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しちろ
2024-06-30 20:47:51
45456文字
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LOM・宝石泥棒編
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宝石泥棒編 最終話
ティアストーン後編。
1
2
3
4
5
6
送り出してくれた仲間がいる。
待ってくれている仲間がいる。
私は自分で往く道を決めたのだから。
その道を、信じてくれる人がいるのだから。
だから。
人間の少女は槍を握りしめ、時の止まった都を疾走する。
「瑠璃! パール!」
カイが、玉石の座の扉を開け放った瞬間。
黒真珠の、天と地を切り裂くような、悲痛な叫び声がした。
ごくりと、嫌な音がした。
扉を開けたカイは、顔を青ざめさせながら音のほうに目をやる。
宝石王。
男の骨ばった喉を不自然に大きな丸みが通っていき、すとんと腹へと落ちて消えた。
「瑠璃、は
……
」
カイの息が止まる。
瑠璃がいない。
「
……
まさか」
レディパールが苦しげな表情をしている。よほど強く握っていたのか、武器を持つ手に血がにじんで、指の間から流れていた。
「少し
……
遅かったね、お嬢さん」
「なんて、ことを
……
!」
瑠璃たちにやられたものだろう。ずいぶんボロボロになっているアレクサンドルの微笑が、少し申し訳なさそうに見えたのは何故なのか。
吞みこまれた、瑠璃の核。
宝石王が、膨らんだ腹に手を当てた。
「あとわずか
……
力が足りぬ
……
」
アレクサンドルの手が、スローモーションのように上げられる。
「涙石には、あと、一つ」
「パール!」
カイが叫び、駆ける。
カイのいる場所よりアレクサンドルのほうが、レディパールにずっと近い。
だが、次にアレクサンドルがとった行動には、一切の迷いはなかった。
「これが、千個目だ」
涙石を生むための、最後の核。
アレクサンドルの手の中には、自ら抉り取ったアレキサンドライトの核があった。
「なっ
……
」
あまりのことに、カイとレディパールは絶句する。
命を狩り取り続けた騎士は、煌めきとともにこの世から消え、遺された傷だらけの宝石は、自らの意志であるかのように宝石王の足元へと転がっていった。宝石王は、悲しい顔でそれを拾い上げる。
「アレク
……
」
「どうして
……
」
アレクサンドルの真の目的は涙石。
苦労して黒真珠を奪うより、自分の核を使うほうが手っ取り早いと思ったのか。それとも、はじめから千人目になるつもりだったのか。
答える者は、もういない。
「珠魅と我が友に、祝福を
……
」
祈りを捧げるように目を閉じて、宝石王は千個目の核を吞みこんだ。
そうして、異変は起きた。
千の煌めきが男に宿る。
千の命が一つになる。
空間が激しく揺れた。
宝石王を中心に、煌めきとは程遠い暗い闇が広がり、カイとレディパールを襲って吞みこんだ。
「ここは
……
」
気がつくと、暗い空間に立っていた。
玉石の座ではない。蛍姫のいた座は見当たらないし、台座も紫水晶の明かりもない。
すぐにそうと分かったのは、そこが完全な暗闇ではなかったからだ。闇の中に一点だけ、小さな光がある。
光源の正体を見定めようと、カイはじっと目を凝らした。
「奇妙な空間だ
……
異様な煌めきを感じる」
一緒に飲み込まれてしまったらしいレディパールが、カイのそばで眉をひそめている。
「レディパール」
いち早く気付いたカイが、レディパールをつついた。
「あれ、見て」
「む
……
」
光だと思ったものは、人の顔だった。彫像のような白い顔が、闇の中にぽっかりと浮かんでいる。
二人は駆け寄って、間近に見てみた。
どうも、どこかで見覚えのある顔だ。仮面のようだとも思った。
しかし、思い出せない。黄金比に整いすぎた造作は珠魅の誰かに似ているようでもあるし、かといって、誰にも似ていない。固く閉じられた瞼が、風にそよぐ花弁のようにかそけく揺れた。
「宝石王
……
」
レディパールが、茫然と呟いた。
「え?」
「この顔から感じる
……
。宝石王に感じたのと、同じ煌めきだ
……
」
カイの全身から、音を立てて血の気が引いた。
「これ
……
え?」
闇に浮かぶ謎の顔。
正体は、千の核を吞みこんだ宝石王。千人分の珠力を集め、姿を変じさせたそれは、珠魅によく似た美しさ。
――
たった千人の命で、蛍姫は元気になるのよ。
千の犠牲など安いものと言わんばかりに、皮肉めいた笑みを見せていたサンドラ。
それが今、実現しようとしているのか。
固く閉じた宝石王の瞼が、またしても震えた。
眉間にしわが寄り、頬が引きつり、唇が細かくわななく。人間が涙を流す前の挙動に似ている。
千の核から、涙石が生まれる。世界で最も血なまぐさく罪深い、死に祝福された涙石。
「涙を
……
流す
……
?」
カイに、思いもよらなかった葛藤が湧き上がった。こんな手段で涙石が手に入ったとて、どうすればいいのだ。
そんなもの、与えるのか? 蛍姫に?
珠魅で最も優しい彼女は、そんなもの望みはしないだろうに。
……
もし与えたとして、真実を知れば彼女が何をし、何を思うかなど、分かりきっているだろうに。
ならば、止めるべきなのか?
だが、カイはどうしても槍を振り上げられない。腕が動かない。
涙を
……
。
「うわっ!」
「なんだ!」
宝石王が突如、かっと目を見開いた。
静かな闇から一転、王の顔からは強烈な閃光が発せられ、空間を白く灼く。攻撃的なまでの烈風が渦巻き、光の洪水があふれ出した。豪風に煽られながら、カイが四肢を突っ張り、両腕で全身を庇う。髪が、服がバタバタとなぶられる。
「な、なに!? どうしたの!」
「宝石王
……
!」
レディパールがカイの腕を強く引いた。
「カイ、伏せろ! ヤツの煌めきが異常に増幅している!」
「えっ!」
力任せに引きずられた上から、さらに頭をねじつけられて、カイはレディパールともども床に伏せた。直後、カイのすぐ頭上をより強烈な衝撃波が襲い、背中をかすめて通り過ぎていく。ぞっとした。そのまま立っていれば、ただでは済まなかったはずだ。
光が消えて再び闇を取り度した渦の中心から、声なき咆哮が轟く。ビシビシと固いものにひびが入るような音がし、続けて硝子が粉々に砕けるような音が響き渡った。闇全体を揺るがすような、すさまじい振動が空間を鳴動させる。
「核の力に、耐えきれなかったのか
……
!」
レディパールが叫んだ。
宝石王に吞みこまれた千の命。それらが溶け合うことなく暴走し、荒れ狂っているのだ。
「アレク
……
愚か者め
……
」
レディパールの苦悶が間近に聞こえてくる。
その間、彼女に押さえつけられてずっと下を向かされていたカイが、驚愕に目を見開いた。
星だ。星が広がっている。
地につく手のひらの下から、光の輪が広がっている。
自分たちの周囲だけではない。視線の届く限り、銀色の粉を振りまいたように光の粒子が渦を巻き、不思議に瞬きはじめている。
「パール
……
!」
カイは無理やりレディパールの腕を押しのけた。顔をグイっと上げる。
それは果たして、空と言っていいのか。
遥か天空に、星が川となって輝いている。
足元に銀河が現れ、星雲が渦を巻いている。夜の星々の煌めきのような。いや、これは
……
。
「宇宙だ
……
」
まさしく、星の海さながら。子どもの頃に天体望遠鏡からのぞいた、宇宙の姿そのもの。
カイとレディパールは、銀色に煌めく渦のなかにいた。
そして、もう一人。
「あれは
……
」
言いかけて、カイは言葉を失う。
化け物だった。たった一粒の涙を求めて珠魅の核を吞みこみ続けた、成れの果て。
流線形の巨体に二条の翼、身体中に鉱石が埋め込まれ冷たき煌めきを放っている。色とりどりの石と金属的な色合いの肌に、鯨にも似た尾が生えていて、そこだけが有機物らしさを残していた。怪物としか言いようのない異形の先端に、先ほどの美しい顔が張り付いている。
「そうか、あの顔」
先ほどみた顔が何に似ているのか、どうして見覚えがあったのか。カイはようやく思い至った。ジュエルビーストだ。ジュエルビーストの、嘆きの顔に似ている。だが、宝石王だったそれはまるきり作り物の彫像で、感情を持ちうるようには見えない。あれならまだ、ジュエルビーストの方が生き物らしく見えた。
……
い。
「なに
……
?」
なにか、聞こえた気がした。
レディパールも気づいたようだ。カイと同じように眉を寄せ、油断なく視線を動かしている。
何の音だろう。風の音にも、雨音にも、木々のざわめきのようにも思える。
……
い。
声だ。
「声
……
声が、聞こえる」
「
……
この声、は
……
」
はじめは、聞こえるか聞こえないか。
囁くようだった、小さな声。
しかし、その囁きは爆発したように急激に高まり、暴力的なまでに巨大になった。
憎い。
なぜ、我らが。
我らが死なねばならぬ。
涙さえ、涙さえあれば生きられたのに。
悲鳴、金切り声。怒号。
荒れ狂う怨嗟の叫びは耐えがたい轟音となり、聞く者たちの鼓膜を犯して脳髄まで揺さぶる。カイはたまらず両耳を抑えた。危うく槍を取り落としかけて、慌てて拾う。
「なに、これ、ウルサイ! 鼓膜が破れそう!」
悲鳴を上げる、自分の声すら吞みこまれて聞こえない。
レディパールが茫然と口を動かすのが、カイには見えた。
「
……
珠魅だ」
「珠魅!?」
カイが両目を剥く。レディパールの唇は、確かにその単語を紡いで見えた。
「あれは、珠魅!?」
宝石の怪物が咆哮を上げる。怒りが、苦しみが宇宙に満ちている。
「
……
なんという
……
ことだ」
レディパールが天を仰いだ。
あの咆哮は、珠魅たちの嘆きだ。あふれ出した激情は、涙を忘れ、仲間を信じられなくなり、憎み合ってすらいた珠魅たちのものだ。理不尽に命を奪われた恨み、怨嗟、怒りと憎悪。千人分の、絶望の嘆き。
千の核を集めた、異形の魔物。
レディパールが守りたかったもの。守ると誓ってきたものの、成れの果て。
「パール、危ない!」
宝石王の身体がたわんだ。
体内から吐き出された宝石が弾丸のように飛び散り、爆発四散する。凶器と化した粒子はレディパールを襲い、煌めきが噴煙のように姿を覆い隠す。
「パール!」
煙の向こうから、案ずるなとレディパールの返事が聞こえた。間もなく返事通り、白煙の中から無事な姿を現す。回避していたらしい。
「私はまだ斃れるわけにはいかぬ。蛍はまだ砕けてはいない
……
。それに、ここで死んでは」
レディパールが、エタンセルの黒柱を胸の前に掲げた。
「私の騎士に、顔向けができぬ」
信頼する者に捧げる、珠魅の、騎士の礼。洗練された動きに合わせて、レディパールの、白と黒を合わせたような色のイヤリングが揺れた。
カイが、十字槍の穂先を下方に構える。特別な誂えの武器ではない。だがこの槍はカイとともにずっとある。
「行こう、パール。あたしたち、帰らなきゃ」
「
……
ああ」
先ほどの、宝石王との会話。
本音を言えば、気は進まなかった。だが、やるしかない。この空間から出るには、おそらく、宝石王を倒すしかない。
敵は巨大だ。
カイが技を放つ。広い範囲を攻撃できる、旋風槍。
無数の鎌鼬が宝石王の表皮を細かく傷つけ、レディパールが槌を摺り上げながら、下方より突き上げるように叩き込む。
「クソ、効いてない!」
およそ彼女らしくない、瑠璃のような舌打ちをして、レディパールがさらに追撃を繰り出した。玉石の騎士の、威力の乗った一撃が、薄く傷ついた宝石王の一部をへこませる。
空が、ちかちかと瞬いた。
「星?」
反射的にカイとレディパールはその場を飛びのいた。
次の瞬間、あまたの氷の柱が流星雨のように降ってくる。たった今彼女たちがいた場所がに氷柱が突きたち、見る間に針山のようになった。そのままいたら危うく串刺しだ。
「ものすごい既視感!」
「私も見覚えがあるな」
「パールは喰らってないでしょ!」
カイは逃げながらわあわあ悲鳴を上げ、レディパールは冷静に回避する。
氷の雨が降る中、宝石王が高く上昇した。
周囲を見ても足場はなく、槍や槌では届きそうもない。カイが歯ぎしりしながら地団駄を踏む。
「ああ、もう! こんな時にあの技が使えたらなあ!」
「あの技とは?」
「こっちの話!」
愚痴っていても仕方がない。
高く舞い上がった宝石王から、今度は光線が放たれる。ジュエルビーストのものに似ているが、遥かに強力だ。
幾筋も連射されてレディパールがふっ飛ばされ、カイは避けきれずもんどりうった。弾みで背中を強く打ってしまい、何度も咳き込んでしまう。
「いった
……
」
打ち付けた全身が痛い。違和感があって頭を触ると、ぬるりと生暖かい物が触れた。額だか頭だか切ったらしい。四つん這いになりながら、カイは目に入る血を拳で拭う。よく見えない。
カイは、こぶしを握った。
先ほどまでカイと話した、理知的な宝石王ではもはやない。今の彼にはまともな意志があるようには見えなかった。男も吞みこまれた核も異形に変じ、苦しみ、荒れ狂い、暴走している。きっとこんなもの、誰も求めてこなかった。
これが、結末なのか。
珠魅に遺された未来が、これ
……
?
同族で憎み合い、信じられず、殺し合い、そして。
――
違う。
カイは顔を上げた。
誰だ。
「
……
カイ。見ろ」
レディパールが、そっと指をさす。
カイはもう一度よく目をぬぐい、目を細めてみた。
突き立つ氷柱の林の中に、青い光が見えた。
「あれは
……
」
剣だった。
二人の注目を集めると、剣はカイとレディパールに応えるように、柄の石を青く光らせた。
瑠璃とともに消えたはずの、運命の剣。
「瑠璃の
……
」
瑠璃の剣。
カイはじりじりとにじり寄り、剣へと手を伸ばした。
「運命の剣
……
」
瑠璃とともに、宝石王に吞まれていたのか。それとも誰かの意志が呼び寄せたのか。
――
そんなことは、どうでもいい。
萎えた足を叱咤しながら重たい身体を引きずり、剣の元までたどり着く。宝石王は天空に。
何度か転びかけて、カイは自分に檄を飛ばした。
しっかりしろ! あたしはまだ立てる!
「瑠璃なら」
剣を支えにふらつく足で立ち上がり、カイは柄を握った。
突き立つ星の空から剣を抜き、金の装飾の施された鞘を払う。むき身になった刀身は、瑠璃の核を思わせる深い青に光り輝いていた。
「瑠璃なら、きっと」
顔を上げ、カイは煌めきの渦を強く蹴りだす。
運命の剣は、片手剣。瑠璃が愛用する曲刀と同じ。カイは剣を使ったことはない。
だから知らなくてはならない。
私は、アーティファクト使いだ。
アーティファクト使いは声を聞く。失われた記憶、忘れられた過去。そこに込められた、強い想い。
耳を澄ませ、心を澄ませ。そのモノに宿る声を聞け。
「
……
視えた」
カイと剣がリンクする。
持ち主の魂が宿ったようにわかる。剣の振り方、イメージできる。
カイの動きが変わった。足の運び方、剣の握り方、構え
――
それらの全てが、ラピスの騎士と同じ動き。
正しく意図を汲み取ったレディパールが、雄たけびを上げて奥義を繰り出す。
何もない空間から、巨大な扉が現れた。選ばれしもののみが使うことのできる、バトルハンマー最強の技。だが今のそれは、攻撃するためのものではない。
――
オレは信じてる。珠魅には新しい未来があるって。
ヘブンズゲート。
レディパールの召喚した天の扉を足場に高く跳躍し、カイは剣を大きく振りかぶる。
瑠璃なら、彼ならきっと。
「ここを、断つ!」
レディパールが見つけ、瑠璃に託された剣。一度だけ、なんでも斬れる運命の剣。
カイは強くイメージした。何度も見てきた、瑠璃の技。
長く、もっと遠く、天高くまで届け。想いに呼応し、剣の纏う青い光が大きく膨れ上がる。
「レーザー、ブレード!!!」
青い光は刀身の何倍にも伸び上がり。
異形の王を、そして、空間に散らばる怨嗟の煌めきまでも断つ。
役目を終えた剣は砕け散り。
宝石王と融合した千の核は、名もなき男と、千の石に斬り分けられた。
■■■
浮かんでいるのだろうか。それとも沈んでいるのだろうか。
漆黒の、無限の空間に無数の光が煌いている。
夜空に星屑を散りばめたようだと、上を向いて揺蕩いながらカイはぼんやり思った。
瑠璃は、真珠姫は、レディパールは、守るべき者のために戦ってきた。
敵であるサンドラ
――
アレクサンドルもまた、大切な人を救うために戦っていた。
他の死んでいった珠魅たちだってきっと、みな、想いは同じだったはずなのに。
だんだん、煌めきの渦が近づいてきた。何かに似ているなと思って、なんとなく小さなころを思い出す。ああ、子どもの頃に見た望遠鏡だ。それも、レンズ越しの夜の空。家族に優しく誘われてわくわくしながら覗いてみると、こんな星の渦がレンズの向こうに見えていた。
カイの意識は、次第に深く深く、降りていく。
これは
……
。
嘆きより、憎悪より、もっと深く深く。
核の奥に残された、珠魅たちの記憶
……
。
薄霧の向こうに、影が二つ見えた。一つは白く、一つは赤い。
赤い影が尋ねた。
「分け隔てのない都市?」
ええ、と白が答える。
「世界のどこにもないのなら、わたくしが、と」
ああ。この声。話し方。
カイはすぐに理解する。あの、恋人同士の二人か。互いに想い合いながら、生きてる間には会えぬままだった。いつの頃の会話なのだろう。
「理想郷
……
かも、しれませぬ。古参の多くは嘲笑し、あるいは蔑みました。地位の低い者などと、なぜともにあらねばならぬのか、と」
「
……
」
「あなたは、できぬとは言わないのですね。ルーベンス殿」
霧が晴れ、対峙する二人の姿が明確になる。
赤い影はルビーの珠魅に。白い影はダイアモンドの珠魅に。
「ディアナ殿。あなたの儀式を、俺に受けさせてほしい」
凛と立つディアナへ、ルーベンスは騎士の礼を取った。
「あなたが都市を守るのならば、あなたにもまた、あなたを守る騎士が、必要でしょう」
「そのお話、お受けいたします」
煌めきの都市の一室のようだった。
今度は最初から姿が見えた。蛍姫だ。生気にあふれ頬は薔薇色で、健康そのものに見える。蛍姫は椅子に腰かけ、ディアナが冷たい表情をしてその前に立っていた。
「蛍姫
……
本当に、いいのですね」
「はい。私の力が、誰かの役に立つのであれば」
ディアナと蛍姫。
会話の内容から、いつの記憶かわかった。きっと、蛍姫が玉石姫になる前のことだ。
蛍姫の返事を聞いて、ディアナがその場に膝をつく。
「ディアナ様!?」
驚いた蛍姫が思わず椅子から立ち上がっていた。それはそうだろう。蛍姫は捨石、そしてディアナは玉石姫だった。
「わたくしの命に代えて、あなたにお仕えいたします。玉石の姫、蛍姫様」
この時、この瞬間が訪れるまで。
「そうまでして、命を懸ける必要はないと思うのです」
「どういうことですか、アレクサンドル?」
不満そうな顔のアレクサンドルに、蛍姫がきょとんと首を傾げる。
「あなたには、これまでにも何度も言いました。今の役目は、私が好きでやっていることです」
「ですが、貴女は苦しまれている。下々の者は何の苦労もせず涙を得ているのに」
不平を並べかけて、蛍姫の視線に気づく。アレクサンドルは咳払いした。
「
……
玉石姫に意見する立場ではないことは、承知しております」
すると真面目に聞いているのかいないのか、蛍姫は明後日のことを言い出した。
「先日、ディアナがケーキというものを持ってきてくれました。ルーベンスは珈琲、サフォーはプリンだったかしら。ああいったものは初めて食しましたけれども
……
おいしいですね、あれは」
「
……
」
「おいしいモノにつられている訳では、ないですよ?」
悪戯っぽく、にこっと笑う。
「私は、珠魅という種族が好きです。この都市に逃れてきて、同族のぬくもりを知りました。ここには営みがある。仲間がいる。それを私が支えられるのであれば、私にとっては命を懸ける価値があるということです」
「
……
私には」
「アレク。私を気遣ってくれていることはわかります。あなたなりに、珠魅の将来を案じてくれていることも。私には、百年涙を流し続けることは、おそらくできないでしょう。そうだとしても、これは私が選択したことです。私は私を受け入れてくれた仲間を守りたい。とはいえ、このまま砕けてしまうのは、私だって本望ではありませんので
……
」
パールに希望を託すことにしました。
生真面目な態度を崩さない騎士に、蛍姫がもう一度、くすっと笑った。
「アレク。あなたに、涙を流すコツを教えましょうか?」
言いながら、アレクサンドルのしわのよった眉間を指さす。
「あなたの大切な人の笑顔を、心にたくさん思い浮かべるの」
今度は、煌めきの都市の広場のようだった。先ほど通ってきた場所だ。見覚えがある。
広間にしまいと思われる少女らが集まり、一段高い場所にルーベンスが立っている。もしかすると、彼の部屋だったのだろうか。
三人の少女の顔は、非常によく似ていた。
……
エメロードに。
「蛍姫の涙なくして都市は支えられぬ。連れ戻さねば
……
」
「私たちが参ります」
「ダメだ
……
君たち姉妹はまだ騎士も決まっていない
……
」
「ですが
……
」
少女の一人が愛らしい顔を曇らせる。似ているどころではない、生き写しだった。この三人が、幸せの四つ葉と呼ばれたエメロードの姉たちなのだろう。
「レディパール様にお願いしようと思う」
「パール様は、都市から追放されたのでは
……
」
「表向きはそうだ。パール殿は蛍姫様の命でマナストーンを探している
……
」
「存じませんでした。今、パール様は?」
「レイリスだろう
……
あそこに強い剣があると言っていた。塔には俺が行く
……
ディアナ様を頼む」
姉たちが同意する。
その時、無邪気な声がした。
「ねえ、どっか行くの?」
明るく、天真爛漫な声。この声、カイが忘れるわけがない。
「ひょっとして、外に出るの?」
エメロード
……
。
カイが呼びかけるが、エメロードには届かない。
遊びに行くのではないと咎められたエメロードは、屈託なく尋ねた。
「ふうん。魔法都市にも行く?」
姉たちが口々に窘める。「あそこは怖いところよ」「私たちの核を売るお店もあるそうよ」と。
「でも、学校があるよ? 魔法習いたいな」
どうやらエメロードは、事の深刻さを知らないようだ。姉たちはのんきな末妹を適当にあしらい、ルーベンスのもとを辞す。
一人のけ者にされたエメロードは、騎士長の前であるのも構わず、ちぇっと舌打ちした。カイの胸がつきんと痛む。過去の彼女が、生前そのままにそこにいる。
部屋に残ったルーベンスが、穏やかに問いかける。
「エメロードは何故、魔法を?」
「あたし、姫だけど泣けないの。だから、パール様みたいな騎士になりたい」
それを聞いたルーベンスは、優しく笑った。
「そうか
……
エメロはいい子だ」
見たことのない珠魅だった。
一方はサファイア。港町で見た、青い瞳が胸に輝いている。
長い銀髪の彼は、水色の小柄な女性を伴って歩いていた。伴って
……
というのは語弊があるかもしれない。サファイアが先を行き、女性が後からついて歩いている。
「見返りもないのによくやるよ」
振り返りもせず、サファイアは歩いている。ケンカでもしたのか、さもなくば女性は彼を一方的に追っているようだった。
「サフォー様は、誰かとお付き合いするのに見返りを求めるのですか?」
「マリーナ
……
いや、アクア。都市は崩壊した。僕はもう姫長じゃない。騎士などもう必要ないんだ」
だから、自由に生きろと? マリーナと呼ばれた女性がきびきびと告げる。
「私は、サフォー様が姫長だからお仕えしている訳ではありません。私はあなた様の騎士です。アクアではなく、マリーナです。私は、サフォー様の行くところならばどこまででも
……
たとえ奈落の底であろうとご一緒に参ります」
「縁起でもない。やはり却下だ」
「奈落はお嫌ですか。そうですよね。ならば
……
そうですねぇ
……
」
「
……
海」
サファイアの珠魅が、立ち止まって呟いた。
「海でも、見ようかと思っている」
「海
……
ですか。海というモノは、サフォー様の核のような美しい青をしているのだと聞きました。私も一度、見てみたいです」
「随行の許可はしていない」
「必要ですか?」
「マリーナ。君はいつから、この僕に意見するようになった」
「サフォー様こそ、もう、姫長ではなくなったのでは?」
サフォーという名の珠魅は、無言になった。
「
……
よくやるよ」
根負けしたのはサファイアのほうらしい。
女性の騎士の胸には、透き通る海のようなアクアマリンが煌めいている。
「その物好きが騎士でいることをお許しになったのは、サフォー様。あなたですよ」
数えきれない思いが、過去の記憶が、カイの中を通り過ぎていく。
千の珠魅。千の命。千の想い。
数多の煌めきが幾筋も混じりあい、戯れ合い、箒星のように流れていく。
ああ、珠魅たちが。笑っている。
苦しいなかでも、仲間を労り、心で触れあっている。
涙を失った彼らが、生きるために重ねた罪。忘れた心。
信じるべきものを信じられず、自分たちの感情を抑え込んで、珠魅は生き延びた。
疑惑と猜疑、悲しみ、憎悪。それが彼らを、彼らの心の内にある物から遠ざけた。
涙を流すことを義務だと思うから。縋ることでしか生きられないと思うから。
彼らは気づいているだろうか。
命を生かすために、心を殺し続けてきたことに。
夢か幻か、それとも過去の記憶なのか。
カイが最後に見たのは、眩しい砂漠だった。この場所の名は知らない。けれど、夢で見たあの砂漠によく似ていると思った。
砂漠には、女性が立っている。カイの良く知る、大事な仲間。
「レディパールだ、ラピスの珠魅」
レディパールが、少し笑って名乗る。
相手は、瑠璃。この瑠璃は、今より随分線が細い。よく見れば愛刀も持っていないように見える。
カイは気づいた。そうか、これは瑠璃とレディパールの出会いだ。瑠璃が長らく隠し、真珠姫が、レディパールが秘めてきた二人の出会い。
青と白、そして黒。三色の煌めきとともに、二人の想いが流れ込んでくる。
灼けつくような砂の海で、瑠璃は胸に石を抱く種族に
――
自分以外の『珠魅』に、とうとう出会った。
ついに見つけたのだ。やはり珠魅は自分だけではなかった。自分はこの世界に一人きりではなかったのだ。
それは、孤独だった瑠璃には、どんな黄金よりも命の妙薬よりも、砂漠で得たオアシスの水よりも、遥かに価値のあるものだった。黒真珠は、瑠璃が生まれて初めて得た、『希望』そのもの。ともに行くことはできなかったけれど、黒真珠の珠魅
――
レディパールとの出会いは、瑠璃の人生に確かな光をもたらした。
それに、レディパールは仲間の居場所がわからないとは言ったが、仲間はいないとは言わなかった。ならばやはり、どこかに他の珠魅が存在するのに違いない。
瑠璃は晴れやかな心とともに、運命の剣を腰に挿した。
いつか仲間に会える日のために。自分の宿命に出会うために。
自分は、この剣にふさわしい騎士になろう。
何者でもない存在から、初めて騎士を志した青年は、未来への希望を胸に新たな一歩を踏み出した。
きらり。胸の核が光った。
「なんだ
……
胸騒ぎが」
穏やかではない、核の輝き。
それは生まれて初めて瑠璃が感じた、珠魅の煌めきだった。
「
……
レディパール?」
何故そう直感したのか。無性に嫌な予感がした。
瑠璃が勘の告げる方角へと駆けていくと、レディパールが地に臥していた。
「そんな
……
」
彼女は、死に瀕している状態だった。核がひび割れ、そこから淡い光
――
珠魅の珠力が漏れ出している。
なんとか、この光を止められないのか。
しかし、瑠璃にはどうすることもできない。助けられもせず、命の火がみるみる細っていくのを見守るだけしか。
「せっかく会えたのに、なぜ
……
レディパール
……
」
動かぬ黒真珠を、瑠璃は強く抱きすくめた。
そして、瑠璃の腕の中で、黒い珠魅は
……
。
「ここは
……
。わたしは
……
。
……
あなた、は?」
「君は真珠姫
……
。君はオレが守るよ。オレは、君の騎士だから
……
」
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