さもゆ
2024-11-25 12:08:55
22722文字
Public BBB
 

【スティレオ】Moderation

節度。副官の愛情のうち性愛だけが少年に向いちゃったよどうしようっていう、始終レオくんが「スティーブンさん怖え」ってなってるスティレオ始まりそうな話。
※一瞬レオくんがモブに襲われる。
※副官の女性関係とかも捏造してる。
※ちょっとだけ無理やり表現(?)がある。
1 節度 これ。
2 性的敗北
3 かわりになってよ
4 燃料

2020.8.6 たまごのお粥pixiv投稿作品



 まさか直々にスティーブンさんが助けに来てくれるとは思わなかった。

 というのもヘルプの電話をかけた相手は履歴の一番上にあったザップさんだったし、そのザップさんはこちらの涙ながらの訴えをいま愛人といいところだからと一蹴して電話を切った。悪魔だと思った。もう絶対絶交してやると思った。
「す、……
 スティーブンさんが、なんでここに、訊こうとした喉は震えて白息ばかりを吐き散らす。
 凍った靴音で近づいてくる上司は、影になった顔で「ザップから電話をもらってね」とこちらの声にならない疑問に完璧に答えてみせた。ザップさん。絶交はやめておこうと思い直し、見えない上司の顔を仰ぐため身じろぐ。なんだか鳥肌が止まらなかったし、震えは治まらないし、悪寒がすごかった。そりゃそうだ、冷たく凍った床に、ほぼ裸の恰好で寝転がっているんだから。

 好きで寝転がっているわけではない。
 一張羅を引き裂き、手足を縛って床に転がしてきた相手が、そばで凍りついて息絶えている。
 たぶん、もう少し、あと数秒彼の登場が遅かったら、確実に貞操の危機だった。
 それぐらいの危機感はあった。この街に来て理不尽に暴力を振るわれたり金を盗られたことはあっても、命ではなく貞操を狙われるのはイレギュラーなことで、全力で視界を掻き回して逃げようとしたのに、生憎と異界人の相手は目玉がなかった。それで、ヘルプと。潔く助けてくださいと喚いた。

 めちゃくちゃな声を出していたと思う。
 命の危機とは違った恐怖だった。
 心が死んでいくような、いや、殺されていきそうな。

 だから殺される前に助け出されて本当に良かったと思っているし、その安堵と寒さのせいで体が震えていると思いたい。

 歩いてくる上司が怖い。
 いや、そんなことはない。
 だって助けてくれたのに。

 革靴で歩いている床も、その背後の割れ砕けたドアの残る入口も、落書きだらけの湿った壁も、ところどころ穴の開いた天井も、この部屋の全てを凍らした味方であるはずの男が、なぜかいまとんでもなく恐ろしい。
 
 がち、歯の音が合わなくなってくる。すぐ目の前に色の良い靴先が止まり、そして一歩退いて膝がつかれた。見上げていた僕の目は一心に折られた膝、スラックスの皺を注視していた。この目になってからというもの、見れるものが粒子レベルで増えたが、それでも見てはいけないと思うものに対しては見ないようにしていた。それがいまはこの恩人である上司の顔らしい、ごくりと唾を飲み込みながら思う。どうして?
 スティーブンさんは目に見えないもので周囲を威圧するのがうまい、と僕は思っている。
 表情だけではなく、たとえば冷気のような、視認できないけれど確かにそこにある場の雰囲気を支配するのが、得意なんだろう。秘密結社の副官だ、きっと当然のことで、ただの一般人の自分からしたらそこがまた恐ろしいのだが。
 ……い、いま、それをする必要は?

 ぶつり、いつの間にか手足の拘束を切られていた。
 視界の端に、尖った氷を掴んでいる大きな手が映る。ぽたり、溶け出た水に混じるのは明確な赤色だった。手のひらを傷つけたのだ。
「す、スイマセン」
「なぜきみが謝る?」
 声音だけは穏やかに、彼は着ていたいつものジャケットを脱いで僕の動けないままでいる体に巻きつけ起き上がらせた。視線が否応なしに顔へ向く。しかし彼は横を向いていて、傷のない頬はデスク仕事をしているときと変わらない形だった。唇が開く。「こいつ、どうする?」
「え?」
「砕く?」
「え」
 指しているのが自分を襲った異界人のことであると遅れて理解し、「い、いや、」身震いついでに首も振る。「だ、だって、もう、死んでるんでしょ……」胃の粘膜が痙攣して嘔吐感が込み上げてきた。恐怖が。限界に近い。得体の知れない感覚だ。初めて襲われたからではない。むしろ、もうその恐怖はとっくにどこかへ行っている。体を暴かれかけたことは、きっと悪夢にもなりやしないだろう。
 スティーブンさんは僕の様子をやはり被害者特有のものだと思ったのか、「警察へ行こうか」と言った。僕は面食らった。
「い、いえ、そんな大事にすることじゃ……
「でも、震えてるぜ」
「そ、」――れは、あなたが怖いからです、と思い切って言おうとしたが、彼がこちらを見てきたので口を噤んでしまう。慮る、顔つきを、している。太めの凛々しい眉は下がっているし、垂れ気味の両目も柔らかな濃紺に怒りと優しさを滲ませている。気遣わしげな薄い唇から、ぶわりと息が凍って漏れ出た。
「こーいうのは、本人が思ってる以上に精神に来るもんだ」
「は、はい」
「間に合ったことは良かったけど、それできみの被害が帳消しになったわけじゃない」
「は、はい」
「怖かったね。家まで送る。平気かい、立てる?」
 このひとは僕に怖がられていると気づいていないのか?
 他者の感情の機微に敏い上司にしてはおかしなことだった。おかしな具合に、目の前の怖い上司は、普通の、子どもを守ろうとする大人らしい大人として振る舞っている。彼が仲間想いで、飄々とした態度とは裏腹にえげつない方法で仲間のため敵を追い詰めていく姿を知っているが、こんなふうに部下を分かりやすく守ろうとする姿は知らない。そういうことをするのは、彼が隣に立つクラウスさんの方が似合っていた。
 分かりやすいお手本をなぞって、下手くそな何かを隠そうとしているように思った。
 思ったところでそれを訊く勇気はなかったし、寒いし、怖いし、何もかもが気のせいかもしれなかったし、大人の言うように自分が思った以上にショックを受けているのかもしれなかったし、寒いし、冷たいし、そもそもライブラからバイトを終えて帰宅途中唐突に暗がりに引きずり込まれた体は疲弊しきっていて、早く家に帰りたくなってきてまた「はい」と頷いた。

 太ももまであるジャケットにみっともない身を隠しながら、少し先を歩くスティーブンさんの後を歩いて廃ビルを出る。

 凍った床から、やっと足裏よりは温かく汚い地面に足をつけ、背後のビルを振り返って思わず義眼を見開いた。
 その廃ビルは七階建てらしかったが、入口から屋上までの壁面全てに霜が下りていた。
 
 この霧に覆われ水分量が多い街では、氷使いの上司の技は最強だと思う。
 そう言ったら、血を媒介にして、空気中の水分を巻き込み、まあある程度までは凍らすことができるけど、制御が難しいからあんまりやらないんだ、と教えてくれたことがあった。

 あくまでも、目の前と、その周辺を凍らすためだけの技だよ。水平線ならともかくね。

 コツ。凍った踵が立ち止まって振り返る。

「少年、どうした? 車はこっち」

「な、」  
 
 なんでも、ありません。僕は答えて廃墟を後にした。暗い色のシャツを着ている上司の背中は、どうしようもなく影になっていて、それがまた恐ろしかった。

 僕はスティーブンさんのことがよく分からず、そして怖いと思っている。