しちろ
2023-05-07 19:26:46
45003文字
Public LOM・宝石泥棒編
 

宝石泥棒編 2

聖剣LOM宝石泥棒編。マイホーム話、精霊の光、ホワイトパール、主人公のサブクエ話。45,000字。


 黒曜石の曲刀が数度翻りカーミラを倒す。その周囲にはすでに、ラピスの騎士によって屠られた魔物の死骸がいくつも転がっている。
 フロアの魔物をあらかた片づけたところで、瑠璃はじろりと後方を睨み付けた。
「いい加減にしろ」
「バレてた」
 言うわりに忍ぶ気はあまりなかったのだろう。
 通路の角から、見覚えのある赤い帽子がひょっこり姿を現した。瑠璃としてはカイ以上に会いたくない相手だった。出会い方からして酷かったし、気まずい別れ方をしただけに言葉に困る。
 瑠璃が速足で階下に降りようとすると、シオンが小走りでついてきた。
「さっきから、何か言いたいことでもあるのか」
 瑠璃がいたたまれなくなって言ってみれば、
「何か言われたいことでもあるのか?」
 ……これだ。本当にやりづらい。
「ついてくるなよ」
「行く方向が同じだけ」
 なら放っておけと言いたいのだが、つかず離れずちょろちょろついてくる。魔物の相手をしなければならない以上、下手に撒くこともできない。
 ただでさえ、この塔は敵が強い。アンデッドや吸血蝙蝠は生き血を求めこれでもかと襲ってくるし、古の魔法生物は侵入者を排除するようプログラムされている。一時たりとも気を抜けないのに、なに考えてるんだかわからないマイペース野郎が視界に入るたび気が散りそうになる。
 敵を駆逐して厄介者から一度離れられても、階を降りればまた魔物が襲い来る。瑠璃が苛つきながら剣を振るう端で、シオンが短剣一本で応戦し始めた。相変わらず必要以上に戦う気はないらしく、彼の周りで倒れる敵は瑠璃の半分にも満たない。
 ところでレイリスの塔は、長剣や大剣、フレイルなど攻撃範囲の広い武器を持つ敵が多い。リーチの短い短剣はここではあまり向かないのではないだろうか。
「本当は双剣なんだけど」
 瑠璃の視線に気づいたらしいシオンがぼそりと言った。
「片割れは?」
「売った」
……アンタな」
 やる気あるのか……と思ったが、そもそもコイツにそんなもの求めるのが間違いだった。
「武器なんて現地調達で問題ない。ほらオリハルコン」
 シオンがのんきに拾い上げたのは、イビルウエポンが落とした戦利品の短剣だ。どうせまたすぐに敵に投げるか売るかしてなくなりそうだが。
「そっちの剣は」
 腰に佩いた大剣はやけに傾いていて、むりやり括り付けているように見える。
「柄が緩んでるし刃が欠けた」
 コイツと話していると頭が痛くなってくる。よく見れば鞘も破損していて、切れた革の隙間から欠けた刃が露出していた。
「真珠とはどこで会った?」
「塔の入り口」
 瑠璃の短い問いに、淡々とした声が応じる。会話しながらも、魔物を攻撃する手は緩めない。メキブの洞窟に多く生息していたバットムも、レイリスでは数段強力だった。古塔とはいえ他所より濃い魔力とマナが魔物を活性化させているのだ。
「お前たちを探してて見つけた。正確にはどちらもカイが、だけど」
「探してた?」
「例によってあいつのお節介」
 吸血系の敵には、珠魅より人間の血のほうが好まれるらしい。
 自分に集りがちなバットムを地道に落としながら、シオンは、瑠璃が正面切って話をするまであいついつまでも追いかける気だぞ、あれじゃどっちがストーカーなんだか……などとブツブツ言っている。この一か月、彼なりに大変だったらしい。
 それでもシオンはこんなことを瑠璃に言った。
「カイには礼くらい言えよ。あいつがいなかったら真珠姫どうなってたかわからないぞ」
 瑠璃もそこまで鈍くない。どころか痛いほど理解している。
 シオンは言う気はないようだが、彼の剣の破損もまたそれを物語っていた。彼の持ち物の中で唯一大剣だけは結構な業物であり、よほどでもなければガタの来る代物ではない。
「感謝はしている。真珠姫一人ではここは危険すぎる」
「だから、言うならあいつに」
「だが、これ以上アンタらに世話になる気はないからな」
 シオンの言葉を遮って、瑠璃がぞんざいに言い放った。この時相手がカイなら、たぶんここでむくれて引き下がった。非難の言葉なり文句なりをぶつけられて、話を打ち切ることができただろう。だが、シオンは違った。
「珠魅と人間は関わるな。あらゆる人間すべてを敵と思え」
「アンタ、多少は珠魅のこと知ってるようだな。オレが調べてきた珠魅の情報や文献もそんな話だらけだった。そういうことだ」
 突き放すように言った瑠璃だが、次の言葉には返事ができなかった。
……瑠璃。お前、本当に思ってる?」
 少年の静かな声音は、別に怒っているわけでも責める風でもない。
 なのに、こんな端的な問いかけが瑠璃には刺さった。最後の蝙蝠がオリハルコンに急所を突かれ、床に落ちる前に息絶えた。羽音の止んだ空間に、しんと声が響く。
「あんなこと言うくらいなら、一緒に残ればよかったのに」

 ――真珠姫になにかしたら。

 言動の矛盾を指摘されると、瑠璃は何も言えない。
 瑠璃には運命の部屋でカイ達に気付いたあの時、『彼らが真珠姫の核を狙った』という珠魅ならば真っ先に疑うべき考えが浮かんでいなかった。もしかしたら、瑠璃自身も気づいてはいなかったかもしれない。珠魅という種族と、瑠璃個人の感情。いつからか彼の中に生まれていた葛藤と矛盾は、港町でのほんの些細な一言とともに、小さな棘のように胸に刺さり続けていた。
 瑠璃が振り切るようにすたすたと歩きだすと、やっぱり少年は後からついてきた。
「だから信じろっていうのか? オレが迷っていると?」
「それは瑠璃が自分で見極めて決めることだろう。俺がどうこう言うことじゃない」
 こう言い方をすると、またあいつが怒るんだろうけど、とシオンは心の中で付け加えておく。なんでも白黒つけたい――シオンに言わせれば押しつけがましい性格のカイは、シオンの一歩引いた物言いはときどき気に入らないらしい。
 シオンが話題を変えた。
「運命の部屋って、いうんだとさ。最上階の、あの部屋」
 別に聞いてもいないのに教えてくれる。瑠璃が逃げるように立ち去った部屋の名だ。いかにも意味ありげな扉、内部の巨大な魔法陣。あそこが何らかの特別な間であることは、瑠璃にも理解できた。 
「運命の……
 瑠璃が、一度も抜いたことのない己の長剣を見た。心当たりがありそうだった。
「月読の儀式の部屋。真珠姫が言うには『ここでは誰もが過去にむきあうの……』」
「おい、声色止めろ」
 瑠璃が止めた。気色の悪いことに、肌が粟立つほど似ている。
「運命の部屋であったこと、聞かなくていいのか?」
「聞く必要はない」
「なんで?」
「過去なんかいらない。何があってもオレはあいつを守る、それだけだ」
「だったら真珠姫のこと」
 頑なに歩く瑠璃を、起伏のない声が追いかけてくる。「なんで待ってやらない?」
 ……この少年はつくづく、人の触れてほしくないところに触れるのがうまい。
「アンタには関係ないだろ」
 瑠璃がようやく立ち止まった。
 反射的に振り向くと、瑠璃が思っていた以上に近くにシオンがいた。自分には無関係と言わんばかりの普段とは、別の顔。こういう時の彼は瑠璃はやはり苦手だった。
「これはオレたちの問題だ。人間が珠魅のことにいちいち口出すな」
「瑠璃、俺は珠魅だとか人間だとかそんな話はしていない」
 瑠璃の拒絶と虚勢を、静謐な湖面のような瞳がただ受け止めている。
「最初から『瑠璃』のことを聞いている」
……
 瑠璃が答えられずにいると、物憂げにも聞こえる呟きをシオンが漏らした。
……真珠姫が不安になるわけだ」
 溜息混じりの、耳に届くか届かないかの小さな声だった。
「どういう意味だ」 
「さあ?」
 シオンははぐらかすと、入手したての短剣をくるくると宙に投げてもてあそぶ。
 瑠璃が忌々しそうに舌打ちした。
 そこまで話したところで。
 瑠璃とシオンがほぼ同時に顔を上げた。一人は目に見えて険しい表情に、もう一方は微かに眉を上げただけ。
……上のほう」
「クソ!」
 二人はたった今降りてきた階段へ向かい、全速力で駆けだした。
 


 ■■■



 真珠姫を連れた運命の部屋からの帰り道。カイは魔物とほとんど遭遇しなかった。
 瑠璃が宣言していた通り、主だった敵を片付けておいてくれたのだろう。夢うつつだった真珠姫も今は正気を取り戻しており、はぐれる気配はない。あれほど苦労して上ったのが嘘のほうに楽な道程だった。
 至る所に雑に転がる魔法生物の残骸や魔物の死体を避けながら、カイと真珠姫は昇降装置に乗り、階下へ降りた。先行した瑠璃たちはどこまで降りているだろう。……ケンカとかしてなきゃいいけど。
「月がもうあんなに高く」
 塔の外周をぐるりと巡る外付け階段で、真珠姫が空を見上げて言った。常夜のこの土地は時間がわかりにくい。カイが懐中時計を取り出すとレイリス到着から短針が半周ほど回っていた。時計を懐へ戻し真珠姫に視線を送ると、彼女は何かを探すような眼差しで月を眺めていた。
 綺麗な子だな、と思う。
 月の青い光を浴びて、真珠の白い核と繊細な美貌が浮き彫りになっている。彼女自身は柔らかな陽だまりのようなのに、不思議に月下が似合う姫だった。
 敵の気配はほぼないとはいえ、油断せず再び塔の中へ。
 
 カイは唐突に『それ』を感じた。

 直感だった。考えるより先に身体が動く。
 空を払う十字槍がびょうと風を切り、飛来するそれを瞬時に切り裂いた。淀みきっていた塔の空気が鋭く割られる。真っ二つになった『それ』が、勢いを失ってひらりと左右に舞う。
「おや、驚いた」
 言葉とは裏腹の、大して驚いてもないような口ぶり。色気を含む、そのくせやけに冷たい声が陰から響いた。
……誰かな?」
 硬い声音の、カイの誰何。ほぼ同時に彼女は姿を現わした。
 無駄なくすらりと伸びた白い肢体。大きなスリットの入った細い緑のドレスに身を包み、耳元には紅色のハイビスカス。
「あなたはたしか……
 槍を構えたまま、カイが警戒を露わに呟く。場違いに美しい、その姿は記憶に新しい。メキブの洞窟の奥深くにいた、謎の女だった。
 カイの背後にいた真珠姫には見えていた。真っ二つになったそれ――予告状。
「ほうせきどろぼう……!」
 宝石泥棒サンドラは十字窓から差し込む月光のもと、艶然と微笑みかけた。表面上は優雅。しかしその瞳の奥に宿るのは憎悪さえ含んだ冷酷さ。
「何度か会ったわね。改めまして、ごきげんよう。お嬢さん。そして……真珠の姫」
「あなたが……サンドラだったんだね」
 サンドラは酷薄な笑みでそれを肯定する。
 ポルポタでサフォーの核を奪った宝石泥棒。
 いや、彼女に泥棒の呼称はふさわしくないかもしれない。サンドラは多くの珠魅の核を奪い、殺し続けている、紛れもない殺戮者だった。
「会いたかった……
「い、いや……
 サンドラの視線は、カイの背後の真珠姫を捉えて離さない。
 怯えきった真珠姫は一歩退いただけで、蛇に睨まれた蛙のように固まってしまう。足が震えてそれ以上は逃げられない。
「貴女の核、奪わせてもらう!」
 カイが自身の身体をもってサンドラの進路を阻んだ。槍の穂先はまっすぐサンドラに向けられていた。
「それ以上は近づかせない」
「私と刃を交える気? 勇ましいお嬢さん」
「あなたが退かないならそうなるよ」
 一歩も引かない様子のカイに、サンドラが含み笑う。可愛らしい抵抗だこと。
 彼女が年若い少女だから? そうではない。メキブの洞窟や港町でまみえた際にサンドラは見極めている。武術の腕前、敵対者への反応、勘の良さ。この娘はラピスの騎士より劣る。
「輝きをなくした、汚れた石に制裁を!」
 サンドラが地を蹴った。
 一瞬、その姿が見えなくなる。
 勘が働き、カイはすぐさま槍を胴体近くに引き寄せた。ほぼ同時に急所を狙った短剣が槍の銅金を激しく打つ。
 それを柄ごと身体で押し返し、刃を振り下ろすが穂は空を切った。すでに後方へ跳んで逃れていたサンドラは不敵な笑みを浮かべ、音もなく着地する。完全に見切られている。
 知らず、カイの額を冷たい汗が流れた。
(強い……!)
 速い。そのくせ一撃が重い。
 短剣使いは動きが速いのが特徴だが、サンドラの動きはまるで見えない。動体視力に自信のあるカイでも追い切れず、これまでの戦いと経験で染みついた動きだけが頼りだった。
……っ!」
 前のめりだったカイが一歩後退する。身を低くしたサンドラの足払いが空を切る。 
「あら」
「なめないでほしいんだよね!」
 空振ったサンドラを石突で打とうとするが、またしてもかわされた。
 低い体勢からの短剣の一撃。さらに繰り出される容赦のないサンドラの連続攻撃を、これまで培ってきた槍と体捌きで奇跡的に防ぎ続ける。しかしついに避け切れず、カイの肩口が裂け、血しぶきが飛んだ。
 真珠姫の悲鳴が上がる。
「お嬢さん、それで珠魅を守れるとお思い?」
 攻撃の最中、息一つ乱すことなくサンドラが問いかけてくる。
 防戦一方のカイは口をきける余裕などない。重量のある槍より遥かに軽いはずの短剣、その一撃一撃がとてつもなく重い。致命傷は避けつつも細かい傷が増えていく。
 自分一人と異なり、誰かを守りながらの戦いは何倍も、何十倍も困難になる。デスペイン戦でシオンが苦戦したのと同じだ。レイリスの塔を上る道のり、そして運命の部屋でそれを痛感したカイだが、今は話のレベルが違う。真珠姫を守れる者は今、自分だけ。ここで自分が倒されれば、真珠姫は確実に殺される。
 そしてカイにはわかっていた。一見猛攻を仕掛けているように見えるサンドラが、全く本気を出していないことも。
「ねえ、覚えている? 忠告したはずよ、こいつらには関わらないほうがいいと」
「なん、で、そんなこと」
 おまえに言われなきゃいけない! 
 横薙ぎに打ち払われた槍の穂先をひらりとかわし、サンドラが己の間合いにするりと入り込んだ。カイが瞠目する。
「わかるわ。貴女は珠魅と関わるのに向いていない」
 槍を打てないほど近い。細くしなやかな指が、カイの鼻先に突き付けられていた。
 ここまで懐に入られては、長物の槍は圧倒的に不利だ。
範囲 レンジ!』 不意に先のシオンの忠告が思い起こされた。パイルバンカー、槍には少ない超近距離からでも放てる技。本来敵から距離をとるべきところをカイはさらに一歩踏み込み、床低く身をかがめ零距離から激しく突き上げた。速く鋭く、なによりも強力な一撃。強烈な技は確実にサンドラを捉えた。
「ちぃっ……!」
 しかしそれも直撃を免れる。刃は身を逸らせ辛くもかわしたサンドラの頬をざっくり割り、美しい頬に一筋の傷を刻んだ。隙を逃さず石突で腹を突こうとするが、それはサンドラが距離をとることで空振りに終わった。
「認識を改めるわ、お嬢さん」 浅く笑い、サンドラが血に濡れた頬をぬぐう。「強いパートナーね、真珠姫」
 余裕さえ感じられたサンドラの纏う空気が、みるみる凍てついた。カイの背筋が冷たくなる。本気で、来る。
 その時だった。
「真珠!」
 血相を変えた瑠璃、そしてシオンが階下から押っ取り刀で駆け付けた。瑠璃はすでに剣の柄に手をかけ、サンドラへの殺気をみなぎらせていた。
「キサマ、真珠から離れろ!」
「あら、お早い到着だこと」
 どこか感心したようにも言いながら、サンドラは鍵付きフックを投げてふわりと宙を舞った。居合いで抜き放たれた瑠璃の曲刀が空を薙ぐ。
「クソ! 逃げるな!」
「ふふ、さて、私はどうすればいいのかしら?」
 さすがに三対一では分が悪いと悟ったか。
 ひときわ大きな窓辺に降り立ち、月を背にサンドラが告げた。同じ月下にいながら、真珠姫のそれとはまるで異なり蒼い光は氷のように冷たい。
「真珠姫、その予告状は預けておくわ。斬られちゃったしね」
 名指しされた真珠姫が、びくりと身を震わせる。
 それは、ほんの短時間の攻防に過ぎなかった。
 カイは肩で荒く息をしながら、サンドラを睨み付けていた。対するサンドラは、涼しい顔をして息一つ乱していない。双方傷は負っていたが、今の状態はそのまま両者の圧倒的な実力差を物語っていた。
「どうしてわたしたちを殺すの? ひどいわ……
 真珠姫のかすれた非難の声。サンドラの目がすうっと細められた。殺意からくるものとは言え終始笑みを浮かべていた様子から一転、まるで温度を感じさせない、冷淡そのものの表情だった。
「その胸の核に聞いてみなさい」
「え……
「また会いましょう、お姫様」
 そう言い放つと、サンドラはためらうことなく、ひらりと窓の外へ身を躍らせた。
「ちょっと、待ちなよ!」
「追うな、バカ!」
 ここは塔でもまだ上層階だ。とっさに窓へ駆け寄ろうとしたカイを、シオンがきつく制止した。
 バカとは何だと言いかけたが、カイは代わりにその場にしゃがみ込んだ。
「おねえさま!」
「お、おおう……痛い」
 切りつけられた肩を押さえ、情けない声でうめいてしまう。傷が脈打つように熱く痛い。今の今までなんともないと思っていたが、戦いの緊張感から痛みを忘れていただけだった。
「カンクン鳥だ。追いつけない」
 ご丁寧に説明してくれながら、シオンが鞄から応急手当てに必要な一式を取り出して、手際よく傷口を処置してくれた。カンクン鳥はカイも名称くらいは知っており、大きく育てば人を乗せて飛ぶこともできるらしい。
「おー、痛くない」
「おい、だから動かすなよ」
 手当が終わった端から、肩を回して確かめている。人間二人の傍らでおろおろしていた真珠姫は、シオンの片づけを手伝いながらほっと胸をなでおろした。
 この世界 ファ・ディールは精霊魔法が発達している一方、人を癒す奇跡は存在しない。正確には、古代には存在したらしいが現在では遺失した技術となっている。だから傷つき、あるいは病に冒されれば人は容易に死ぬ。
「うん、助かったよ」
 シオンがむっつり押し黙っているのは、ただいま大変機嫌が悪いからだ。彼は感情が表に出にくいだけで、別に無感情でも何でもない。
「アンタ、その怪我」
「ん?」
 瑠璃が思わず言うと、カイが瑠璃を見上げた。
 本人の反応より程度が軽くないことくらい瑠璃にもわかる。それ以外にも彼女は小さな傷をあちこちに負っており、瑠璃はひどい罪悪感にかられた。
 カイは気にした風もなく、じいっと瑠璃を見ると「瑠璃」と名を呼んだ。有無を言わさぬ、妙な迫力があった。
「あたしちょっと、瑠璃と話がある」
 聞いてくれるでしょ?
 瑠璃は断れなかった。



 何かあればすぐに対応できる程度の距離は保ち、真珠姫とシオンがフロアの隅へ移動した。すっかり疲れ切ってしまった真珠姫は、壁にもたれるとそのまま崩れるように座り込んでしまう。今日はこれ以上歩けそうもない。
 その辺に落ちていた、真っ二つに断ち割られた予告状。拾い上げたシオンが二つを合わせるとこう読めた。『迷える月をいただきます』 どこか嘲るような呼称は誰がつけたものなのか。シオンはこれ以上真珠姫の目に触れないようカードをしまうと、窓辺付近のカイと瑠璃を見やった。二人の空気がどことなくとげとげしいのは気のせいではないだろう。
 さて真珠姫とシオンが席を外すと、カイは改めて瑠璃に向き直った。と言っても、床に座り込んだカイと立ったままの瑠璃では視線などろくに合わない。
 目線の合わないまま、カイが聞く。
「あれから、珠魅の仲間って見つかった?」
……いや」
 瑠璃が長年探し求めても出会えなかったのだ。そう簡単に見つかるはずがない。
 それについてはカイの側も同じで、手掛かり一つなかった。ただカイはそれ以前に、瑠璃に一つ聞いていないことがあった。それは、瑠璃たちと行動を共にしていたときには、特に気にも留めていなかったこと。
「瑠璃、ずっと珠魅探してるって言ってたよね。理由聞いてなかったなと思って。なんで仲間を探してるの?」
「なんでって……
 瑠璃が口ごもる。
 先ほどシオンにしたように、アンタには関係ない、と切り捨てることができなかった。カイの肩に巻かれた真新しい包帯が目に痛かった。彼女の傷はおおむね自分のせいだ。迷いながらも、瑠璃は答えるしかなかった。
……オレは自分たち以外の珠魅を知らない。だから会って話を聞きたいし、できることなら珠魅同士一緒にいたい」
「ふむ……
 カイは一つ頷くと、やにわに瑠璃の向こう脛を拳でぼすんと小突いた。
「いって!」
「本当は思いきり殴らせてもらいたい」
 珠魅だって弁慶の泣き所は痛い。瑠璃が喰らったのは小突くというにはいささか強すぎる一撃で、彼が脛を押さえてうずくまると、カイのしかめっ面が目の前にあった。
「あたしは怒ってるよ」
 低く、獣が唸るような声。据わった目つきと言い、普段の明るい様子とはまるで違う。そういう態度をとられる理由として思い当たる節は瑠璃にはいくつかあったが、彼女が怒っている訳はそのどれとも違った。
「そりゃ、仲間とは一緒にいたいんだろうけどさ。でも、瑠璃が一番一緒にいたいのって誰なのさ」
 思いもよらぬ問いだった。けれどもカイは本気で聞いている。
「それはもちろん……
 言いながら、瑠璃の視線が自然と壁際へ向いた。
 誰が何と言おうが、瑠璃が先駆けて守りたいと思う者、この世で最も大切なのは一人しかいない。
「そういうこと、真珠ちゃんにちゃんと話してる?」
……
 カイの声は依然冷たい。
「真珠ちゃんが言ったんだよ。もし見つけた珠魅が姫だったら、瑠璃はそっちを選ぶんじゃないかって」
「アイツが、そんなことを……?」
 瑠璃はとっさに体裁を取り繕うのを忘れた。
 真珠姫が仲間探しに反対したことは、瑠璃の記憶では一度もなかった。
 戸惑いと驚きの表情を浮かべた瑠璃に、カイが畳みかける。
「瑠璃が真珠ちゃんと一緒にいるのは、真珠ちゃんが珠魅だから? 守りたいと思うのは、自分が騎士で真珠ちゃんが姫だから? どうなのさ? 少なくとも真珠ちゃんはそう思ってる」
 返答次第では本気で殴る。そんな目だった。
 愕然としていた瑠璃は適当な返事を探そうとして、それはできないと無意識のうちに悟る。質問者であるカイよりも、自身のパートナーである真珠姫に対して。
 思い起こされるのは、真珠姫と出会ってからのこと。共に過ごした歳月。
 正直に言えば、最初は『そう』だったかもしれない。この世に生まれ落ちて以来、瑠璃は珠魅を、そして自分だけの姫を求め続けていた。長年孤独だった瑠璃は、守るべき存在を得たことで、騎士として己の役割と存在意義を手に入れた。
「違う」
 しかし、瑠璃はゆっくりと首を振った。おもむろに立ち上がる。
「オレは、真珠が珠魅だからアイツと一緒にいるわけじゃない」
 瑠璃にとって真珠姫はかけがえのない存在だ。
 妹なのか仲間なのか、別の何かなのかそれはわからないけれど、彼女がいなくては瑠璃は成り立たない。たとえ自分が傷ついても守りたい。悲しい顔より笑顔を見ていたい。
「言ってあげてよ」
 砂のマントの背に、ひたむきな声が届く。
「真珠ちゃんに、自分を信じさせてあげて。瑠璃に大切にされてるって。瑠璃とこれからも一緒にいていいんだって」
 疲れ切った真珠姫は、細い首を落としてうとうとしかかっていた。
 彼女を守るのに必死だった。たびたびいなくなる彼女を探し、つなぎとめるので手いっぱいだった。……いつの間にか自分は、そんな不安にさせていたのか。
「珠魅が……瑠璃たちがさ、大変なのは知ってる。知ってる……というか聞いた」
 多分、シオンからだろう。
 余計な話をして、とはなぜか思わなかった。あれほど他人に事情を知られるのが嫌だったのに。
「あのさぁ、瑠璃」
 瑠璃がカイを振り返る。
 座り込んだままのカイは瑠璃の想像とは違う、情けないような、どこか困ったような顔をしていた。
「自分たちだけで無理しないでよ。頼ってよ。あたしは、あたしの知らないところでキミたちが危ない目に遭うのは嫌だよ」
 瑠璃は言葉を失った。
 バカみたいなお人よしだ。……いや、バカだ。
 核に興味がないのならば、珠魅に関わったところで、カイに得など何一つありはしない。どころかこんな風に危険に晒されて、傷つくのがオチなのだ。自分の知る限り、どの文献も情報も伝えていたではないか。人間と珠魅は関わってはならない、と。なのに、何の見返りもないのに、カイはこんなことを言う。
「なにもわからずに、ただ心配なんてしていたくない。ちっとも落ち着かない。だからさ、力になれることがあれば、あたしも手伝うよ」
 傍観者でいるのが嫌だから。自分がそうしたいから。ただそれだけ。
 なんて馬鹿でわがままで、底抜けに優しい人間なのだろう。

 瑠璃はここで再び選択を迫られた。

 珠魅と人は関わらない。人は裏切る。人間は敵だ。
 珠魅としてはそれで正しい。騎士としては、それで正しい。
 なら、『瑠璃』としての選択は? 自分がこの目で見てきたものは? 聞いたものは? 自分は何を信じてみればいい?
……カイ」
 瑠璃はしばし考え――そして、選んだ。
「真珠を守ってくれたこと、まずは礼を言う」
 今度は、カイが驚く番だった。
 カイがこれまで見たこともない、真摯な顔を瑠璃はしていた。無風だった外から今宵初めて冷涼な風が吹き込み、瑠璃のマントを大きくそよがせた。
「それから……オレもアンタに言いたいことがある」
 瑠璃は自分で選び取り、自分の意志で口にした。自分が信じてみようと思うもの。
 以前の己が選ぶことができなかった、もう一つの選択肢を。
……ありがとう、助かるよ」



『ホワイトパール』 おわり