Privatter+
Font
Serif
Sans Serif
Color
Light
Dark
auto
Font size
Large
Medium
Small
Language
Japanese
English
Sign in with Google
Sign in with ID and password
Account ID
Password
Sign in
Forgot password?
Create account
氷紀
2024-12-23 03:20:09
15387文字
Public
とある息子たちの話
Clear cache
とある放蕩息子の追憶
養父の思い出を引きずっているゲタくんが、モブの老人と出会って別れる話。CPとしてはモブゲタ。
『とある息子たちの話』シリーズ(※こちらのシリーズはゲタ沢)の前日譚です。
※モブゲタwebオンリー『モブの下高校』出展作品
1
2
3
4
5
6
田中君は、甲斐甲斐しかった。
時間はまちまちだが、昼か夜にやってきて、時間が合えば食事の上げ下ろしをし、本のことを話し、買い物やら掃除やらをして再び本を眺め、決められないからまた来ますと言って去り
――
そんな一週間と少しのあいだに、薬の守りを食い破った病魔は、いっきに私の体を蝕んでいった。強い痛み止めは予め処方されていたから、それで何とかしのいではいるものの、もう、残り時間が少ないのは分かる。
今月もあと五日を切った日。
降り続く長雨の夜、私はとうとう耐えきれなくなって、帰ろうとする彼を呼び止めてしまった。
「
……
君の都合が許すなら、泊まっていってくれないか」
「それは、構いません、けど。
……
いいんですか」
「ああ。
……
どうにも、一人の夜は気が滅入っていけない。寝床は、そこのベッドしか空いていなくて、悪いが」
視線で、今私が寝ているベッドの隣に横たわっている、空のベッドを指す。数日前、田中君の手ですっかりきれいに整えられたその空きベッドが、元々誰のものだったかは、きっと言うまでもなく伝わっているだろう。
私が弱音を吐ける相手は、妻だけだった。妻を喪ってから、あとは死を待つばかりの暮らしで
――
そこに彼が現れて、私はつい手を伸ばしてしまったのだ。
「わかり
……
ました」
やや遠慮がちに、ではあったが、田中君は頷いてくれた。
田中君がシャワーを使っている水音を聞きながら、考える。
己に迫る死の気配を感じると、やはり誰かに縋りたくなるものなのか。特に深い信仰というものも持たない身は、ただソレの前で呆然とするしかない。
……
誰でもいいから、ただ側にいて欲しい。最後に残った欲と呼べそうなもの。
シャワーから戻ってきた田中くんは、洗面器を抱えていた。中に一本タオルが投げ入れてあって、それで彼の意図は知れた。
「あの、良かったら
……
体、拭きましょうか。上半身だけでも」
「
……
ありがとう。お願いするよ」
二台のベッドの間にあるテーブルに、洗面器の置かれる微かな音がする。タオルを絞る水音が、雨音に紛れて響いた。
「失礼します」
私の体を抱え起こして、着ている病衣
――
これも田中君が手配してくれたものだ
――
をそっと剥ぎ取り、心地よく熱いタオルの感触が肌に触れる。病んだ体を目にしても、田中君は何も言わなかった。
背中、胸、腕。時折絞り直して、少しずつ温くなっていくタオルの向こう、田中君の手に迷いはない。
「下は、どうしますか」
「膝から爪先の方まで、頼む。他は自力で何とかなるが、腰が痛くてかがめないから
……
」
「分かりました」
タオル越しに若い肌の気配を感じて、我が身の老いが浮き彫りになった気がする。
右足のふくらはぎを拭いているあたりで、浮かんだ思いが言葉になった。
「随分
……
慣れているね。この間来たヘルパーとは大違いだ」
「ヘルパーの人、頼んでたんですか」
「ああ、一応。
……
でも、どうにも乱暴でいい加減な奴でな。交代の話もあったが、断ってしまったよ。かわりに、洗面所に通報装置を付けろと
……
たかが一ヶ月のことに、なあ?」
雨音を透かして、田中君が小さく笑う声が聞こえた。
「僕はいいんですか」
「話を聞きもしない無駄な世話焼きよりは、ずっと」
「それなら
……
良かった、ナ」
田中君は、足の指の間まで丁寧に拭っていく。ろくに知りもしない、老いと病に蝕まれた男の体を、まるで壊れ物のように扱う手。
何か人間離れした情愛を感じた。神というにはずっと身近で、悪魔というには繊細すぎて、精霊というには少しだけ重いような。
「ありがとう。
……
不思議な男だな、君は。私は君のことを何も知らないが、何故か、酷く落ち着くよ」
「僕は、
……
僕も、黒岩さんに会えてよかった、って思ってます。きっと、これから先も、ずっと」
「若い君の時間を、こんな年寄りに使わせて悪いな」
白い髪が、ふるりと横に揺れるのが見えた。右足を拭き終わった彼の手は、今度は私の左足に伸びる。
「
……
いいんです。僕が、こうしたいから」
泣き出す寸前の声音だった。
あまりにも気になって、つい問いを重ねてしまう。
「何か、理由があるのかい」
「
……
それは、」
「辛ければ、無理には聞かないよ。しかし、
……
どのみち、遠からず墓場に沈む身だ。君の重しのひとつくらいは、一緒に抱えていってやれないこともない、と思うんだが」
一拍の沈黙。
その間に彼は、洗面器でタオルを絞り直した。もうだいぶぬるくなっているが、その感触もまた心地良い。
「じゃあ
……
お伽噺だと思って、聞いてください。僕、人間じゃなくて妖怪
……
の、ようなものなんです」
「ほう」
そう来たか。
……
カラスと仲良しだったことといい、もう真実か否か問う段階ではない。
「でも、義父は人間でした。体を損なった父の代わりに、僕を大事に育ててくれて、
……
人間の世界のこと、たくさん教えてくれました。僕は義父が大好きで、本当に
……
だいすきで、」
俯く田中君の表情は見えない。
でも、足の上にぽつりと落ちる感触が何か、と思えば
――
その表情は、想像で充分補える。
「だけど、僕が十のときに、
……
暮らしていた家が、水害で流されて。
……
僕の目の前で、あの人は
……
、」
ぽたり、ぽたり。雨音に似たちいさな音。
足を拭く手が、先ほどから同じところを往復しているが、それを咎める気にはならなかった。
「
……
それから少しして、僕は自分の年を数えるのを止めました。お義父さんとの思い出の距離なんか、知りたくなくて」
「それは
……
辛かったろう」
「それでも実の父、父さんが、いたから
……
でも父さんは体を損なっていたから、あの頃の僕は、ひとりで頑張るしかなくて。
……
今はもう、父さんは元気、なんですけどネ」
取り繕うような声音。
田中君は、一度拳で自分の顔を拭ってから、続けた。
「
……
もし、お義父さんが生きていたら、って。人間は僕や父さんよりずっと早く死んでしまうって、分かっていたけど。
……
もっと、一緒に過ごしたかった。年をとって、寝込んでも、こうやって
……
体を、拭いてあげたかった、って
……
」
その言葉が真実だとすれば、
……
なるほど、彼に対して覚えていた様々な違和感は、きれいに辻褄があう。生きた時代がズレていること、傷の治りが異様に早いこと、白い手とその雰囲気。
「では、君が熱心に読んでいた本は
……
その、お義父さんという人に関わる本なのかな?」
「はい。
……
お義父さん、帝国血液銀行に勤めていたんです。一張羅のスーツで
……
、営業の話のネタだって言って、ベストセラーを読んだりなんかして。生活にそんなに余裕はなかったけど、月に一度くらい、映画を見にいったりとか
……
よく、覚えてます」
「
……
そう、か。君はそんな時代から生きているんだな」
あの時代を直接記憶している人間は、もう一人残らず墓の下だ。人間は長くても100年少々で大体死ぬとすれば、今の地球上に残っている筈がない。そういう年代だ。
「いろんな人と会って、見送って、友だちになったり、いがみ合ったり、殺し合い寸前まで行ったことも何度も、
……
でも、何をしても、何があっても、人間はみんな僕の側からいなくなる
……
お義父さんが最後に教えてくれたのが、それだったんです、きっと」
私の左足を拭きながら、虚空に向かって喋っている風だった。
それでもいい。冥土の土産、というのとは少し違うだろうが、彼の心にある荷物を、少しでも軽くできるなら。
「君はきっと
……
さみしい、のだね。お義父さんという人に、置いていかれたのが」
「
……
たぶん」
「そうだな
……
置いていかれるというのは、心にも体にも、堪えるものだ。とはいえ、いずれ死んだら会えると思えば、
……
ああでも、そうか。君は
……
」
そこで足を全て拭き終わり、田中君は顔を上げた。
涙の痕を残した顔で、私に向かってにかりと笑ってみせる。
「なんて、
……
ただの、お伽噺ですヨ。お湯冷めちゃいましたから、替えてきますネ」
サイドテーブルの洗面器を持ち上げる横顔は、
――
なにかひどく、綺麗な生き物の顔だった。
1
2
3
4
5
6
Reaction
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.
Custom color
Reset color
広告非表示プランのご案内