ずっとまえから、好きでした

村上くんが来馬先輩を意識し始めるけど、気持ちを隠し続けるお話。
本編より六年後のお話や、村上君の身長がちょっと伸びたりする描写があります。
支部で朝食を取ったり、いろいろ捏造もあるので生ぬるい目でお読みいただければ幸いです…!



 ひるがえるスカートがいまだに瞼に焼き付いている。不思議だ。村上は朝日の入る窓を眺めた。
 三門は今日も寒かった。昨日引っ張り出してきた布団が功を奏して、暖かく眠れたはず。体が冷えていたり、布団が重たすぎると悪夢を見やすい。なるべく睡眠は良質になるように、最低限のことは気をつけていた。
 いや、決して彼女の告白が悪だったというわけじゃない。わけじゃないが、いちいち記憶の引き出しを開けてふたたび中身を晒すことではないだろうと思ったのだ。
 寒空の下で、鳶が一羽翼を広げて旋回していた。羽の一枚一枚の形がはっきり見えるほど、今日の青空はすばらしかった。村上の眠りなどどこ吹く風で、雲ひとつない。昨日、夕焼けの空に飛んでいた鳶と同じだろうか。鳥なんて何羽も何十羽もいるはずなのに、どうしてかあれは同じ鳥なのでは、と村上は思ってしまう。鳶は高い声で一つだけ鳴いた。
 寝巻きを着替えている間に、ドアがノックされる。返事をすると、別役だった。
「鋼さん、おはようございます! なんか今日、朝飯ここで出るみたいですよ」
 ……今の料理だろうか、いつもなら朝食はさすがに彼女の世話にならないのに。
 申し訳なさが立って、急いで着替えを済ませてキッチンもあるスペースへ向かうと、エプロン姿の今と来馬が立っている。きっちり紐を結んだ今と違い、来馬のエプロンは結び慣れていないほころびが見える。けれど、ちゃんとそれは来馬のものだ。村上はかつて夜食をいただくときに、あの姿を見たことがある。
「先輩、も、料理を?」
「うん、昨日はみんなに気を使わせちゃったから、お詫びにと思ってね」
「お詫び、だなんて」
 そんなことない、とでも言えば良かっただろうか。たとえ言ったとしても、来馬はやるだろう。今もすっかりわかっているのか、隣で呆れたように笑っている。来馬の表情はたしかに昨日よりも明るい。
「もちろん、メインは今ちゃんに頼りっきりだからまだまだぼくが作ったとは言えないけど、口に合ったら嬉しいな」
 ニコニコと笑う顔にほだされて、村上は口をつぐんだ。別役に関して言えば、「朝飯楽しみっす! 先輩たちのお手製だなんて!」と純粋にキラキラした瞳をしてもう着席していた。
(ああいう切り替えの早さというか、素直に喜べるところをオレも見習うべきか)
 別役に尊敬を抱きつつ、村上も着席する。椅子の温度が暖かい。きっとずいぶんまえから、二人は──いや、来馬は朝食の用意を始めていたんだろう。もしも今もこの計画に参加することがあらかじめ決まっていたのだったら、メニューがもう少しバラエティに富んだ。
 ──朝食は美味しく、多少目玉焼きに焦げたところがあったとしても、それは気にいならない範囲だった。村上が気になるのは昨晩の来馬が悩んでいたことで、そこは結局朝食の場では突き止められなかった。
 自分たちにも言えないようなことなんだろうか、と一瞬黒いモヤのようなかたまりが胸をよぎったが、村上は内心首を振った。他人の個人的な内情を知りたいなどと、思ったとして自分にそれが解決できるかはわからない。隊長と、いち隊員の間だ。信頼や尊敬こそあれど、プライベートな事情であればそれは線引きをすべきだ。
 不必要に、来馬のことをじっと見すぎてしまっていたことに気づいたのは、相手が視線を合わせてほほえんでくれた数秒後に、気まずそうにそらしてからだった。


 こういうとき、誰に相談したらいいんだろう。昼飯後の授業、教師の声が朗々 ろうろうと響く中うしろの席に座る村上は、授業を聞きながら仲のいい友人たちの後頭部をそれぞれ眺める。
 ──クセの強い髪型をした影浦は、廊下側の真ん中の席にいた。今は静かに教師を眺めている。できるだけ感情を殺して、彼を見つめる時間もごくわずかにした。そうでないと後から彼のサイドエフェクトのせいで、「オイなんで見てやがった?」とすぐに眉をひそめられる。
 影浦は、人生の中でさまざまな感情とぶつかってきた。特に不快な感情には敏感だった。自分にもしもそんなサイドエフェクトがあれば、押しつぶされて挫けそうだ。そんな影浦にはときどき相談を持ちかけることがある。一言、二言、必ず悪態はつくが、結局最後には小さな声で寄り添ったアドバイスをくれる。
 ──背の高い穂刈は、その身長がゆえに後ろ側の席にされがちだ。今は気持ちよさそうに船を漕いでいる。冬の寒さのせいで暖房がいやにきいている室内はたしかに暖かくて、あくびを誘う。穂刈にも、幾たびか相談をしたことがある。しゃべり方は特徴的なのに、どこかやさしい。村上の師匠、荒船がいる隊の所属だから荒船のことも聞ける。
 一つ質問をすると、大体穂刈が汲み取って一から五くらいまでを話したところで、自分に、
「どうしたいんだ? 鋼は」
 とその先を考えさせてくれる。気のいいやつだ。
 ──きっとこの授業の予習なんてとっくに終わっているんだろう水上は、二番目の列の窓側で、ぼんやりと外を眺めていた。眠たげな目をしているが、あれはいつもなのか、眠気があるのか。あくびを噛み殺しているところを見ると、きっと本当に眠いんだろう。
 水上には二度、相談をしたことがある。一度目は落語の古典と書かれたCDを貸してもらった。「そこに答えがあんで」と言うから夜になって支部で聞いてみると、CDの内容は生駒隊長のギター練習を録音したものだった。最初はわけが分からなかったけれど、生駒が間違えたり、機嫌が良さそうに歌詞をつけて歌っていたり(もちろん歌詞に意味はない)、途中で、
「海、タンバリン叩くんやめて! リズム狂うねん!」
 と焦りながらギターを弾いているのを聞くと、なんだか相談をしたことがどうでも良くなって、結局水上にそれを返すころにはなにで悩んでいたかも忘れてしまった。二度目もたしか同じで、CDの内容は相変わらずだったが、まえより上手くなっていた生駒のギターに感動すらした。そこでもなにで悩んでいたかを忘れたし、
「考え過ぎんでええねん。お前はやさしいから」
 CDを返したあと、言い慣れないことを言ったからか水上は口を尖らせていた。村上がおかしくて吹き出すと、笑われたと思って顔を しかめる水上をなだめる。その時間すら村上には嬉しかった。
 自分のノートの上へ目線を戻して、周りに気づかれないように小さく笑う。頭の中で、あのとき聞いた生駒のギターがポロンと鳴った。
(オレは、恵まれているな)
 自分こそ感情の波に押されることが圧倒的に多いはずなのに、同じように悩める村上を見て必ずヒントをくれる影浦。最終的に自分で決めることを後押ししてくれる穂刈。肩の力を抜くことを教えてくれる水上。
 そういえば、ここ最近は三人にあまり相談を持ちかけることがなくなった。三人から教わったことを、なにかでつまずいたときに必ず思い出すからだ。だから今回も、習った通りに悩みをなめらかにしてみようと画策した。
 ……しかし村上は、授業の終わりまであのとき引っかかった黒いモヤを払うことができなかった。
「直接聞くしかねーだろ」
 放課後、村上が重苦しい口を開くと、どかっと椅子に座っている影浦があっさりとそう言う。
 村上の机の周りに集まった友人たちは、思い思いの動きをしている。スマホをいじりながら水上は黙っていた。穂刈は紙パックのプロテイン飲料を吸いつつ、首をひねる。
「聞いたのか? 先輩には」
「いや……その、聞き方を悩む、というか」
「んなことで悩んでんのか」
 影浦にため息をつかれると、喉から詰まったような声が出てしまう。たしかに、聞き方を相談するだなんて、小学生でもあるまいし。
 スマホを覗いていた水上が、珍しくパッとすばやく顔を上げた。影浦から村上を庇い立てるように「そりゃそうやろ」と告げる。
「鋼の初めての悩みやんか」
……初めて?」
 村上は驚いて、三人を変わるがわる見る。まばたきを繰り返すと、自分を指さす水上が最後に視界に入った。
「他人がらみの自分の悩み、やのうて、他人がらみの他人の悩み、やろ」
 それ以上、三人からなにかを聞くことはできなかった。まるで時を合わせたように一緒に、それぞれのスマホが事務連絡で鳴り響き、ぞろぞろとボーダーへ向かうことになったからだ。当然村上だけは支部に行くから、三人に手を振りつつも最後に放たれた水上の一言を考える。
(他人がらみの、他人の悩み……
 思ってもみない方角から、自分が悩んでいる内容がわかった。いや、半分理解した、という程度。
 今まで数々乗り越えてきたものとは違う形を成している悩み。そしてその映えある第一号が、まさに自分を救ってくれた先輩についてだということだ。
(来馬先輩じゃなかったら、ここまで悩んだだろうか?)
 村上は立ち止まり、鈴鳴支部を見上げた。背の高い木々の影を受け取って、静かに佇んでいる建物は、無機質な素材でできているはずなのに村上には温かく見える。ここはもはや自分にとって第二の故郷で、家で、かけがえのない場所だった。