しちろ
2024-06-30 20:47:51
45456文字
Public LOM・宝石泥棒編
 

宝石泥棒編 最終話

ティアストーン後編。


 凄まじい衝撃を浴びた。
 これまでのジュエルビーストの比ではない、ただひたすらに、強烈な一撃。
 真正面から喰らったカイは、為すすべなく後方へ吹っ飛ばされた。
 普通なら壁にたたきつけられるところだが、そうはならなかった。
 間近に二度爆音がし、暗く閉塞的だった視界が急速に開ける。目の前がぱあっと明るくなり、自分が空中にいると気づいたときには、カイの身体は猛スピードで落下をはじめていた。
「カイ!!!」
 どこかから叫び声がした。中空で誰かに腕を強くつかまれる。
 そのまま、切り裂くような勢いで落ちていき、いきなり全身にがくんと強い衝撃が走った。落下が止まったのだ。急に停止した反動で、身体が振り子時計のように大きく揺れた。
「と、とまった……?」
 心臓をバクバクさせながら、何度も瞬きする。高い高度に位置する煌めきの都市。かなり落ちたはずなのに、それでも地上はまだ遠い。
 だが、どうやら、助かった。宙づり状態で足元に感覚はなく、目の前には秋の稲穂のような色の空と同じ色の雲、遥か彼方には丸い地平線が見えていた。
 そろそろと、上を見る。
……キミ」
 シオンが都市の外殻につかまって、ぶら下がっていた。右の手で回廊の縁、もう一方はカイの腕をつかんでいる。
……ちょっと……だまってて、ほしい……
 震え声で文句を言われ、素直に口をつぐんだ。今バランスを崩したら、二人そろって真っ逆さまだ。
 空中でカイを捕まえ、もろとも何階層も落ちたシオンは、高速で落下しながらなんとか回廊の縁を捉えていた。あとはここから下に降りるか上に上がるかだが、シオンはぐいと腕を引いてカイを上へと引き上げた。
「あ、ありがとう……助かったよ」
 彼が追いかけてくれなかったら、今頃命はなかっただろう。
 先に回廊へ上がったカイは、いったん槍――取り落とさなかったのは奇跡だった――を傍らに置き、ぶら下がる少年へ手を差し伸べる。カイの手を借りて、シオンが上がってくる。しかしその場でへたりこんでしまい、動けない。
「シオン……大丈夫?」
 カイが顔をのぞき込むと、そうだとも違うとも取れる、不明瞭な返事が返ってきた。あまり大丈夫ではなさそうだ。
 シオンは腕をさすりながらやっと起き上がると、右手をふらふら振った。
「怪我は?」
 聞かれて、カイは首を横に振る。先ほどのジュエルビーストの攻撃、あまりに強烈な衝撃波だったが、カイの手前で交差したおかげで直撃自体は避けられていた。それか、カイが並外れて丈夫なだけかもしれないが。
「ずいぶん落とされたな」
 シオンにつられて見上げれば、玉石の座がある最上層が小さく見える。
 一番下の階層まで落とされてしまったようで、都市の入り口が螺旋回廊の下方に見えていた。ここから玉石の座まで戻るのでは、かなり時間がかかってしまう。
「キミ、走れそう?」
「平気」
「急がなきゃ。早く戻らないと、瑠璃とパールが」
……そうは、いかない」
 カイでもシオンではない、ひどく抑えた声がした。
 警戒を高めたカイの視線の先。
 一点に集中する光とともに、空間が不自然に収縮する。ジオで知って以来、何度も見てきた魔法現象。転移魔法だ。
「アレクサンドルの邪魔は、させないよ」
「宝石王……
 魔法の光が止み、宝石王が現れる。攻撃性の感じられない静謐な佇まいで……だが、上層への道を塞ぐように。
「久しぶりだね、お嬢さん。ここは世界で最も美しく、そして歪な、宝石と死者の街だ。あなたのような、日の当たる場所にいる者が来るべき場所ではなかったのに」
 どこか悲しげな口調にもやはり、敵意は感じられない。
 そう言えば、こんなに明るい場所でこの男を見るのは初めてかもしれない。カイは頭の片隅で思う。奇妙な見た目をした男は、カイが見てきたどの種族とも似ていない。都市の煌めきに囲まれながら、宝石王の周囲だけは影を落としたように暗く見える。
「お嬢さん、これが最後の忠告だ。悪い事は言わない。手を引きなさい。今日ばかりは、あの日のように何事もなく帰してやることはできない」 
 肌も服も、全てが薄暗い色をしたこの男の瞳だけは、今日もひどく澄んでいる。
 その青い眼を、カイはほとんど睨むように見据えた。
「宝石王。あなたは一度、瑠璃を――あたしたちを助けてくれた。あたしは、できれば戦いたくない。そこを通してほしい」
「それはできぬ」
 宝石王は拒絶する。
「いつかも言ったね。珠魅のことも涙石も、人間の君たちには関係のないことだ。そして君たちにできることも何もない。できぬことに挑んで命を危険に晒すなど、あまりに愚かだ。なにより、あなたには帰るべき場所があるだろう。あなたを待つ者が、きっと……今ならば間に合う。そこへ戻りなさい」
 子どもに言い聞かせるような、それでいて哀しさを含む声。
……関係なくなんかない」
 宝石王の言葉を、今度はカイが否定する。
 男の言うことは理解できる。できるし、敵の言ながら身に染みる。家族のためにはそうするべきなのかもしれないことも、わかっている。
 けれど、カイにも譲れないものがある。
「あたしは、瑠璃や真珠ちゃんたちの友達だもの。そして、あたしがいたい自分でいるために、今ここにいるの。できることがあるかないかなんて、あなたに決められることじゃない。それはあたしが自分で探すことだ。……家には帰るよ。彼を止めてから」
「なんとも強欲な人間らしい……傲慢なお嬢さんだ」
 こちらも、カイが断ることはわかっていたのだろう。宝石王の言葉には諦観が見え隠れする。
 未熟なくせに、欲しいものを何一つ捨てる気のない、傲慢な娘。できぬことなどないと信じる、強欲な娘。
……そうだね、知っているよ。あなたが、どれだけの覚悟でここに来たのかも」
「なら、どうして」
「私もまた、彼らの友人だからだ」
 カイが息を詰める。
 宝石王は、過去を振り返るように天を仰いだ。
「私はこの醜い異形の姿ゆえ、あらゆる人々から疎まれ、蔑まれて生きてきた。しかしそんな私を認め、温かく接してくれた者たちがいた……それが、アレクサンドルと蛍姫だ。彼らは孤独だった私に名を授け、人の温もりと居場所を与えてくれた。……人間のお嬢さん。あなたの目にはどう見えようとも、間違いなく彼らは私にとっての光。希望そのものなのだ……
 そう言って男は目を閉じる。彼が仰いだのは空でも過去でもなく、彼なりの希望だったのか。
 カイは奥歯をぎりとかみしめた。槍を握る手に力が入る。
 宝石王がアレクサンドルや蛍姫に抱く想い。それはきっと、カイが心に抱いているものと同じ。カイが、家族や友に向ける想いと同じものだ。
……あたしにもいるよ。なにに変えても守りたい、かけがえのない、大事な人たち……
「ならば、あなたにも分かるだろう。私は蛍姫を救いたい。そして、アレクサンドルの願いを叶えてやりたいのだ……
 宝石王が、ゆったりと両手を広げる。
 午後の日差しに煌めく回廊に、きらきら濁った別の煌めきが無数に落ちる。
 アレクサンドルに、価値のないクズ石と蔑まれた、哀れな石たち。
 くすんだ宝石の雨の向こうで、宝石王の姿がゆっくり薄れていく。またいずこかへと移動していくのか。転移の光の中、こちらを振り向く、男の眼差しがカイを見つめている。

 お嬢さん。あなたにもわかるだろう。
 ……わかる、だろう?

「わかる……

 カイは、ぎりと唇をかんだ。
……わかる、もんか! 仲間の命を犠牲にして! 仲間を千人も! 友だちなら、なんで止めてやらなかったんだ!」
 喉が張り裂けそうなほど喚き、激情の荒れるままに槍をうちふるう。神速の槍は宝石の雨を上下に断ち、嘆く宝石王を切り裂いた。だが、手ごたえはない。刃は消えゆく幻影を斬ったに過ぎず、白い影だけが二つに断たれて消えた。
 カイは気持ちのやり場なく、石畳に槍の刃を打ち付ける。
 悔しかった。
 アレクサンドルの、そして宝石王の気持ちがわかってしまうからこそ、なおのこと。
 かつて怪盗淑女として名を馳せた、無血の宝石泥棒サンドラ。その一方で、アレクサンドルは宝石商アレックスとして世界中の宝石を収集し、手当たり次第に買い集めた。
 そうして、誰一人傷つけることなく集められた、千の宝石。
 しかし、ただ美しいだけの石から涙石を生み出すことは叶わなかった。
 追い詰められたアレクサンドルは、選択を迫られた。
 誰を生かし、誰を見捨てるべきなのか。滅びるべきは、誰なのか。
 蛍姫の命と、仲間の命。決してかけてはならないものを、天秤にかけた。
 そして、選んだ。
 選んでしまった。
 生かすべき者と死ぬべき者。
 一度は誰も傷つけずに救おうとしたその手を、その優しさを、血で汚し、仲間の命を刈り取ることを。
 カイの周囲で、歪な宝石たちが自ら光る。その光が何を意味するものか、カイは嫌というほど知っている。
 光が強まり、そして巨大な影が回廊を埋め尽くす。
「ジュエル、ビースト」 
 群れ、と言っていい数だった。前門も後門も。行く手をすべて塞がれている。この状況で生き残れる保証などない。
 カイは、じり、と後退さった。
 後ろがなかった。
 それもそのはず、彼女とシオンがいるのは回廊の端。後退した踵が半分、宙に出ている。
 この都市の回廊には、柵はない。下方に小さく、水のたまった堀が見えていた。
 カイはぎくりとして息を吞む。うまく堀に落ちれば、ここから出られる。

 ……逃げようと思えば、逃げられる。

……シオン、ごめんね」
 カイは手首を返し、くるりと槍を向けた。
「もう少し、付き合ってね」
 より多くのジュエルビーストがいる方向、上層へ至る螺旋回廊の方角へ。
「お前、ひどい女だな」
 シオンはそう言ってカイを見ると、ほんの少し、笑った。
 殺意を露わに、ジュエルビーストが目前に迫る。
 カイは槍の穂先近い柄を短く握った。敵との距離が近すぎて長物が使えない。
 どいてろと小声で言いながら、シオンが短剣を抜いた。大型の魔物には役不足だが、敵と接近しすぎていてこちらも大剣を抜くスペースが取れない。
 一撃でも喰らえばひとたまりもない。といって、無闇に避ければ都市の外へ押し出される。
 多くの魔物が入り乱れ、糸を通すような間隙を狙い、シオンが無比の正確さで短剣を飛ばした。音速の刃は狙い過たず核に突き刺さり、ジュエルビーストは砂となって消える。
 すかさず、少年は地面に落ちた短剣の刃を踵で跳ね上げた。回転する短剣を中空で掴むや反転し、後方に迫る魔物の懐に潜り込んで斬りつける。深い筋を刻んだ傷の上から、さらに柄頭を強烈に叩き込んだ。蜘蛛の巣状にひびが入り、ジュエルビーストの核が粉々に砕ける。
 瞬く間に二体が斃れ、空間が空いた。
 後続が追い付くまでのわずかな隙、シオンはずらりと大剣を引き抜いた。
 刀身が炎のような赤みを帯び、紅蓮の闘気が吹き上がる。
 幅広の刃は可視化されたマナを集めて纏い、シオンは深く踏み込むと、一気に薙ぎ払った。
 壮絶な威力だった。
 迷いなき一太刀は凄まじい奔流となって、魔物の群れを襲い、吞みこんだ。少年の放った奥義の威力は尋常ではなく、直撃を受けた個体は耐えきれずに消滅し、ジュエルビーストの群れを一直線に割る。
「カイ、行け!」
「でも!」
 髪を振り乱したカイへ、シオンはいつもの調子で淡々と告げた。
「お前が相手にするべきなのは、こいつらじゃないだろう。お前は自分で決めたと言った。なら、気の済むまであいつらに関わってこい」
 さらに言い募りたくなるのを、カイはぐっとこらえた。彼の言う通りだ。カイには目的があり、それは一刻を争うのだから。
……シオン、無事で」
 後ろ髪を引かれるのを振り切って、カイは再び最上層を目指して駆けだす。
 回廊はすぐに再び魔物で埋め尽くされて、シオンの姿はあっという間に見えなくなった。

 残されたシオンのほうはといえば。
「とはいえ……
 回廊に消えたカイをちらと見て、シオンは髪をくしゃりとやった。
 困った時に昔よくした、彼のくせ。
「俺が知ってるのより、だいぶ数が多くないか?」



 ■■■


 玉石の座そのものが、激しく鳴動した。
 ジュエルビーストの放った衝撃波の影響は広範囲に及び、隣り合っていた瑠璃とレディパールを引きはがした。
 あおりを喰らった瑠璃が後方へ吹き飛び、体勢を崩す。砂のマントが爆風になぶられ、音を立ててはためいた。
 だが、瑠璃は自分のことに構ってはいられなかった。至近に攻撃を喰らった仲間の一人が空へ投げ出され、一人が追いかけて空へと姿を消したからだ。
「カイ! シオン!」
 気を取られた一隙に、鋭い連撃が飛んできた。相変わらずアレクサンドルには隙はない。
「他人の心配をしている場合では、ないのでは?」
「チッ!」
 初撃を防ぎ、応戦する。速い。一撃避ければ空気が切り裂かれ、一太刀防げば火花が散る。蛍姫の寝台だけは結界かなにかで守られているのか、戦闘の影響は及んでいないようだ。
 それにしても、とんでもない敏捷性だった。
 アレクサンドルの得物は、サンドラと同じく短剣。この武器種は手数で攻めるのが一般的だが、この男は一撃一撃がやたらと重いときている。
 瑠璃は舌打ちした。年季の差もあるのだろうが、レディパールにしろこの男にしろ、玉石姫を守る騎士とは化け物ぞろいだ。己の仲間に短剣使いがいたことを、瑠璃はこれほど感謝したことはない。
「あんな馬鹿ども、心配なんかしてたまるか。珠魅よりずっと短命なくせに、ああまでしぶとい人間見たことがない」
 アレクサンドルと位置を入れ替わりながら距離を取り、本心半ばに、瑠璃はうそぶく。そうでなければ、心から信じられなければ、珠魅が人間と行動など共にできない。
「宝石屋……いや、アレクサンドル」
 瑠璃が流れるような動きで剣を薙ぐ。瑠璃もまた、速い。
「オレは、アンタのことがずっと気に入らなかった」
 離れた場所でレディパールがジュエルビーストとやりあっている。あの魔物の核はアレクサンドルがクズと評した宝石。なぜ彼があれほどまでに石の値打ちにこだわっていたのか、瑠璃はようやく理解した。一般にいかに価値があろうがなかろうが、彼にはどれも等しくクズ石だったのだ。涙を流せぬ石、というものは。
(気に入らない)
 瑠璃は胸の内で再び毒づく。
 アレクサンドル。
 千人近い珠魅を狩り続けた彼。
 被害者には抵抗することもできず死んだ者もいただろうが、中には激しく抗った者たちもいたはずだ。それらのすべてを襲い、核を奪うことに成功してきた裏切り者の騎士。この強さがあったなら、その意志の強さがあったなら、ほかにできることはあったのではないのか。
 アレクサンドルが、見透かしたように問いかける。
「若いラピスの騎士。珠魅の醜悪な過去も涙石の真実も、最近まで知らなかったことだろう。君には、この都市のことなど関係なかったはずだ」
「それがなんだって?」
 短剣の突きを華麗にかわし、瑠璃が嗤う。極限の戦闘においても瑠璃は順応が速い。
「だから、オレに温情をかけて見逃してきたとでも? バカを言うなよ」
「まさか」
 アレクサンドルもまた、笑った。「この場に立つ以上、君のラピスラズリは千の核のひとつでしかないよ」
 台座の上に白い光が集まる。
 出現したのは姿を消していた宝石王だった。
 瑠璃とレディパール、それぞれに緊張が走る。この男が一人だけ――しかも無傷で戻ってきているということは。
「あの子たち、お帰りいただけそうかな」
「そうしてくれると、よいが……
 アレクサンドルの問いに、宝石王は壁の穴から下層のほうへと視線を投げた。
 会話が聞こえた瑠璃はひそかに胸をなでおろす。いなくなった友人の二人とも、少なくとも今は無事でいて、都市内部にいるらしい。
 部屋の一角で細いいななきが聞こえた。レディパールが二体目のジュエルビーストを屠ったのだ。
 すかさずレディパールは瑠璃へ合流しようと駆けだした。瑠璃も駆け寄ろうとする。
「うわっ!」
 瑠璃が急停止し、身を反らしてのけぞらせた。
 宝石王が彼の足元に光を投げたのだ。魔法の一種なのか、光がバチバチと電流のように弾ける。行く手を阻まれたレディパールもまた停止を余儀なくされ、危うく当るところだった瑠璃が宝石王をがなりつけた。
「貴様!」
「すまぬが、今は黒真珠と一緒にはできないよ。美しい、ラピスラズリの石」
「黙れ! オマエに言われると虫唾が走る!」
 瑠璃が一層顔を赤くして怒鳴る。明らかにレディパールがペアになるのを阻まれている。
 瑠璃が足止めされている隙に、アレクサンドルが躍りかかった。今度は、消耗したレディパールに。
「アレク……!」
「レディパール。こうして貴女と剣を交えることになるとはね」
……
 アレクサンドルの白々しい台詞になど、レディパールは答えはしない。いつか来る日だったのだ。遠き日、砂の海で決定的に決別したあの日から。
「アレク、お前の思うようにはさせるわけにはいかない。珠魅の敵となったお前を生かしておくわけにはいかぬ……一族の核を奪い、なおかつその命を弄ぼうとするお前を……!」
「弄ぶ……?」
 アレクサンドルが嘲笑する。
「長きにわたり命を弄んできたのはどっちだ? 滅びる定めにありながら己の命を容易く消費し、他者の命を湯水のように浪費して」
「騎士たちは生きるために戦い、姫は守るために涙した。それぞれに悩み、選びとった生き方だ。それを、貴様の勝手な思い込みで愚弄することは許さぬ……!」
「いかにも貴女らしい、手前勝手な綺麗ごとだね。そうだ、パール。どうせここまで来たなら、我々と一緒に姫様を救う手助けをしてみては? 今すぐ貴女の黒真珠を差し出せばそれで済む」
 レディパールの返答は豪速の一撃だった。
「貴女はそうだと思ったよ。相変わらずだ」
 いくら強化型ジュエルビーストと言えど、最強の騎士レディパールを長く足止めすることはできない。容赦なく斃され、細かく砕けた核の残骸が辺りに転がっている。正体が何であれ、珠魅に敵対する者はすべて倒す。それが、レディパールの覚悟。
「私は後悔している」
 レディパールの、エタンセルの黒柱が唸りをあげる。この一撃を喰らえば、いかな敵でも無事ではいられない。
「こうなる前にお前を止められなかったこと。聖剣を見つけられなかったこと」
「レディパール」
 アレクサンドルの刃が黒真珠を狙う。かつては信じ、敬愛し、心を許していた友の心臓を。
「救う『ふり』などもう十分だ。いつ叶うかもわからない、ありもしない伝説に縋るなど」
 レディパールの眦が険しくなる。
 聖剣。そして剣を得た先にある、マナの聖域。あらゆる望みを叶えるマナストーン。ファ・ディールの誰もが知っており、誰一人として触れたことのない、伝説の存在。そんなものは存在しないに等しいとアレクサンドルは言う。
「本当は、貴女も疑問に思っていたのだろうに、レディパール。珠魅の在り方を……いや、貴女自身の在り方を」
 レディパールもよく記憶している。彼と砂漠で対峙した決別の時。レディパールは、アレクサンドルの言葉自体は否定しなかったのだ。
 しかし、レディパールは珠魅であることを選んだ。仲間であることを選び、アレクサンドルの前に立ちはだかった。互いに相容れることはないのだとアレクサンドルは見限り、レディパールもまた悟った。彼がこちら側に戻っては来ないことを。
「だから、奪っただと? 仲間の命を」
「奪ったのではない。返すだけだ」
 レディパールの鎚が、重量をものともしない素早さで繰り出されれば、アレクサンドルの短剣はさらなる速度で黒い騎士に襲い掛かる。並の騎士では間に入ることすら許されない、峻烈な攻防。アレクサンドルの短剣が黒真珠の表面を切り裂き、細かな傷を入れていく。
「蛍姫は御身を削り、珠魅たちに自身の命を与え続けてきた。どの石も、姫様の涙石がなければとうに砕けていた命だろう。他者から借りて生き長らえていた命を持ち主に返すに過ぎない」
 アレクサンドルの目には、言葉には、刃には怒りが満ちている。これは償いだ。珠魅が蛍姫に対して犯してきた罪。珠魅がすべき償い。彼女に涙を返せないのであれば、命をもって。
「死んでくれ、パール!」
「私が倒す、アレク!」
 互いに、強く踏み込む。
 その時、傷を負った核に激痛が走り、レディパールが顔をしかめた。アレクサンドルが、動きを鈍らせたレディパールに接近する。
 だが。
「パールから離れろ!」
 今度は、宝石王の攻撃をかいくぐってきた瑠璃が、アレクサンドルを阻止した。
「しつこいね、ラピスの騎士」
「オレは、彼女の騎士だ!」
 噛みつくように怒鳴って、瑠璃はレディパールと背を合わせる。瑠璃を仕留め損なった宝石王がアレクサンドルに詫びると、アレクサンドルは小さく肩をすくめた。
「まったく、珠魅らしくない騎士だ。しつこさといい執念といい、まるで人間のようだよ」
「オレは、珠魅だ!」
 瑠璃がレディパールを庇い、立ちはだかる。誰に言われても腹が立つだろうが、アレクサンドルに言われると余計にむかっ腹が立つ。
……アレクサンドル。アンタは、蛍姫がそれを望むと思うのか?」
 瑠璃が剣を水平に構え、畳みかける。レディパールの息は荒い。真珠の核に入った傷は、浅くはない。
 打って出たアレクサンドルに合図され、宝石王が退いた。幸か不幸か、彼らの目的は瑠璃たちの核だ。脆い核を手に入れるために、核ごと砕けてしまうような強力な攻撃を、宝石王とアレクサンドルは仕掛けることができない。
「アンタの守り方は、それなのか? 仲間を裏切り、奪うことが?」
「理解してもらおうなどとは、はなから思っていない」
 瑠璃の鋭い突き。アレクサンドルがいなし、回避する。
 そうしながら一瞬……ほんの一瞬だけ、アレクサンドルは玉座に目をやった。
「姫様は……怒るだろうね」
 その呟きは、どこか自嘲めいて聞こえた。だが、すぐ瑠璃に向き直る。
「蛍姫ほど仲間を愛する珠魅を、私は知らない。他者の喜びを我が事のように祝福し、他者の苦しみを我が事のように悲しみ、労わってきた。だからこそ彼女は、珠魅でありながら涙を流せたのだから」
「そうか……
 瑠璃が唇をかむ。それをわかっていて……ずっと姫の傍にいて、わかっていたくせに、この男は。
 復帰したレディパールが、顔をしかめつつも瑠璃に並び立つ。そして、案ずる瑠璃に目くばせしてきた。強がっているが、核に受けた傷の痛みを瑠璃は嫌というほど知っている。息をするのも苦しいはずだ。
「ようやくわかったぜ。オレがアンタを嫌いな理由が」
 瑠璃は刀の柄を握りなおした。
 自分がアレクサンドルの立場であったら……もし、真珠姫が蛍姫の立場に置かれたら。自分はアレクサンドルと同じことをしただろうか。
 彼と剣を交えながら、瑠璃は何度も考えた。
 騎士として、姫を、大切な者を守りたい。その想いはわかる。腹が立つほど、よくわかる。
 瑠璃は、本当はジオを出るとき、真珠姫は置いていきたかった。危地と分かっていて連れて行きたくなどなかったし、本音を言えば、今この瞬間だって、真珠姫を――レディパールをどこかに閉じ込めて、鍵をかけてでも護ってやりたい。真珠姫は怒るだろうし、瑠璃よりはるかに強いパールなどは鼻で笑うだろうが、瑠璃は本気で思っている。それこそアレクサンドルが、パンドラの宝石箱に自身の姫を閉じ込めていたように。かつての自分が、真珠姫に何も教えず何も告げなかったように。

 ――けれど、そんなのはオレのわがままに過ぎなかった。

 瑠璃が剣を繰り出す。
 今の瑠璃は、それをしない。彼女が望まぬからだ。

 ――わたしたち、なみだをとりもどさなくちゃ。
 ――私は戦う。珠魅の脅威となる全ての敵と。

 瑠璃が、真珠姫とレディパールが歩んできた道のり、そして珠魅に降りかかった運命は過酷そのものだ。
 しかし真珠姫は、レディパールは、戦う道を選んだ。
 逃げるのでも奪うのでもない、滅び行く運命に真っ向から立ち向かうことを決意した。
 ならば、自分が騎士としてできることはひとつだ。
 この先にあるものが茨の道だろうが、たとえ不可能だと言われようが、誇らしい姫の騎士として、そして敬愛する騎士のパートナーとして、たどたどしくてもいい、みっともなくてもいい。彼女とともに歩む道を選びたい。
「ラピスの騎士。君は若い。そして甘い」
「そうかもな」
 アレクサンドルは苦い現実を知るからこそ言うのだろう。きっと彼はそれに能うだけの絶望を重ね、辛苦に苛まれてきた。余裕めいて見える態度とは裏腹の、凄まじい剣はアレクサンドルの覚悟の表れだ。
 だが、自分と彼とは違う。そんなものは甘い幻想だと笑うのならば笑えばいい。
「オレは、アンタが憎む珠魅の醜い時代を知らない」
 知らぬが故の傲慢というならそれでいい。滅びゆく種族? くそくらえだ。
 遠くから足音が聞こえてくる。それが誰だか瑠璃にはわかる。
 宝石王がひれのある手をゆっくりと広げた。
 敵の目をくらませ、視界を奪う、光の魔法が放たれる。
 まばゆい閃光の中、アレクサンドルの無情な手が核へと伸びる。
 狙いは、弱った黒真珠。レディパールが武器を掲げ、防ごうとするが僅かに遅れた。
「パール!!!」
 アレクサンドルの手が、核にかかった。
 鉤爪を立てた指が深々と刺さり、獲物の核をわしづかみにする。
「傷物で、悪かったな……?」
 深くヒビが入って傷だらけの、瑠璃の核を。
「瑠、璃……
 愕然と目を見開いたレディパールを背後に庇い、瑠璃が不敵に笑う。
 アレクサンドルが核を引き抜くと同時に、瑠璃は、その腕をとっさにつかみ上げた。心臓を奪われた者とは思えない、渾身の力で捕らえられ、アレクサンドルが瞠目する。
「おあいこだ」
 胸に大穴をあけたまま、瑠璃は逆手を真横に引いた。あらかじめ短く握られていたオブシダンソードが、逃れられぬアレクサンドルの核に真一文字の深い傷を刻む。
「パールの核は、奪わせな……
 瑠璃の身体から青い光が立ち昇り、紫色の玉石の座を刹那、青天の色に染め上げる。
 それが、彼の最期だった。
 ラピスの騎士は流れる血ごと光の粒子となり、跡形もなく消え去った。
「瑠璃……!」
 ただ一つ、遺されたラピスの核は、アレクサンドルの手の中に。
 レディパールの総身が逆立った。
「よくも私の騎士、瑠璃を……!」
 白磁の肌が粟立ち、琥珀の瞳が怒りに燃え上がる。
「返せ! それを、返せ!」
 核の痛みなど忘れていた。防御など考えもしない、鬼神のごとき勢いでレディパールはアレクサンドルを攻め立てる。
「これは、驚いた。貴女が、そこまで、激高するとは」
「ふざけるな!」
 蒼白の顔で息を切らせながらも、アレクサンドルが最強の騎士の猛攻を回避する。だが、すべてを避けることはできず、轟音を上げるエタンセルの黒柱が深手を負ったアレクサンドルの核をかすめ、一文字の傷の上からさらに細かなヒビを入れていく。
 レディパールから逃れる、アレクサンドルの目的は、ただ一つ。
「王よ……これを!」
「瑠璃!」
 ラピスの核が、とうとう宝石王の手に渡った。999個目の、珠魅の核。
 今の今までこの世に会った瑠璃の核を、宝石王は哀悼の意を表すように……あるいは敬意を表するように掲げた。
「悲しむことはない……珠魅は一つになるのだから……
「やめろ、止せ!!!」
 レディパールの悲鳴が響く。
 玉石の座の扉が開くのと、瑠璃の核が宝石王に飲み込まれるのは、同時だった。