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残りの夜が来た
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星矢
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愚者の黄金
デスマスク(17)がシュラやサガにモヤモヤイライラする話 無印+ギガンントマキアベース 過去設定捏造
初出・同人誌(個人)「愚者の黄金」2013年
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そこまで繊細な造りだとは思っていなかったのだが、俺の怪我は一向に回復しなかった。小賢しい仕掛けと俺の身体とはよほど相性が悪かったようで、手当てを施したはずの傷はむしろ悪化しているような気がした。
「
……
参ったな」
独り言の声が恐ろしく掠れている。あれからおそらく数十年ぶりの熱が出ていて、浅い眠りを繰り返している。現在時刻はおろか、巨蟹宮に篭ってどれくらい経ったのかすらはっきりと分からない。汗を吸った衣類が不快で仕方ない。
上半身を起こすと、傷を中心とした脇腹にずっしりと重さを感じた。何か食わねばならないが、食欲がないので億劫で仕方ない。何日か前にアルデバランが置いて行ってくれた食べ物があるはずだと思い、意を決して立ち上がった身体がやけに軽くなっている。げんなりしながらふらふらと食堂に向かうと、さあさあと音がした。雨が降っているようだ。雨季最後の雨かもしれない。
アルデバランの青い林檎に皮ごと齧り付きながら、ぬるく湿った灰色の空気をぼんやりと眺める。雨音に包まれた巨蟹官は呻き声ばかりが響き、外界から隔絶されているように感じる。
偽教皇は「しばらく休むといい」と小宇宙で伝えてきただけで、見舞いには来なかった。雑用に駆け回っているであろうシュラとアフロディーテも同様だ。サガが手土産などを持ってきた日には逆に俺がとっておきの泡を開けなければいけないだろうし(自分の棲家で彼と素面で話すなんてとんでもない!)、俺が抜ければ負担の大きくなる二人が来ないのも当然と言えば当然だったが、ほんの少し腹立たしい。
この苛立ちのうちには自分のヘマに対するハつ当たりの気持ちも多分に含まれていることは分かっていたが、分かっていたからといって気が休まるわけではなかった。舌打ちをするとそれがまた弱々しく情けなく、俺はがっくりとこうべを垂れた。そのままじっとしていると頭に血が溜まる。脈と遠くの呻き声と雨の音が混ざり合って渦を描く。檻の中にいるような気分になり、胸の奥がざらざらと音を立てる。
それに抗うように「ああああ」と自分の呻きを混ぜていると、「
……
何をやってる」
目玉だけを前に向けると、ヒレの付いた聖衣が見えた。「でけえ魚」
「おや、元気そうだな」
「どこが」
「口だ」
会話を続けるのが物理的に苦しくなりゆっくり顔を上げると、アフロディーテが濡れた金髪を聖衣に貼り付けて立っていた。拗ねていたのを見透かされてしまったようでばつが悪い。気持ちを誤魔化すために彼の聖衣を指した。
「珍しいな、聖衣でここまで来るなんて。餌やってきたの?」
「その言い方はやめろ。下品だ」
「高貴である必要があるのかよ」
「無いが惨めになるだろう」
至極当然のことを言われる。俺を含め至極当然の思考回路を持たない連中ばかりの聖域において、アフロディーテの存在は救い以外の何物でもなかった。
「
……
ごもっとも」
「怪我はどうだ」
「良くはない」
「長いな」
「実際何日経ってるのか分からん」
「七日だ」
カビが生えているぞと言ったきり、アフロディーテは無言だった。座ろうともせず、その場から動こうともしない。肩のパーツの先から水滴が落ち、床で弾ける。
俺は胸騒ぎから目を逸らそうとした。
「
……
座れよ。それかコーヒー淹れてくれ」
「淹れてやりたいのは山々だが」
肩を竦める動作には軽さが全くなかった。「すぐに出るんだ」
アフロディーテはほとんど聖域から出ない。教皇の間の前の最後の砦だからだ。その彼が出ると言う。
熱でカスカスになっていた脳に、ようやく血が巡り始める。
「何だよ。結婚式?」
「だったら良かったんだが、
……
任務に出たシュラが戻ってこない。援護に行く」
「どこへだ」
「エトナ山だ。留守を頼む」
「寝かせとくって言ったじゃねえか
……
」
アフロディーテを見送った後、俺は教皇の間まで文字通りよじ登った。聖衣は纏えず雨も上がっていなかったので泥まみれ、おまけに傷口が開いて血も滲んでいる。長い絨毯に泥やら血やらを転々と落としながら、俺はサガに詰め寄った。
「傷は良くなったのか」
「見ての通りだ」
彼は鼻を鳴らし、マスクを取って吐き捨てた。「怪我人に用はない」
「うるせえな、
……
何でシュラがエトナ山にいる」
「お前の調査の続きだ、デスマスク」
「そうじゃなく、」
「お前の傷だが」
遮ったサガは、白い指で俺の脇腹を指した。
「エトナ山の結界はギガスによって張られたものだが、テュポンの封印はかつてのアテナによって為されたものだ。アテナは更に、自分が眠っている間テュポンの封印が外部から解かれぬよう、仕掛けを作った。その罠に引っかかった狐がお前だった」
思わず脇腹を見下ろす。まさか女神直々のビンタだったとは思わなかった。どうりで治らないわけだ。
「対象が聖闘士であろうが何であろうが、封印に触れるものには無差別に発動する。呪いに近いものだが、効力の及ぶ期間は限られている。シュラには、その期間を少しだけ縮めに行ってもらっている」
「
……
あいつにそんなことができるのか」
「手荒な方法ではあるがな。結界に関してもその方法に関しても、お前の負傷のお陰で見落としていた記述を拾うことができた。感謝するぞ」
「
……
俺のやりかけた仕事だ」
「怪我人に用はないと言っただろう。悠長なことを言ってはいられないのだ」
もっともだ。
もっともだし分かっていたが、俺は一層苛立った。
苛立つのは、自分のヘマに対する八つ当たりだ。ただそれだけのはずだ。それなのに、感情は止まらなかった。シュラの顔がちらついた。あの石のような顔。
「何で、」
憤りかけた俺は、脇腹の痛みに言葉を止めた。それでやっと自身の惨めな姿を思い出す。傷が俺を嘲笑っている。
……
クソ。
奥歯を噛み締めていると「デスマスクよ」と呼びかけられた。
「テュポンと同じ封印を、ハーデスにもポセイドンにも施しても良いとは思わぬか」
「
……
?」
サガは畳み掛ける。「その封印を施しさえすれば少なくとも一定期間は安泰なのだ。それなのにアテナはテュポンにだけそれを施した。テュポンと彼らの差は何なのか、分かるか」
「
……
ギガントマキア」
嫌というほど叩きこんだ言葉が転がり出た。知ったのは訓練生時代ではなく、最近、それもエトナ山の調査前だった。テュポンとそれを奉じるギガスとの戦いはギガントマキアと呼ばれる。ギガントマキアは『歴史に残す意義のない戦い』である。故に正史には残らず、聖闘士にも口伝されない。
「テュポンとの戦いは聖戦じゃないからか」
「そう、あれは不名誉な戦いだ。だが、ハーデスやポセイドンとの戦いは、歴史に刻まれる。いや、刻まねばならぬ。神々にとっては起こさねばならぬ戦いだ。ポセイドンもハーデスも、必ず目覚めなければならないのだ。だから厳重な封印は施さぬ。
……
我々を巻き込み、予定通りに戦を起こすために」
サガはゆっくりと立ち上がった。黒髪が肩から零れ、波打つローブが段差を滑る。絨毯の上を音もなく歩み、俺の肩を掴む。
「悠長なことを言ってはいられないのだ、デスマスク」
「分かったって、」
「神々は目覚める。聖戦は予定通り勃発する」
「
……
何言ってるんだ」
食い込む指が肩の骨を軋ませる。「アテナは七年前に死んだだろう」
それがなぜかしら空虚に響くことに、俺はぞっとした。俺の不安に呼応するように指の力が一層増す。
「お前をエトナ山に派遣していた間、シュラに調べさせていた」
「何を」
尋ねるや否や、力任せに顔を引き寄せられる。サガはそのまま頬の横で、
「星が言うのだ、」
と囁いた。
「アテナは生存している」
「
……
何?」
「その真偽を調べさせていた」
七年前の赤ん坊が生き延びているかもしれない。
俺はぼんやりとサガの言葉を聞いた。「あれが生きているとすれば、我々には一刻も早く、一つでも多く、力が必要なのだ。神が不名誉とした戦いのための聖衣であろうが、いっそ邪神の力であろうが! それが戦力になるのならば、必ず我々が手に入れねばならぬ、そうだろう、デスマスク」
肩から小刻みに振動が伝わってきていた。サガは震えている。震えは徐々に大きくなる。
「生きていたとしても、彼女はまだ幼いだろう。だが、生きてさえいれば、女神は必ず目覚める」
「
……
おい、サガ」
「女神は目覚めるのだ、デスマスク!! そうなれば、」
「おい!!」
俺はようやく指を引き剥がした。
「傲慢な神は俺たちを決して許すまい」
サガは笑っている。
「しっかりしろよ
……
」
諫める俺も、頭の中はほぼ真っ白だった。もし女神が生きているのだとしたら。俺たちの茶番劇はひょっとして、
――
いや、だからといってどうということはない。女神のことなど端から俺はどうでもよかった。俺の行為を否定し、脅かす者とは、ただ戦うだけだ。
……
だが。
サガは笑い続けていた。そこにシュラの顔が重なって雨の音と混ざり、最後には渦を描き始めた。
◇◇◇
事件が起こったのは春の夜だった。サガはついに女神に刃を向けた。年少の黄金候補たちは各々の修行地におり、十二宮には、サガとアフロディーテとシュラと少年、そしてアイオロスしかいなかった。アイオロスの気配に気づかぬほど不安定な男の起こしたアクシデントとしては、まずまずのタイミングだった。暗殺計画としては最悪だった。
逆賊討伐の指令を出したものの、サガの小宇宙は微弱になり、何の声も聞こえなくなっていた。アフロデイーテが逃亡するアイオロスの説得に失敗したと聞き、少年は腹を括った。いつかこうなることは予想していた。アイオロスを憎んでいるわけではなかったが、サガは姿を見られているのだ。サガの追放や死をみすみす受け入れるという選択肢は少年の内に存在しなかった。
「シュラ、一度アイオロスを通して背後から俺を援護しろ。挟み撃ちだ」
縦横無尽に拳を撃つアイオロスと、シュラや少年の拳は相性が悪い。一騎打ちよりも退路を絶たせて積戸気冥界波を撃つほうが確実だ。聖衣を纏った少年は足早に巨蟹宮を出た。「
……
おいシュラ、聞こえて」
言い終わるよりも先に爆発した小宇宙で頬が痺れた。続いて怒号が聞こえる。シュラは少年を待たずに臨戦態勢になっている。
「
……
あいつ」
アイオロスが駆ける。その背に聖剣が振りかざされる。シュラが叫んでいる。
≪
……
ぜ裏切る!!≫
一瞬思考が止まった。シュラは今何と言った?
少年は弾かれたように宮を出た。駆け上がる階段は果てしなく長く、温い空気に縺れる足が空回った。シュラが叫んでいる。何度も叫んでいる。
アイオロスの小宇宙が消えた時、少年はまだ階段の途中にいた。
少年は磨宮の入り口に立ち、帰宮するシュラを待った。よく晴れた夜だったが、月が明る過ぎて星は見えなかった。二百余年を待った主を失ったというのに、十二宮は何事もなかったかのように静まり返っていた。そのしんと張り詰めた空気を乱雑に押し退けながら、彼は、階段を登ってきた。
山羊座の聖衣はひどく汚れていた。血で鈍く輝くそれに身体を沈め、彼はちらりとこちらを見た。
「何をしている」
「お迎えだよ英雄」
「
……
」
「
……
裏切るって何だ」
「
……
」
シュラは無言で少年の脇を通り過ぎようとした。
「おい」
肩を掴もうとすると半身を捻って避けられる。少年と対峙して、シュラは低く呟いた。
「お前には関係のないことだ」
「関係ない訳ないだろ。どっちかっていうと裏切り者は俺たちだろうが」
口が滑りだすと止まらない。少年はまくし立てた。
「それともアイオロスも一緒にサガに従くって約束してた? んなわけねえよな。それとも本当は一緒にここから逃げ出そうとしてたとか、」
背中を汗が伝った。「それを裏切られた?」
少年は恐ろしかった。何が、何故、恐ろしいのか、自分では分からなかった。ただ今すぐ叫びたい。掴みかかりたい。
シュラは表情一つ変えず、「馬鹿か」と吐き捨て立ち去ろうとした。
その横顔に向かって拳を振り上げるが、激情の先行した拳は簡単にかわされ捻り上げられた。潰されそうな手首を挟んで睨みつけ、「女神はどうした」と尋ねると、眼球だけがぎろりと動いてこちらを見た。
「めがみ?」
少年はぎくりとした。「
……
めがみだと
?」
シュラの表情は豹変していた。今まで見たことのないような顔でこちらを見る彼に一瞬法み、
「
……
お前」
呟くや否や背中に衝撃を感じた。飛ばされたと気づいたのは数秒後だった。少年は柱の根本に身体を沈ませた格好でシュラを見上げ、聖衣の下の青白い顔を覗き込んだ。頬は強張り、瞳は暗く、冷たい。
「
……
あれは女神などではない」
「
……
」
「あれはただの赤子だ」
声は徐々に高くなる。
「俺は見た。あれは無力でちっぽけな、ただの、赤子だ。目の前で死にゆく人間一人救えぬものなど、俺は断じて神とは認めない!!」
叫ぶシュラの表情には、絶望の色が滲んでいた。何故絶望するのだ、と考えた瞬間、彼の言葉の意味に思い当たった。何故裏切る。
少年は呆然とした。
……
お前は。
お前はあのとき頷いたではないか。女神に忠識を誓えぬ俺に頷いたではないか。自分も神など見たことがないと。
本当は、見たかったのか。神の力を信じたかったのか。お前は、
お前は、女神に裏切られたのか。
少年は動くことができなかった。先ほどの恐怖が飛散した代わりに、何か別の空虚なものに絡め取られていた。汗だけが意志と関係なく流れ落ち、床に染みを作った。
「
……
帰れ」
シュラは少年の上を通り過ぎていく。
「
……
いてえ
……
」
貧窮したシュラの両親は教会の礼拝堂で祈りながら死んだ。少年はそのことを後から知った。彼の絶望はこれが二度目なのかもしれなかった。
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