ずっとまえから、好きでした

村上くんが来馬先輩を意識し始めるけど、気持ちを隠し続けるお話。
本編より六年後のお話や、村上君の身長がちょっと伸びたりする描写があります。
支部で朝食を取ったり、いろいろ捏造もあるので生ぬるい目でお読みいただければ幸いです…!



「鋼、もしかして背が伸びたかい?」
 そう言われるまで、自身の身長のことなど──ましてや自分自身のことなど、まるで気にも留めていなかった。
 あれから三週間後の今日は、どしゃ降りだった。来馬、別役、村上と、三人揃ってひどい天気だと頭を振って、それぞれにトリオン体を解除する。任務には今回不参加だった今が「お疲れ様」と労ってあらかじめ茶を用意してくれていた。
 別にトリオン体なのだから、寒さや疲れはそこまで感じられないはずなのに、村上は少しばかり寒気を覚えて上着を着込んでいると、冒頭の言葉が自分にやってくる。
「え? 背……ですか?」
「うん」
 短くうなずいて、改めて遠くから来馬が自分を見ている。
「今日太一と鋼と最後に確認をしたときにね、思ったんだ」
 ああ、あのときか。村上は耳先だけを赤くする。
 今日の任務終わりに三人で残りのゲートの開いている方角を確認したときだ。「あそこにはすでに別で動いている隊がいるから、鈴鳴第一はここまでで下がった方がいい」と雨音に負けない声で指示を出す来馬があまりに近くて、村上はいつも通りのハキハキとした返事ができなかった。戦闘に支障は出さないよう完璧にしているが、今日はどうしてか気が緩んだ。
 けれどあんなふうにしっかりと確認をしつつも、来馬も自分の背を見ている余裕があった、ということだ。なかなか抜け目のない自隊の隊長に感心しつつ、村上は身長については首をひねる。
「さあ……どうでしょう。身体測定以来はかったことはないので」
「太一ならまだしも、鋼くんが今から伸びるかしら」
「おれ、親から聞いたことあるんすけど、二十五歳くらいまでは身長って伸びるらしいですよ!」
 え、そうなの? 知らなかったなあ。今と来馬が別役とやりとりしているのを、ぼんやりと眺める。三人が仲良く話している環境が、とても幸せな光景に思えた。
(来馬先輩が、好きだって言ってた景色だ)
 支部でみんなと過ごすこと、みんなでなにかを成し遂げること。好きな人が大事にしたいと思っている事象を、自分も同じである、と胸を張って言える喜びと、
(もしもオレが先輩を好きだと言ってしまったら、この景色は崩れるかもしれないんだ)
 という苦しみとが村上の常に持たねばならない葛藤だった。
 葛藤を隠すための作り笑いは、結構うまくなったと自負している。もともと表情筋がそこまで大きくは動かない。だからいつも通りにしていればいいんだ、と自分に命令すれば、うまくやっていけた。
 ふと稀に気を抜いて、肩も腕も足も、どこにでも絡みつく張り詰めていた糸を切ったとき、鏡で自分の顔を見ると虚空に飛んでいきそうな表情をしていた。
(少し、疲れた)
 この件は最初、他人がらみの他人の悩みだったはず。先輩の悩みなら解決に及ぶまで、どこまでも考えるつもりだ。蓋を開ければ、それは他人がらみの他人の悩みを通じて気付かされた、自分の思いの暴露だった。
(人間って、こんなものなんだ)
 結局自分に回帰してくることが、人間なのだ。と理解して腑には落ちたものの、そのさきの行動は自分次第。景色を崩して得たいのか、崩さないで留めたいのか、そもそも崩したところで変わらないのか、変わってしまったとしたら離れるべきなのか。
 ザアザアと降り止まない雨の音がする。窓ガラスに涙のように水滴が流れていた。村上はそれを見つめて──
 関節に、痛みを感じ始める。
(痛い)
 背骨と脚がじわじわと体中に痛みを分け合う。息を吸ったり吐いたりして堪えるのには限界がある。こめかみから脂汗が滲んで、視界がぐらりと大きく傾いた。
 冷たい床の上に転がったのは久しぶりで、それはいつぶりだったかな、と思い出す。やっぱりそれも熱を出して、小さいころ食事中にずっと我慢をしていたのがついに耐えられず、椅子から倒れたときじゃなかっただろうか。
 耳にはたしかに「鋼くん⁈」「鋼さん!」と聞こえたが、いちばん聞きたい人の声はまだ届かない。ただ忙しない足音がして、靴先が動いたのはわかる。やさしい手のひらが村上のひたいを包んだ。青ざめた顔をした来馬が見えた。
「鋼……!」
 悲痛な声がした。擦り切れているような、切ない声だった。本当に誰かのために、心を砕いているとわかるような。
 村上は心配をかけたくなくて少し笑ったが、いつもの作ったような笑いよりも、自然に振る舞えている気がして不思議になる。
 そしてそのまま、目を閉じた。

 ◇

 関節がぎしぎしときしむ。骨が全体的に熱を持って暴れ、皮膚をやぶって出てくるのではないかと錯覚する。
 村上が目を覚ましたとき、自室のベッドのうえにいた。倒れた瞬間はよく覚えていて、まだ鼓膜や耳管にみんなの声が残っている。今や、別役や、そして来馬の顔まで。
 眠ることで記憶が定着するのは必ずしもいいことばかりではない。今回のこともそうだ。自分の体調管理くらい、しっかりしなくては。
 村上が自責の念に駆られていると、控えめなドアの開放音が聞こえる。
「鋼、もう大丈夫かい?」
……せんぱい」
 と口にしかけて、大声を出したあとのように掠れている声に驚いた。声変わりのときみたいだ、と喉を押さえると、来馬は笑っている。
「熱がかなりあるみたいだよ、支部のかかりつけ医が診てくれた。でも鋼は回復が早いね、もうしっかり起き上がれるなんて」
「ご迷惑を……おかけしました」
 いや、してます。と言うべきか。村上が訂正しようとすると、
「いいんだよ」
 来馬は手を振ってやんわり否定する。訂正さえ見透かされたような気がした。そっと額に手を当てられて、冷たい指先が頭の真ん中あたりで止まった。
「だいぶ熱い」
「先輩、風邪が移ります」
「うん、ごめん。あまり長居しちゃだめだね」
 村上はとっさに彼を庇ったが、嘘をついた。移るだなんて、社交辞令で言っただけだ。
 このまま横にいてほしい。はにかむようにそばで笑っていてほしい。でもできれば、風邪は移らないでほしい。明日にはオレは元気に横に並べるようになっていて、この人が好きだと堂々としていたい。
 そのどれも、今のままではきっと叶わない夢なんだとわかる。来馬が去らなければ今や別役と話す時間は減ってしまうし、風邪は移るし、たぶんこの調子だと風邪の長引きそうな悪寒しかしないし、好きだというのは墓の中まで持っていくことを決めている。
 瞳の奥が熱を滲ませた。風邪のせいで感情が脆くなっている。だめだ、だめだ、と村上は心の奥から願った。涙はもう、来馬には見せたくはない。
「お大事にね」
 薬とペットボトルの水に目をやり、ライトを消して来馬は背を向けた。最後にドアの向こうでもう一度こっちを振り返る。小さくほほえんでいるのがわかった。暗い部屋に村上がぼんやりと横になっているように彼の目には映っただろうか。ただ風邪を引いて疲れていて、ふたたび眠るまえの姿勢に見えただろうか。
 本当は虚勢を張っていて、ドアが閉まった瞬間に一筋の涙を流したことは、見られていなかっただろうか。