botanin5
2024-11-14 03:06:58
16864文字
Public 薬さに♀(小説)
 

見えない時間が、

ハッピーエンド
相手の姿が見えなくなる話






ひと月が経つ頃、一期に頼んでいた近侍を新しくやって来た髭切へと変えた。少しでも薬研から目を逸らそうとしていた。でも、離れようとすればするほど、今、薬研はどうしているだろうという事が気になってしまう。それからずっと、粟田口の部屋へ遊びに行くことを控えながらも、薬研を見かけるとそっと観察することが増えていった。私のことが見えない薬研は、視線に全く気付かない。ごく稀にお菓子を運んできてくれたり、書類を持ってきてくれたりするのだが、会話という会話もなく、上手く話しかけることもできないでいた。こちらの視線に気づかないのをいいことに、薬研が部屋に来ている短い間は、自分の目に焼きつけるようにその姿を眺めていた。


「君はさ、本当は彼の事が好きなんでしょう?ええと、何郎くんだったかなぁ」
なに、突然」

今日の戦績データをまとめていると、後ろに座っていた髭切がのほほんと話しかけてきた。振り向けば彼はにっこりと微笑む。髭切は、表情からその心内を読ませてはくれない。

薬研の事?」
「あぁ!そうそう、薬研為五郎くん。君は、こっそり付け回して、彼が兄弟と笑ってるのを見ては変な顔してさ、苦しいなら話しかければいいじゃない」
「薬研藤四郎だって。それに、付け回すなんて、人聞きの悪い言い方しないでよ」
「話しかけずにこっそり見てるんだもの、同じだと思うなぁ」
「う

同じ『兄』だが、一期と違って髭切は気を使うということをしない。ここ最近、近侍であるが故に過ごす時間が一番長くなっていることもあり、私が薬研を目で追っていることはバレバレだったようだ。

「好き、とかじゃないよ、たぶん。薬研は私のこと見えないから、そのどう思ってるのかなって気になるだけ」
「彼が君の心を占めているって意味では、同じことじゃない?」
「ち、がう。私は忘れられるのが不安というか髭切は、すぐ膝丸の名前忘れちゃうけど、不安に思ってないかなとか心配じゃないの?」
「ん?弟のことかい?そうだねぇ。ううん弟そのものを忘れているわけじゃないし。それに弟も、全てを完璧に覚えている兄なんて、求めてないんだよ」
変だよ」
「そうかな?」
ううん。ごめん、変なんじゃなくて、私は不安に思っちゃうからそれって、二人の関係が揺るがない場所にあるから言えることだと思うから。羨ましいのかも」
「ふふ、嫉妬はよくないよ」
「嫉妬かぁ」

私は、薬研の事をどう思っているのだろう。薬研が私に向けて笑う顔を、しばらく見ていない。思い出そうとすると、色の無い瞳で合わない視線をこちらに向ける、今の薬研が浮かんで邪魔をする。そのことに、少なからずショックを受けた。見えている私でさえ、薬研の笑顔が曖昧になっている。姿すら見えない薬研は、もう、もう私の顔なんて覚えていないんじゃないか。

「薬研、もう私の顔なんて忘れてるかも」
「そうかもねぇ」
慰めてくれないんだ」
「それは、僕の役目じゃないからね」

髭切の言わんとしている事は、分かっている。私は、薬研と話すべきなのだ。逃げずに。でも、何を話したらいいのか分からない。薬研はもう、私の事なんて何とも思ってないかもしれない。むしろ、もうあんな奴嫌いだ、くらいに思っていてもおかしくないじゃないか。
薬研に嫌われたかもしれないと考えた途端、心臓がじりじりと重みを増した。

ちょっと、何か飲んでくる」
「行ってらっしゃい」

胸やけしたように気分が重い。どうしたものかと考えながら、廊下をゆっくりと進む。夏の暑さはすっかりなりを潜めて、もう秋風が準備をしているようだ。あの告白から、二ヶ月が経とうとしていた。

台所の戸は開いていて、そっと暖簾から顔を覗かせるが珍しく誰もいなかった。夕飯の準備途中である様子が窺えるので、たまたま当番が出払っているだけのようだ。冷蔵庫からもう残り少ない麦茶を取り出してコップに注ぐ。そろそろストックはほうじ茶に変わるだろう。はぁと息をついて空になったコップをシンクに置いて眺めていると、入り口からかたんと物音がした。

「ねぎ採ってきたぜ、歌仙なんだ、誰もいねぇのか」

じわりと、背中を汗が伝った。
五本ほどねぎを抱えた薬研が、台所へと入ってきた。思わず息を潜めてしまう。私に気づかない薬研は、真っ直ぐこちらへ向かってくると、シンクにネギを置いて椅子に腰掛けてダイニングテーブルにゆっくりと頬をつけ身体を預けた。はぁ、と息をつくのが聞こえる。こちらに後頭部を向けているため、どんな顔をしているのか分からないが、なんだかすごく疲れているように見えた。
声をかけようか。でも、ここまで気配を消しておいて、今更話しかけるのはずるい気がした。ここは黙って出て行って、薬研と話すのは日を改めよう。そう思って、音を立てないようにテーブルの反対側へ向かおうとしたところで、聞こえてしまった。


………たいしょう」

私を呼ぶ小さな呟きが耳に飛び込んだ瞬間、雷にでも打たれたかのようにぴしりと体が固まった。今まで、呼ばれたことがない、まるで恋うような声に、全身がカッと熱くなった。なんて声で、私を呼ぶんだ。恐る恐る薬研の方を見るが、やはり私には気づいていないようで、綺麗なつむじがこちらに向けられている。私の居ない場所で、私を想って声にだしたのかと思うと、余計に動揺させられた。杞憂だった。薬研が、私を嫌いになったかもしれないなんて、余計な心配だったのだ。思わぬ爆撃を受けて、もうこの場には居られたものではない。心臓はドキドキと音を立てているし、きっと今顔は真っ赤だ。急いでこの場を離れなくてはと、出入り口へ向かおうとしたところで―――
きょとんとこちらを見つめる御手杵と、目が合った。

「あれ?あんたこんな所でなにしてんだ?薬研は寝てんのか?」

ひゅっと息を飲みこんだ私に合わせて、伏せていた薬研ががたん!と大きな音を立てて立ち上がった。驚いてそちらを見れば、薬研は目をまんまるにして御手杵を見ている。その耳が、じわじわと赤く染まっていく。

た、いしょう、いるのか」
「んぁ?何言ってんだ?あー、そういや薬研は見えないんだっけか?あんた、隠れてたのか?」
「いや、その、隠れてたわけでは

すごく、すごく気まずい。私の声を聞いて、その場に私が居ることを確信した薬研は、そっと顔を片手で隠した。耳はひどく赤いままだ。私も顔が熱い。

「のどが渇いただけなの!もう仕事に戻るから、じゃ、私はこれで!」
「お~頑張れよ」

興味のなさそうな御手杵の様子にほっとしながら、台所を飛び出た。
心臓は痛いくらいに高鳴っていた。恥ずかしい、熱い、胸がぎゅっと掴まれたような痛みを覚えた。頬を撫でる風が心地いい。ああどうしようどうしよう、薬研は、まだ私の事が好きなのだ!

「どうしたんだい、戻ってくるなりにやにやして。気味が悪いよ?」
「う、うるさいな!」

何かいいことでもあったのかなぁなんて笑う髭切に、思わずパンチをお見舞いしてしまった。照れ隠しだったことは否めない。