死ぬまでに知りたいたった一つのこと

pixiv再掲
クリア後いくらか経った世界観。ミカグラの花屋で働いている記憶喪失の男性が、花屋にくる不思議なお客を相手にしながら自分を取り戻していくお話です。
アロルク要素はとても薄いですが、最後に彼に「ボーイフレンド」と言わせたかったがために書いたお話…!
とてもネタバレのため、真エンドクリア後閲覧推奨です。



1.Bill meets Mokuma.

 やっぱり降ってきた。俺は慌てて店の中へ入る。
 これぐらい蒸し暑さのある日は、決まってブロッサムには雨が降る。雨の珍しい島だが、高い山が北側にしかないミカグラは、温かい南風が吹けば決まって雨をもたらす雲ができやすくなる。バシャバシャと水しぶきを上げて地面を蹴り、雨を必死で避けるために走っていく人々が見えて、俺たちもパラソルや鉢を店内へ急いで取り込んだ。体半分はびしょ濡れになり、先にマークが着替えを取りに一度事務所へ引っ込むと、俺は濡れてしまった花の状態を見るために身を屈めた。
 車の往来が多くなり、タクシーを呼ぶ声も聞こえる。さっきまで明るかった空は灰色にくすんで、気分まで暗くするのか、タクシーへ乗り込む人間の声も荒い。そんなに慌てなくても、と思いながら、花の葉をきれいに拭き取る。
「あんなに慌てなくても」
 俺が考えていたのと全く同じトーンで、男が喋る声がした。マークかと思いきや違う。俺は顔を上げて声のした方向を見ると、店の前に一人の男が立っていた。
 さっき、俺が車や人が行き交うのを見ていた時には、彼の姿はどこにもなかった。この雨の中突然そこから湧いて出てきたような、静かに佇む背の低い男は、俺と年が同じくらいか少し下か。とにかく人好きする笑顔を浮かべて、こんにちは、と挨拶をしてきた。
「い、いらっしゃい」
「どうも。雨、ひどいね」
 俺はニコニコと朗らかに笑っている彼の様子を、じいっと見てしまう。
 彼が着ている服は、今日一日、メインで外に出していたひまわりの色味にも似ていた。暑さ故なのかシャツを開襟して、首の骨に汗が下りている。履いている雪駄のような、サンダルのようなそれは、この大雨だというのにまるで濡れていない。一体どんな歩き方をしたらそうなるのか。少し硬さと毛量のある白髪まじりの銀髪は、染めているのか、苦労を重ねた証なのか。彼の笑顔が油断と隙を生みそうになるのは、多分この垂れ目のせいだろう。目尻の横ジワが深い印象を受けるが、決して眉間の縦ジワが完全に失われているわけではない。
「ええと……そんなに見つめるほど、いい男だった?」
 ふざけた調子で聞かれて、俺はハッと我に帰る。目を輝かせてこっちを見ているが、彼には、うっかりもう一歩踏み込んでしまうと、落ちてしまいそうな溝を感じた。一枚の薄い壁を隔てて人と接しているような。
「すまないな、つい癖で」
「あはは、いいよ。接客する上で、必要だもんな」
「まあな。さて、何か探しにきたのか?」
「うん、花を」
 花屋なのだから、花を探しにくるのは当たり前なのだが、彼はどこか花以外の物を探している風に見えたのだ。けれど態勢を整え改めて「花を」と言われた。俺はペンと注文用のメモを取り出す。
「どんなシチュエーションに使うんだ? もしくは、自宅用とか?」
「人にあげたいんだよ」
「男性に? 女性に?」
「男性に」
 そうか、それなら……と俺は店の中をぐるりと見渡した。
 店は、一番奥にカウンターがある。その後ろの事務所へ続く扉だ。今ここにはマークが着替えのためにこもっている。なかなか出てこないのをみると、降雨で人も来ないから、おそらく溜め込んだ伝票を整理しようと重い腰を上げたのかもしれない。
 カウンターの右隣には見下ろせる位置に贈答用のブーケが、大ぶりなものからテーブルセッティング用までずらりと並んでいる。ブロッサムではこの作りのブーケが人気で、仕上げた先から売れていく。自分で花をいちいち合わせなくても、店員と好みが合えばこれを買っていき、あっという間に家中が彩られる。このミカグラでの楽と利便の中に、少しばかりの情緒を求めている結果だ。そして俺が作るブーケはどうもそういった客層とマッチしているらしい。うちの店もそれで採算を取れているのだから、つくづく合理的な花屋だと思う。
 でも彼はどうやら、カウンターの左側に並んだ切り花を見ているから……きっと自分でしっかりと花を選びたいんだろう。
 幸い、今は客足も遠のいた。雨だし、しばらくは人も来ないだろう。ゆっくりと彼に選ぶ時間は取ってあげられそうだ。何かあれば呼んでもらえればいいし。
 鉢植えを全て見直し、予想外に雨の被害が少ないことに胸を撫で下ろしていると、彼がこっちを見た。
「花をもらい慣れてるだろう相手に送りたいんだけどさ」
「へえ、モテるやつなのか?」
「そりゃもう。女の子たちからキャアキャア言われちゃって」
「そんな相手に花を送るなんて、ハードルが高いな」
 男がはにかむように笑う。きっとそんなこと、人生でほとんどしたことがないんだろう。慣れないことをしようと、背伸びして頑張っているようには見えないが、花を見る目は真剣だ。
「お相手はどんな色が好きなんだ?」
「うーんと……多分紫じゃないかな。あとは最近じゃ青も好きだと思う。赤い色には妙にしかめっ面するんだよね」
「へえ、血に見えるから……とか?」
「ははは、どうだろ。獰猛で、野蛮で、血気盛んに見えるからじゃないかな」
 そんなことないと、俺は思うんだけどね。と彼は、空中に明確なものを思い描いていた。それが何なのか俺たち客商売の人間には計りかねることだが、ひとまず赤はなしだな、と頭の中にバツを作る。
「じゃあ、これはどうだ?」
 俺は花瓶の中から掬うようにいくつか花を取り出した。キキョウ、シオン、クレマチス、どれも華やかな印象は与えられる。
「シオンはキク科だが……マイカ出身とかではないのなら、送っても問題はないだろう」
「そうだねえ、あそこじゃだめかも。花にこだわる人間からしたら、仏花と思われるもんな」
「おや? 出身なのか?」
……まあ、ね」
 人は、紙で切ったような薄い傷に触れた時、チクリと痛むような表情をする。そんな切ない横顔が、男からまろび出た。もちろん、今この瞬間にどこかを怪我したわけではない。俺はそれを見なかったことにする、接客をする上であまり個人事情を尋ねるのも悪い。シオンは端にそっと避けて、やめておいた。
「キキョウはつい数年前まで希少な種だと言われていたけど、品種改良も進んだから数も出回り始めてる。それでもまだプレミア感を抱く人は多くてね。贈り物として喜ばれるよ」
 この言葉は、マークの受け売りだ。俺にここ数年の歴史的知識はまるでない。それでも男は嬉しそうに顔を綻ばせ、「それにしよう」と言った。
 カウンターへ下がり、俺は壁に並んだラッピングペーパーを選んでもらう。男は上から下までじっくりと見定めてから、白地に薄く金箔が散っている用紙を選んだ。紫の花にこの紙を選ぶとは、よほど見目の麗しい相手に送るつもりなんだろう。なるほど確かに、控えめだが存在感がしっとりとあるこのラッピングは、どんな物よりキキョウに合う気がした。
 穏やかな見かけによらず、大胆な男なのかもしれないな。と俺がまたしげしげと彼を見ると、眉を下げて照れ臭そうに笑っていた。
 けれど花を手渡し軒先まで送る時、男は薄くまぶたを開いた。こっちを見ている視線に、妙に冷たく冴えたものを感じた。彼は俺の奥の奥を見透かそうと、目を凝らしていた。俺の中で、何かがうごめく。その男には近づくな、とでも言うように足が動かなくなっていった。
 ──男は何も言わず、ペコリと頭を下げると、次の瞬間には元のひょうきんな顔に戻っている。俺はぎこちなく手を振ると、彼にとってはおそらく振り慣れているであろうさようならの形で、手を振ってその場を去った。
 いつの間にか、雨は止んでいた。どうやら通り雨だったらしい。地面を叩くように濡らした水は、近くのマンホールへさらさら流れていく。再び太陽の光が戻り、遠くの路面が波打って見えた。逃げ水、という名の蜃気楼だ。