しちろ
2024-06-30 20:47:51
45456文字
Public LOM・宝石泥棒編
 

宝石泥棒編 最終話

ティアストーン後編。


 気がつくと、金色の空があった。
……目が覚めたか」
「パール」
 カイから少し離れた場所に、レディパールが立っている。そのそばには、横たわる蛍姫。
 軋む身体をなだめながら、カイはゆっくり身を起こす。
 激しい衝撃に耐えきれなかったのか。
 美しかった玉石の座は、跡形もなくなっていた。最上層の床だけはなんとか残っていて、そこに三人はいた。
 広い空と、都市の下に広がる荒野と。
 風が吹いていた。
 何があろうとも、たとえ何が滅びようとも、自然はいつも変わらない。
 レディパールは崩れかけた淵に立ち、死んだ都市をただ眺めていた。
 彼女たちの周囲には、戒めから解放された珠魅の核が千人分。それらの全てが粉々に砕け散り、辺り一帯に散らばって、きらきらと煌めきを放っていた。
……皮肉なものだな」
 レディパールの声が、さみしく風に乗る。
「守るべき仲間は皆死に絶え、最も古い私だけが生き延びた」
 みな自分の意志で都市を出ていき、死んでここへ戻ってきた。帰ってきたのは、最も古い珠魅であるレディパールただ一人。

『守ってみせるよ、オマエもパールも!』

 この都市を訪れる前、頼もしい笑顔で真珠姫に誓った騎士。
 レディパールの耳元で、真珠のイヤリングが揺れている。真珠姫らしい純白ではなく、何故だかグレーがかった色合いの。はにかみながらこれをくれた瑠璃は、一体何に気を遣ったのか。
 ……彼はもう、帰ってこない。
 蛍姫は間もなく死ぬ。
 核を傷つけたレディパールも、長くは生きられぬ。
「私に……

 『わたし』に、涙がながせれば……
 
「泣かないで、パール」
 カイの声が聞こえて、レディパールが振り返る。誰が泣いているというのだろう。
 だが、こちらを向く少女の顔を見て、レディパールはぎょっと目を剥いた。
「あたし、見てきたもの。あなたや瑠璃や、エメロードや、ルーベンスさんやディアナさん……いろんな珠魅のそばで」
 カイの大きな目に、透明な涙が浮かんでいる。今にも零れ落ちそうなほど、大粒の。
「止せ! 泣くな!」
「珠魅は、涙をなくしてなんか、いなかったよ」
 カイは涙を流した。
 ひどく情けない、くしゃくしゃの泣き顔で笑いながら。
 

 そう、珠魅は涙をなくしてなんかいなかった。
 私は見てきた。
 確かにあなたたちの瞳からは、涙は流れなかったかもしれない。
 けれども、私は知っている。
 誰かと笑い、誰かのために嘆き、心震わせ、あなたたちの心はいつも涙を流していた。
 なのに、深い悲しみと絶望の果てに心を閉ざし、彼ら自身が己の心を遠ざけて。
 答えはいつでも、彼らの中にあったのに。
 なんておかしな話なんだろう! それを珠魅だけが忘れていたなんて!


 人の流した涙は落ちる。
 珠魅たちの想いは少女に宿り、少女の想いは涙に溶け、そして涙は命のかけらへと吸い込まれて。
 想いは現実となる。
 心を癒す、涙石になる。


……種族を越えた想いが、涙石を……


 涙が落ちて生まれる、千の珠魅と、一人の石。
 珠魅たちは、一つの石を囲んで立っていた。
 珠魅のために涙する者、すべて石と化す。石の前には、小さな雫の形の石が一粒。そこに籠められていたのは、少女が見つめ続け、そして見つけた珠魅たちの心の欠片。珠魅が忘れていた一つ一つの心を、たった一粒の涙に籠めて。
 涙を受けて、珠魅は想う。
 誰かを思い、笑うこと。悲しむこと。互いに想い合い、慈しみ、生きてきたこと。なぜ私たちは今まで忘れていられたのだろう。
 だが、今は、確かに感じられる。
 胸の核に……いや、己の心に、温かな灯火が宿っていること。
 信じることができる。自分たちが忘れていたものが、今、自分たちの中に還ってきたのだと。
 千の珠魅を前に、緑色の玉石姫が、高らかに謳いあげる。
「皆、心を一つに……涙石を、もう一度……

 
 

 煌めきの都市の下層。
 回廊中に、細かく砕けた石が散乱している。自分の意志とは無関係に魔物にされ、石に還された哀れな命たち。戻の姿に戻ったことで、せめて救いはあったのか。
 ジュエルビーストを殲滅したシオンは、その辺に大剣を放り出して、仰向けに転がっていた。いったい、何体斃したやら。完全に疲れ果て、立ち上がる気力もない。
「こんなに真面目に戦ったの、いつぶりだ……?」
 身体のあちこちが痛んだ。とくに右腕が酷かった。玉石の座から落ちて無理につかまったのだ。無理をしすぎたのか、痺れて感覚がない。
 遥か天空を、厚い雲が覆い始めていた。
 風が上空で逆巻き、唸りをあげている。ぽつぽつと、雨粒が顔に落ちてくる。
 この日の雨を知らないシオンにとって、それは、初めて見る空だった。

 ――ああ、嵐が来る。



 珠魅の流す、癒しの涙。
 友愛の種族が起こす奇跡は、煌めきの都市を越えていき。
 世界に降る涙は、あらゆる哀しみを押し流す。



 ■■■


 
 こんな天気は見たことがない。
 はじめはしとしとと、枯草の草原を優しく包むように降りだした雨は、たちまち土砂降りになった。
 厚い雲に覆われた暗い空。雷鳴が轟き、竜の形をした雷光が雲の中を何度も走る。風は唸り、天で逆巻き、篠突く雨が大地を濡らす。豪雨と大風が窓を激しく鳴らし、外の景色はよく見えない。でも、こんなに降っていたらきっと川ができているだろう。
 世界中を洗い流すような、それは激しい大嵐だった。
 草原の真ん中にぽつんと建つ家に、幼い子どもが二人きり。師の部屋にはサボテンもいるけど、こんな時に頼れるとは思えない。
 こんな時、本当なら怖くてたまらないのだと思う。コロナもバドも、本当はとても泣き虫なのだ。不安で泣き出したくなるだろうに。
 なのに、不思議だ。
 二人にはわかるのだ。この嵐は、『大丈夫』だと。



「バド、まだ起きてたの?」
「コロナこそ」
 てっきり、もう寝たと思ったのに。コロナが屋根裏部屋へ戻ると、先に寝たはずのバドが出窓に両腕をかけて外を眺めていた。寝台の上にのっかって、コロナには尻だけ向けている。
「すっごい嵐だよね……空の底が抜けちゃったみたい」
 ざあざあと雨がたたきつける音がする。
 靴を脱いだコロナは弟の隣に陣取って、同じように窓枠に腕を乗せた。滝のような雨が、絶えず硝子窓を洗い流している。風が濡れる窓を木枠ごと揺らしている。不安はなかった。決して大きくはないけれど、立派な大樹と精霊に守られた家はびくともしない。
 いつもの寝る時間は、とっくに過ぎていた。
 コロナが一つ、あくびをした。
「知ってる?」
 バドが外を見つめたまま、言う。
「珠魅が泣くとね、空も泣くんだって」
 勉強家のバドが、書斎のどこかから見つけてきた古の伝説。
 いつもは話半分に聞くコロナだが、今日は素直にそんな気がしていた。空が泣いている。世界を形作るマナが、精霊たちが、一緒になって涙を流している。
「真珠のお姉ちゃんが泣いてるのかな……
 バドの首が、かくんと落ちた。弟につられて、コロナもいよいよ眠気が襲ってくる。
「それとも瑠璃のお兄ちゃんが泣いてるのかな……
 あくびがまた出た。目尻にじわっと涙がにじむ。
 眠い目をこすって壁掛け時計を見ると、時計の針はすっかり深夜を指していた。
……師匠、おそいね……
「うん……
 双子はいつでも師の帰りを信じて待っている。彼女は決して約束を破らない人だから。
 ベッドのサイドテーブルには、開封された手紙が置いてある。師が旅先から送ってくる、いつもの手紙。
 仲間とみんなで必ず帰ると、約束を記した手紙。
 郵便ペリカンが最後のそれをマイホームに届けてくれてから、すでに幾日も経過していた。



 先に目を覚ましたのはバドだった。
 部屋全体が明るくなっている。
 雨音も風の音もしない。窓の外から小鳥のさえずりが聞こえている。夜のうちに嵐は過ぎたらしい。
 それにしても、不思議な明るさだった。朝にしては夕焼けめいているし、昼でもない。もちろん、夜はこんな色じゃない。
 疑問に思いながら起き上がったバドは、そっと窓の外を覗いてみた。
「あ……!」
 バドは急いで、眠るコロナをゆすり起した。
 寝ぼけ眼で起き上がった姉に、バドがさっと窓の外を指し示す。コロナの頬が紅潮した。
「すごい……!」
 一気に眠気が吹き飛んだ。
 矢も楯もたまらず双子は梯子を下り、階段を駆け下りて玄関から飛び出した。 

 金色にも紫にも赤にも見える、神秘的な空の色。
 色を変える空一面に、揺らめく天然のカーテンがかかっている。
 夜の嵐は空気中の塵をすべて洗い流し、雲に光が照り映えて、一層きらきらと煌めいている。
「あ……!」
 錦に染まる街道の向こうに、人影がふたつ浮かんだ。双子の顔が輝く。
 近づくにつれて次第に明らかになる、二人の旅人の姿。
 砂のマントと、純白のドレス。
 双子もよく知っている、大切な二人。……だけど、もっとも会いたい人がいない。
 肩を落として膝をついたコロナの前に、瑠璃が片膝をついた。ちょっと笑って、後ろを指をさす。
 赤い帽子の少年に支えられ、カイが少し遅れて手を振った。
 この家はマイホーム。皆がここから旅立ち、そしてただいまを言うための場所。
 だから、みな、この家に集まってくる。
 心のある場所には心のある人、空にはオーロラ。
 マイホームに向かって駆けだしたカイは、飛びつく双子を両手いっぱいに抱き締めた。
「ただいま……!」
 
 
 
 『ティアストーン』 おわり