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botanin5
2024-11-14 03:06:58
16864文字
Public
薬さに♀(小説)
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見えない時間が、
ハッピーエンド
相手の姿が見えなくなる話
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後悔。
期間限定のお菓子を買ってみれば良かった。
サッカー部の先輩にお菓子を渡せばよかった。
誘われた飲み会に行かなければよかった。
目の前に現れた選択肢を、見事に踏み外したことは数知れない。
ほんの小さな判断ミス。でも後々になって大きな影響をもたらし、心にがちりと解けない鎖を絡ませる「後悔」という奴は、私の最大の敵であり、今を悩ませる病原体とも言える。
時を戻すことなんて、できないのに。
あの時。
あの時、薬研の手を握り返していたら。
私は、彼の見る世界から消えることはなかったのだろうか。
「大将に政府からの書類が届いてたぜ。持ってきたんだが
…
ここにいるか?」
「いるよ。ありがと~薬研」
「じゃあ、僕が預かるね。ええと君は
…
何四郎くんだったかな?」
「薬研藤四郎だ。今大将が呼んだだろ
…
。じゃ、頼んだぜ髭切」
執務室に訪れた薬研藤四郎が、部屋をぐるりと見回してから今日の近侍である髭切へと書類を渡す。その視線は、棚から資料を取り出すために立ち上がっていた私を見ることはない。
薬研藤四郎は、私の姿が見えない。
もちろん、最初から見えなかったわけじゃない。顕現した時はしっかりと私の目を見て口上を述べた。早期にやって来てくれた短刀と同じく、本丸の古株としてその役割を果たしてくれていたのだ。
審神者となってから二年ほど経ち、刀帳もほぼ埋まってきた頃。予てから兄という存在に憧れを持っていた私は、一期一振をよく頼るようになっていた。お兄ちゃん、と呼ぶほど甘えるわけではないが、何を尋ねるにも、何をお願いするにも彼の元へ行っていたように思う。近侍も一期にお願いすることが多く、それに伴って粟田口派との交流は他の刀剣より幾分増えていたかもしれない。休憩時間になれば秋田や乱たちが執務室へやって来て、一緒にお菓子を食べる。外へ買い物に行くときは、薬研や信濃が競ってついてきてくれる。兄だけでなく、弟もできたようでとても楽しかった。
そんな日々を過ごしていた夏。大きな入道雲が空にぐんと背伸びして、蝉たちがこぞって鳴き喚く青天のもと。畑当番の薬研と前田を手伝っていた時だった。
私も彼らも一期から渡された大きな麦わら帽子を被り、軍手をはめて無心で雑草を抜いていた。蝉に混じって、遠くで手合せする刀剣たちの声が聞こえる。暑さでしんなりと首を垂れる草に次々と手を伸ばしていると、ふっと手元に影が落ちた。顔を上げれば、頬に土をつけた薬研がにっと笑ってこちらを覗きこんでいた。
「頑張ってるな、大将。俺の雑草とまとめていいか?」
「へへ、結構たくさん引っこ抜いたよ。ありがと~」
薬研は抱えていた雑草を、私が使っていた籠にどさりと乗せた。少し離れたところにいる前田を見れば、彼の横にも抜かれた雑草が山になっている。ここまで作業すれば、今日は充分かもしれない。自分のこめかみを流れる汗を感じて、ふき取りながら前を向くと、薬研が正面にしゃがみ込んでこちらを見ていた。
「薬研、ほっぺに土ついてるよ」
「ん
…
?どこだ」
「そっちじゃなくて
…
あ、拭くから動かないで」
薬研は軍手の甲で頬を拭こうとしたが、余計に土が滲んでしまう。見るに見かねて、肩にかけていた自分のタオルを掴んで薬研の頬に添えれば、大人しく身を任せてくれるところは可愛らしい。ゆっくり綺麗に土を取り去ると、随分顔が近づいていて、麦わら帽子の傘の下、なんだか二人だけの世界に入り込んだようで、どきりと心臓が音をたてる。灰紫が溶けるように揺らいでこちらを見つめる。何か、言わないと。妙な空気に、なんとなく居心地が悪い。口を開こうとしたとき、畑の端からこちらを呼ぶ一期の声が聞こえてきた。
「草むしりは終わったかな?主も、冷たい麦茶を用意していますから、おやつの時間にしませんか。おや、前田は随分たくさん雑草を抜いたね。運ぶのを手伝うよ」
「あ、」
「いち兄!ありがとうございます。では、僕はこちら側を持つので
――――
」
ありがとう、今行く!そう返事をして立ち上がろうとしたのに、突然ぎゅっと掴まれた右手に引っ張られて立つことは叶わず、言いかけた言葉は喉の奥へと引っ込んだ。柔らかい土の上に、押しつけるように手が握りこまれている。唐突な薬研の行動に驚いて思わず視線をやるが、顔を伏せているため麦わら帽子が邪魔をしてその表情は見えない。どうしたというのだ、急に。声をかけた方がいいのかと口を開けば、握る手にさらに力がこもった。
「
…
行くな」
「えっ」
「大将、俺は
―――――
俺は、あんたが好きだ」
伏せていた顔がふわりと上がって、再び灰紫の目が私を捉えた。あんなに五月蠅いと感じていた蝉の鳴き声が、一切、聞こえなくなった。好き?薬研が、私を。
頭が真っ白になった。言われた言葉を飲み込むのに、えらく時間がかかった気がする。真っ直ぐに私を刺す瞳に、心臓が震えた。どうして、突然そんなことを言うのだろう。わからない。わからない。こわい。どうしたらいいのだろう。そんな目で、私を見つめないで。私を、映さないで。
今、選択を間違えたら、何かが、大きく変わってしまう気がした。
「
…
ど、どうしたの急に!私も、薬研のこと好きだよ~」
極力明るい声を作った。出だしが少し震えていたかもしれない。私の返事は、薬研が求めていたものとは違うだろう。それは分かっていた。でも、突然差し出された好きという言葉を、正面から受け止めるだけの心構えはできていなかった。頷くことも、断ることも、できなかった。
「
…
そうか」
「えっと、ほら、一期が迎えに来てくれてるよ!喉も乾いてきたし、本丸に戻ろう」
「
…
そうだな。俺は雑草を捨ててくるから、大将は先に行っててくれ」
「あ、うん、ありがとう!」
互いになんとなく目をそらし、私は薬研の言葉に甘えて、すでに雑草の始末を終えた一期と前田の後を追った。いつもならば雑草を捨てに行くのを手伝っただろうが、今は薬研と二人きりになる勇気がなかった。
粟田口の部屋へ向かう一期と前田に声をかけてから執務室へ行けば、平野が麦茶とおやつを用意してくれていた。落ち着かない思考を静めようと、渡された冷たい麦茶を一気に煽る。どうしよう、これから大丈夫なのか。かける言葉は正解だっただろうか。薬研と、気まずくなったら嫌だ。でも、あんな、奥に熱を宿したような視線を向けられるのは耐えられない。薬研に、見られたくない。その目に、私を映してほしくない。なんだか胸やけしている気分だ。雑草を捨て終えた薬研は、恐らくここへやってくる。どんな顔をして迎えたらいいんだ!ぎゅっとコップを握りしめて落ち着けと唱えていると、がらりと障子が開いた。
「や、薬研!雑草捨ててきてくれて、ありがとう!」
「
…
大将?どこにいるんだ?」
「へ?」
「主はここに居るじゃないですか、薬研兄さん」
「
…
どこに?」
性質の悪い冗談かと思った。開いた障子の正面に平野と並んで座っている私の姿が、見えないはずがない。しかし、部屋を見回す薬研の視線は、まったく私を捉えない。
「やだな、薬研もそういう冗談言うんだね」
「
…
ちょっと、待ってくれ、声は聞こえるんだが」
「主は僕の隣に座っていますよ。
…
本当に見えてないんですか?」
廊下から中へ足を踏み出すことなく、呆然と部屋の奥を見つめる薬研に、冗談はやめてと声を荒げることはできなかった。本当に、見えてない?心配そうにこちらを見る平野に目配せし、恐る恐る立ち上がって薬研の目の前に立った。顔の前で手をかざしてみるが、気配すら感じていないようだ。薬研の目を覗き込めば、先ほどまでは灰紫に染まっていたはずの瞳はすっかりと色を変え、暗い灰色になっていた。よく見ようと頬に手を添えると、びくりと薬研の肩が震えた。一応、声が聞こえるだけでなく身体を触ることもできるようだ。
「うお、大将、今、俺に触れてるのか?」
「薬研、目の色が、おかしい」
「なに?」
「僕にも見せてください」
同じく立ち上がってこちらを覗きこんだ平野に場所を空ける。二人は互いの姿をちゃんと認識できている。私だけ、薬研の目に映っていない。
「
…
僕には、いつも通りの目の色に見えます。何もおかしいようには
…
」
「えっ?本当に?」
「
…
どういうことだ、こりゃ」
それから、急いで一期を始め粟田口派の刀剣たちを呼んだのだが、やはり皆の事は変わらず見えている。他の刀剣も同じで、薬研が見えていないのは私の姿だけだった。
それから調べて分かったことは、とても少ない。
薬研は、私の姿も影も一切見えない。私が着ている服や持ったものは、その時点で視界から消える。しかし、襖や床は私が触れていても見える。私が開ける障子は、自動で開くように見えるらしい。声は今までと同じように聞こえる。それから、今までと同じように触れることもできる。
演練に出た際に、政府の医務室で薬研の容体について相談してみたが、薬研の目の色が褪せて見えるのは私だけなので、そもそも問題を見つけられない。お手上げだった。
「放っておいてもそのうち治るだろ」と笑った薬研は、少し、肩の力が抜けていたように思う。
まるで、安堵したかのように。
きっと、この時の薬研は私と同じ気持ちだった。目の機能自体には問題がないのが分かったことで、残る問題点は薬研と私のコミュニケーション方法だけだった。
安心したのだ。薬研の目が、私を映していないことに。あの麦わら帽子の下から私を見つめた、熱のこもった目を見ないで済むことに。ほっとした。きっと、薬研も、私を見ずに済むことに安堵していた。
それからは、二人の間であの告白が話題に上がることは無かった。そもそも薬研は、私が見えないこともあって話しかけてくる事はほぼなくなり、私も用事が無い限り薬研を呼ぶことを控えていたため、個人的な話をしなくなった。
暫くは、これで良かったのかもしれないと思っていた。薬研からの告白を流したときの気まずい空気が、かなりこたえていたからだ。もう一度あの場に立ったら、どうにかなってしまいそうだった。しかし、日が経つにつれて、だんだんと不安になってくる。姿も見えない主に、いつまでも仕える気でいられるだろうか?廊下ですれ違っても、私が声をかけなければ、薬研はこちらに気づかない。その目が、私を映さない。薬研は、私の顔を覚えているのだろうか。私は、
…
私は、間違えたのだろうか。
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