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残りの夜が来た
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星矢
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愚者の黄金
デスマスク(17)がシュラやサガにモヤモヤイライラする話 無印+ギガンントマキアベース 過去設定捏造
初出・同人誌(個人)「愚者の黄金」2013年
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腹の傷口から臓器が全部流れてしまえばいいのになどと、痛みのあまりろくでもないことを考えながら水を浴びている。臓器の流れ出た身体はさぞかし身軽なことだろう。ストレスもなく楽しく余生を過ごせそうだ。
巨蟹宮まで水道が引かれたのは最近のことだった。そのおかげで血を洗い流すことができるのだが、無理やりひっぱってきたシャワーには水圧というものがない。ちょろちょろした水がむしろ傷には余計な刺澈だわ、一方で髪の毛にまとわりつく土埃はちっとも落ちないわで、俺は苛立っていた。
不毛な水浴びを中止すべく蛇口を捻ると、水はだらしなく細くなりながら止まる。おおんおおんと壁の顔が鳴いている。腹の傷が共鳴のように脈打つ。
傷口を触らぬようそっと水を拭いやっとのことで聖衣を身に付けたが、痛みのせいでうまく小宇宙を燃やせなかった。小宇宙を燃やさずに身につける聖衣の重いことといったら、まるで大リーグ養成ギプスだ。本当はこんなもの投げ捨てて今すぐ床に就くのが俺の一番の望みだったが、一番だろうが二番だろうが俺の望みを叶えてくれる素敵な存在は今朝も姿を表さなかった。代わりに義務が俺のことを健気に待っている。
錆びた農耕具のような身体を無理やり動かして巨蟹宮の外に出る。任務を終えて戻ってきたのは未明だった気がするが、辺りはすっかり朝になっていた。冬と夏の間のはっきりしない空気に身体が一層重くなる。俺はこの季節が嫌いだ。足を絡めとられそうになる。
誇張無しに息も絶え絶えになりながら、やっとの思いで十二宮を登り切る。一体どれだけ待っていたのか知らないが、教皇の間の前にはまるで徹夜明けの顔をしたシュラが殺気を帯びて立っていた。
「おはよ」
「早くない」
「うるせえな。シャワー浴びてたんだよ」
「貴様が戻ってきたのは昨日の夜だろう」
「ほぼ朝だ。ていうか何お前、ストーカー?」
「
……
俺のほうが貴様より遅かったんだ」
地底から響くような声で明いたシュラは、捨て台詞として更にクソと吐き踵を返した。お喋りは以上らしい。相手が遅刻して来たら俺も今来たところくらい言えばいいのに。もっとも、彼がそんなことを口にしたら俺は指をさして笑ってやる。
疲労によるものなのか痛みによるものなのか、とにかく俺は汗だくだったのだが、シュラはこちらに一息もつかせないつもりらしい。つかつかと早足で進む彼を追いかけるのはなかなかに苦痛で、俺は痛みを誤魔化すためにシュラの名を呼んだ。
「何だ」
「お前もお仕事だったんだろ。報告は」
「まだだ」
「あ、そう。どこ行ってたの」
「アジア」
随分適当な報告だ。半歩先を歩むシュラはこの間一度も振り返らない。俺は会話を諦めた。
教皇の間を通りぬけた俺達は、まっすぐアテナ神殿に向かった。死ぬほど眠い上に大怪我を負っている俺が健気に身を清めてからここまで登ってきたのも、ついでにシュラが犬よろしく俺を待っていたのも、ひとえにアテナのためだった。俺たちはアテナに食事を献上しなければならないのだ。
食事の儀式自体は数百年前から存在しており、女神不在時には形式的なものが、女神が現れてからはそれに見合った形のものが、長く執り行われていた。無論これは本来聖闘士が行なうものではない。だが現在、この役目を果たせる人間は、俺を含めて四人しかいない。
外は大分気温が上がっていたが、徹底して人払いされたアテナ神殿に漂う空気はいっそ寒々しかった。日陰だからでも人の気配が無いからでもなく、立ち入っている俺たちを含む神殿全体が白々しく胡散臭く馬鹿馬鹿しいからだろうと俺は思う。
……
言い直さなければならない。この役目を果たせる人間でなく、この茶番を演じなければならない人間が、俺を含めて四人いる。アテナ神殿にアテナがいないことを知っているのはその四人だけだった。
現在の儀式には、控えめに言っても聖城史上最大級に意味がなかった。無人の神殿には架空の女神と共に侍女たちまでいることになっていて、俺たちはその黒子として存在しないアテナに食事を提供し、片付けて差し上げるのだ。全ては女神様がきちんとこの聖域にいらっしゃると見せかける目眩ましである。
アイオロスが赤ん坊を拐かした時点でこんな茶番はやめてしまえばよかったと思うのだが、教皇はそれを良しとしなかった。ならばせめて替え玉でも用意してくれればもう少し楽しく義務を果たせるのに、彼はそれも許さない。サガは、聖域にアテナなど必要ないと切り捨てたくせに、頑なに彼女のための舞台を守り続けているのだ。彼は、まだ『その時』ではないのだと言う。
俺とシュラとアフロディーテが偽教皇と運命共同体になってから、既に七年もの月日が経過しようとしていた。『その時』が来て彼がマスクを取る瞬間を、俺はもちろん楽しみにしている。それでこそこの茶番も報われるというものだ。ただ、七年も経てば耐え難いものも浮き彫りになる。それは例えばこの儀式であり、この男である。
横目でシュラを見る。彼は俺の脳内など知る由もなく、玉座の先をじっと見つめている。この男はいつも、空の玉座の先に本当の神がいるかのように振る舞う。
彼にとっての神がどんな形をしているのか、俺は知らない。まだ見ぬ全知全能の神なのか、地上を治めようと足掻く男なのか、それとも未だに十字架の向こうにいるやつなのかもしれない。
いずれにせよ、彼のこういった姿は常に俺の横っ面をひっぱたくのだった。胸のうちにじんわりと広がっていく不快感を逃がすため、俺はひっそりとため息をつく。茶番に冷えた空気が一層沈んだ。
ところで、聖戦も始まっていないのに何故俺が怪我をしているかと言うと、訓練のせいでも私闘のせいでもない。偽教皇の課した任務のせいだ。
俺は彼の指示で昨晩までシチリアに赴いていた。目的はエトナ山の地下神殿に眠ると言われる、どの階級にも属さない特殊な聖衣の調査である。エトナ山内部は神話通り巨大な洞窟になっていて、聖衣も確かに眠っていると思われた。ただしおまけつきだ。聖衣のおまけはテュポンとかいう邪神だった。
妙な結界のせいで思うように動けない中、単身で邪神と戦うなどという無謀な挑戦には全く興味がない。俺は礼儀正しく失礼しようとしていたのだが、こちらの意志とは無関係に、腹に一撃を喰らってしまう。テュポンからではない。封印されたテュポンに近づく対象に攻撃を与えるような仕組みが施されていたのだ。
儀式を終えシュラと共に教皇の間に戻った俺は、増す痛みに立っているのもやっとのところを何とか踏ん張り、聖衣を手に入れようとすると邪神どのを起こす可能性があり、安全に行なうには何らかの措置が必要だろうという、クソの役にも立たない報告を上げた。
「
……
なるほどな」
サガは古い書物を見ながら舌打ちをした。
金糸のようだったプラチナプロンドはここ数ヶ月ずっと黒いままで、燗々と輝く赤い目とのコントラストに目が眩んだ。かつて神のようだと称されたのはこの顔ではなかったと思うが、これはこれで別の神のようだった。ただ最近では、それ以上に感情の昂ぶりが目立つ。もっとも、クソの役にも立たない報告には舌打ちぐらいがふさわしいと俺も思う。
「そのようだな。ここにもそんな記述がある」
「できれば派遣する前にその事実に気づいて欲しかったな、俺」
サガは顔を上げ、「それは済まなかった」と事も無げに言った。
「久しぶりの帰郷ができてよかったではないか」
「
……
そうですね、どうも」
俺には故郷などあって無いようなものだ。サガもそれは知っているから、この会話もまた茶番だ。茶番好きの偽教皇のこと、もしかしたらこれは俺が派遣された時点から始まっていた劇なのかもしれないが、終わったことをとやかく言っても仕方ない。追加調査が必要かどうか、これも形式だが、一応尋ねた。サガは首を振る。
「一旦寝かせよう」
「一生寝かせとけよ。ここにないなら要らねえだろ、その聖衣」
「
……
そうかもしれないな」
口角がすうと持ち上がる。刃物のような笑顔はこれ以上の意見を求めておらず、俺は肩をすくめて一歩下がるしかなかった。噛み付く必要はどこにもなかったし、それよりも、いい加減腹の傷が傷んで倒れそうだった。
「じゃあそういうことで」
「ご苦労だった」とサガは頷いた。「傷が深いようだな」
「
……
見ての通り」
「シュラの報告に同席する必要はない。問題ないな、シュラ」
「ええ」
「
……
じゃあ、お言葉に甘えて」
踵を返すと、回転する視界の端にシュラが映る。俺と同じくらい寝不足であろう青白い頬にはうっすら髭が伸びており、触れたら冷たい道端の石のような面をしている。
……
いや墓石か。棺桶か。
怪我のことはついでで、元よりサガは俺が出て行くまで会話を始めるつもりはないらしかった。沈黙の中、俺はわざと足音を高くして教皇の間を出る。全ての情報が共有されるわけではないことは分かっていたが、それくらいの八つ当たりは許して欲しい。
「
……
クソ」
温い空気に巻き込まれる。この中を巨蟹宮まで下っていくと考えると気が遠くなる。一人になった途端、音を立てるように脂汗が吹き出していた。そのくせ腹の底はだんだんと冷えていく。傷がだけが別の生き物のように疼く。
◇◇◇
少年が聖域に来た日は、彼が初めて靴を履いた日でもある。
殺しと盗みによって生計を立てていた少年を拾いに来たのは、双子座の黄金聖闘士サガだった。サガは少年の足元を見て顔を翳らせ、汚い足の裏を拭い、柔らかくなめされた革のサンダルを与えてくれた。そして、「お前のような者こそが聖闘士であるべきだと私は思う」と言った。
履物と引き換えに聖域に入り込んだ少年は黄金聖闘土候補としての生活を送ることとなった。決して特別な待遇を受けたわけではなかったが、黄金候補という事実は少年に品定めの視線を浴びせた。また少年は、彼が優遇されていると勘違いしている人間にも随分と可愛がられた。
ある日、そのうちの一人、やけに体格のいい訓練生に腕を振り上げられた少年は、反射的に人差し指を掲げた。
少年は人にない力を持っている。物心ついたころから少年はそれを使いこなしていたし、その力あってこその今までの生だった。自分に危害を加える人間をあの穴送りにすることは、少年にとって当然のことだった。ここに来たからと言ってそれを変える必要は無いはずだったが、「駄目だ」
その手を後ろから掴まれる。抗いがたい力にやる気を削がれて振り返ると、アイオロスがいた。
「確かに」アイオロスは頷く。
「あいつらが悪いな。お前は悪くない。ただ、こんなことで力を使ってはいけない」
「私闘禁止だから? あっちが先にやってきた」
「それでもだ」
「じゃあ俺はどうすればいいんだよ」
「殴れ」
「
……
」
「お前もしかして、喧嘩できないのか?」
そんな言い方をされては領かざるを得なかったが、不服には思った。アイオロスは、なぜかしら少年にカを使わせない。それに対してサガはこう言った。
「この力はお前しか持たない特別なものだ。だからこそ正しく育てなければならない」
訓練されていない力は少年の身体に負担をかけているのだという。
「力を正しく使うためにはそれに見合った強さが必要だ。お前はまず小宇宙を燃やすことを覚えなければならない」
少年は当時、二人は結局同じ事を言っているのだと理解した。そういうことなら聞き入れようと考えた少年がおとなしく訓練を積むようになると、程なくして山羊座と魚座の候補がやってきた。
三人は年齢が近く何かと一括りにされたが、持っている能力はばらばらだった。互いの特技が新鮮で、またおかしい。魚座は自在に操れる毒薔薇を咲かせてみせ、山羊座は手で木を切り倒してみせた。少年は初めて他人に見せるためだけに穴を開け、三人で黄泉比良坂を覗き込んだ。制御しきれない力での戯れは時折教皇の怒りを買い、彼らはよく一緒に怒られた。また、よく一緒に訓練を抜け出し、良く一緒に飯を食った。そうして、競い合うように力を向上させていく。
力は、聖城内での少年の立場をも変えていった。理不尽な暴力を振るう者はいなくなり、単なる好奇ではない、確固たる地位が確立されつつあった。力とはこういうものかと少年は感慨に耽った。
このとき、手段と目的は少年の内において完全に合致していた。すなわち、より一層強い力を手に入れたいということだ。それだけが少年の身を守ったし、それだけが少年の存在価値だった。ただし、それは聖城における正しい聖闘士の在り方ではなかった。
当然のことながら、シオン教皇は少年に対して聖闘土としての崇高な精神を求めた。力はアテナのためにある。そう聞く度に少年は居心地の悪さを感じた。単に戦力を求められているのならばまだしも、アテナという存在に絶対の忠誠を誓うことなど少年には不可能だった。少年は今まで神というものを見たことがなかったし、その恩恵を受けたこともないのだ。
聖衣獲得の試練を目前に控えたある日、少年は、魚座と山羊座に吐き出してしまう。「顔も知らない女神に伸けというのは、見知らぬ女が母親ならば無条件に愛せということと同じだ」
聖闘士としての修行を積む身で口に出すのは許されない言葉だったが、二人は頷いた。それどころか、山羊座は「俺も神など見たことがない」と言い、魚座は「見知らぬ女を無理に愛する必要はない」と言ったのだった。
「俺たちそれで聖闘士になれるのか」
「ならなければならないだろう」
「私たちにはそれしかない」
同じ気持ちの人間がいるということの心地よさを知った少年は、常に彼らの言葉を傍らに置きながら訓練を重ね、ついに、聖衣獲得のための試練を滞り無く終える。聖城への帰還は三人の中で最も早かった。
アテナへの忠誠心を持たぬ黄金聖闘士となった少年は、聖衣の入った大仰な箱を背負い、階段を降りた。
忠誠心がなくとも自らの力で勝ち取った聖衣は間違いなく少年の誇りだった。意気揚々と新居である巨蟹宮に足を踏み入れると、その壁には、悪趣味な顔がぽつりぽつりと点在した。それどころか呻き声まで上げていた。
顔の話は瞬く間に聖域中に広まった。噂によればあれはもともと巨蟹宮にあったものではないらしかった。
かといって自分が彫刻したわけでもないので、少年は噂に首を傾げながら山羊座と魚座の帰宮を待っていた。
ある日、教皇の間に向かった少年は、中から漏れる声を聴く。教皇が誰かに語りかけている。日く、
蟹座に聖衣を渡したのは私の間違いだったのかもしれない。
「
……
」
少年は息を潜めた。
……
あの死顔は、子供が今まで人を殺めてきた証拠だ。
聖戦と何の関係もない人間を、女神に与えられた力を使って、
……
……
あれがとても正義の心を持っているとは、私にはとても、
……
……
ああ。私は歳を取り過ぎたのかもしれない。
……
どちらにせよ、あれは我々が何とかしなければならん。
「
……
」
少年は静かに呼吸をしながら教皇の言葉を反した。
彼の言葉が本当ならば、壁に張り付いているのはかって少年が穴に落としたスラム街の人間だった。こうなることが分かっていたからアイオロスやサガは力を使うことを禁じたのだろう。
……
そうだ。教皇の言うとおり、確かに、少年は殺してきた。
(だが)
少年は考える。だが、自分はそうやって生き存えたのだ。そうしなければ自分は野垂れ死んでいた。少年にとって生き残るとはそういうことだ。
それを正義という何かに踏みにじられたような気分だった。
少年は、教皇の間から出てきた人間の腕を掴んだ。
相手は誰でもよく、ただ問いただしたかったのだ。
出てきたのはサガだった。
「
……
聞いていたのか」
「まずかった?」
彼はどこか冷えた、そのくせ裏側で何かを燃やしていそうな目をしていた。
少年は、自分も彼と似たような顔をしているのだろうと感じた。そして、なぜかしらサガがサンダルをくれた日のことを思い出していた。スラムから少年を連れ出したサガは、少年の生活を目の当たりにしていたはずだった。それでも彼は言ったのだ。お前のような者こそが聖闘士であるべきだと、私は思う。
発したかった全ての言葉を投げ出した少年は、代わりに、
「サガもあの顔見に来てくれよ」
と言ってみた。
「あれ、俺の勲章なんだ」
サガは顔を上げ、一瞬呆けたような表情になった。
「
……
勲章」
それからふうっと笑い、「そうか」
「
……
そうだ」
少年がデスマスクと呼ばれ始めたのはこの頃だったが、黄金聖闘士にあるまじき二つ名が広がっていくのを少年は止めなかった。それどころか少年自身がそう名乗っていた。もともと少年には名前がなかったし、聖域が忌み嫌う邪悪の象徴を名として掲げるのは誇らしく爽快だった。蟹座のデスマスク。俺の生の証。
だから、少年がサガに従くのは極々自然なことだった。サガの語る理想に心酔したわけでも彼を崇め奉ろうと思ったわけでもなかったが、サガがシオン教皇を殺害していたと知っても、特に迷いを覚えなかった。
シュラとアフロディーテが同じく彼に従いたこともあったかもしれない。少年は、自分が進むべき道が明確になったとすら感じていた。
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