botanin5
2024-11-14 03:06:58
16864文字
Public 薬さに♀(小説)
 

見えない時間が、

ハッピーエンド
相手の姿が見えなくなる話





「お、おはよう!薬研!」
「うお、おう、おはよう、大将」
「薬研兄さん、主は僕の右側です。そっちにはいません」

平野に言われてこちらを向く薬研の表情は、今までよりずっと柔らかい。
あれから、薬研を見かけると積極的に話しかけるように心がけていた。まだ嫌われていなかったことに安心して、すっかり態度の変わった私に呆れるでもなく、微笑んで返事をしてくれる薬研に、どんどん惹かれていく。でも、相変わらず薬研の瞳は色が落ちたままで、私の姿が見えなかった。

色の落ちた薬研の瞳は、あまり怖くなかった。あの夏の日の、どろりと溶けるような色ではなかったからだ。薬研のことは、かなり、とても、好きだと思っているけれど、あの熱のこもった視線を再び向けられた時、自分がどう感じるのかは、まだ分からなかった。それに、二人きりになることもまだ避けていた。また告白されたらと思うと、こわかったのだ。


「どうして彼に好きって言わないんだい?」
「へっ?」

万屋の帰り、甘味処に寄ってみんなには内緒のおやつに舌鼓をうっていると、付き添いで来てくれていた髭切がまたそんなことを言う。どうして彼は、私に好きと言わせたがるのか。あまり他人に興味がないふうなのに、定期的にこの話題を振って私を動揺させるので戸惑っていた。もしかして、楽しんでいるのかもしれない。

「好きって?薬研に?」
「そう」
「言わなきゃダメなのかな」
「僕には関係のないことだから、別にダメではないけどね」
髭切、前から思ってたけど、私の事からかってない?」
「嫌だなぁ、からかっているわけじゃないよ。ただ、可愛い人の子が迷子になってるから、ちょっと手を貸してみようかなって」

ふふ、と笑う髭切の表情の裏は、やっぱり読めない。

薬研のこと、けっこう好きなんだよ。本当。でも、薬研が私に向けてくる気持ちが、私の気持ちなんかよりずっと大きい気がして、ううんと、なんて言ったらいいんだろう」
「ふぅん。気後れしてるんだ」
「それだ。だから、私はまだたぶん薬研の気持ちに追い付いてないんだよね。そんな状態で、好きって言うのはどうなんだろうって思って。今の状態でも、けっこう満足してるというか」
……彼はきっと、到底満足なんてしてないよ」
「え?なに?」
「ふふ、君はほんとに可愛らしいなと思ってね」
「今てきとー言ったってのは分かるからね」

髭切の皿に残っていた葛餅を奪って自分の口に放り込むが、彼はにこにこと笑って怒りもしない。兄の余裕というやつだろうか。なんだか悔しい。ほうじ茶に口をつけていると、ふと窓の外に目をやっていた髭切が、ゆっくりと席を立った。

「え、ちょっとまって、私まだ食べ終わってない」
「ああ、ちょっと出てくるだけだから、君はゆっくり食べてるといいよ」

本当にマイペースだ。大人しく座り直して、店を出る髭切の背中を眺める。もともと私が支払いをするつもりだったからいいんだけど、普段もこうならばうっかり無銭飲食でもやらかしてないか少し不安になった。

最後の葛餅をもぐもぐと口に含み、窓の外を眺めているのだが、髭切は一向に帰ってこない。もしかして迷子にでもなったのだろうか。なんとも世話の焼ける兄だ、と荷物をまとめて席を立とうとしたところで、前をふさいだ影に思わず目を瞬かせた。え?なんでここに―――――

「えーっと、大将、いるのか?………やっぱり、髭切のやつからかってたのか?」

薬研がいる。
テーブルの前に立って、先ほどまで髭切が座っていた席と私が今座っている席にきょろきょろと視線を彷徨わせている。

「え、薬研、なんでここにいるの」
――あぁ、よかった。本当にいたのか。遠征の帰りだったんだが、そこで髭切に会ってな。甘味を食べたはいいが、持ち合わせがなくて大将が店から出れねぇって聞いたから、迎えに来たんだ」
「な!私ちゃんとお金持ってるよ!」
「は?……そうか……なるほど、やってくれるじゃねぇか」
「と、とりあえずお会計してくるから!」
「ん。じゃあ俺は店の外で待ってる」

急いで鞄から財布を取り出す。遠征部隊の帰還と時間がかぶったことにも驚きだが、まさか、髭切がこんなことするなんて!支払いを済ませて店を出ると、薬研が壁に背を預けて人ごみを眺めていた。薬研と本丸の外を歩くなんて、夏以来だ。私の姿が見えなくなってからは、薬研は護衛のメンバーから外れていた。守る対象が見えないのだから当然ではあるのだが、話せるようになったのに一緒に出掛けることができないのは少しさみしく感じていたので、なんだかちょっとワクワクする。

「薬研、お待たせ」
「ん、じゃあ帰ろうぜ」

そう言った薬研は、すっと手を出した。

「え、手?」
「あーほら、俺は大将の姿が見えんからな。どこにいるのか分からずに歩くのは不安なんだよ」
「あ、そ、そうだよね!うん。繋ごう、手!」
そんなに力強く握りしめなくてもいいぞ」
「わっ!ごめん!」

繋いだ右手が、とても熱く感じる。少し前を歩く薬研の話し声が、心地いい。火照っていた頬は、秋風に撫でられて次第に落ち着いていく。薬研の丸い頭を眺める。歩く振動に合わせてさらさらと髪が流れるのが、きれいだなと思った。