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kurotera
2025-01-01 01:27:01
72939文字
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たとかとはなし 上
2023年12月に発行した温泉スカウトパロディ本の再掲です。
書き手本人が見た幻覚で諸々をねつ造しています。
高濃度の幻覚話。
1
2
3
4
5
肆
――
毎年、その日になると、いつもはひっそりとした山が賑やかになります。
「ほら、弟。今日はおめかしをしないといけないよ」
兄狐に呼びつけられて、大人しく彼の前に立つ。
いつもの櫛で己の淡い菫色の髪を梳いて、しっかりと結わえられるのをじっと待つ。装束も整えた後、それから彼は社の奥にしまっていた木箱を恭しく開けた。
そこにはそれぞれ狐の面が納められており、さあ被って、と兄狐に促されるままに、それを被った。
「ねえ兄者、狐が狐の面を被るなんて、おかしいですね」
「ふふ、そうだね。でもお祭りの決まりだから」
木彫りの面で顔を隠せば、頭の後ろで紐が結ばれた。よし、出来た。と満足そうな言葉の後に暫く衣擦れの音がして、兄狐は再び箱を戻しに奥へと引っ込んだようだった。少し狭くなった視界の中で、外に耳を傾ける。
遠くの方で祭り囃子の音と、人間の声が聞こえてくる。
「さて、準備が出来た。弟はそこに座って。オレはここだ」
兄狐の言葉通りにそこに座す。彼も、少し離れた向かい側に座したようだった。二人の間には祭壇があり、これも随分と古いものだが、人間が時折手入れしてくるので、汚れてはいない。
暫くすると自分たちと同じような装束を着た人間が、稲の束を持ってやってきた。実りきったその穂は頭を深く垂らし、金色に輝いて綺麗だった。祭壇の前で人間は深々と頭を下げ、何やらぶつぶつと唱えはじめている。
この日ばかりはきっちりしないといけないということは理解していた。
しゃんと背筋を伸ばし、座して人間を見守る兄狐に倣って、そうした。
本当に退屈で、欠伸が出そうになるのもかみ殺す。
人間達は稲の他にも色々な野菜や果物を持ってきて、同じように恭しく祭壇に供えた。ありがとうございます、今年も実りを与えていただき、ありがとうございます。
彼らには、自分たちの姿は見えていない。
ただ祭壇に向かって、ありがとうございますと唱えれば満足したように帰って行く。
小さな人の子が、親につれられてやってきた。
ほら、ちゃんとお祈りしなさいと言われ、何も分からないままだろう、人の子は頭を下げた。それから、はたとこちらに気がついたらしい。
じっと見つめてきた後、母親の袖をねえねえと引くのだが静かになさいと窘められれば渋々黙り、ただ不思議そうに見つめる。
それが面白くて思わずくすくすと笑ってしまうと、びっくりしたような顔をするのだから、余計に愉快になった。しかし御役目があるので今度は澄まして、つん、と自分はお前なんかにかまっていられません、と姿勢をただす。
一年に一度、秋のお祭り。
それが一番大事な日だよ、と兄狐は語っていた。
この日のために、オレ達はいるようなものだ、と。
兄狐が言うならば、この秋の日のお祭りが自分にとって大事な日なのだ。兄狐の次に大事で、これからもずっと続くと思っていた。秋のたびに人間達が稲や実りを持ってくる。自分たちはそれを受け取って、また次の実りで人々に返す。
それがこの山のことわり、稲荷の神使たる自分たちの御役目。
弟狐はそう信じていた。
兄狐もきっと同じ気持ちで、山で暮らしながら人間達を見守っていたに違いない。
――
社に人間が来なくなって、どれほど経ったのか分からなくなってきました。
雪深く、凍える冬を越え、芽吹きの柔らかな風が吹く春を迎え、陽光が差し込む夏も過ぎた。実りを感じる秋になり兄弟たちはいつも通り準備をして人間が来るのを待っていたが、土が凍りはじめても、再び咲いた花が散り始めても、あれほど賑やかに鳴いていた蝉が木から落ちても、人間は来ない。
季節が、どれほど空回りしたか。
兄狐が少しずつ力を失っているのが、弟狐には手に取るように分かった。
弟や森に住む者達の前では気丈に振る舞っているのだが、時折社の外、人間の住まう方向を、苦しそうな顔でじっと見ている。弟狐も幼いながらに麓で何かあったのであろうと察し、兄狐に問うたのだが彼は首を振るばかりであった。
人の訪れなくなった社は少しずつ荒れていく。窓が破れ、柱が朽ちていく。
祭壇には埃が積もり、雨が降れば天井に染みが広がった。
いや、そんなことはどうでもよかった。
弟狐にとっての恐怖は、兄狐が消え失せてしまうのではないか。
ただ、それだけが恐ろしい。
白金の美しい毛並みも褪せて、凜とした顔もやつれ、慈しみと厳かを孕んだ飴色の瞳も濁っていく。きっと自分も同じぐらいにみじめな姿だろう。
いや、兄者よりずっとましだ。まだこうして、正気でいられる。
人間の信仰を向けられなくなった神使は、どうなるのか
――
。
このまま社のように朽ちて失せるか、それとも。
それとも、この身の底にドロドロと蠢く何かに呑まれ、祟りに成り下がるか。
――
祟るといっても
……
誰を祟るのでしょう? 誰も、来なくなったのに?
弟狐は病臥に伏せるが如きの兄狐をじっと見つめる。
ああ、朽ちるのだ。この人は、そしらぬ顔で自分たちを忘れ去った人間達を憎むことも出来ず、朽ちていくのだ。
代わりにオレが人間達を憎みに憎んで、朽ちることも出来ずに祟りに成り下がる。
冷えた兄狐の指先を握り、ふと外を見た。
雨が降っている。
覆う雲は山を夜と思えるほど暗くさせ、細い雨は二匹を閉じ込めようとしているようだった。弟狐が蝋燭に火を点しても、新しく取り替える事のなくなったそれはあまりに短く、今にも消えそうである。
その姿がまるで自分たちのようだと思えて、またドロリと身の底で何かが蠢く。
琥珀色の双眸で頼り無げな火が消えぬよう、じぃっと睨んでいると、ひんやりとした兄狐の指がぴくりと動いた。
「
…………
と、おとうと」
「はい、兄者」
呼びかけられ、兄狐を見る。
しかし視線は合わず、濁ったような飴色の眼は虚ろを見ていた。
「いまは、秋かい」
「はい、もう秋の暮れです。獣たちもみんな、眠る準備をしていますよ」
「
…………
そう
……
人の子は、また来なかったのか
……
」
掠れた兄狐の声が、いっそう気落ちしたかに聞こえた。もう諦めてはいるのだが、それでも、と言ったような声色に、弟狐は彼に知られぬよう、唇を噛んだ。
「
……
人の子が来なくても、オレがいます。オレが、兄者のお側にいます」
弟狐の声に、兄狐は細くなった身を揺らした。
「優しいね、お前は
……
ずっと」
続く言葉が聞こえず、はっと兄狐を見やる。
ひゅう、ひゅうと息をしているが、その姿はあの蝋燭の火のように頼り無く、今にも潰えるかに思えた。弟狐は己の身から血の気が一気に引くのを感じて、いよいよ兄狐を喪ってしまうのではと恐れ、身を乗り出した。
――
からり、と乾いた音が鳴った。
どこから転がってきたか、それは祭りの日に使う己の狐面であった。
それを見た瞬間、弟狐が目を見開く。面を拾い上げ、そっと撫でる。兄狐の面も、傍らにあった。
「
…………
ああ、そうです。オレ、出来ることがありました」
ぽつりと呟き、兄狐の面も拾い上げる。面の真ん中に、ヒビが入っている。今にも、真っ二つに割れそうだった。
――
それなら、こうしましょう。
雨が、降っている。
社にあんなにも人間が出入りするのを見るのは、初めてだ。
村の者たちが、せかせかと境内を掃除し、飾り付け、供物を運んでいる。
「
…………
彼らは何をしているんだ?」
大わらわの人々を大樹の枝から見下ろしながら、不死鳥は首を捻った。蒼天を抱いたような眼差しが眼下、人々の小さな影を追っている。
「祭りの支度さ」
その隣では狐の兄弟が枝に腰掛け、同じように人々を見下ろしていた。兄狐の返答に、祭り、と不死鳥が鸚鵡返しをする。
「カラスと狛犬たちは忙しそうですね」
ゆらゆらと足を揺らして弟狐が笑う。
「何の祭りなんだ?」
「
……
今年の豊作を山神に感謝する祭りだろうね」
「山神に
……
御剣にか?」
「そうなるね」
飴色の瞳を細めつつ、兄狐が肯定する。そうか、と不死鳥が納得し社の賑わいをしばらく眺めていたが、やがてふっと笑みを浮かべた。
「慕われているのだな」
「
…………
」
不死鳥の言葉に何も言わず、人々を眺める兄狐の感情は読み取れない。
「兄者?」
静かな兄狐を見上げ、弟狐が首を傾げれば彼はふいに、立ち上がった。
「いくよ、弟」
「? はい」
兄狐の言葉に弟狐も立ち上がる。兄狐の急な心変わりに不死鳥は驚き、目を見張った。
「どこに行くんだ」
「ここで人間を眺めているだけなんて、つまらないからね」
そう答える兄狐の声はどこか冷ややかだ。ひと跳びに大樹を下りていく兄狐の姿を目で追い、弟狐と不死鳥は顔を見合わせた。
「どうしたんだ、お前の兄は」
「うーん、オレには分からないです。だから今日はおしまいです、さようなら、不死鳥さん」
そう言い残して弟狐も軽やかに大樹を下りていく。
その影を見送れば小さなため息を吐き、一人不死鳥は社を眺めるほかなかった。
木々の間を狐の兄弟は歩いて行く。
気持ちの良い秋晴れだが、ずいぶんと冷えも感じるようになってきた。ただの獣であるならば、冬ごもりの準備をし始めている頃だ。
「お祭り、楽しみですね」
「そうだね
……
」
弟狐の楽しげな声にも心ここにあらずの様子で答える兄狐に、普段と違うものを感じ取ったのか弟狐がぱちりと瞬きをする。
「兄者?」
「
…………
」
「
……
兄者、具合でも悪いのですか? 兎か、魚か、木の実をとってきましょうか」
静かな兄狐の袖を、弟狐の手がそっと引けば、はっと我に返り白い尾を揺らした。
「い、いや、何でもないよ。すまない」
「
――
……
本当ですか?」
琥珀色の瞳がじっと兄狐を見つめる。その視線から目をそらしながら、兄狐は視線を彷徨わせ立ち止まった。
「祭りに
……
行きたいのかい?」
「? はい、きっと楽しいですよ。色々な供え物があって、色んなヒトがいるんでしょう? きっと化けたオレ達が紛れ込んでも、誰も気づきやしません」
「ふふ」
悪戯っぽく笑い、淡い菫色の三つ編みを揺らす弟狐に、兄狐がつられて笑う。
「いいね、昔のようだ」
「
……
昔?」
兄狐の手が弟狐の手をとり、ぎゅっと握る。そう、と頷いてその手を引いた。
「お前は忘れたかな。
……
いいよ、行こう。御剣には内緒でね」
「
……
! はいっ」
弟狐の顔がぱっと明るくなるのに目を細め、兄狐が笑みを浮かべる。その頭に触れて、指で優しく撫でながら山道を歩いて行く。
社の本殿前にはずらりと供物が並べられている。
人々が列を成し、順番にがらがらと鈴を鳴らしては拝むさまを、二匹の狐と一匹の不死鳥は昨日と同じように木の上から眺めていた。
「すごいな」
不死鳥が小さく声を漏らす。生きた人間がこんなにも集まっているのを見るのは、ここに来てから初めてだ。流石に地獄に落とされた者達の数よりは、ずっと少ないが。
「とても賑わってますね」
「ああ、そうだね。紛れ込むには丁度良い」
狐の兄弟がその光景を眺めながら、にやりと笑う。本殿の奥では鴉天狗が祭事用の装束を身に纏って、文字通り奉られているに違いない。
つまり、迂闊に動けないということだ。
「ああ、狛犬どもがこちらを見ていますよ。勘がいいですね」
弟狐が本殿の入り口を護っている対の狛犬像を見やり、楽しげに呟く。どちらにせよ、彼らも今日一日はあそこから動くことは出来ないだろうと踏んで、尾を揺らした。
「さあ弟、行こう」
「はい、兄者」
「待て、行くってお前達
……
どこにだ?」
兄弟の言葉に驚いた不死鳥が呼び止める。
怪訝そうなその顔を見て二匹の狐は顔を見合わせ、そしてニヤリ、と笑みを深めた。
「共犯は多い方が良い。そうは思わないか、弟」
「兄者の言うことはいつも正しいです。これほど良い道連れはいませんね」
「へ?」
二匹の真意が汲み取れず、少々間の抜けた顔をさらす不死鳥の腕を掴み、兄狐が何事かを唱える。そしてそのまま枝から一歩踏み出し、不死鳥を連れ落ちていく。
「な
――
……
!」
その様子を見てくすくすと笑い、弟狐も枝から下りる。軽やかに地面に下りれば、不死鳥が尻餅をついていた。
「前から思っていたのですが、鳥の癖に着地が下手ですね」
「
……
急に落とされれば誰だってそうなるだろ」
「さ、行くよ」
立ち上がった不死鳥が狐の兄弟をよく見てみると、あのふわふわとした獣の耳も、尾もどこかに失せている。
身に纏う服も、どこからどう見ても現代に生きる人間の少年達そのものだ。
「君にも」
すらりとした兄狐の指が不死鳥を指さす。不死鳥が己を見れば、彼らと同じような白いシャツにジーンズを着させられている。いつの間に、と目を白黒させればこれくらい造作も無いと兄狐は笑った。
「さて、少しばかり歩き回ってみようか」
「いいのか?」
「そうしましょう。面白いものが見つかるかも」
戸惑いっぱなしの不死鳥を連れ、茂みから境内に出る。
突然現れた三人を見咎める事なく、人々は祭りを楽しんでいる。しばらく歩いていると、何人かの人間とすれ違ったが見知らぬ顔であるはずの狐と不死鳥たちを不審に思わないようだった。
いったいどういう仕掛けかと首を傾げる不死鳥を余所に、兄狐と弟狐は山を下りて村を歩き回ってみようかと算段している。
――
すると。
「あらぁ、あんた達どこの子さね?」
不意に後ろから呼びかけられ、思わず尻尾を出しかけたが踏みとどまった。兄狐が振り返れば、そこには人の良さそうな雰囲気の老女が、微笑んでいる。
「えっと、オレ達は
……
」
「村の子じゃないわねぇ、どこかのお孫さん達かしら?
……
あぁ、もしかして林さんのとこの? 今年は来ないって寂しがっていたけど来てくれたのねえ。うちの孫二人は呼んでも来ないから、羨ましいわぁ」
一方的に語り、はぁ、と憂いのため息を吐く老女を見て、兄狐と弟狐がちらりと互いに顔を見合わせる。その後ろでは不死鳥が冷や汗をかきながら顛末を見守っていた。
一歩、兄狐が踏み出す。
「おばあちゃん、何を言っているんだい。オレ達ちゃんと
……
来たじゃないか」
兄狐の声色は優しく言い聞かせるようで、そのまま老女の肩にそっと手を置いた。きょとんとした顔で老女が兄狐を見れば飴色の双眸が、皺の奥にある瞳を覗き込む。
「あなたの孫はオレ達だよ。祭りがあるからおいで、って言ってくれただろう」
「だからオレ達、ちゃあんと来ましたよ」
二匹の言葉を聞くなり、老女はその表情をひどくぼんやりとさせた。まさに心ここにあらずといった顔であったが、しかし次の瞬間にはぱっと顔を明るくさせ、満面の笑みを浮かべたのである。
「あらあら、来てくれたのかい。
……
あら、そちらの方は?」
「友だちさ」
「そうなの、何も無いところだけどねぇ、ゆっくりしてちょうだい」
孫が来るのは嬉しいねえ、と満足そうに頷く老女に首尾良く〝化かす〟ことが出来たと満足げに兄狐が目を細め、頷く。
弟狐もにっこりと笑い、老女に向かって首を傾げた。
「おばあちゃん、オレ達遊んできてもいいですか? 久しぶりに来たものだから、村も見て回りたいんです」
「ええ、ええ、勿論いいわよ。でもここから上へは行ってはいけませんよ。今日はミツルギ様に感謝をする日なのだから、よい子にするんですよ」
「わかったよ」
いってきます、と手を振り首尾良く老女から離れる。鳥居をくぐり参道を下りながら、弟狐が声をひそめ囁いた。
「兄者、うまくいきましたね」
「ふふっ、祭りのあいだだけ、彼女にはオレ達の祖母になってもらおう。なに、日の暮れる頃には目が覚めているさ」
「
……
よい子では全くないな、お前達は」
暫く歩けば、村についた。
道中すれ違った人間にも怪しまれないあたり、自分たちは人間と見られているらしい。田畑と、長く引き継がれているであろう古めかしい家がそこかしこにあるのを見ながら、三人は歩いて行く。
不死鳥は何を目にしても初めてのものであるらしく、目についたものをあれはなんだ、ではあれは、と狐の兄弟に聞いてくる。だいたいは兄狐がそれに答え、その傍らで弟狐は用水路の底でうごめいているサワガニにちょっかいを出したり、飛び回るアキアカネを追いかけたりしていた。
「えっ!?」
不意に素っ頓狂な声があがる。驚いて三人がそちらを見てみると、目をまん丸にした住職姿の男
――
つまりは化け狸が立っていた。
「おや、こんな所でどうしたんだい?」
「それはこっちの台詞ですよ! こんな所にいて大丈夫なんですか!? 人に見つかりますよ!」
「お前のようなポンコツ狸と一緒にしないでください。オレ達の変化が人間ごときに見破れるわけないじゃないですか」
弟狐がツン、としてそっぽを向く。君たちはそうでしょうけど、と不死鳥をちらちらと見やれば、兄狐が首を傾げた。
「彼にも術をかけているさ。
……
それでも惹かれる奴はいるだろうけどね」
「御剣さんにはこのことは
……
」
「言っていない」
「ですよねぇ
……
」
項垂れる化け狸へ不死鳥が同情の眼差しを向ける。
それに対して二匹の狐は澄ました顔だ。
「そうだ、君に案内してもらおう。何か面白いところはない?」
「うーん、秋祭りでどこもお休みですからね」
「屋台は来ないのですか?」
「夏祭りには来ますよ。秋の祭りは村の人が御神輿を担いで、御剣さんのお社にお参りに行くのが主ですから」
「まあそれはどこも変わらないだろうね。奉っている中身が違うだけで」
ドン
……
ドン
……
と山の方で太鼓が響いている。
その方角を見据えながら、飴色の双眸を細めながらついた小さなため息に、三人は気がつかない。低く響くような太鼓の音を聞きながら、狛犬像に宿った吽形はやれやれとぼやいた。
「あの狐ども、しょうがないやつらじゃのう」
そんな呟きは勿論周囲にいる人間達には聞こえないものであったが、隣の狛犬像に宿った阿形にはしっかりと聞こえていた。
「何の罪も無いご婦人を化かして
……
いいのか、吽形」
気の毒そうな阿形の言葉に、ふむ、と吽形が唸る。しばらく思案した後、まあいいじゃろうと結論を出した。
「あの兄弟も、今日の御剣の邪魔をするほどの悪さはせんじゃろうしな」
「どうしてそう言い切れるのだ。吽形よ」
「勘じゃよ、勘」
なるほど、勘か。吽形が言うのならばと怪訝な顔を見せていた阿形が頷く。本殿を護る狛犬二匹の前をせかせかと村人が通りすぎていく。その手には畑で取れたのであろう、作物の入った袋が揺れている。
「それにしても、やはり今年は豊作のようだ。吽形」
阿形の言葉に続々と持ち寄られる供物の量を思い出す。米俵も野菜も、毎年ある程度捧げられるものではあるが、今年はより多く質が良いように見えた。
「何か理由があるのだろうか」
「
……
さあて、どうじゃろうな。俺は一介の狛犬、見当がついても断言には至らぬ」
どこか明言を避ける吽形に阿形が目を伏せる。
ややあってから、なあ、吽形と再び口を開いた。
「私は心配なのだ。あの狐達の到来といい、不死鳥が落ちてきたことといい、どうも山の
……
いや、山だけではないのだろう、様子が今までと変わってきている気がする。三千院様からあるじに代替わりして二百年ほど
……
初めてだ。妙な胸騒ぎが
――
」
「阿形よ」
阿形の言葉を、珍しく遮る。阿形がおや、と口を閉ざし、吽形の言葉を待った。
「三千院様はこの世を退屈だと仰るが、実際
……
変化が無いというわけではないじゃろう? 四季は巡り、命の代は変わる。雨風に晒された岩も少しずつその姿を変える
…………
村も昔に比べ、寂しくなった」
「
……
ああ、そうだ。年々、この祭りに来る人々も少なくなってきている」
「百年先、千年先、この山も村もどうなっておるのか分からん。ここも朽ちて、山の大岩より生まれた我々もただの石の欠片を残すのみになるやもしれん」
吽形が語る言葉を阿形は否定することが出来なかった。しかし神妙に聞いていても、そうであっては欲しくないという思いが石の身からも滲み出ているのを感じ取りつつ、吽形は続けていく。
「我々は人に心を向けられてこその存在じゃからのう。それはもう、変えようがない。
――
ただ、今だけを見れば
……
俺は何が起ころうとも、あるじは山神の御役目だけは放り出さぬと考えておるが、どうじゃ、阿形」
「それは、私も同じ思いだ。吽形」
「無論、お前の気持ちも理解る。
……
もう少し、様子を見てみようではないか。ほれ、阿形よ、どうあれ人間は素直なものじゃ。我々すら理由の知れぬ豊作も、彼らにとっては同じこと。喜ばしいものじゃよ」
くつくつと吽形が笑い、今しがた通っていた者が持っていた酒瓶をちらりと見やる。暫く酒には困らぬようじゃと暢気に呟くのを見て阿形は一度深く頷き、同じように人々を眺めた。
人の数は昔に比べれば確かに、少なくなった。しかし誰も彼も、祭りの日に相応しく晴れやかな表情をしている。
朝からずっと、本殿の中で鴉天狗は座していた。
祭りの日はそうするのが、山神の役割である。
こうして、人々の祈りを一身に受ける。
これが中々、大仕事だ。
「かけまくもかしこき
……
」
神職を務める男の声が本殿に響く。一年のうちに片手で数える程度の回数しかない祭りの為に、この社の神職はいるようなもので、鴉天狗にとって幾度目かの代である彼も随分と老いた。彼は普段、村で農家を営んでいるのだが、祭りの日に限っては斎服を着込んで仰々しく祝詞を唱えている。
一方の鴉天狗も、その姿は人には見えないが斎服を纏っていた。
幼い頃、つまり三千院が山神であった頃は、その羽を隠し村の子どもに交じって遊んでいたが、祭りが終わる頃に社に戻ってみればくたくたになった育ての親が、この日は一番退屈な日だとぼやいているのを、毎年見ていた。
今ならそれも少し、理解出来る。が、苦ではない。
延々と続く言祝ぎを聞きながら、そっと目を瞑る。
本殿の前では狛犬たちが控え、やってくる人々を見守っている。
――
不死鳥と狐の兄弟の姿はない。つい数刻前には木の上でいたのを感じ取ったのだが、今はどこか離れた場所にいるようだった。もう少し探ってみれば、村の中にいるようである。どうやら、あの狐どもが連れ出したらしい。
……
化け狸の気配もあるのでおそらくは大丈夫だろう。あの兄弟もこの祭りに横やりをいれるつもりはないらしい。
外の賑やかさから隔絶された室内は、いつもとは別の静けさを孕んでいる。
そこに人の祈りがやってきて、鴉天狗のもとにやって来るのだ。
――
ミツルギ様、山神様、今年の夏はありがとうございました。
ひとつ、また祈りがやってきた。
それが孕む気配を、鴉天狗は知っている。二ヶ月程前、助け出した幼子の祖母
――
つまりは元ここの巫女であった者の祈りだ。鴉天狗は、彼女が若くしてこの村に嫁いできた頃より知っていた。
随分と信心深い人間で、巫女の御役目から退き老いてしまった足腰では中々山に登るのもつらいものだろうが、それでも毎年この祭りの日だけは、こうして欠かさずに参拝に来ていた。
――
こうしてミツルギ様にご挨拶に来られる日も、あといくつほどありましょうか。
「
…………
」
祈りから感じ取った月日の流れに、伏せていた目を開き、瞬きをする。
鴉天狗にとってはこの女が村にやってきた日はつい最近のように思えるのに彼女たちにとってはもはや、遠い昔、人生が終わりを告げる頃になっている。
あといくつ、と小さく呟いたのち、ゆるく首を振る。
手のひらにのせた〝祈り〟をしばらく眺め、そしてフッ、と息を吹きかけた。それは白い花びらとなって虚空に舞い、消えていく。
こうやって人間の祈りを山に還すのも、鴉天狗の仕事だった。
四人で村を歩き回っているうちに、やがて夕暮れがやってきた。社から帰ってくる人間も見えてきて、兄狐はそろそろ帰ろうか、と切り出したのである。
山に入る道に向かいながら、弟狐は眉を下げた。
「兄者、祭りはもうおしまいですか?」
「ああ
……
祭りが終わってしまうのは、やっぱり寂しくなるものだね」
やれやれと疲れ切った顔の男が山から下りてくるのを見やり、兄狐が頷く。すぐにすれ違ったが、男は四人を気にとめることもなく、去って行った。
「僕はこっちですね、皆さん、おやすみなさい」
化け狸も手を振り、寝床である古寺へと去って行けば、三人も社へと向かう道を上っていく。
ふと、不死鳥が手にしているものを見て、兄狐が首を傾げた。
「それは?」
「ああ
……
これは通りすがりの人間に貰ったのだ」
いつの間に、と狐の兄弟が不死鳥の手元を見つめる。
彼の手には稲穂の束が握られていた。
ゆるやかにこうべを垂れたそれは、月夜に照らされ柔らかな金色の光を放っている。
「
……
いい供物だ」
「稲荷よ、これは何なんだ?」
「今年実った稲穂だ。
……
オレ達にとってはこれが、一番の供物さ」
すらりとした指先で、穂に触れる。愛でるようにつつけばゆらゆらと揺れ、笑っているように見えた。
「
……
君のものだ。きっとその人間は、君が神様に見えたのだろうね」
「俺は神では
……
」
「そういうものだよ、人間という生き物は。オレ達がどうであれ
――
自分が神と思えば、妖と思えば、そう見るのさ」
兄狐の言葉に、不死鳥が曖昧に頷く。ふと歩みを止め、来た道を振り返れば少し遠い所に灯りがついているのが見えた。
村の灯りだ。それを見て兄狐が目を細め、肩を竦めた。
「だからだよ」
「
……
?」
「だから、山の神が変わったところで
……
結局変わりないのさ、彼らはね」
その声色は嘲りを含み、そしてどこか諦めも混じっていた。
兄狐の言葉にどう返せばいいのか分からず、視線を彷徨わせたのち手元の稲束を見つめ、そして前を歩く兄狐を見つめる。既に術は解いたのか、その頭には獣の耳が生え、ふわふわとした二叉の尾も揺れていた。
「
…………
小稲荷?」
弟狐が歩みを止めていることに気がついて、不死鳥が声を掛ける。そこに立ち尽くしたまま、村を眺めているようだった。どこかぼんやりとした様子を不思議がれば、兄狐も気がついたようで歩みを止めている。
「
……
どこにやってしまったのでしょう?」
「弟?」
「お面です。兄者、忘れてしまったのですか?」
「
……
」
「面?」
琥珀色の眼差しが、二人を見据える。幼い顔はどこか虚ろで、何かを探すように視線を彷徨わせ、そしてゆるゆると首を振った。
「お祭り、あれがないと駄目なんです。兄者、あれはどこにありますか、人間が隠してしまったのでしょうか?」
「面、とはなんだ。そういったものは見かけなかったが
……
」
「それとも、無くしてしまったのでしょうか」
「弟」
兄狐が弟狐に歩み寄り、その白い手で少年の手に触れる。そのままぎゅっと握りしめ、ゆっくりと手を引いた。
「もう疲れただろう。早く寝床へ帰ろうじゃないか」
「? はい、兄者」
虚ろな表情が、兄狐の一言でぱちり、と目が覚めたようになる。そして何事もなかったかのように、にこりと微笑んだ。それを見て、兄狐は彼の頭をゆっくりと撫で、笑った。
「ああ、迎えが来ているよ。
……
オレ達はここで」
「稲荷
……
?」
「あの口うるさい山神には、狐に巻き込まれたと言っておけばいい。それじゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」
「あ、ああ
……
おやすみ」
豹変といった様子であったのにすっかり元に戻っている弟狐と、いつもどおり振る舞う兄狐に戸惑いを隠せないまま不死鳥が頷く。その様子に兄狐の細められた瞳は、友人の疑問を暗に制していた。
何も聞くな。
そう請うているように、不死鳥には見えたのだ。
尾を揺らしながら去る二つの影を見送り、何が起こったのかを考える。しかし所詮、天界の者である不死鳥には、彼らの道理や事情を汲み取りきることは出来ない。たとえ、その一部分だけを察したとしても、あの兄狐の表情を見れば言うことは憚られた。
「不死鳥くん」
後ろから、山のあるじの声が聞こえる。
振り向けば、少しばかり疲れた顔の鴉天狗が立っていた。
自分が勝手に社から抜け出したことに対して怒っているようには見えなかったが、それでも気まずい心地になった。
「すまない、抜け出して」
鳥居まで駆けて不死鳥が謝罪すると、それがどこか悪戯が露見した子どものようで、鴉天狗が肩を揺らす。
「素敵なものを貰ったんだね」
褐色の指先が稲穂を指さす。ああ、と頷けば鴉天狗は踵を返し、本殿へと歩き出す。
「夕餉を用意しているよ。狛犬たちも待っているから」
その言葉に分かったと不死鳥が応え、そしてもう一度
――
狐の兄弟達が消えていった茂みを振り返った。
そこにはもう何の影も、見いだせなかった。
夢を見た。
いや、過去がねぐらにやってきたといった方が正しい。
少なくとも兄狐にはそう思えた。微睡みながら、ああ、と嘆息をしたのだった。
自分たちが何者であったのか、少しずつ忘れ去っていくのを感じた。
それでも、良かった。
――
しかし最近は、本当に面白くない。
「兄者、兄者」
懐っこい声の方を向けば、弟狐がいた。苔むし、傾きかけた社の濡れ縁で涼んでいた兄狐はゆるりと瞬きをし、首を傾げた。
琥珀色の瞳が、くりくりと愛らしく輝いている。
「どうしたんだい、弟」
兄狐が唇を動かせば、その声色は柔らかかった。それは弟狐にだけ向けられる優しさを孕んでいた。
「見てください、野うさぎですよ」
表情を明るくさせながら、弟狐は右手に掴んだそれを見せてきた。
それは既に息絶えて、くったりと力なくぶら下がっている。それを見ておや、と嬉しげに兄狐が笑った。
「狩ってきたのかい」
「はい。追いかけっこをしたんです。追いついたら兄者に食べて貰おうって」
にこにこと笑う弟狐はどこか誇らしげだ。十中八九、この哀れな野うさぎにとっては全く以て承諾しかねる戯れだっただろう。追いかけっこと称して限界まで追い回された挙げ句、命を奪われ喰われてしまうのだから。
しかしそれを悪いと思わないのが、野狐の倫理観である。
弱いものは強いものに嬲られて当然。
「かわいい野うさぎです。きっと美味しいですよ」
「ああ、きっとそうに違いないよ。
……
こっちにおいで、弟」
兄狐に手招きされ、いそいそと弟狐が兄狐に駆け寄る。お座りよ、と命じられれば野うさぎを抱いたまま、濡れ縁に座った。兄狐のすらりとした指が、淡い菫色の結われた髪を撫で、髪飾りを解く。
「兄者」
「きっと追いかけっこの時に乱れたのだろうね。結いなおしてあげよう」
兄狐の言葉に弟狐の白い耳がぴくりと動き、二叉の白い尾も嬉しげに揺れた。
慣れた手つきで髪を整え、三つ編みに結いなおす兄狐の指が心地よいと弟狐は琥珀の双眸を細めるのだった。
しばらく、お互い無言になる。朽ちた社のまわりは静かで、梢が揺れる気配以外はなにもない。最早、ここを訪れる者はいなくなっていた。
少し前まではこの社も、ふもとの村の人間が手入れにやってきていたのだ。
秋の頃には今年の作物です、うかのみたまさま、その眷属さま、と祭りを執り行っていたのに、今はもう、誰も訪れない。
社は荒れ、苔むして朽ちていき、ふもとからここまでの長い参道も岩がごろごろと転がっていた。山を駆ける子どもの姿もすっかり見なくなった。
狐たちも今や、自分たちが何の役目を持っていたのか、何者であるのかも朧気になっていった。
――
それに暫くの間、うつらうつらとしていた気がする。
弟の気配だけが、時々己を眠りから揺り起こしていたのを覚えている。今はこうして、いつも通りの日々を送っているが、弟狐はいつからか、どこか、変わっていった。
それが何故なのか、二匹とも覚えていない。
どちらにせよ兄狐にとっては大切な弟だ。こうして無邪気に遊んで過ごしているのならば、それ以上に幸いなことはない。
――
ただ。
「ねえ、弟」
「はい」
そっと呼びかける。
大人しく、童歌を歌いながら息絶えた野うさぎの耳をさわさわと触っていた弟狐の耳が、兄の声を聞き逃すまいと動く。髪飾りを整えながら、兄狐が笑う。
「この山で暮らすことに、飽きてはいないかい」
「?」
兄狐の問いかけの意図が掴めず、弟狐は首を傾げる。こら、まだだよと窘められて慌てて姿勢を正した。
「人の子がここを訪れなくなって幾星霜。こうして野うさぎを追う毎日は、退屈ではないかい。
……
オレはこのところ、少し思うんだ。この山を出ればもっと
……
もっと住み心地のよい山があるんじゃないかとね」
「山、を
……
?」
琥珀色の双方を瞬かせて、弟狐は兄狐の言葉を理解しようと考える。この静かな山の他に、住む世界があるだなんて考えたこともない。
永遠に誰も訪れなくなった山で、兄狐と二人で暮らしていくのだと思い込んでいた。
「オレは」
どうにか答えようと、喉を鳴らす。
兄狐はじっと、弟狐の答えを待っているようだった。
「オレは、兄者と一緒ならどこだっていいんです」
ふわふわとした尾が揺れる。
そう、と兄狐は嬉しそうに笑った。
満月の夜。大樹の一番高い枝に二人。
飴色の双眸と、琥珀色の双眸が眼下を見下ろしている。
この真下には村があったはずなのだ。
村と、田畑があり、人の営みがあった筈なのだ。
しかしそこにあるのは、湖であった。
広い、広い水面が月光に照らされ静かに輝いている。
兄狐の手には、二つの狐面があった。
奇妙なことに、それはどこかいびつで、一度半分に割れたものを、手違いで互いの仮面に合わせ間違えたようであった。
白い手が動く。
二つの面が零れるように落ちていく。
闇に吸い込まれていくそれを、表情なく見下ろす兄狐の隣には、にこにこと微笑む弟狐がいた。
落ちた音も、なかった。
柔らかな光が瞼に降り注ぐ。
それに誘われゆっくりと目を開けば、唇から白い靄が流れた。冷たい空気にぶるりと身を震わせ、ぐっと伸びをし、寝床から顔を出した。
「ずいぶんと冷えてきたね」
降り積もった落ち葉も、白い冷たさに包まれているのを見て、兄狐がぽつりと呟く。そっと後ろを振り返れば、弟狐がすうすうと小さな寝息を立てて、眠っていた。
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