死ぬまでに知りたいたった一つのこと

pixiv再掲
クリア後いくらか経った世界観。ミカグラの花屋で働いている記憶喪失の男性が、花屋にくる不思議なお客を相手にしながら自分を取り戻していくお話です。
アロルク要素はとても薄いですが、最後に彼に「ボーイフレンド」と言わせたかったがために書いたお話…!
とてもネタバレのため、真エンドクリア後閲覧推奨です。


0.Bill has lost his memory.

 近所の家が取り壊されていた、そこの奥さんは近くの病院で入院しているらしい。だから夫である男性の一人暮らしは流石に堪えたのだろう、何せ彼はもうずいぶん高齢だったから。息子夫婦がいると言っていたから、一緒に住むことになったのかもしれない。俺は出勤がてらにひげの少し生えてきた顎を撫でながら、小型のダンプカーが資材を運んでいくのを見ていた。削られていく壁の脆さを見つめながら、対照的に抜けるように青い空を目を細めて眺め、次いで視線を落とす。
 アスファルトの道路をここから二ブロックほど歩けば、俺の職場にたどり着く。青空の真下に深い緑色のパラソルが立てられていて、その下には狐色の花が見え隠れした。あれはひまわりだ、マルハナバチがかわいらしく音を立ててそばを通る。今の季節柄、夏らしい花を店頭に出すことは商売上もっともだと思うが、いささか鉢植えを外に大っぴらに出し過ぎではないだろうか。
「マーク、これ、蹴り飛ばしちまいそうだ」
 俺が言うと、花屋の店主はひょっこりと顔を出した。おおかたパラソルの下で老婦人と長話でもをしていたんだろう、彼の頭はすっかり汗をかき、やや後退し始めたと嘆いていた髪を撫でて「ありゃ、もうこんな時間か」と慌てた声を出す。
「すまんなビル、中へひきこんどいてくれないか」
「オーケー、わかったよ」
「こんにちはビル」
「どうも、ペギー。今日はデイサービスはないのかい?」
「ええ、明日になったのよ。急な施設側の変更でね」
 ペギーの通う介護福祉施設は、火曜と木曜に日中デイサービスを受け入れていて、その施設に寝泊りをする年寄り以外でも出入りができる。バスが迎えにきて、ペギーたちを乗せて建物まで運び、夕方には自宅へ送り届けられる。昼間仕事へ行ってしまっている家族に負担をかけたくないからと、ペギーは自ら申し込んだらしい。施設はミカグラの中でもかなりの高級取りでしか行けない場所で、彼女自身も元は夫が警察のお偉いさんだったんだとか。
「そりゃまた急だな。あそこはいつも、スケジュール管理はきっちりしている施設だと思っていたけど」
「本当に。私もびっくりしたわ。一日がかりで館内を大掃除しなきゃいけなくなったんですって、ネズミでも出たのかしら」
 私、ネズミはどうも苦手で、と向き直って続けざまに話すペギーは、まだまだマークのことを離そうとしない。話し相手にもいい加減疲れていた頃合いのマークは、汗をかきながら適当な相槌を打っている。日差しがキツくなるこれからの時間帯は、二人に店の中で話してもらう方が良さそうだ。
「冷たいお茶でも淹れようか?」
 さりげなく気遣ってそう言うと、二人とも喜んだ顔をした。
 この暑さ、蜃気楼でも出そうなほどだ。ブロッサムは温度管理がしっかりされている建物が多いが、さすがに路面店ではそうはいかない。三人で店の中に入り、まだ開店準備中のごたついた室内をどうにかスペースを作って座る。スツールの脚が一つぐらついているから、それには俺が座ることにした。
「ビル、あなたまた痩せたんじゃないの? ちゃんと食べている?」
「はは、大丈夫さ」
「あなたにもそろそろ、ちゃんと奥さんがいた方がいいんじゃないの?」
 どうやら会話の矛先はこちらへ向けられるらしい。先程のマークと同じように愛想笑いと相槌を繰り返していると、マークがお役目御免とばかりにいそいそ立ち上がって、しらじらしく開店準備を進めていた。そしてさもやることがあるから、と言わんばかりの顔をして、
「ビル、エプロンだけはつけておけよ」
 と言いながら。
 わかったよ、と一声かけてひと睨みすると、マークはそそくさと逃げていった。俺はやれやれと思いながら、じょうろやスコップのそばの壁掛けフックに引っ掛けてある、この店のエプロンを首からぶら下げた。腰回りの紐を締めると、シャキッとした気持ち、とまではいかないが、スイッチが切り替わるような気がする。けれど、しばらくはこの井戸端会議の当事者だ。俺は顎に手を当てて、さりげなく眉を下げ、
「それが、奥さんはいたんだよ」
 と自分の身の上話をお節介な初老の婦人に伝える。
「まあ」
「でも、逃げられちまってさ」
 そういう設定、にしてある。ペギーは胸に手を当てて悲しんだ。「野暮なことを言ってごめんなさいね」と社交辞令を口にして、でも、と続ける。
 マーク、やっぱり逃げられた、という設定は良くない。すぐに追随が来るぞ。俺はジトッとした目でマークをもう一度睨む。丸い鼻の気さくな親父は、素知らぬ顔を決めこんで口笛を吹きながら、水をたっぷり含んだ植木鉢を店の外に出しに行った。
 マークと考えたごまかし案は、ペギーには通じない。逃げられたのであれば「もう離婚調停をしてしまえるの?」とか、「子どもは引き取られたの?」とか、様々に質問で俺を攻めてくる。後ずさりしながら、日の光が入る店先に二人分の影ができたのを確かめた。身を乗り出していよいよ見合い話をしようと意気込むペギーに断りを入れ、俺もこれまた逃げるように接客を始めた。背後からジトッと見ているペギーの視線が怖い。
 俺を拾ってくれたマークには申し訳ないが、そろそろ新しい設定を付け加えないと、様々な経験をくぐり抜けてきた歴戦のご婦人は一筋縄ではいかない。中年の親父が二人で額をあつめて自分の過去を捏造する様は滑稽だが、致し方ない。
 そのうちペギーの家族が迎えに来た。
「どこへ行っていたのよ、おばあちゃん」
 憐むように、呆れるようにペギーを軽く責めて、年寄りの女性は身を縮こませていた。家族に迷惑をかけないために生きていたい、と言っていた彼女が、今こうして探されている事実はどうにも恥ずかしいらしい。白塗りのセダンに乗せられて、ペギーはこちらに手を振って別れた。これで俺の拙い身の上など、忘れてくれればいいのだが。
「やれやれ、まいったな」
「マーク、お前がそれを言うのかよ。大変だったのは俺なのに」
「すまんな。それに、いい言い訳を考えなきゃいかんな……
 汗をかいた額をタオルで拭いて、午後から注文のある花の数量を改めて確認する。一束一束、丁寧に水気を切りながら、マークは話し出す。
「家内に逃げられた、がダメなら、やっぱり亡くなった、ってことにするか?」
「そうだな……傷を引きずってる、とでも言えばいいか」
「それなら子どもは? 子どもがいるかどうかは曖昧にしてただろ。離婚だの何だのって最初に言っちまえば、それ以上は聞いてこないだろうって踏んでたしな」
「子ども……か」
 俺は植木鉢の中を拭き上げながら、ふとその手が止まる。
 さんさんと降り注ぐ太陽の光は、外にまいたばかりのホースの水をきらめかせて、陽炎のように揺らいだ。フラフラと水蒸気がわずかにたつ中を、ロードバイクの少年が通り過ぎる。花屋のパラソルに一人客が入り、夏の花に興味を示した。
「子どもは、いたことにしておいてくれ」
 俺がそう言うと、マークははさみで最後の茎を切るところだった。パチンと小気味いい音がして、彼がこちらを見据える。
「何でまた」
 カウンターに手をかけて立ち上がり、接客のために足を向けようとして、最後に俺に質問をする。
……何となく。子どもは……そう、いたって言った方が、しばらくは誰も何も言ってこないだろうと思ったからさ」
「なるほどな」
 膝を打ってこの話は終わり、とばかりにマークは営業の顔に切り替えた。男二人がやっている花屋だが、立地も価格もお手軽なところだから、ありがたくも客は多い。生活に困っていないから、と手を伸ばしてくれたマークには、感謝しかない。
 しかし、一体いつになったら俺の記憶は戻るのか。
 柔らかい風が店の中に入り込んだ。午後からも盛況だといいが。少しばかり天気の心配をしながら、俺は引き続き作業に没頭した。