kurotera
2025-01-01 01:27:01
72939文字
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たとかとはなし 上

2023年12月に発行した温泉スカウトパロディ本の再掲です。
書き手本人が見た幻覚で諸々をねつ造しています。
高濃度の幻覚話。


 山のふもとからほど近い場所に、寺がある。
 これもまた古い寺で、由緒という由緒はないが、村の者からは長く慕われていた。
「おはようございます、和尚さん」
「おはようございます! 今日はどうされたんですか?」
 ここの住職はまだ若い。
 齢にして二百かそこらだ。年齢は村の者には全く伝えておらず、先日、お勤めに来た村の老婆に「和尚さんは何年経っても若く見えますねえ」と羨ましがられたので、少々冷や汗をかいた。童顔ってよく言われちゃいます、と照れながら頭を掻いて誤魔化したので、まだバレてはいない筈である。
 
 ――この寺の住職は、化け狸であった。
 
 どうして化け狸のたぐいが人に化けて寺の住職を勤めているのかというと、先代の住職が彼に後任を押しつけたからだ。彼だけは村で唯一、この若者が狐狸のたぐいであることを知っていた。
 彼が行き倒れていた所に飯を食わせ、暖かい布団で寝かせてついでに有り難い説法も聞かせてやったのだから恩返しくらいしやがれ、さもねえと狸汁にして食ってやると、おおよそ坊主とは思えぬ言い草で首根っこを掴まれたのも、化け狸にとってはついこの前の出来事のように思えた。
 ともかく、行く当ての無かった化け狸は渋々といったていで了承し、そこから十年近くを坊主としてこき使われた。
 そして師が酒の勢いに任せて彼を住職に任命し、その一年後――迎えが来た。もうこの寺は安泰だから思い残すことはないと大往生を遂げたのである。
 それが、二、三年程前の話だ。
「今年はサツマイモがよう出来てね。仏さんにお供えしてちょうだいよ。お供え終わったら、焼くか蒸かすかして食べちゃって」
 寺を訪ねてきたのは村人だった。差し出されたサツマイモの袋を受け取りながら、若い住職はにっこりと笑った。
「ありがとうございます! お社のぶんは大丈夫ですか?」
「もちろんミツルギ様のとこにも持っていったわ。本当に今年はびっくりするぐらいの豊作でねぇ、そう、マキタさんとこも今年は白菜の出来がよさそうだって。当たり年なのかしらねぇ」
「あはは、いいことですよ。ありがとうございます、ちゃんとお供えしてからいただきますね」
 ずっしりと重たい袋を抱えながら、礼を言って本堂に入る。
 空いた竹ざるに受け取ったサツマイモを積んで、仏像の前に供えた。そこには他にも、村の者が持ってきた供え物が置かれている。
 さて、と仏像の前に座す、ちーん、とりんを鳴らし、手を合わせた。

 社に呼んだ者がいるので迎えに行って欲しいと命じられ、狛犬たちは灯りを手に、村へ向かう山道を歩いていた。
 暫くすると、小さな提灯を片手に歩いてきた人影を見つけ、吽形は片手を上げた。
「おう、よく来たのう」
「こんばんは、吽形さん、阿形さん。迎えに来てもらってすみません」
「いいさ! こちらこそ毎年すまないな」
「いえいえ、お構いなくですよ!」
 提灯が照らす姿は、寺の住職――化け狸であった。
 狛犬たちと言葉を交わしながら山を歩き、社へと向かう。辿り着いて本殿へと招かれれば、そこには見知りであるこの山のあるじと、もう一人、こちらは知らない男がいた。彼が人間ではないということは分かるが、ここら辺りに住んでいるような者でもない。
 どうも、と会釈をすれば男は軽く頭を下げた。
「やあ、桃井。こんばんは」
「こんばんは、御剣くん。そろそろ出るんですね」
 化け狸の言葉に鴉天狗が頷く。出る、という言葉に隣の男がぱちりと瞬きをさせた。
「ああ、今年もこの一ヶ月、留守を頼みたいんだ。――といってもいつも通りの事なんだけど、今年は少し……訳ありでね」
「? 何かあったんですか?」
 化け狸が聞けば鴉天狗は頷き、ちら、と隣を見やる。彼が関係しているのは見て取れるが、まだ言葉の真意が分からない。
「あの、この方は?」
「紹介するよ。ついこの間、この山に落ちてきた不死鳥くんだ」
「ふ、ふふ、ふ、不死鳥ぉ!?」
 鴉天狗の言葉に驚いた声をあげて、化け狸が目を見開く。
 そして不死鳥をまじまじと見つめ、本当ですか、と思わず聞き直した。不死鳥といえばお釈迦様のおわす極楽浄土の住人だ。
 そんな彼がいったいどうして、こんな場所にいるのか。
「話せば長くなるけど――

「ははあ、なるほど。村の人達が騒いでいた、山に落ちた隕石の正体! それがあなただったんですね」
 鴉天狗の話を聞き終わった化け狸が、合点がいったと頷く。流石にあの強い光を伴った流れ星は村でも騒ぎになっていたらしい。
「村の皆は何か言っていたかい」
「それはもう大騒ぎ……って程ではないですけど、それなりに。隕石のせいで山火事にならないかと心配していましたがそれもなさそうだったので、放っておこうって話で終わっていました。落ちたのがお社の上あたりってこともありましたし」
「そうか。それはよかった……
 鴉天狗が安堵したように息を吐く。
 それにしても、と化け狸がお茶を一口飲み、目を伏せた。
「妙なことが続きますね。野狐さんたちといい、村の急な豊作といい」
「桃井はあの野狐どもを見たのかい?」
 鴉天狗の問いに、まあ、はい。と渋い顔をする化け狸に何かを察して、鴉天狗が苦笑いをする。少しどんくさいところがある男だ。おおかた、からかわれたのだろう。
「とにかく、今年も俺は出雲に出向かなければいけない。申し訳ないけど留守の間、社の守の手伝いをして欲しいんだ。狛犬たちもいるけど今年は彼もいるし、野狐どもが何をしてくるか分からない。頼まれてくれるかい?」
「もちろんです。こういう時はお互い様ですから!」
 よろしくお願いしますね、とにこっと笑う桃井に、ああ、と不死鳥が頷いたのを見て、鴉天狗がよし、と頷く。暫く鴉天狗と化け狸が話すのを聞いていた不死鳥が、なあ、と切り出した。
「どうして御剣は出雲に行くんだ」
「それはですね、決まりなんです」
「決まり」
 不死鳥が事情を知らないと見た化け狸がええ、と頷いた。
「毎年十月は、日本全国の神様たちが出雲に赴き、一年の報告や会合を開いて、宴をするんです。御剣くんもこの山の神様ですから、勿論参加しないといけません。いわゆる出張のようなものですね」
「シュッチョー……」 
 大変だな、と軽く眉を下げる不死鳥に、鴉天狗が笑って首を振る。
「なに、出来るだけ早く帰ってくるつもりさ。宴に付き合わされるのもあまり好きじゃないしね」
 さて、支度をしようかと鴉天狗が立ち上がる。すぐにでも、発つつもりらしかった。

 翌日。
「この一ヶ月間は身体を伸ばせるというわけじゃな」
 吽形が欠伸をし、本殿の濡れ縁に寝転がる。阿形と不死鳥は竹箒で落ち葉を掃き集めていた。こんもりと盛られたそれを見て、ふと思いついたのか阿形が目を輝かせる。
「焼き芋をしないか!」
「焼き芋? 火はどうするのじゃ」
「ああ! 不死鳥はどうだ、火は熾せるか?」
「やってみよう」
 問われ、不死鳥が念じる。指先に小さな火が灯ったのを見て、満足そうに阿形が頷いた。
「ふむ、不死鳥の火で焼く芋か……
 それは中々、と吽形が思案していると、向こうから情けない悲鳴が聞こえてきた。
「本当に勘弁してください~!」
「あはは、見てください兄者! 狸が逃げていきますよ!」
「ふふ、情けない姿だね。そら、社までお逃げよ」
……彼奴らは元気じゃのう」
 這々の体で境内に駆け込んできた化け狸を見やり、吽形がぼそりと呟いた。追いかけっこにしては物騒だと阿形が心配げに眺め、その隣では少し驚いた様子で不死鳥がやってきた化け狸を見ている。
「助けてください……!」
 ぜえぜえと息絶え絶えの化け狸を嗤いながら、狐の兄弟達が鳥居の上に現れる。ゆらゆらと足を揺らしながら、意地の悪い笑みを浮かべ四人を見下ろした。
「尻尾が燃えなくてよかったね」
「追いかけっこはおしまいですよ。命拾いしましたね」
「鬼です、人でなしです……!」
 ぐすぐすとべそをかいて抗議する化け狸にもはや興味を無くしたのか、弟狐がぐるりと境内を見渡す。すぐに苦々しい顔でやってくるはずの社のあるじが姿を見せないことに気がつき、首を傾げた。
「カラスがいませんね」
「おや、本当だ。ついに猟師に撃たれたかな?」
「あるじは出ておられるぞ。神無月じゃからな」
 吽形の返事に、兄狐が目を見開く。そうか、もうそんな時期かと少し思案する素振りをしていると、不死鳥が狐たちを見上げた。
「なあ狐たちよ」
「なんですか?」
 兄狐の代わりに、弟狐が答えた。不死鳥はひどく真剣な顔で二匹を見つめている。
「お前達には感謝をしている。……ただ、ここを荒らすのはやめてくれないだろうか。恩人の場所なんだ」
…………おや」
 そう請うてくる不死鳥の言葉に、兄狐が小首を傾げる。それからくすりと笑って、手をひらりと降った。
「拾ってもらった山神に恩義を感じて、かな。ずいぶん飼い慣らされたものだね」
「そういう訳では」
「オレは誰の指図も受けないよ」
「残念でした」
 狐たちの言葉に不死鳥が困惑したような、どこか寂しげな表情を浮かべる。それを見て、兄狐がフン、と鼻を鳴らした。
「まあ、あるじのいない社を掠め取ったところで何の面白みもないのは確かだ。安心しなよ、今はね」
「そうかそうか。俺の杞憂で済んでよかったぜ」
 声と共に強い風が一陣、阿形が竹箒で集めていた落ち葉が舞い上がれば、わぁ! と化け狸の尻尾がぶわりと膨らんだ。
 不死鳥が風を防ぐように覆った腕を下ろせば、目の前には二つの影があった。鬼、と女が立っている。
 その姿をみとめた瞬間、狐たちは苦い顔をさせ、彼らを睨みつけた。
「山奥で大人しくしておけばいいものを」
 兄狐が吐き捨て、弟狐も疎ましげな顔をさせていたが、その琥珀色の目にはどこか怯えも孕んでいた。二匹の態度にふん、と愉快そうに肩を揺らし、鬼は煙管を揺らしながら本殿に上がる。
「なぁに、散歩ついでに寄ったまでだ。ついでに酒をな」
「あんまり〝おいた〟をするようなら、三千院は今度こそお前達の皮を剥ぐだろうね。神無月ぐらいは大人しくおしよ」
 狐たちに向けて涼やかに笑う雪女の言葉に狐たちの尾が膨らむ。一銭にもなりゃしねえよとぼやきながら、三千院が一升瓶を片手に出てきた。
「おい、狛犬どもよ。あのサツマイモの山はなんだ」
「ああ、あれか。村の者たちが豊作じゃったと供えにきたのじゃよ」
「焼いて食わないかとちょうど考えていたところさ。落ち葉も充分集まったしね!」
 二人の乱入で散った落ち葉を再び掃き集めながら、阿形が不死鳥を見やる。
「不死鳥に火を点けて貰おうかと話していたのだ!」
「不死鳥さんの火で焼き芋……恐れ多いですね」
「そうだろうか? 火は火だろう? 私は狐の兄弟たちの火でも一向に構わないぞ!」
「お断りです。オレ達はマッチじゃないんですよ」
 阿形の言葉に弟狐が頬を膨らませ、抗議する。
 駄目なのか、と首を傾げる阿形にそっぽを向く様を見て、化け狸は小さなため息を吐いた。阿形は物怖じをしなさすぎる。
……わかった」
 そのやりとりを見ていた不死鳥が一歩踏み出す。
 集められた落ち葉を前に、指を二本立て、口元に当てる。すると瞬く間に音を立て、落ち葉の山から火が上がる。ぱちぱち、と心地の良い音をさせた。

 あちあちと言いながら、化け狸が拾った甘藷を二つに割る。
 湯気と、甘い匂いと共に黄金にも似た色が現れて、それを見るだけでごくりと喉が鳴った。ふうふうと冷ましながら、囓ってみる。柔らかな食感と共にほろほろと身が崩れ、口の中で優しい甘さを振り撒いている。
 不死鳥の火で焼いた芋も、普通の火で焼いたものとはさほど味は変わらない。どちらにせよ、美味いのだ。
「悪くないね」
「あ、食べるのは食べるんですね」
 化け狸の声にせっかく彼が焼いてくれたものだからね、と兄狐が頷く。
 甘く、ほくほくとした芋を味わいつつ、少し離れた所で話している不死鳥と鬼をちらりと見やった。
……お兄さんは不死鳥さんと仲良しなんですね」
「? そう見えるかい?」
 ぺろりと舌舐めずりしながら、兄狐が首を傾げる。はい、と化け狸が肯定すれば、軽く肩を竦めて兄狐は首を振った。
「ただ彼が珍しくて、面白いだけだよ。誰だって美しい小鳥や愛らしい兎と遊ぶのは楽しいだろう?」
「狐のあなたが言うと冗談に聞こえませんよぉ……それに、そう言う割には僕の接し方より随分穏やかというか――
 ふと、化け狸が口を閉ざす。尻尾のあたりが妙に熱く、焦げ臭くなってきたのを感じ取ったからだ。恐る恐る兄狐を見ると、彼は何も言わずにこにこと微笑んでいる。
「と、とにかく、仲良くしましょう! 僕とも! 是非!」
「ふふ、そうだね。お前も狸のくせに坊主をしているだなんて面白い奴だし、いつでも遊んであげるさ」
「出来れば僕が熱くない方法でお願いします!」
 必死の形相で訴える化け狸に、隣で聞いていた弟狐がくすくすと笑う。化け狸の訴えが彼らに通じるかどうかは、微妙なところである。
「お前がくだんの不死鳥か」
…………ああ」
 煙管を呑み、煙を纏いながら三千院がじっと、呼びつけた不死鳥を見つめる。
 見定めるような桔梗色の瞳に、不死鳥は肯定したきり何も言えないままだ。
 しばらくして、ふう、と紫煙を吐けば三千院が唇を歪め、笑った。 
「あいつもとんだモノを拾ってきたもんだ。俺が現役だったら見つけた途端に始末していただろうよ。――山のあるじに感謝するんだな」
「始末……
「お前は死ねないからな。どこぞの洞穴の底にでも投げ捨てていたさ。誰も入れん場所に、な」
 くつくつと肩を揺らし笑う三千院を、雪女がちらりと横目で見やり盃を軽く煽る。向けられた言葉に目を伏せ、不死鳥はぽつりと呟いた。
「御剣にも言われた。俺はここの世界では異物だと」
「住む世界のことわりが違うからな。お前のような不死の力を持つ者は、定命……人間や妖の魂を乱す。お前が望んでいなかろうが、そういう性質なのさ」
……あなたは俺に出て行けと?」
 三千院の唇から、細い紫煙が燻る。
「それは違うな。お前がここにいても良いと決めたのは今の山神だ。あいつの決めた事に俺は異論を唱えん」
…………
「なぁに、まだ身も癒えていないんだろう? さっきの火を見りゃ分かる。……あいつの許す限りは、好きにすれば良い。ここはそういう土地だ」
 そう言い切り、三千院がぐっと酒を呷る。手の内の温かな焼き芋に視線を落としながら、不死鳥は黙ったきりであった。

 鴉天狗が社を発ってから、月が膨らんで、そして細りだしていた。
 暦ではもう月も末に差し掛かっていて、狛犬が言うにはもうすぐこの山のあるじは帰ってくる筈だ。
 ――雨が降っている。
 重く立ちこめた雲は秋の澄んだ夜空と月を覆い、窓から見える外を真っ暗にしていた。その中でしとしとと細く、静かに雨が降りしきっていて、不死鳥の寝床となった小屋を包んでいる。
 ひとつ、寝返りをうつ。
 閉じた瞼にも古い小屋を濡らす水の音が染みて、うつらうつらとした微睡みしか叶わない。つまるところ、不死鳥は眠れないでいた。
 ごろりごろりと寝返りを打てども、天井にある小さな染みを睨みつけてみても、降る雨が子守歌になるわけでもなく、ただ目が冴える。
 晴れていれば境内を眠気がくるまで彷徨いてみるというのも手ではあるが、生憎、朝まで雨は止みそうにない。いったいあと何刻過ごせば日が出るのかも定かでないまま、不死鳥は大きなため息を吐く。
 ばらり。
「っ……
 耳に届いた雨音ではない音に勢いよく身を起こす。
 青い双眸を窓の外に向け、意識を研ぎ澄ました。
 琵琶の音だ。
 間違いない、あの日――ここに落ちてきた夜に聞いた、琵琶の音が雨の音に混じって聞こえてくる。立ち上がり、窓の格子に手を掛け、外を見渡す。外は闇の中にぼんやりと本殿や鳥居の輪郭を浮かべるばかりで人影のようなものは見当たらない。
 遠くから聞こえてくるような、近くから聞こえてくるような、どこか陰鬱なその音。いてもたってもいられず装束を羽織り、戸を開いた。先ほどよりは勢いが弱まった雨の中へ一歩踏み出した。
 琵琶の音色は境内の奥から聞こえているようだった。狛犬たちも眠りに就いているのか、姿を現さない。音を辿っていけば古い門に辿り着いた。
 ここにこのような門はあっただろうか、と不思議に思いながらその奥を見据える。鬱蒼とした木々の間に小道がある。琵琶の音は、たしかにそこから聞こえてきていた。
 ばらり ばらり
 意を決して一歩踏み出す。
 瞬間、何やら重苦しい空気が身にのし掛かる感覚がしたが、不死鳥は奥へと進んでいく。琵琶が己を誘っているような、そんな気もした。
 ほどなくして、やや開けた場所に辿り着いた。
……井戸?」
 不死鳥の視界に飛び込んできたのは古い井戸だ。もう使われていないらしく、蓋が閉ざされている。
 そして、その傍らには人影があった。井戸に手をかけ、しかし蓋を開くというわけではなくそのまま、覗き込むように俯いている。
――……
 山のあるじ曰く、夜になれば人間はここに立ち入らない地だ。
 ならば妖怪のたぐいか、それとも亡霊か。
 指先に小さな炎を灯す。その人影の顔を、見るために。
 男だ。琵琶を背負った黒髪の男が、井戸に向けて何やら喋っている。その内容は聞き取れなかったが、その眼差しはどこか哀れむようなものがあった。
「お前は、誰だ」
 意を決して不死鳥が声をあげれば、男は顔を上げた。紫水晶に似た双眸がこちらを見据えてくる。瞬間、腕の痣がざわざわとざわめき、痛みが走った。
「ぐ……!?」
 突然の痛みに呻く不死鳥を言葉無く男は見つめている。その表情は冷たく、しかし目の前の若者が苦しむ姿を嗤うといったこともなかった。
「お前が、……ッ、黒い雲を連れている者なのか?」
 問い終わる前に嵐のような風が二人の間に吹き荒ぶ。叩きつける雨に思わず腕で身を庇えば、ようやく収まった時にはもう男の姿はなかった。
 奥から、琵琶の音が聞こえる。
「待て!」
 疼きを振り払い、駆ける。か弱い己の火だけを頼りに、奥へと進んでいった。

 どれほど進んだのだろう。既に琵琶の音も、男の影もなく雨も止んでいる。ただ山の中を彷徨う羽目になってしまった。どこから来たのかも不明なほどの闇の中である。
 ――しまった。
 ここで初めて、不死鳥は己の迂闊さを悔いた。
 あの時無理に追ってはいけなかったのだ。自力で帰れるかどうか分からない、朝になればいなくなったことを知った狛犬たちが探しに来るだろうが。
 
 ――お前のような不死の力を持つ者は、定命……人間や妖の魂を乱す。お前が望んでいなかろうが、そういう性質なのさ――

 三千院が語っていた言葉を思い出す。
 もし今、山に住む妖怪と鉢合わせになればどうなるか。
 注意深く周囲を見渡す。水の匂いがする。水源が近いのかもしれないとその気配を辿っていく。木の根を跨ぎ、注意深く進めば確かに泉があった。
 ――ここで夜が明けるまで待とう。
 僅かに安堵し、喉を潤そうと泉に歩み寄る。こんこんと湧き出ている水を手のひらで受け、それを飲み、ふうと一息ついた。ここは随分冷えると転がっていた枯れ木を集め、火をつけた。
 焚き火に温まりながら腕を捲り、疼いていた黒い痣を確かめる。少し、濃くなっているような気がして、眉を寄せる。
 あの男はいったい何者なのか。
 黒い髪に紫水晶のような瞳。そう、あの瞳、どこかで。
 地に腰をおろし、風のせいかざわめく茂みの音を聞きながら、思考に耽る。 頭上で、枝葉が大きく揺れる音がしたと思えば、ふっと周囲に影が落ちて暗くなる。
「ン……
 不審に思い不死鳥が視線を上げれば、はたと視線がかち合った。何かがこちらを見ているのだが、しかし瞳が無い。そこにあるのは、がらんどうの眼窩であった。
「イッ、イッ、イツマデ……イツマデ……
…………
 眼前の巨木に、巨大な鳥が留まっている。いや、あれは鳥であるのか不死鳥は判別がつかなかった。何せ、上半身は人の骸のようで、その土気色の頭に眼球は無く眼窩は空洞、鼻はそげ落ち、耳たぶのあたりまで裂けた口からはぞろりと牙がのぞいている。その両腕だけは立派な翼を持ち、それを支える肋の浮いた上体の貧相さが奇妙であった。更に奇妙なのは蛇にも似た下半身から生えているのは、脚の代わりにどす黒くなった人の手である。その指先には鋭い爪が伸び、そこから腐った汁のようなものが滴り落ちていた。
「なんだ、こいつ……
 驚いた不死鳥が腰を上げ身構えれば、ぐぱりと裂けた口が開く。
「イ……イツマ……デッ、イツマデ、イツマデ!」
 イツマデと喚きながら怪鳥は首を梟のようにぐりぐりと動かす。
 夜の闇の中で、鋭い爪がぎらりと閃いた。
「ッ……!」
 間一髪。
 不死鳥が横に跳べば、いた場所に怪鳥の爪が襲い来る。もう少し遅ければ哀れな鼠のごとく、不死鳥はその爪の餌食になっていただろう。
 勢い余って転がりながら、不死鳥は体勢を立て直す。手の内に炎を起こすがそれはひどく小さく、目の前の怪鳥の羽ばたきでかき消える程度のものであった。
 まだ力が戻っていないのだ。それに先ほどから走る痛みが、力を弱らせているように思えた。
「イツマデェ、イツマデェ……!」
 その炎を眼球の無い双眸で見た怪鳥が嘲笑うかのように喚き、人間の手で指をさす。逃げなければ。痛みに耐えながらよろりと立ち上がり、立ちはだかる怪鳥の爪からどう逃れるか、必死に考えながら一歩、後ずさる。
 怪鳥の裂けた口が歪み、今度こそ捕らえようと翼が広げられる。
「待ちなよ」
 白い燐火が怪鳥を穿つ。不意打ちにその身が大きく揺らぎ、怪鳥の身が大木に叩きつけられた。不死鳥の前に、降り立つ影は二つ。
「稲荷の兄弟……!」
「やあ、いい夜だね」
「お散歩ですか?」
 くすくすと笑い、尾を揺らす兄弟達に首を振る。
 体勢を立て直した怪鳥が蛇の尾をぶん、と振りながら怒り叫ぶ。それを見て兄狐がにやりと笑った。
「おや、お怒りだ。どうしても獲物を横取りされたくないらしい」
「兄者、どうしましょう?」
……オレの友人に手を出したんだ」
 弟狐が問えば、飴色の瞳がきろりと輝く。手のひらに白い燐火が燃えさかり、一帯に熱風が吹き荒んだ。
「報いを受けてもらうさ」
 兄狐の言葉と共に、怪鳥の鉤爪が二人を襲う。
 しかしそれは彼らを引き裂くことなく、そこにあった地面に食い込むばかりだった。二つの黒い影は旋風のように、木々を登り、怪鳥の周囲を駆け巡る。
「ほら、捕まえてごらん」
 兄狐の放った白い燐火たちが宙を舞い怪鳥を惑わす。相手は苛立った様子で操り手ごと叩き落とそうとするが燐火は弄ぶように飛び回り、その羽根を焼く。その隙にもう一つの影が怪鳥の身に襲いかかり、その身を傷つけていく。
「イ……イィ……イツ……
 燐火に焼かれ、影に切り裂かれる痛みに怪鳥の巨体がよろめき、苦悶にばたつかせた翼で周囲の木々が音を立てて倒れていく。
 ついに、怪鳥が地響きを立てて地に落ちた。藻掻きながらもう一度舞い上がろうと、羽根を広げ、手で土を掻く。しかし。
「おしまいです」
 弟狐の冷ややかな声が響くと同時、黒い影がその頭上に現れ――
 ずどん、と怪鳥の頭蓋を貫いた。
 脳天から血潮を噴き出しながら、怪鳥が断末魔の叫びと共に倒れる。
 その傍らに怪鳥の血で髪や装束を濡らした弟狐が、軽やかに降り立った。
「弟、よくやったね」
「これぐらい朝飯前です」
 誇らしげに胸を張る弟狐の髪についた血をそっと拭う兄狐に、不死鳥が歩み寄った。
「ありがとう、助かった」
「やあ、ここにいて叱られないかい?」
……多分、知られたら叱られる」
「そう。……貸し二つ、といったところかな」
 兄狐の言葉に顔をきょとんとさせた不死鳥に笑いつつ、怪鳥の骸を見上げる。
 ふむ、と指に顎をあてて、兄狐は飴色の瞳を細めた。
「こいつは…………奇妙だね。どうしてこんな所にいるのか」
「なあ、これはなんなんだ?」
 不死鳥の問いに、ちらりと兄狐が見やる。これはね、と曰く。
「捨て去られた屍体があるところに現れる鳥さ。いつまで、と鳴いていただろう? 『いつまで放っておくのだ』 と喚いては亡者の怨念をまき散らす……つまり」
「待て、それって……この近くに捨て去られた屍体が?」
…………そういうことだ。奇妙だろう?」
 ここは人が踏み入れない山なのに、と兄狐が怪鳥を見やる。弟狐は仕留めた獲物を嬉しそうに眺め、もう羽ばたくことのない翼から羽根を引っこ抜いている。
「兄者、兄者。これで寝床が暖かくなりますね、この羽根、洗ってから敷き詰めましょう」
「ふふ、そうだね、弟。きっとこの鳥も満足なことだろう」
 無邪気な弟狐に相槌をうちながら、兄狐が尾を揺らす。彼らにとっては捨て置かれた死を嘆く鳥も、ただの獲物に過ぎないらしい。
……っ、そうだお前たち、男を見なかったか?」
「男?」
 不死鳥の問いに弟狐が首を傾げる。容姿を伝えれば、兄弟は顔を見合わせた。しかし弟狐がゆっくりと首を振り、兄狐も同じだと頷き、否と不死鳥に告げた。
「そうか……
「君は見たのかい?」
……社の外れの井戸で」
……人間とは考えづらい。鬼か幽霊か妖怪か……彼がこの鳥を呼んだのかもしれないし、偶然かも……結論を出すには少しだけ手札が足りないようだ」
 兄狐が怪鳥の骸を暫く眺め、そして不死鳥を見やった。
「夜が明けないうちに帰ったほうがいい。送るよ」
 兄狐の言葉に、怪鳥の羽根を両腕に抱えた弟狐がやってくる。兄狐が白い燐火を指に灯し、おいで、と歩き出した。素直にその後ろへと着いていけば鬱蒼とした木々の間を迷うことなく狐たちは進んでいき、やがて社へと辿り着いた。
「さあ、ついたよ」
「ありがとう……なあ、稲荷。あの鳥は……
 あのままでいいのか。不死鳥が問えば兄狐が目を細める。弟狐は問いの意味が汲み取れなかったのか、耳を動かしながらこてん、と首を傾げた。
「ええ、もう殺しましたから」
…………幾日かかけて、土に還るだろうね。あの鳥が嘆いていた屍体は、分からないままだけど……
「そう、か」
 狐たちの言葉に不死鳥が頷く。少々気落ちしたその様子に、兄狐が肩を揺らした。
「そういうものさ」
 それじゃあね。闇に消えていく兄弟達の姿を見送り、不死鳥がゆっくりと息を吐く。それから小屋に戻り、今度こそ眠りについたのだった。

 それから程なくして、鴉天狗が帰ってきた。
 明後日にはもう十一月といった、早朝の事である。長旅で疲れた顔を取り繕いつつ、出迎えに来た狛犬たちと不死鳥に何も無かったかと聞いた。
「御剣」
 不死鳥が神妙な顔をさせているのを見て、鴉天狗は片眉を上げつつ狛犬たちに己の荷物を預けて彼を手招きした。
 そのまま境内をぶらつき変わりが無いかを確かめ、暫くして不死鳥を見やった。
「どうしたんだい」
「その……
 少しの間、逡巡していたが鴉天狗の視線に耐えかね、不死鳥が数日前のあらましを語る。話の聞き始めはひどく苦々しい顔をしていた山のあるじは、井戸で見た男の話になったとたん、歩みを止め、顔色を変えた。
「あの井戸に人が?」
「あ、ああ……
 頷く不死鳥に無言になり、足早に境内の奥へと向かう。
 慌てて不死鳥も追いかければあの夜に入った小道の前で鴉天狗は佇んでいた。
 早朝にもかかわらずそこはひどく暗い。鴉天狗がその奥をじっと見据え、小さく息を吐いた後で奥へと進み出す。すぐに、井戸はあった。
 相変わらず重苦しい気配を放つ井戸には蓋が閉じてある。勿論男の姿は無く、ただ木の上で山鳥がひゅるるると囀るばかりだ。
「御剣、ここは一体……
……井戸だよ、〝元〟がつくけどね」
 鴉天狗が井戸に歩み寄り、蓋を撫でる。
 夜の闇では見えなかったが、よく見ると蓋には古い札のようなものが何枚も貼られていた。まるで、この蓋を開けてはならないと言いたげなそれに、不死鳥はごくりと喉を鳴らした。
「昔のことだ。ここより少し離れた地で、戦があったらしくてね……そこから逃れてきた人々が……投げ入れられたのさ」
「人が……?」
「先代の頃の話だから、俺も彼から聞いた話しかしらない。投げ入れられた彼らが何者なのか、何故この井戸なのか、今となってはあまり意味のない話だ。……ただ、投げ入れられた彼らの念は強すぎた。投げ入れて幾月もしないうちに、山や村に害を及ぼしだした。流石に彼も看過出来なかったのだろう、こうして、封印を施したのさ」
……男が、この井戸に向けて話しかけていた。話しかけたんだが、何も答えてくれなかった。そのまま、奥へ……追いかけていったら、鳥の妖怪に襲われて――
 そこまで言って、不死鳥は黙りこくった。その鳥が「いつまで」と捨て置かれた死者の身を嘆いていたことを言うべきか、あの狐の兄弟に助けられたことを言うべきか、迷ったからだ。鴉天狗は不死鳥の言葉に深いため息を吐いて、首を振った。
「まったく……不用心だよ、不死鳥くん」
「す、すまない……
「怪我がなくて良かった。いいかい、次に琵琶の音が聞こえても……一人で行っちゃ駄目だ。俺を呼ぶんだよ、いいね」
「わかった」
 不死鳥が応えれば鴉天狗は目を伏せ、もう一度蓋を撫でる。
…………眠っていろ、お前は出てきてはならない者だ。井戸の底で水の音を聞きながら、微睡んでいろ」
 ぽつり、そう呟き顔をあげる。さて、と気を取り直して不死鳥に向き直った。
「ああ、そうだ。お土産があるんだ。食べるかい」
「土産?」
 話題が変わったのに不死鳥が首を傾げれば、そう、と鴉天狗が元来た道を戻っていく。それに続きながら、不死鳥は鴉天狗の話に耳を傾けた。

 二人がいなくなり、井戸のまわりはしん、と静まりかえる。ひんやりとした空気の中、やはり山鳥がひょう、ひょうと囀っていた。
 

 ごと……

 古い蓋が震える。
 ごと、ごと、と幾度か戦慄いていたが、やがて動かなくなる。
 
 それきりだった。