死ぬまでに知りたいたった一つのこと

pixiv再掲
クリア後いくらか経った世界観。ミカグラの花屋で働いている記憶喪失の男性が、花屋にくる不思議なお客を相手にしながら自分を取り戻していくお話です。
アロルク要素はとても薄いですが、最後に彼に「ボーイフレンド」と言わせたかったがために書いたお話…!
とてもネタバレのため、真エンドクリア後閲覧推奨です。



4.Edward meets Aaron.

 起きてみると、どうやらここはいつものゲストルームのようだった。
 音を立てないように一度、二度、辺りを見渡す。どこかから寝息が聞こえた。すっかり安心しきっている男の寝息だ。寝返りを打つ布擦れの音もした、きっとこれは男の隣で眠っている女の出した生活音だろう。
 窓からは朝焼けの光が差す。この家の住人が起きる時間にはまだまだ程遠い。与えられていた寝巻きを取り払い、体の肉と骨を確認する。少し、重たくなった。また鍛え直さなければならない。
 いや、この重さは脂肪とはまた違うか。記憶のない間にこの体に培われた、これまで感じたことのない感情というやつだ。
 しかし、ここ数週間で爆発的に増えたあらゆる思いは、もう頭で処理することはできない。何と言えばいいのかわからないからだ。それについて表現をすることはできる、演じる幅は増えた。しかし、本当に同じ思いを感じながら顔貌を作っているのか、と問われれば、永遠にノーと言えるだろう。
 で、あれば。記憶を失っている間、どうして自分は感情を構築することができたのか。
 あれが──本来の自分の姿だったのかもしれない。戦争を知らず、飢えを知らず、罵られることも傷つくことも知らず。まともに生き、まともに育ち、何不自由なく過ごしたら。もしかしたら得にもならないことをして、助けてもらった誰かのために今度は自分が助けになろう、とひたむきに生きる、哀れな男であったのかもしれない。
 今となっては全て、闇に去ってしまったことだ。
 もともとここに辿り着く前までに着ていた服は、すでにこの家の者がきれいに洗濯をしてくれていた。泥と汚れでくたくただったはずのシャツは、糊がきいて乾いている。住んでいる間、何度も嗅いでいた柔軟剤の匂いもした。
 去ろう。あっけなく、俺はそう考えた。いや、判断した、という方が正しい。正確に、確実に、一ミリも狂わず、無駄のないように。それが俺が習ってきたことだし、生業としてそれを念頭に置いて動いている。当たり前すぎて口で説明するまでもない。しかし、俺はふと足を止める。足元に転がってきたのは、記憶が完全に戻る前までそばに置いていたのであろう写真だ。
 ここの家の住人が写っている。マーク、アニー、ハンナ、そしてぎこちなく笑っている俺だ。背後にはバーベキューセットもあって、俺を歓迎するためにハンナによって数週間前に計画された、小さなホームパーティーだった。
 今の俺がもしもここに写るなら、完璧に微笑んでみせた。そして、きっと今からも、ためらいなく証拠を隠滅するために動ける。
 夫婦の寝室へ向かった。ドアは簡素な作りで窓に鍵などかけていない。今思えば、不用心極まりない家族だった。財布も、金庫の鍵も、車のキーも、適当にあちこちに放り投げ、客がきたとなれば愛想よく振る舞って家の中で紅茶を振る舞う。もてなしの好きな家族、と言えば聞こえはいいが、今日この頃の世界情勢の中で、もう少し身を守れ、と言われても仕方のないことだと思う。
 だから、今日ここで二人がベッドの中で、どうなっていても、おそらく「確かに用心の足りない家だったわよね」と近所の噂がたつだけだ。
 俺は男の枕元に、そっと忍び寄った。

 さざなみが聞こえる。真夜中だが海は相変わらず揺れていて、穏やかな波を目に見せてくれる。
 俺は浜を歩いていた。もうすぐ見えてくるのは初老の婦人──ペギーと言ったか。彼女が毎週定期的に通っている施設だ。暗闇でも玄関へ続くライトだけは眩しく煌々と道を照らしている。細かい砂が革靴にさらりと入り込んだ。足の裏をなで、つま先へ溜まっていく。そんな砂の道がもう間もなくアスファルトの道路へと変わろうとしている場所で、俺は立ち止まり、忍び笑いを漏らした。
「君の殺気は、すごいな。どこまでも肥大で、飲み込まれるみたいだ」
……んなこと、みじんも思っちゃいねえくせに、よく言うぜ」
 施設の前の低い塀の上に、彼は座って俺を待っていた。鋭い視線と黒豹のような体は、目立たないようにトレードマークであろう赤いジャケットをつけていない。全身を黒い服で包んで、彼らしくない装いだった。
「どうしたんだ、こんなところで。迷子、というわけではなさそうだ」
……テメエを送り届けるためだよ、後ろのでっかい建物に」
「やめてくれ、まだそこまで老いてないぞ」
「しらじらしい演技すんじゃねえ、横につながってる廊下が見えねえか?」
 彼の親指がぐいっと後方にある建物を指差す。介護福祉施設の看板、そして施設の脇から伸びる渡り廊下。外が見られるようにガラス張りの開放的な作りになっているが、今はライトが落とされていて薄暗い非常灯が付いているだけだ。そのガラス張りの廊下を突き進めば、俺は晴れて再び刑務所へ戻ることになる。俺が収監される大きな建物の最上階から、あの警視総監どのが仁王立ちをして待っているような気がした。
 この介護福祉施設は、そんな警視庁の退役した高官か、その年老いた家族が入居できる場所だ。
「知っているさ、そこから俺は通ってきたからな」
……チッ」
 これ以上話しても堂々巡りだと思った彼は、左手に付いている輪を俺に見せつけてきた。プラプラと垂れる鎖ともう一つの輪は、もう最近ではすっかり見慣れた形だ。
「君には申し訳ないね、こんな真夜中に、中年の親父とデートだなんて」
「うるせえ、そう思うならさっさとここに手ぇはめとけ」
「はは、そうしよう」
 銀色の、硬質な光を放つ金属の手錠は、俺の右手にかしゃりとはまった。俺はこれを取る術も道具も一応は持っているが、そんなことをしても目の前の獣が許さないだろう。彼の力はこの目で何度も見た。軍隊にいた俺でも近接では絶対に敵わない、野生の力だ。
 だから少し、嫌味を言うぐらいはいいだろう。
「息子とだったら、良かったのにな、ルーク・バーンズ──いや、アーロン」
……テメエ……
「息子のボーイフレンドに連行される父親か、実にシュールだ」
 はあ、と呆れたため息をつきながら、アーロンは施設の中へと進む。カードキーで内部の警備を解いたが、そうでなくてもこの中には厳戒態勢をしきながら警官がわんさかいるのだろう。何しろ俺が歩いているのだから。
「もっと早くに、迎えにくると思ったんだがな」
「テメエが記憶なんか飛ばしてるからだろうが」
「様子を見てくれたとは、親切だね」
「うるせえ、俺たちはとっとと捕まえる気でいたさ」
……つまり……そうか。君たちは、甘いんだな、息子に」
 自ずと理解ができた。ルークが言った言葉を。偽の父親の言った教訓を信じ続け、ついに自分のものにしてしまった青年の言いそうなことだ。
「父さんの感情が少しでも変化するかもしれない、とかかな」
 沈黙は肯定。アーロンは鼻筋をギュッと寄せて、ものすごく嫌そうな顔をした。動物が威嚇をする前段階に似ている。つくづく彼は、獣だ。しかし、知性も頭脳もある。優れているからこそ、実の息子にならコードを隠せると思われたんだろう。普通に近づいていたのであれば、確実にコードは引き出せなかった。
 手錠で繋がれたまま、薄暗い廊下を明かりもつけずに歩く。夜目が効くらしい彼は、何不自由なく障害物を避け、広い施設内を悠々と歩いた。
「ちなみに、誰が俺を最初に見つけたんだ?」
「んなこと聞いて何になる」
「いや、優秀な人材だな、と思ってな」
 彼はしばらく俺を見て、そのエメラルドのような瞳をキラリと輝かせた。夜なのに明るい虹彩のそれに、俺はどこか懐かしさを覚える。
「おっさんだ。発見してすぐ、近寄った。その後、テメエのよく知る詐欺師が、本当に記憶を失くしてるか調べに行った。ドギーは、まあ、どうしても会いたがってんのが見え見えだったからな……ただ、長時間の接触は避けるように言われていた。また何かあったら困る」
「ふむ……全てが俺の演技であったら、とは思わなかったのか? それこそ、不用心だと思うが」
「ないね」
 いやにはっきりと言い切る男に、俺は目を開いた。そして彼の犬歯が覗く口が、再びはっきりと形を作る。
「テメエの、健康診断の結果を見た」
 俺は、なるほど、と小さく呟いた。
 さらさらと風が吹いて、木々が揺れた。暗い影が廊下に落ちて、大きな葉が数枚ほど散ったのがわかる。
「少し、話に付き合ってくれないか?」
……聞かねえからな」
「それでもいいさ、独り言だと思ってくれ」
 俺と彼は、渡り廊下のドアを開く。外は暗いが緑が映え、昼間は咲き誇っているであろう花壇は寝静まっていた。ふと、花の方に手が動く。
 花壇の状態が悪い。もしもこのままにしておけば、多分あの花たちは三日ももたないな。頭のどこか片隅で、そう感じた。

 ──俺が君にこうして捕まる一ヶ月ほど前か。刑務所の中で、読書をしていた。ナデシコが「ファントムが何を好きかは知らんが、退屈しのぎだ」と持ってきた本だ。十冊ほど積まれた本は、更生を進めるものだとか、感情を呼び戻せるようなものだとか、そういう類は一切なかった。淡々とした歴史小説や、推理もの。書物などで俺を推し量ることはしない、という女の意図が明確にわかった。そこに何となくあった本を持ってきた、ただそれだけ。
 そうして時が経つうちに、警視庁内の噂が流れてきた。
「DISCARDの残党が好き勝手暴れているらしい、警視総監が直々に食い止めにいく」
 俺にはもう関わりのない話だから、本のページをめくっていた。そうしたら、一枚の紙切れが落ちた。拾ってみると、端的に地図が書かれている。ナデシコからの伝言と一緒にな。
 地図の示した先には残党とやらがいた。一人一人はあっけなかった。姿を見せれば恐れおののいて、逃げ出した奴もいる。再会の喜びも、怒りもない。ナデシコはわかっていたんだろうが、今の俺があの刑務所から逃げ出すことはない。だからここへ連れてきて、残党狩りをさせた。俺でしか開けられないパスワード、指紋認証、声紋確認がある基地だったからかな。
 ……協力したのなんて珍しいって? 話を聞かないんじゃなかったのか、ビースト。はは、そう怒るな。
 残党がやっている内容は、俺の研究を引き続き人類に施していくことぐらいだったし、言うことを聞かない辺境民に薬を試す、いわゆるただの弱いものいじめだ。のさばらせても俺は一向に構わなかった。ただ、あの地への潜入ランクは度を越している、俺が難解になるように作った。だから俺が行くことになった、協力した理由はこれだけだ。
 ナデシコは俺をそこに向かわせる時、最初はこれをルークに頼もうとしていた、と言っていた。お前と、ルークに。……初耳か? そうだろうな。ナデシコも、あの表情は何と言ったか……そうだ、苦しそうにしていた。もう一度、あの地獄を彼らに見せたくはない、とも言っていたかな。つまり、俺にならいくらでも見せていいってことだ。
 俺は狩りを終えてその地を離れ、監視付きでミカグラの刑務所に戻ろうとした。船に乗り、島に戻り、そして……そこから記憶がない。
 気がついたらあの家の主に拾われていた。知らなかったことを知り、親子と一緒に食事を取って、花屋のビルとして生きていた。
 狩りに行き、元部下たちを退ける時に戦闘で後頭部を打ち付けたが、その場は平気だった。しかししばらく経って、これまでの人生全てをポカンと忘れた。あれほど得意だったはずのライフルの担ぎ方や、人を騙す手段、食事に毒を混ぜることも、一切がっさいを俺は忘れた。
 さあて、ね。脳への衝撃で戦争による後遺症が引き出されたのか、何なのかはわからない。若年生の健忘症かもしれないな。けれど、俺の脳はもうすぐ少しずつこうやって忘れていく。ナデシコがわざわざ俺に対して健康診断をして、その結果にも書いてあった。若いうちに極度の経験を積んだ体は、痛めつけすぎてもうそんなに長くは生きられないんだろう。そりゃあそうだ、普通なら一年の拷問で死ぬ。スパイをして初めて人を殺し、気が狂っておかしくなる。組織を立ち上げた時点で舞い上がり、組織が壊滅したと同時に生きる意味を失う。俺だから、ここまで生きて行けているだけだ。何も感じない、俺だからな。
 ……ふむ、どうしてそんな顔をする? お前の相棒には伝えてくれるなよ。もしも俺が死んだら、舌を噛んで自害したとでも言えばいい。納得は、しないだろうがな。きっとどこまでも俺の死体を探し回って、また泣くのかもな。
 あの男に泣かれるのは、なぜかわからないが、あまりいい気持ちではない。お前もか? ……その顔は、同意見って顔だな。そういうのは、最近ようやくわかるようにはなった。ルークに関する周りのことが、少しはな。

 ◇

 アーロンは、近くのカフェでモーニングを取った。あれほど大食らいの彼が、今日は喉をうまく食べ物が通っていかない。イラつきを隠せずに舌打ちをする。テラス席を通り過ぎた若者が、「ヒッ」と声を上げた。
 ふと、目に鮮やかな色が飛び込んできた。人一倍五感が優れている彼は、嗅覚ですでに食べ物とは違う別の匂いを感じ取っている。花だ。それも、控えめに香っていてそこら中の女や男がつけている香水に紛れてしまってわかりづらいが、ハスマリーにはない花の匂いがする。深緑のパラソルが揺れ、せっせと水をまく女と、鉢植えを拭き上げながら、老婦人と話をしている男がいる。そばには女の子がいて、つまらなさそうに手伝いをしていた。
 食事を終えて立ち上がり、真っ直ぐ花屋へ向かう。今日はミカグラの気候にふさわしい晴天で、花屋のカラフルさ以上に街がライトと派手なカラーをした看板であふれていた。けれどアーロンは、自然な光と豊かな緑を好む。「いらっしゃい」と言う男に、これをくれ、と伝えた。
 カウンターのそばのスツールに座って、女が慣れた手つきでブーケを作っている。どうやら男の妻のようだ、少し大きいお腹を支えながら働いている。「あれはどこだったか」と尋ねる夫に「また忘れたの?」と呆れながら、手を止めて探し物をした。
「はいよ、誰かにプレゼントかい?」
「ああ」
「男性に? 女性に?」
……男に、だ」
「そうかい、何色のリボンにする?」
 サテン地のリボンが次々と魔法のように男の手から溢れる。アーロンにとってはどれも変わらないように見えるが、ふと一つだけ、目を引く色があった。
「この緑にしてくれ」
「あいよ」
 男は見た目とは裏腹に器用な指先で、リボンを簡単にまとめて形を整える。アーロンはこの花が、新しい花瓶に植えられることを想像した。
 きっとアイツは、別の花瓶を用意する。机の上に、グラスが二つ。リボンまで律儀にかける。花の違いを見比べて、父親はもうあの店にはいないと知り、同時にオレが柄にもなく花を送ったことを、満面の笑みで嬉しがるんだろう。
 悲しみと喜びを、同時に発しようと顔を歪ませるルークの姿を想像して、アーロンの心がわずかに軋んだ。けれど全ては、どうすることもできないのだ。
 店の道路から、暑さのせいで水蒸気が立ち上る。
……そういやこの店、前まで違う男がもう一人いなかったか?」
 アーロンが尋ねると、キョトンとした顔をして、夫婦二人はふるふると首を振った。
「まさか幽霊なんて言わないよな、お客さん。やめてくれよ」
 店の主人である男が周りを見渡しながら、影になっている場所を見つけては怯える。
「違えよ。いや、いないならいい。オレの勘違いだ」
 アーロンは笑う。男は首を傾げた。そのエプロンの胸元には「マークの花屋」と店名が刺繍できれいに縁取られていた。
 聞きたくはなかったが、渋々あの詐欺師に聞けば。催眠術の効果というのは本人たちがわからなければ半永久的に続く。それも、スパイやプロがかけたのであればなおのこと。「だからあの人が術をかけたのなら、まず間違いはありません」と流麗に言っていたが、アーロンは結局人が好い。こうして確認をしにこなければ気が済まなかった。きっと誰かさんに似たせいだ、と自分でもわかっている。
 花を持ち、支払いを済ませる。その間に店の娘が手伝いを終えて、母親に抱きついた。そしてお腹に耳をくっつけて、近々訪れる兄弟の現れを心待ちにしていた。アーロンは去り際、その背中で会話を聞く。
「ねえ、名前、もう決めた?」
「そうね……男の子みたいだから、ウィリアム、はどうかしら」
「いい名前! だったら、愛称は──ビルになるね!」
 アーロンはピタリと一瞬だけ足を止めたが、再び歩き出す。どこかで冷たい飲み物でも買いながら空港へ行こう、と考えて、足取りはやはり重たくなるが、ここからエリントンへ戻るのは、陸路や海路だとあまりにも遠い。花がしおれてしまうだろう。タブレットを開いて、ナデシコからのメールに添付されている帰路の航空券を忌々しげに眺めた。
 ──ふと、暑さのせいで立ちのぼる蜃気楼越しに、ミカグラ警視庁を見た。感情のないはずの男が、今の会話を聞いたらどう思うのか、それだけが気になった。
 建物の周りがぼんやりと陽炎で歪む。今年のミカグラはハスマリーと比べても、負けず劣らず暑い。アーロンの靴の先は、もう振り返らずに、警視庁と逆方向へと向かっていった。