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氷紀
2024-12-23 03:20:09
15387文字
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とある息子たちの話
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とある放蕩息子の追憶
養父の思い出を引きずっているゲタくんが、モブの老人と出会って別れる話。CPとしてはモブゲタ。
『とある息子たちの話』シリーズ(※こちらのシリーズはゲタ沢)の前日譚です。
※モブゲタwebオンリー『モブの下高校』出展作品
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その日、僕は初めて、黒岩さんの家に泊まった。
手を握っていてくれと言われて、素直に握った手は、お義父さんとはまるで別もの
――
銃やナタを振り回し、ネクタイを巻いて拳を握り、僕を抱きしめてくれたあの手とはまるで対極の、本と紙と入力端末に親しんできた、骨の細い手だ。
なのにどうして、こんなにも近い気配がするんだろう。
……
僕が勝手に、お義父さんの面影を見いだしたがっているだけ、なのかもしれない。
黒岩さんが眠ったのを確かめてから、その手を布団の中に戻して、タオルを洗いに部屋を出る。家の間取りは、もうすっかり覚えてしまった。
その夜、僕は暖かくて優しい夢を見た。
覚めた後にも温もりだけが残る、やわらかな夢を。
翌朝、僕が起きた頃には既に、黒岩さんは目を覚ましていた。
おはよう、と言う声が細くて
――
ああ、これはもう、と直感が告げてくる。
「
……
黒岩さん」
「朝食は、いい。
……
代わりに、頼みがある」
「何でしょう」
「君がまだ、持っていく本を二冊、決めていないのなら
……
うち一冊は、南極越冬記を、持っていってくれ」
「
……
分かりました。必ず」
新書版の薄い本だ、邪魔にはならない。
ちなみにもう一冊は、あの帝国血液銀行の本にしようと最初から決めている。
「ありがとう。
……
これ以上、君に報いる方法が思いつかないが、
……
そうだ。君のお義父さんという人は、どんな顔をした男だったのかな?」
「よく、佐田啓二に似てるって言われてました。あと、左目の瞼に傷があって、左耳も少し、欠けていて
……
」
「ああ、それだけ分かれば
……
、うん、会えば分かるな、きっと」
そう言って、黒岩さんは目を閉じた。ベッドサイドのテーブルに畳んだ眼鏡に、手を伸ばすこともなく。
「
……
もし会えたら、
……
貴方の子は随分と情の深い、優しい男に育ったと、伝えることにするよ。会えるかどうか、確約はできかねるが、ね
……
」
「もう、
……
ただのお伽噺、ですって」
冗談めいた声音を作る。
そういうことにしておかなければ、到底通じない話だから
――
黒岩さんの返事は、微かな笑い声ひとつ。その方が都合がいいならそれで、という音だった。
そのまま、聞こえるのは静かな寝息だけになっていく。
寝息の間隔は随分ゆっくりで、きっと、最後の寝息なんだろうと僕の本能的な部分が理解した。僕みたいな生き物は、人間よりもずっと、この手の感覚は鋭い。
相当痛む病の筈だったのに、この穏やかな寝顔で逝けるのなら、それはきっと幸いなんだろう。
リビングに出て着替える。洗って乾かした自分の服を着て、借りた浴衣はきちんと畳んで、リビングのテーブルの上に置いた。次にここに来るのが誰で、いつ来るのかも分からないけれど、もう僕がここに来ることはない。
最後に、帝国血液銀行の本と、黒岩さんに指定された南極越冬記を手に取った。後者は新書版の小さい本だ。そこに、透明なプラスチックのメダルケースと、メダルケースと同じくらい厚みのある縦長封筒が挟まっていた。
メダルケースの中には、青い緩衝材に嵌め込むような形で、明治三年と書かれたきれいな金貨が三枚、入っている。眺めて楽しむためのセットだろうか。それから封筒の中には
――
それなりにまとまった額の現金と、黒岩さんの手書きらしきメモが入っていた。
『こんなものしか残せないが、君の生活の足しになれば良いと思う
私の人生の最後に現れてくれて、ありがとう
黒岩正より 隻眼
白髪
はくはつ
の君へ』
すこし弱々しい印象だけれど、端正な楷書で書かれた、ブルーブラックの文字
――
いつの間に、こんなものを。
その瞬間、胸に宿った想いがどうしようもなくて、できるだけ音を立てないように寝室に戻る。黒岩さんの寝息はゆっくりなまま続いていたけれど、もう、その音は現世からはみ出しかかっていた。
ほどなく消える温もりを宿した黒岩さんの額に、僕は一つ、唇を落とす。
「ありがとう、黒岩さん。
……
でも、僕のお義父さんより先に、奥さんに会いにいきなヨ?」
そう囁いたら、聞こえてなんかいないはずの黒岩さんの顔が、少し笑った気がした。
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