り果てた顔で、小さな天狗んも赤ん坊を抱きかかえていると。
 ――空に稲光が走った。
 刹那、つんざくような音と共に視界が真っ白になる。それは一瞬のことで、すぐに周囲は静寂に戻った。
「っ……なん、なんだい?」
 赤ん坊を咄嗟に庇うようにしたものの、音と光に腰が砕けてその場にへたりこんだ雪女が悪態を吐きつつ、瞬きをする。あまりの音に耳がきぃんとして、暫く目眩が止まらなかった。
 どうやら目の前にあった大岩に雷が落ちたらしい。
 それは真っ二つに割れてしまっていた。
「まったく……
「まったく、晴れ空に雷なんざどういう了見だと思ってきてみりゃあ……
 呆れかえったような声がして、雪女がそちらを見る。
 そこには鬼が一人、苦い顔をして立っていた。
 独特なかたちに整えられた若緑の髪に、桔梗色の瞳を持つ鬼だった。
 額を飾る一本の角には、炎の如き紋様が刻まれている。なにより、そこらの鬼とは一線を画す気配を漂わせていた。
…………君は?」
「退屈で暇を持て余した鬼ってところか」
「嘘をお言いでないよ。お前、神か仏のたぐいじゃないのかい?」
「は、見慣れねえ余所モンのくせに中々鋭い。お前こそ何もんだ」
……流浪の雪女さ」
「そうかい……で、それはなんだ」
 鬼が雪女の腕に抱かれた赤ん坊を指さす。
 声の調子は軽いものだったが、桔梗色の双眸の奥は鋭い。思わず肩をびくりと跳ねさせ、しかし雪女は怯むことを良しとせずに、鬼をきっ、と睨みつけた。
「見て分からないのかい? ただの赤ん坊だよ、捨て子だなんて珍しいものでもないだろう?」
「人間の赤子にしちゃあ、背中に大層なものひっつけてんじゃねえか。……天狗のガキか?」
 こいつが雷を落としがやったか、と片眉をあげながら鬼は煙管を取り出した。指先で火をつけ、紫煙をくゆらせれば面倒くさそうに顔を顰める。
「捨ておいても俺は一向に構わんのだがな。お前共々、みずちに食われでもしたら面倒くせえ。妙な神通力を獣が持てば山のことわりが揺らいじまう」
……この子をどうするって?」
「殺すか」
 二人の周囲が急に、冷えだした。たしかにここ数日、かなり涼しくなってきた頃である。。しかし今この寒さは明らかに、雪女から発せられている。彼女の足下では地面が白く凍り出しているのが見て取れて、鬼は逆鱗に触れたかと苦笑いを浮かべた。
「もう一度言ってごらんよ」
……おいおい、雪見にはまだ早いだろ。何をそんなに――
 顔の直ぐそばでつららが炸裂した。
…………
…………
 沈黙が流れる。こいつ、と顔を引きつらせて鬼は目の前の雪女を睨んだ。
……退屈って言ったね、お前さん」
 涼やかで凜とした声、それから、赤子の無邪気なはしゃぎ声が山中に響いた。
 
「随分前のことを蒸し返しやがるな……
 思い出話に三千院が眉を寄せ、煙管を咥える。ゆっくりと息を吸い、吐けば紫煙が二人の周囲にけぶった。
「いいじゃないか。あんまり退屈だとばかり言っていると、呆けてしまうよ」
「余計な世話を焼きたがるのは変わってねぇなぁ、お前」 
「生憎、そういう性分らしいのでね」
 雪女がくすくすと笑う。やれやれと呆れたようにため息を吐いたが、そうだったなぁ、と零した。彼の手が持つ提灯が暗い山道をぼんやりと照らす。
 山の奥の住み処へ、古い話をしながら二人は歩いて行った。


 育ての親と酒を飲んで酔ったせいだろうか。
 夢を、見た。
 こんな夢だ。

 赤子が泣いている。親の腕に抱かれるのを求めている。それを大木の枝から見下ろしていた。
 しかし母とおぼしき影も、父とおぼしき影も見当たらない。
 いや、数刻前にはいたのだ。母とおぼしき者は今や土の染みとなり、父は赤子に一瞥もくれることなくどこぞへと失せた。
 故に、赤子は一人であった。
 森の中で泣き声が響く。赤子がいると分かれば、獣はその柔らかな肉を求め、すぐに茂みから姿を現すだろう。
 そしてその牙で幼い腹を食い破り、自らの赤子の元へと持ち帰るのだ。
 それが捨てられた赤子の、運命であった。――自然の道理は、その筈であった。
「おや……
 現れたのは女であった。涼やかな空気を纏った、人ならざる者である。その女は赤子を抱き上げた。そしてすぐに、この山を統べる神が、やってきた。
 捨てられた赤子の運命を悟り、翼を広げる。羽ばたき、空へと飛んだ。

 どうして己を育てているのか、と問うた時、育ての親は顔を顰めた。
「脅されたんだよ」
 そう一言だけ吐き捨てて、煙管の灰を火鉢に落とした。あの雪女に脅されてお前を育てる羽目になっちまったとぼやく。その態度が子供心に寂しくて、俯いた。
「あいつに感謝するんだな。お前が獣どもに食い殺されなかったのは、あの女の慈悲の賜物よ」
 今頃どこをほっつき歩いているのか知らねえが、と紫煙を吐き出しながら育ての親が笑う。
「ああ、そうだ。お前が赤ん坊の頃に雷で割った岩――
 
 ある日、自分と同じぐらいの少年二人がやってきた。一人は金髪、一人は銀髪。
「新しい狛犬だ。仲良くしろよ」
 育ての親の言葉に、二人は恭しく自分に礼をした。
「山神の御息子殿」
「なんなりと」
 その言い方、嫌だ。
 そう言えば狛犬はきょとんとして、首を傾げた。
「ではどうすればいいのだろうか」
「もう少し親しげにするがよいのか?」
 それがいいな、と言えば彼らは笑って頷いた。
 
 育ての親と喧嘩をした。
 狛犬たちも口を挟む余地がないほどの言い争いだった。山の神であるくせに大人げない育ての親の怒りようは、もう二度と見られないだろうなと思う。
 
 ――理由? なんだったか。
 
 覚えているのは飛び出したこと、それが大雨が降った後、晴れた夜だったこと、暗い山の中を己の自慢の翼でがむしゃらに飛んで……何かの拍子に谷底に落ちたこと。結局つまらない死に方をするのだと、痛む身体で谷底の下から星空を眺めて、自嘲したこと。
 ――育ての親が、ひどく情けない、泣きそうな顔で助けにきたこと。
 
「お前、山神になれ」
……今、なんて」
「山神になれって言ったんだ。オレは引退する。飽きたからな」
 紫煙を燻らせながら、育ての親が笑う。
 力が衰えたわけでもない、人の信仰を喪ったわけでも無い、ただ、飽きたとしか言わずに彼は自分に山神の座を押しつけてきた。
 未だにどういう風の吹き回しか、分かりかねている。本当に飽きたのかもしれないし、語れない理由があるのかもしれない。
 それでも、少しだけ嬉しかった。
 山が手に入ったことじゃなくて、もっと別の――

 
 暗がりの中で目が覚めた。どうやらうたた寝をしてしまったらしい。宴の名残を横目に、扉を開ければきんと冷えた空気が入り込んできた。それが心地よくて、一歩踏み出す。酔いを覚ますには丁度良いと、外に出れば。
「起きていたのか」
 屋根から声を掛けられた。見上げるとそこには不死鳥が一人、腰掛けている。
「君こそ。帰ってきていたんだね」
「少し前に。掃除、大変だったぞ」
 不死鳥の報告に鴉天狗が肩を揺らす。声色からして随分大仕事だったらしい。
「お疲れ様。でもどうしてそこにいるんだい? ゆっくり休めばいいのに」
 鴉天狗の問いに、不死鳥がそれは、と言いよどむ。一瞬のためらいの後に、こう答えた。
「星が綺麗だったからな」
 星。
 不死鳥の言葉につられて夜空を見上げる。
 年の暮れ、凍えた夜空はいっとう冷たく澄みきっていて、その中で数多の星々が輝いているのが見て取れた。確かに、綺麗だ。
「そう……でも身体を冷やさないようにね。君のことだから、あまり心配はしていないけど」
 納得のいった鴉天狗がそう言い残して本殿に戻ろうと踵を返す。不死鳥も彼に挨拶をしかけたが、すぐに身を乗り出して、なあ、と声を上げた。
「御剣。一緒に見よう」
「え?」
「星。屋根の上から見ると本当に綺麗なんだ」
 不死鳥が鴉天狗をじっと見つめる。
 不思議な輝きを持つ蒼い瞳が、それこそ星空のように輝いていた。
 ふわりと屋根に降り立ち、不死鳥の隣に座る。
 自分から誘ったくせに、不死鳥は少し驚いた顔で鴉天狗を見つめた。
……何?」
「い、いや、断られるかと……少し思った」 
……たまにはね」
 鴉天狗が肩をすくめ、小さく息を吐く。白い靄が唇から漏れ、すぐに薄らいでいった。そうか、と不死鳥が頷き、再び空を見上げる。
 夏よりも秋よりも、冬の山は静かだ。
 まるで雪が、この山にある命すべての息遣いを覆ってしまったように思える。しかし、隣に座る鴉天狗の呼吸にあわせて、その唇から白い吐息が漏れては消えていくのだから、同じようにこの山は生きているのだと不死鳥は、思えた。
「ところで、身体の調子はどうだい」
「傷はずいぶんと薄れた。御剣たちのおかげだ。……あの時、お前が助けてくれなかったら、きっと俺は今、ここにはいないだろうな」
 不死鳥が袖を捲り腕を見せてくる。彼が落ちてきた時に濃く刻まれていた痣は、ずいぶんと薄くなっていた。見てくれ、と指が動く。
 それに合わせて火が、指先に踊った。
……良かったよ。飛ぶことは出来る?」
…………やってみる」
 鴉天狗の問いに不死鳥が立ち上がる。鎖のように連なった不死鳥の尾羽が揺れれば、不死鳥は眼下、境内を見下ろした。
……
  ゆっくり息を吐き、虚空に一歩踏み出す。
 鴉天狗が思わず腰を浮かせたが、不死鳥の足はそこにしっかりと地面があるかのように留まっている。一歩、二歩と歩み、不死鳥が鴉天狗に振り向けば、彼の身体は完全にそこに立つ形になった。
「どうだ?」
「浮いてるね」
 よかった、と鴉天狗が安堵の表情を浮かべる。不死鳥の長い尾は淡く輝いて、小さな光の粒を宙に舞わせては、溶かしていた。
――だがまだ天界には帰れない」
 しかし不死鳥の顔にはまだ憂いが浮かんでいた。星空を見上げ、遙か上の故郷を思い出す。今、このまま空へと飛び、帰ろうとしても許されないだろう。
「痣が消えるまでの辛抱だよ」
 鴉天狗の慰めに、不死鳥が曖昧に頷く。屋根に戻り彼の隣に腰掛ければ、数秒何かを思案し、それから、なあ、と口火を切った。
「御剣。俺は知らなかったんだ」
「? 知らなかった?」
「現世というものは、こんなにもうつろいゆくものなのだな」
 不死鳥の言葉に鴉天狗が軽く目を見開く。そして視線を山の麓に向ければ、そうだね、と肯定した。
「またたきのうちに葉が染まって、またたきのうちにそれが落ちて、枯れていく。俺がいた場所ではずっと朽ちずにいたものが、ここでは容易く朽ちていく」
 ぽつぽつと不死鳥が呟く言葉を鴉天狗は黙って聞いている。
 天界、極楽浄土。入ることを許されている者はごく僅かだ。八百万の神々も、その一握りしか足を踏み入れることは出来ないだろう。
「天上は素晴らしい場所だと聞いているよ」
「ずっと晴れていて、花が咲いている。穢れることのない泉の底から、蓮がいくつも伸びているんだ。果ての無い底から蓮の細い茎がずっと伸びていて、それを覗くと……現世や地獄が見える……そこから俺は、落ちてきた」
 不死鳥がすっと、夜空を指さす。それにつられて、鴉天狗もそこを見上げた。冷たく澄んだ空気に目を細めれば、金の髪が揺れた。
「だから現世の空は泉の水面のようなものなのかと思っていた。でも違ったんだ。
――こんなに、きれいな星空を見ることが出来るだなんて、思わなかった」
「そう、それは……良かった。君があそこから落ちてしまったのは不運だったけど」
「不運なんかじゃない」
 鴉天狗の言葉を遮り、不死鳥はきっぱりと言い放つ。蒼天を抱いたような瞳が、月のように輝く金色を見据えている。
「不運なんかじゃないんだ。御剣。俺は、幸運なんだ。今はただ、幸せな鳥なんだ」
――……
 不死鳥の言葉に偽りの影は無かった。彼は純粋に、この俗世に落ちてきたことを幸いだったと、思っているようだった。
……変なやつ」
 思わず肩を揺らし、くつくつと笑う鴉天狗を見て不死鳥はきょとんとしていたが、すぐにはにかんで、そうだろうか、と照れ隠しに俯いた。
 
「御剣」
 しばらく二人で星を眺めていれば、夜も更け寒さも増してきた。不死鳥が口火を切ると呼ばれた山のあるじは、彼に視線をやって言葉を促した。
「まだ、俺はここにいていいだろうか。その、つまり……お前の煩いには、なっていないだろうか」
……それは、どういうことかな」
「羽は随分癒えた。長く飛ぶということは出来ないが、山を渡り行くことは出来るだろう。だから、お前が否というなら――
「不死鳥くん」
 今度は鴉天狗が不死鳥の言葉を遮る番だった。驚いたようにぱちりと青い眼が瞬く。
「君はこの地で葉が染まって、木々が朽ちていく姿を見た。……でもまだその先は見ていないだろう? ……せっかくだからね、それを見てから天上に帰っても遅くはないんじゃないかな。君には、たくさん時間があるだろう? ……そうだ」
 鴉天狗が装束の袂に手を入れ、取り出したものは、手のひらほどにも満たない巾着だった。それを不死鳥に手渡して、山のあるじは笑みを向ける。
 渡された巾着の口を開く。
 そこには縞模様の小さな種がいくつか入っていた。
「これは……?」
「あの時の花の種さ。ひまわり、という花なんだけど」
「あ……
 あの時の、と言われて浮かんだのは本殿に供えられていた黄色く、大きな花の姿だった。あの時、力を使って生き返らせ、そして枯らした花。
「冬を越して春になった時に植えてごらん。夏に日輪のように大きな花を咲かせるんだ。君が思っている以上に、その花は力強い。……きっと君は好きだろうから」
 不死鳥が初めてその花を見たときは、枯れかけていた。
 瑞々しさも鮮やかさも失せて頭を垂れる姿と、力によって生き返り、そして塵と化した姿。不死鳥にとって、その姿はどこか曖昧な記憶であった。
 この鴉天狗は向日葵を美しいと言う。 
…………見てみたい」
 きっとお前がそう言うのならば真実だ。
 手の内の種をじっと見つめ、不死鳥はそれを緩く握った。
「ありがとう」
 礼を聞けば僅かにはにかみ、そろそろ戻ろうと鴉天狗が立ち上がる。
 冷えるね、と白い吐息を零すのを、不死鳥はじっと見つめた。
――月のようだ」
「ん?」
 不意に呟かれた言葉に、鴉天狗が若者を見やる。
「お前の瞳は、月のようだ」
 独り言のように呟かれた言葉は、しんしんと降る雪に吸い込まれていった。

下に続く