kurotera
2025-01-01 01:27:01
72939文字
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たとかとはなし 上

2023年12月に発行した温泉スカウトパロディ本の再掲です。
書き手本人が見た幻覚で諸々をねつ造しています。
高濃度の幻覚話。


 

 
 虫の音も涼やかで、空気も凜と冷えた夜だ。
 夏の騒がしさもすっかり去って、秋の始まりを感じさせる日々が続いている。
 三つの影が、本殿の濡れ縁に腰掛けていた。
「何はともあれ、あるじの身が癒えて幸いじゃ」
「ああ、あるじの美しい翼もすっかり元通りだな!」
 狛犬たちが喜ぶのをありがとう、と頷きながら、暗闇に沈んだ境内を眺める。夏の暮れ、あの日の諍いで滴った血も、燐火の焼け跡も、風でえぐれた地面の形跡も、すっかり跡形も無い。
 あの狐の兄弟も、三千院が追い払ってからは姿を見せていなかった。山の中に微かな気配は感じるものの、はっきりとした居場所は分からないままだ。

 ――このまま大人しくしてくれれば。

 小さくため息を吐き、金色の眼を伏せる。ああいった事が続けば身が持たない。これから忙しい時期だというのに、得体の知れない野狐二匹の悪ふざけにばかり付き合っていられないのだ。
「ならば、快気祝いとするか」
 吽形の手には、いくつかの月見団子を盛った皿と、酒器があった。どちらも社に供えられたものだ。
「吽形、きなこはあるか?」
「ほれ、ここにあるぞ」
 吽形が阿形にきなこを盛った皿を差し出し、酒を注ぐ。差し出された盃を受け取り、ひとつあおって鴉天狗はぼんやりと夜空を眺めた。
 夜の帳の中で小さな星々が輝いている。
「良い夜じゃのう」
「秋の長雨が降ったあとの夜空は格別に美しいものだ! あの一際強く輝く星を見たまえ、今にも涙のように落ちてきそうではないか……!」
 阿形がひとつの星を指さし、うっとりと語るので鴉天狗も吽形もそれを見上げた。
 たしかに、どの星よりも強く瞬いている。
 北辰かと思えたが、また別の星のようだった。
――……
 しばらく、それを眺めていたが不意に鴉天狗が立ち上がる。どこかただならぬ様子に酒を酌み交わす手を止め、狛犬達はあるじを見上げた。衰えぬ輝きを放つ星を金色の双眸で睨み上げ、鴉天狗は厳しい顔を崩さずにいる。
 ――おかしい。
「なんと、輝きが増しているように見えるが……?」
「ッ、あるじ!」
 同じく異変を感じた吽形が鴉天狗に呼びかけると同時。星は一際強く輝き、その明るさはいよいよ昼かと錯覚するかのように山一帯を照らした。
 刹那、光が尾をひきながら三人の上空を横切り、そして――
 轟音と共に地が揺れる。
 眠りこけていた鳥たちが混迷のうちに木々から飛び立ち、ぎゃあぎゃあと喚きながら彼方へと消えていくさまがくっきりと見えた。
 やがて光に眩んだ視界が落ち着いた頃には周囲も元の闇を取り戻して、しん、と空虚を落としている。
……
 しかし、山のあるじたる鴉天狗には山の木々、獣、もろもろのざわめきがはっきりと耳に届いていた。それらに耳を傾けながら、星の瞬いていた方角を見やる。
 あれほど強く輝いていた星は夜空から失せ、ただ静かに輝く小さな星々だけが残されている。
「まるで太陽が現れたかのような光だったぞ! 今のはなんだったのだろうか?」
「今のは……俺には流れ星のように見えたが、山の中に落ちるのは珍しいのう」
……確かめにいってくるよ」
 猛禽の翼を広げ、鴉天狗が跳ぶ。気をつけるのじゃぞ、と吽形の声が遠く聞こえた。
 中腹と山頂との中間付近に、星は墜ちたようだった。
 
 木々の間をぬってそこへ向かえば、眼下では獣たちが慌てた様子で逃げさっていく姿が見える。何も知らない彼らにとっては字の如く降ってわいた災難だろう。
 夜の闇に包まれている筈であるのに、辿り着いた場所は淡い光を放っていた。
 鴉天狗が降り立ち、周囲を見渡す。
 道中で見かけた騒がしさとはうってかわって、あたりは静まりかえっている。
「流れ星……というわけじゃなさそうだね」
 どうりであんなにも強い光が現れたのか、それを一目見た瞬間に鴉天狗は悟った。
 ――美しい男が、倒れている。
 後光の輝きを思わせる金の髪を持つ、異国の者じみた貌を持つ男が倒れ伏している。そのまわりの地面は焦げ付き、未だ熱を持っているようだった。
 男の出で立ちは奇妙で、人間ではないことを鴉天狗はすぐに悟った。
 色鮮やかな装束は泥に塗れ、それと同じ色合いの羽根が何枚か、そこらに散らばっている。
 彼から発せられていた光はゆっくりと消えていき、ようやく周囲に闇が戻ってきた。
 しずかに彼に歩み寄るが男はぐったりとしていて、意識を朦朧とさせているようだった。この地に降り立とうとしたわけではなく、何かの理由で墜ちてきてしまったらしい。木の枝にひっかかれ、地にぶつかったときに身体をしたたかに打っているように見えた。
 奇妙なのは彼の肌や羽根には痣のような、どす黒い何かが染まっていることだ。
 兎に角、このまま放っておけば山に住み着く妖怪どもの慰み者になるに違いない。
 山のあるじとはいえ弱肉強食、強いものが弱い者を喰らい、弄ぶことを禁ずることは出来ない。鴉天狗であれ、そのことわりから逃れることが出来ないからこそ、過日に狐が起こした騒動があったのだ。
 自分に出来ることといえば、山を豊かにすること、この地を流れる龍脈が淀むことのないように見張ることと、山に足を踏み入れた人間――特に幼子をできる限り怪異から守ってやるぐらいのものだ。
 元々、妖のたぐいが集まりやすい山である。だからこそ、山神は中庸を保たなければならない。
 ――とはいえ。
「さすがに……不死鳥はね」
 鴉天狗の眼前に倒れているのは、不死の力をその身に宿し、生ける万物に永遠の生を与える事が出来ると言い伝えられている存在――不死鳥であった。
 極楽浄土で暮らし、天界と地獄の狭間、三途の川の上空を悠々と飛び回り、美しい声で歌う。本来ならばこちら側に現れることも滅多にないであろうかの種がどうして、この山に墜ちてきたのか分からない。
 ただその力が下手に及ぶと非常にまずい。鴉天狗が守っている山のことわりが大きく崩れてしまう事態に陥るのは明白だ。
……君」
 傍らにしゃがみ込み、そっと肩を揺らす。その拍子に彼の耳飾りが揺れ、心地の良い音が鳴った。
「目を覚ましてくれ」
「ん……
 もう一度強く揺すり声をかければ小さな呻き声と共に、不死鳥の瞼が震えた。そしてゆっくりと目が開かれれば、蒼天を思わせるような青い目が現れた。
 暫く虚ろに視線を彷徨わせていたが、やがて目の前の男をみとめ、目を細める。
「おま、えは……?」
「俺はこの地を統べるあるじさ」
 起き上がれるかい。そう問えば衣擦れの音と共に不死鳥が身じろぎをする。
 しかし痛みに顔を顰めながら、苦悶の息を漏らした。
 はるか天上から墜ちてきたのだ、不死鳥とはいえ深手を負ってしまったのだろうと悟り、鴉天狗は彼の身体を支え起こす。
「しっかりするんだ」
「ぐ…………
 肩を上下させ、荒い呼吸を繰り返しながら不死鳥は痛みに耐えている。社に運ぶべきだと判断した鴉天狗が再び不死鳥に声をかけようとすれば、頭上で眷属の鴉が一声、鋭い声で鳴いた。
……!」
 突如、周囲から殺気を感じ、鴉天狗が眉を寄せる。
 周囲を見渡せば、二人を囲む茂みの中で、影が蠢いているのが見えた。
 すぐに飛びかかってくるというわけではなさそうだが、隙あらば、とこちらを睨む者たちがいる。この手負いの不死鳥が纏う極楽浄土の香りを嗅ぎ取ったのだろう、山のあるじを邪魔だと言いたげに、鋭い眼差しを向けてきていた。
――……何の用だ」
 鴉天狗が声を低くさせ、冷たく問えば何匹は怯んだようで、気配は消え去った。それでも畏れ知らずの少数は、茂みの中や木の上で未だに機会をうかがっている。
 不意に、くすくすと幼い笑い声が聞こえてきて、鴉天狗は大きなため息を吐いた。
「君たちもいるのか」
「やあ、この間は楽しかったよ。ところで綺麗だね、その子。お友達かな?」
……答える義理はないな」
「つれないじゃないか。もし彼がお前の手に余るというならば、オレ達が引き受けてあげようと思ったのに」
 闇の中で飴色、琥珀色の双眸が炯々と輝きこちらを見つめているのを睨みつけても、彼らはまったく怯むことがない。むしろ、楽しんでいるようにすら思えた。
 ぱちりと琥珀色の瞳が瞬きをし、隣に視線を向けた。
「兄者はあの鳥が欲しいのですか?」
 兄者、と呼ばれた飴色の瞳を持つ者は、その問いに目を細めた。それを是と受け取ったのか、琥珀色の目もすっと細まり、再びこちらを向いた。
「とってきましょうか。ああ、でも邪魔者がいますよ。本当に憎らしいですね」
 心底つまらなさそうな声の主は先代にあれほどズタズタにされたというのに、懲りていないらしい。
「ふふ、そう言うものでもないよ。あれと遊ぶのも楽しみのうちさ」
「失せてくれないか。君たちと遊んでいる暇はないんでね」
 苛立ちを孕んだ鴉天狗の声に、ぱちぱちと四つの目が瞬きをする。そしてお互い視線を交わした後、飴色の双眸が山のあるじに視線を向けた。
「そう。ならば少し預かってもらうとしようじゃないか」
「何」
「ちゃあんと、お世話するんですよ」
 嘲るような笑い声と共に、双眸の光が遠くなる。音も無く消えた気配に軽い舌打ちをして、腕の中でひゅうひゅうと息をしている不死鳥を見やった。
 幾分か落ち着いたようだが、やはり苦しそうだ。
……君。少し我慢をしてくれ。休める場所へ行こう」
「ああ……ありがとう……すまない、夜の羽根をもつ人よ……
 鴉天狗の呼びかけに、不明瞭ながらも言葉が返ってくる。話は後で、と力の入らない彼の身体を抱き上げ、濡羽色の翼を羽ばたかせる。
 一陣、風が舞えば二人の姿は消え、その場はようやく静かな闇に包まれたのだった。
「帰ったか、あるじよ!」
……ふむ。また何やら持ち帰ってきたのか?」
 社に帰ってくるなり、狛犬達が出迎えに来た。鴉天狗が抱き上げている者の姿をみとめれば、目を丸くする。
「ただいま、二人とも。彼の手当てをしたいんだ。すまないが手伝ってくれ」
 鴉天狗が命じれば、ならば湯を持とう! と阿形が駆け出し、薬箱を、と吽形が社の奥へと消えていく。
 不死鳥を抱き上げたまま、本殿から離れた小屋へと向かう。
 大昔に山に入る修験者向けに建てられた、今は殆ど使われていない小屋だ。
 阿形がこまめに掃除をしているのを、鴉天狗は知っていた。
 錠を開け、戸を開く。ゆっくりと不死鳥を床に下ろし、壁にもたれさせた。怪我の具合を確かめていると、阿形と吽形がやってきた。
「あるじや、持ってきたぞ」
 湯で満ちた桶を抱えた阿形と薬を持ってきたらしい吽形に礼を言う。
「衣を脱がせてくれ」
 阿形が手際よく不死鳥の装束を脱がせる。均整の取れた身体が露わになれば、鴉天狗は息を呑んだ。
「これは……
「ひどい有様じゃのう」
「この黒い痣はいったい……何だか蠢いているように見えるのは気のせい――
「触るな、阿形。おそらく呪いの類いだろう」
 阿形を窘め、不死鳥の身体を眺める。腕や脚、尾羽に見えるどす黒い痣から、不穏な気配を感じ取りつつ羽団扇を取り出した。
「俺の羽団扇でも全てを取り祓えるかどうか……とにかく、試してみよう」 
 そう呟いた鴉天狗が真言を唱える。すう、と羽団扇で腕の痣を撫でれば、そこから黒い油のようなものが、流れ出した。不定形なそれが床に滴れば、ぶよぶよと蠢きその場から逃げようと這い出す。咄嗟に吽形がそれを摘まみ上げ、傍らにあった灯りに放り込めばジュ、と今際の音をあげて消え失せた。
「おお、痣が薄くなったように見えるぞ!」
 不死鳥の腕を見て阿形が声をあげる。しかしすぐに眉を寄せ、首を傾げた。
「あるじの浄化でも残るだなんて、どれほど強い呪いなのだ。これでは彼も苦しいだろうに」
……そうだね、しばらく養生しなければならないだろう。それにこのままじゃ天界に帰ることも出来ないんじゃないかな」
「ふむ……厄介だのう。ただうっかり墜ちてきたというわけではないということか」
 吽形が自らの顎に触れながら、考え込む。これほどの力を持つ者がいる、という証左でもあるのが気がかりらしい。
「少なくとも、今この山にはそういった気配はないよ。いたとすればすぐに分かる。おそらくあいつも黙ってはいないだろうし……注意するに越したことはないけどね」
「あるじよ、この男をしばらくここに置くのか?」
 阿形の問いに鴉天狗が頷く。
「そうするしかないだろね。ほっぽり出したら悪さをする奴なんてそこらじゅうにいるだろうし」
 助けた時に遭遇したあの狐兄弟の意地の悪い笑い声を思い出しながら、鴉天狗が答える。そうか、と二匹の狛犬は了承したようだった。
「ではこの部屋を使うとしようかの」
「私が日夜しっかり手入れをしたかいがあったな!」
「おうおう、えらいえらい。阿形はまっことえらい狛犬じゃ。あとは護りを強くするだけじゃのう」
 吽形が褒めれば誇らしげに阿形が胸を張る。
「して、あるじや、疲れておるじゃろう。そろそろ休むべきではないか? お主の身ももまだ癒えたばかりじゃろうに」
「そうだね……あとは頼んだよ」
 さしもの山神も気疲れを起こした様子で、頷く。
 立ち上がり、おやすみと一つ言い残し本殿に戻る鴉天狗を見送ったのち、阿形がそっと口を開いた。
「吽形よ、最近やけに山が騒がしいと感じるのは私の気のせいであろうか?」
……。狐といい、こやつといい、こう賑やかなのはいつぶりじゃろうな」
「まるであるじが三千院様より山神の御役目を引き継いですぐの頃のようだ。あの時は山神の位を奪おうとする者どもが毎晩やってきていたからな」
「ふ、懐かしいのう」
 阿形の言葉に吽形が肩を揺らし、笑う。そして暫く黙りこくって、眠る不死鳥を眺めていたが、重い口を開いた。
「まあ、なるようにしかなるまいよ」

 暗闇を、初めて感じた。
 ゆっくりと瞬きをする。少し目が慣れてきたのか、灯りのない闇の中でも自らの輪郭を感じ取ることが出来て、ごそりと身を動かす。
 瞬間、ひどい痛みが走り、思わず呻いた。いったい、不死の力を持つ己の身はどうしてしまったのか。強い痛みの中で思い出そうと藻掻けば冷たく固い地面の感触が手のひらに伝わる。ぱたり、と雫が落ちる音を聞いた。
「あ、め……
 雨だ。そう、雨。
 曇ることのない極楽浄土。朽ちることのない睡蓮が揺蕩う清らかな泉のふちに座り、その水面にうつる下界を眺めていた。
 永劫ともいえる苦痛に満ちた炎が舞う地獄と定命の者たちが生きる現世の狭間に、黒い雲がかかっているのを見つけ、不死鳥は不審に思ったのだ。
 あんなにも黒く、重く立ちこめる雲は初めて見る。しかも現世でも地獄でもない狭間にあるのが、奇妙に思えた。
 蒼天の如き双眸をじっとこらし、それを見る。すると絶え間なく降る雨の中に、蠢く影を見た。その刹那、悲しげな琵琶の音が、不死鳥の耳に届いたのだ。
 それも彼にとっては、耳にしたことのない、悲しげで噎び泣くような音であった。音色はこの若い不死鳥の心を乱し、誘うかのように奏でられているようだった。
 故に思わず手を伸ばし、水面に触れたのだ。そして何かと目が合ったと気がついた時には――引っ張られていた。
 ここは常闇の地獄か、それとも別の場所か。
 痛む身体を叱咤し、よろよろと身を起こす。壁に手をつき、這ってみれば、光の筋を見つけた。そこに手を伸ばす。指が、木の戸に触れた。
 がらり、そんな音と共に指先が虚空をきる。
「おう、おはよう」
「なんと、目覚めているではないか!」
 どこか飄々とした風貌の銀髪の男と、しなやかな佇まいの金髪の男が立っている。人間か、と一瞬血の気が引いたが、彼らに神気を感じ、不死鳥はぱちりと瞬きをした。
…………お前たち、誰だ?」
「俺らか? ここに仕える狛犬よ。……なんじゃ、まるで蝸牛のようじゃぞ。そら、寝床に戻った戻った」
「あ、いや、俺は……ッ」
「まだ傷が癒えていないのだろう! 無茶はよくないぞ! ここは安全なのだから、ゆっくりと養生したまえ、何、遠慮はいらない! 私は阿形だ、よろしくたのむぞ!」
 ほれほれ、と二人に持ち上げられ、布団に転がされる。
 なすがままで視線だけを動かせば、阿形と名乗った金髪の男が鼻歌を歌いながら窓を開いた。格子越しに見える空は穏やかに晴れている。
「まあ聞きたいことは山ほどあろうて。……そうじゃな、まず、ここは現世じゃ。お前さんは落ちてきたのじゃよ」
…………落ちて、きた……?」
 そうだとも、と阿形が頷く。もう一人の銀髪の男――おそらく吽形だろう、彼が自分の傍らに座り、布団を掛けてきた。そこで不死鳥は自分がいつもの装束ではなく襦袢だけを身につけている事に、気がついた。
「三日前の夜にな。それはもう流星の如きじゃった。ここより少し上の場所で倒れていたお前さんを、あるじが見つけたのじゃ」
「それはそれは、凄まじい輝きだった! さしもの私も驚いたほどだ!」
 狛犬たちの言葉に、あるじ、と不死鳥が呟く。
 彼らが狛犬を自称しているということは。
「阿形、吽形、呼んだかな」
「おお、不死鳥殿がお目覚めじゃぞ、あるじ」
 がらり、と閉められていた戸が開き、入ってきた男を見るなり不死鳥は目を見開いた。己が落ちた夜、動けないところを助け起こしてくれたその人である。
 彼が目の前の狛犬達にあるじ、と呼ばれているのを見て、あの時朦朧とする意識の中でこの男が自分は山のあるじであると言っていた事を、思い出した。
「さて、不死鳥殿よ、こちらに御座すのがこの山のあるじ、御剣様じゃ」
「みつるぎ……
「いつもはそんなに丁寧な扱いじゃないのに。どういう風の吹き回しかな、吽形」
「なぁに、たまにはらしくあるのも一興じゃ」
 吽形がくつくつと笑う隣で、阿形はにこにこと笑いながら二人のやりとりを眺めている。三人を眺め、そしてはっと我に返った不死鳥が居住まいを正し、鴉天狗に頭を下げた。
「助けてくれて感謝する。……なんと、礼をすればいいか……
「礼はいらないよ。山のあるじとしての役目を全うしたまでだ。……傷ついた君をそのままにしておくと、なにぶん厄介でね」
 微かに声を低くさせた鴉天狗に、やっかい、と青い目を瞬かせる。その問いに答えることなく、彼はすっと金の双眸を細めた。
「暫くはここにいてもらうよ。少なくとも君の身が癒えるまで……ここに運び込んだときに診せてもらったが、君の傷や火傷は少々妙でね。癒やす為にかなりの時がかかるだろうし、それにこのままではおそらく――君は天に帰ることも出来ないだろう」
……
 不死鳥が目を伏せ、自らの手を結び開く。ここに落ちる前までは意のままであった自分の身体は、今や妙に重く、飛ぶことすらままならないように思えた。
「あなたの言うとおりだ。今の俺は、ここから飛び立つことも出来ないだろう……どうしてそうなったのかは分からないが」
「おそらくここに落ちてきた拍子に、君の持つ神気が弱まってしまったのだろうね」
 鴉天狗が答える。そしてすぐにあの流星――不死鳥が落ちる時に尾をひいていた光の粒が、彼の神気の欠片だったのではと思案し、眉を寄せた。彼が落ちてきたことは、この山にとっては大きな影響を与えすぎる事なのかもしれない。
 ――今はまだ、何も無いが。
 口を閉ざした鴉天狗の憂うような表情を見て取り、不死鳥もその表情を曇らせた。
「御剣殿。もし俺がこの社にいて不都合ならば、俺は今すぐにでも――
「それは許さないよ」
 不死鳥の提案を遮り、鴉天狗が首を横に振る。
……どうしてだ」
「君が不死鳥だからさ。手負いのままでこの山を彷徨われればどういった影響があるか、俺にも分からない。君たちの一族が、人間や妖怪たちに見つかって起こった事を知らないとは言わないだろう?」
…………
 鴉天狗の言葉に不死鳥が黙り込む。そう、この青年の一族が現世に現れるのは何も彼が初めてではない。遙か昔には他の不死鳥が、定命の者たちの前に姿を見せたこともあった。しかし大抵は、その不死の力を求めて諍いが起こったのだった。
 ゆえに不死鳥一族のほとんどが天界で暮らし、わざわざ現世に出て行こうとする者などいない。それが自分たちにとっても、定命の者達が住まう現世にも、一番良い選択であった。
「そういうわけじゃ、しばらくここ住まいじゃのう」
「なに、住めば都という言葉がある! 私たちもいるのだ、大船に乗ったつもりで養生したまえ!」
 狛犬たちが励ますのに、不死鳥は曖昧に頷く。
……わかった、暫く世話になる」
 もう一度深く頭を下げた不死鳥に鴉天狗が頷き、そしてゆっくりと立ち上がった。
「おそらくもう数日は寝ていたほうがいいだろう。……しっかり歩けるようなったなら、社の中を案内するよ。何かあればそこにある鈴を鳴らすといい」
 それじゃ、と鴉天狗が小屋を出て行く。
 狛犬たちも何かあれば言うようにと告げ、出て行った。
 しん、と静かになった小屋の中で、一人。
…………
 もう一度、手のひらを見つめ、結び開く。
 己の内にある力を呼び起こそうと念じたが、身の内にある力の流れは最低限しか感じられなかった。ため息を吐き、窓を見上げる。
 格子の向こう側は、爽やかな青空に覆われていた。

 結局それから数日、不死鳥は小屋の中で過ごした。
 鈴を鳴らせば狛犬のどちらかがすぐにやってきたし、社への供え物であろう果実を、遠慮するなと出された。ただ、小屋から出ることは許されなかった。
 鴉天狗の心配はもっともであると不死鳥も思っていたので、許しが出るまで従うつもりでいるのだがそれはそれとして退屈になってきているのも事実だった。
 自由に空を羽ばたけないのは、つらいことだ。
 窓の傍らに座り、冷たく輝く月と、その光に霞む星々を見上げながら不死鳥は思わず小さなため息を吐いた。
 ――すると。
 くすくす、と笑い声が外から聞こえてきた。
 おおよそ二人分の笑い声で、鴉天狗でも、狛犬たちのものでもない。社に忍び込んだ人間か、妖怪か。不死鳥が訝しんで腰を上げると、窓の外には影が二つ。
「やあ、いい夜だね」
 月明かりに白金の髪を輝かせた少年が一人、格子の向こうからこちらに微笑みかけている。一見、柔らかな表情ではあるがどこか底知れぬものを孕ませているような気がして、不死鳥は応えないまま彼を見つめた。
「兄者、この鳥は挨拶もしません。鳥目で兄者が見えていないのでしょうか」
 隣には彼より背の低い、淡い菫色の髪を持った少年が、琥珀色の眼差しをこちらに向けていた。どこか不遜な物言いにすっと青い目を細め、不死鳥は口を開いた。
……見えている。君たちはいったい何者だ」
「おや、随分と警戒されているようだ。……オレ達も最近、この山にやってきてね。挨拶をしようとやってきたのさ」
「それにしてもこの鳥はずっとここに閉じ込められているようですね。あのカラスがそうしているのでしょうか? かわいそうです」
「閉じ込められているわけではない。……察するに稲荷の者だな? 稲荷の兄弟よ、あまりにうるさくすれば人を呼ぶぞ」
 不死鳥が声を低くすれば飴色の双眸がおや、と軽く見開かれた。
……そう、それで君の暇つぶしになればそれでいいのだけど」
「残念です、兄者の優しさが分からないなんて。籠の中でひとりぼっち、星空でも眺めていればいいでしょう。ああ、でも薄雲が流れてきましたね? ……これでは星空も見えませんよ」
 行きましょう、兄者。拗ねた声で窓を離れようとする弟狐に苦笑いをしながら、そうだね、と兄狐が頷く。
 格子の向こうにいる不死鳥へ一瞥もくれずに離れようとすれば。
「待ってくれ」
 立ち上がった不死鳥が格子を掴み、声をあげた。夜闇の中、二匹の眼差しがまっすぐに向けられる。その輝きに一度息を呑み、しかし不死鳥はこう続けた。
「すまない、君たちの善意を無碍にするつもりはないんだ。……俺と一晩、話をしてくれないだろうか」
 眉尻を下げて謝罪する不死鳥を見やり、狐の兄弟が顔を見合わせる。ちょうど薄い雲が流れ月を隠し、二匹の表情はうかがい知ることは出来ない。
 つと、兄狐が不死鳥に微笑んだ。
「いいとも」

 狐兄弟の来訪は、不死鳥にとっては僥倖であった。
 彼らがどうして自分に話しかけてきたのか、真意は汲み取れなかったがともかく、彼らは天界の者にも親しげに接してきた。この山のことと、現世に関する話は不死鳥にとっては全く触れたことのない話で、青い目を僅かに輝かせながら、狐たちの話に聞き入った。
 その夜だけでなく、狐たちは夜更けにのみ小屋を訪れた。
 夜のみに来るのは何故か、と不死鳥が問えばここのあるじがいい顔をしないからだろうねと涼しい声で兄狐が言う。仲が悪いのか、と聞けば弟狐がふん、と尾を揺らし、兄狐は肩を竦め「どうかな」と言うばかりである。その様子からして、彼らと鴉天狗が良い関係だとは不死鳥でも思えなかった。 
 己を助けた鴉天狗に対し、少しの罪悪感を抱きながらもこの数日、毎晩訪れてくる狐兄弟と格子越しに話すことが不死鳥にとって密かな楽しみになっていた。
「お前たちは黒い雲から降る雨を見たことはないか」
 彼らと出会って幾日かの晩、ふと尋ねてみたくなり、問いかけた。黒い雲? と兄狐が首を傾げ、弟狐も目をぱちりと瞬きさせ、そしてくすくすと笑った。
「知らないのですか? 大抵の雨は黒い雲から降るのですよ」
「流石に雨雲は見たことはある。なんと言えばいいか……禍々しい気配のする雲だ。それでいて、降る雨に混じって琵琶の音が聞こえるんだ」
「それは……見たことも聞いたこともないね。だいたい琵琶の音なんて今の世の中、なかなか聞けるものじゃないよ」
「そうなのか? 天界では天女がよく弾いているものだが」
 弟、見たことはあるかい? と兄狐が聞けばふるふると弟狐が首を振る。丁寧に結われた淡い菫色の髪が、揺れた。
「その黒い雲と雨が、君が落ちてきた原因?」
……分からない。それを見つけて、眺めていた。気がついたら落ちてしまった」
「足を滑らせたのではないですか?」
 くすくすと弟狐がからかえば、不死鳥の頬が微かに赤くなる。そんなことは、と言い切れずにいれば、こら、と兄狐が弟狐の頭を撫でた。
 弟狐ははい、と素直に尾を揺らした。
「ところで、力は幾分なりとも戻ったのかい?」
 兄狐の飴色の瞳がきらりと輝き、問いかける。
 不死鳥は己の手を見つめて、目を伏せた。
「この山にぶつかった時に出来た傷は随分癒えた。ただ……
 腕に染みついた黒い痣は僅かに薄まっているように見えるが、くっきりと不死鳥に纏わり付いている。
 それにまだ翼を広げ羽ばたくことも、燃えさかる炎を発することも出来ない。
……明日にでもこの小屋から出ることを許してくれそうだ。顔色がいいと言われた、お前達のおかげだ」
「オレ達の?」
「よく話を聞いてくれただろう。お陰でこの数日、夜が短かった」
 不死鳥の言葉に狐たちが目を見開く。それから肩を揺らし、笑った。
「ふふ、それはよかった」
「兄者によぉく感謝するんですよ」
 二人の言葉に不死鳥が頷けば、兄狐が軽く空を見上げそろそろ帰る時間だ、と小さく呟いた。ちら、と飴色の瞳を隣の青年に向ける。
「ねえ、不死鳥」
「どうした?」
 軽く、兄狐が格子に顔を近づける。
「また近いうちに。もし君がここから出ることを許されたら……話を聞かせて」
「あ、ああ……だがお前たちだって稲荷の者だろう? それなら――
「野狐さ、今はね。それに、オレ達だって君と話がしたいんだ」
 それじゃ、おやすみ。
 踵を返しながら、兄狐が手をひらりと振る。おやすみなさい、と弟狐も彼に続いて、小屋の傍の茂みへと消えていった。
…………
 兄狐の言葉の真意を汲み取れず、不死鳥はただ彼らの消えた闇を見つめる。だがしばらくすると眠気に襲われ、欠伸をしながら寝床に戻った。

 数日後。
「あの小屋は続けて使っていい。社も狛犬たちと同じように歩き回るのを許そう」
 日が落ち、文字通り人払いが済んだ頃、鴉天狗につれられ社を案内された。
 取水舎、境内、社務所、そして本殿。古い建物だがしっかりと手入れをされている。静かで、荘厳だが仰々しくはない。
 祭壇には人々が持ち寄ったのだろう供え物が置いている。季節にあわせて、ススキと月見団子が置いてあった。
……これは」
 果実や、酒などの供え物に紛れて、小さな花瓶が置かれているのを見つけた。
 そこには盛りの頃には黄色く元気な大輪を咲かせていたであろう向日葵が生けられていたが、今や生気を失い萎れていた。
 それが他の供え物、例えば茄子や林檎の瑞々しさとは対照的で、奇妙であった。
「御剣」
「何かな」
「これは……どうしたんだ?」
 不死鳥が指さすものを見やり、ああ、と鴉天狗が声を漏らす。じっとそれを見つめる金色の眼差しは優しく、それでいてどこか寂しげであった。
「それも供物さ。麓の村に遊びに来ていた子どもが、夏の終わりに供えてくれてね」
……枯れている」
「日が経ったからね。夏が終わったということさ」
 月の終わりにでも片付けよう。
 そう言いながら、褐色の長い指が萎びたその花びらに触れる。その拍子にはらりと落ちた一枚を捕まえ、手のひらにのせて眺めた後、不死鳥に向き直った。
「そういえば何か入り用はあるかい? ずっと小屋の中に篭もらせきりですまなかった。天界よりは質素だけど、何か欲しいものがあれば阿形と吽形に言ってくれ」
「ああ、助かる…………こうして歩けるようになったが、まだ飛べそうにないんだ」
 すまない、と声を落とす不死鳥に鴉天狗がゆるく首を振る。焦ってもしょうがない、と彼の肩に手を置いた。
「一度落ちてしまうと、中々元の場所には戻れないものさ」
…………
 不死鳥があいまいに頷き、視線を上げた。視線の先には積み上げられた月見団子がつやつやと輝いている。ふと、あの夜に訪れる狐兄弟の顔が浮かんだ。
……御剣、一つ頼みが」
「ん?」
「あれを食べたい」
 一皿ほど、と不死鳥が指さす先の月見団子を見て、鴉天狗は軽く目を見開き首を傾げた。
「もしかして食事、足りないかい?」
「いや、そういうわけではない。その……月を見ながら食べてみたいと思ったんだ。あれはそういうものだろう?」
 ツキミダンゴ、と不死鳥が言えばしばらく黙った後で、鴉天狗が頷く。
 阿形、と呼べば金髪の長い髪を揺らし、美しい狛犬の片割れがやってきた。
「月見団子を分けてあげてくれ」
「勿論だとも! ついでに水ようかんも沢山あるのだ。食べたまえ、遠慮することはない!」
「ありがとう、阿形」
 小屋に運んでおこう、といそいそと盆と皿を持ち月見団子を取る阿形を尻目に、鴉天狗が本殿を出る。不死鳥もそれに続いて外に出れば、半月よりも膨らんだそれが、山を照らしていた。
「冷えるね」
 ぽつりと鴉天狗が呟き、麓を見下ろす。数十年前よりも住む人間の少なくなった集落は、ぽつ、ぽつと灯りが寂しげに点在するばかりだ。それを暫く黙ったまま見つめ、それから不死鳥を見た。
「社は自由に歩いていい。でも暫くは――
「社の外には出るな、か」
「ああ。分かってくれるね」
 山の為だ。
 声色が孕む訴えに、不死鳥はただ頷くのみだった。自分はこの世界にとっては真に異物なのだと思い知りながら、不死鳥は蒼天の瞳で夜空を見上げる。
 ――自分の住み処はこの空のどこにあるのか。
「ずっととは言わないさ。君の傷が癒え、力も戻った時……極楽浄土に帰ると良い。それは止めやしないよ」
 安心して、と笑みを向けられる。金色の眼差しから目をそらしながら、不死鳥はひとつ、頷いた。

 小屋に戻るとちゃぶ台の上には月見団子の小さな山と、水ようかんと呼ばれていた食べ物がいくつか、置いてあった。それを一瞥し、窓際に座る。
 あの兄弟がやって来るまでまだ少し、時間があった。
 ――数刻ののち。
「こんばんは」
 狐たちはやってきた。月見団子の皿を載せた盆を持ち、静かに引き戸を開けて外に出る。ひんやりとした空気が頬に当たり、ほんの少し肌が粟立った。不死鳥が出てきたのをみとめ、満足げに兄狐が笑い、そして手にしているそれを指さした。
「それは……月見団子かい?」
「食べないか? 貰ってきたんだ」
 不死鳥の言葉に弟狐がぱっと顔を明るくさせ、鳥も気が利きますねと嬉しそうに尾を振った。兄狐も頷けば小屋の外に置いてあった長椅子に並んで座り、皿の上の月見団子をそれぞれ、手に取った。
……初めて食べる」
「そうなのかい? おいしいよ」
「いただきます、です」
 ぱくりと一口それを囓れば、ほのかに甘く素朴な味が口に広がった。もちもちとした食感を楽しみながら、咀嚼する。
「美味い」
「うん、やはり神に供えられたものは味もいいね」
 言葉少なに団子を頬張る。皿に盛られていたそれはあっという間に三人の腹の中へ消えていった。それで、と満足げに舌舐めずりしながら兄狐が口火を切る。
「外はどうだい? とはいっても、境内だけだろうけど」
「古かった。由緒があるのだな」
「本殿の中は?」
「供物がたくさんあった」
「カラスのくせに生意気ですね」
「ふふ」
 不死鳥が語る本殿の様子に弟狐が頬を膨らませ、兄狐が笑う。何があったか、と思い出そうとする不死鳥の脳裏に、ふと、あの花瓶がよぎった。
…………それと、枯れた花が、あった」
 花瓶に生けられた枯れかけの花の姿がよほど意識に残ったのだろう、ぽつりと不死鳥が呟けば枯れた花? と兄狐が首を傾げる。
 そもそも寺ではないので仏花ではない筈だ。
「それはなんですか?」
「供物と一緒に供えられていたんだ。夏の終わりに子どもが持ってきたと、御剣は言っていた。……もう殆ど、枯れていて」
 散り落ちた花びらを手のひらで受け止め、それを見つめていた鴉天狗の横顔を思い出しながら不死鳥が語る。
「御剣は月終わりに片付けると言っていた。ただ、とても――寂しそうだった。名残惜しげ、と言えばいいのか、俺には分からないが」
「へえ……
 兄狐が目を細め、指を顎にあて何かを思案する。そしてぽつ、と言葉を零した。
「きっと彼にとって、特別な供物なのだろうね」
「特別……?」
「何か思い入れがあるんじゃないかな。だから枯れてしまっても捨てられずにいる」
……だが御剣はしょうがない、と言っていた」
「それなら、元に戻せばいいと思います」
 二人の話を黙って聞いていた弟狐の一言に、二人が顔を向ける。琥珀色の目をぱちりと瞬かせながら、弟狐は首を傾げた。
「オレ、知っています。不死鳥は命を与えられるって。枯れた花でも、死にかけの獣でも、なんでも元に戻せるって。昔、聞きました」
…………
「そう、だ。ああ、俺は……万物に不老不死の力を与えることが出来る」
 不死鳥が肯定すれば弟狐がにっこりと笑い、軽く身を乗り出す。
「それなら、元に戻せばいいんです。壊れて、枯れて、それが悲しいなら」
 琥珀色の双眸がきらきらと輝きながら不死鳥を見つめる。それが妙な説得力を持たせて、不死鳥を頷かせた。
「御剣は喜んでくれるだろうか?」
「大切にしていたものが元に戻ったら、誰だって嬉しいです! そうでしょう、兄者?」
…………そうだね」
 まるで自分事のように無邪気に笑う弟狐の、柔らかな毛並みを兄狐のすらりとした指が慈しむように撫でる。目を伏せ、お前はいい子だね、と柔らかな耳を撫でればくすぐったげにぱた、と動いた。
 不死鳥はというと、弟狐の言葉に何か思うところがあったようで、ぽっかりと浮かぶ月を眺めながら思案している。
 若者の心の内には、自分を助けた山のあるじに何か――返すことが出来ないものかという思いが、内側にわだかまっていた。それが弟狐の言葉でふと、身が浮かび上がるように軽くなったような、そんな気がしたのだ。
「不死鳥」
 暫く無言で弟狐の毛並みに触れていた兄狐が、口を開く。指を離し、不死鳥に整った顔を向け、真っ直ぐに彼を見据えた。
「君の力、使い方を間違えないようにね」
 先ほどまで柔らかく微笑んでいた表情が、どこか憂いを帯びている。彼の言葉の意味を汲み取れず、どういうことだと青い目で見つめ返しても、兄狐は答えず、弟狐の手をとりそっと引いて立ち上がった。
「なに、友人からのちょっとした忠告だよ。さ、そろそろ帰るとしよう」
「あ、ああ……ちょっと待て、渡すものが」
 傍らの水ようかんを手に取り、二人に渡す。
 半透明の丸い器に満たされた、黒々と輝くそれに兄狐は目を見開き、顔を綻ばせた。
「これ、好きだよ。ありがとう」
「気にするな。お前は良い友だ……おやすみ」
「兄者の友だちはオレの友だちです。おやすみなさい、不死鳥さん」
 いつもの通りに茂みに消えた二人を見送り、長椅子に座り直す。
 金色の柔らかな月を見上げながら、不死鳥は狐たちと語らったことについて思案し、ゆっくりと目を伏せた。

 ねぐらへの道のりを、歩いて行く。
「弟」
「はい」
 兄狐が優しく声を掛ければ、弟狐はかくりと首を傾げた。
「お前は――元に戻したかったものがあるのかい」
「? ……いいえ?」
「そう……じゃあどうしてあんなことを言ったのかな」
 あんなこと? と弟狐が瞬きをする。思い当たったのか、だって、と琥珀色の双眸が嬉しそうに細められた。
「だって兄者、嬉しそうだったじゃないですか」
「オレが?」
 はい、と弟狐が頷く。元に戻って、嬉しかった。オレが? 何に? 
 弟狐の言葉に思い当たる節が見当たらない。
「オレは覚えています。忘れません」
 淡い菫色の三つ編みを揺らし、弟狐が足早に進む。こら、と兄狐が追いかけ、その手をしっかり握れば、弟狐が笑い、その手を握り返した。
 暗い木々の中、白い燐火を頼りに二匹は歩いて行く。
 
「いったい、それは――
 本殿の磨き上げられた床の上で瑞々しく輝く向日葵の一輪を見て、鴉天狗は困惑しながら目の前の不死鳥に問いかけた。
 蒼穹か、もしくは星々を抱く夜にも似た双眸がぱちりと瞬き、唇がす、と弧を描く。すぐに伏せた瞼、まなじりを縁取る紅は鮮やかだ。
「生き返らせているんだ」
 こうして。手にしている枯れたもう一輪を、唇の前に掲げる。
 いのちを失い、くすんだ色の花びらにそっと口づければ、そこからまるでいのちを与えられたかのように花びらは生気を取り戻し、元の黄色へと染まっていった。
 枯れた筈の花が瞬く間に咲き誇る様を見れば、人はそれを奇跡と呼ぶだろう。
「不完全だが、蘇りの力を与えた。本来ならばずっとこのままでいられるのだが、今の力ではこれが精一杯だ。大丈夫、枯れてもまた蘇る。枯れる姿は悲しいが、また元に戻る。……お前はこの花が特別なんだろう? 秋が過ぎても、ここが冬の雪に閉ざされても、春が来て、もう一度夏が巡っても、お前はこの花を手放さずに済む」
 そう語る不死鳥の指が、蘇ったそれの花びらを慈しむように触れる。
 ゆらゆらと笑うように揺れるそれは、うす暗い本殿の中で妙に輝いて見えた。
 呆然と立ち尽くす鴉天狗を気にとめず、もういくつか残る枯れた向日葵に手を伸ばし、問いかける。 
「喜んでくれるか?」
「駄目だ」
 返ってきたのは鋭い声だった。不死鳥の肩がびくりと跳ね、その手が止まる。ぱっと視線を上げればそこには僅かに怒りを孕んだ金色の瞳が、あった。
「やめてくれ、そんなことをしないでくれ」
…………どうして怒っているんだ?」
 不死鳥の青い目が揺らぎ、問いかけてきたのに首を振りながら、未だ枯れて床に伏せている向日葵を鴉天狗が拾い上げる。
 手に取るものがなくなった不死鳥の指がほんの一瞬、彷徨いやがて床に触れた。
「これは極楽浄土の花じゃないんだ。山のふもとの子どもが、ここまでやってきて供えた。ただの向日葵だよ」
「だが、もう枯れている」
 そんなの悲しい筈だと言いたげな不死鳥に、鴉天狗はもう一度首を振った。
「枯れる花を見るのは寂しいけれど、それがこの世界の決まりなんだ。不死鳥くん。オレ達の我が儘でその決まりを壊してはいけない」
「そうなのか……? 嬉しく、ないのか?」
 昨晩、弟狐が言っていた言葉を思い出す。嬉しいはずだ、と言っていたのはあの狐の嘘であろうか。
 いや、そうではないだろう。あの幼い稲荷ならば、喜ぶのだ。
 しかし御剣は違う。それが山のあるじとしての考え方なのかは分からないが、とにかくこの向日葵は正しく枯れなければならないのだと、不死鳥は悟った。
 この世界のものは、ちゃんと死ななければならないのか。
 不死鳥がぽつりと呟き、ひとつ、たしかに頷いた。今しがた生き返らせ、生気に満ちた向日葵をそっと拾い上げ、それをまじまじと眺めた。
「すまなかった」
 謝罪の言葉を花へ向ける。
 そして再び花びらの先に口づけを施せば、瞬く間にそれは朽ち、崩れ去った。
 床の上に小さな塵の山を作れば、もう一つの向日葵もすぐに同じ末路を辿る様を、鴉天狗は見届け、密かに小さな息を吐いたのだった。
「これでいいか」
「ああ……ありがとう」
 少し不安げな顔で問われれば鴉天狗が頷く。すると良かった、と嬉しそうに不死鳥が笑い、床に出来た塵の山に眼差しを向けた。
「ちゃんと枯れた」
 そう呟く不死鳥の後光のように輝く金の髪は、あの咲き誇っていた向日葵の色に似ていた。