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シノハラ
2024-10-18 21:02:57
16960文字
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アルカヴェ
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12 months plus one(の前半)
セ伝任2を受けて12ヶ月のアルカヴェの本の前半6ヶ月分の短編集です。
通販は以下からどうぞ。
https://ec.toranoana.jp/joshi_r/ec/item/040031161435
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10月
今日の予定が思ったよりも早く済んだからと旅人がカフェの一角を借りてコーヒーを入れてくれた。フォンテーヌで仕込まれたらしいそれはスメールで主流の手法ではなかったが、これはこれで美味しかった。普段よりも軽い口当たりのそれを飲みながら、アルハイゼンには軽すぎるかもしれないなんて思う。
普段であればしっかり入れる砂糖も少なめにして、カーヴェは菓子の甘みだけでバランスを取ることにする。同じような判断をしているらしい旅人はクッキーを囓りながら、フォンテーヌでの話をしてくれた。カーヴェが向こうの建築を気にすると踏んでいたのか、二人が撮影したらしい写真まで用意してくれている。
そうやって隣国の話題に花を咲かせていたはずが、気がつけば旅人はスメールを揺るがした一大事をカーヴェに話していた。いや、話題を振ったのはカーヴェの方なのだけれど。
カーヴェの交流関係の中であの事件に関わった者は多い。けれど、その全員が自分の働きをひけらかす気質の持ち主ではなかったのだ。アルハイゼンに尋ねたことも一応はあったが、説明が億劫だったのか彼は日常を確保するに必要なことをしただけだとしか教えてくれていない。だから、カーヴェは自分以外の友人が一人一人大変な目に遭ったということしか分かっていなかった。
きっと人員を刷新した賢者達や草神には、十分な情報提供が行われているのだろう。彼らに必要以上の注目を集めず、個々の仕事を十分にさせるためにもその情報は長期間伏せられるはずだ。たとえば自分達がこの世を去り、あの一幕が歴史として評価される必要が出てきて初めてそれらの資料は学者達の前に開示される。カーヴェはそれを一文でも読むことは叶わない。
同居人の事の顛末くらい知っていてもいいではないかとカーヴェがぼやくと、少々目を丸めた旅人がパイモンに声をかけてカフェで会計を済ませる。それから街の外れに移動しながら、彼らは自分達をはじめとした人々に何が起きたのかを教えてくれた。
アルハイゼンが最初から賢者達に目を付けられていたこと。きっと彼らの要求を全て受け入れても、全て拒否してもアルハイゼンは無事では済まなかっただろう。だから彼は曖昧な態度を保ち、望まれたように動いているように見える余地を残しながら彼らに刃を突き立てる準備をした。カーヴェからすれば彼らしくない仕事をたくさんして、
――
これはどちらかというと旅人の力のようにも思うが
――
有力な人材を味方に引き入れ、草神の主権を奪い返すために尽力した。
最後の作戦での彼の働きを聞いたとき、カーヴェは自分が平静を取り繕えていたか分からなかった。旅人を連れ戻ったように振る舞ったアルハイゼンは当初の彼の推測の通り、神の缶詰知識を強引に取り込まされたらしい。
アーカーシャがもたらす集合知と書記の仕事をする中で得られる知識を総合して、彼はその正体をある程度予測できていたようだった。故にその知識由来の副作用を彼は受けずに済んだらしい。彼が今も平穏無事に暮らしていることが答えであると分かっていたものの、指先から心臓に怖気が這い上がってきて鼓動を阻害される思いがする。
生活のために彼は自らの尊厳と最たる願いを賭けたと言ってもいい。その勝率が彼の中で妥当なものであったのは想像に難くはないが、彼が簡単な意思の疎通すら叶わない存在になり、砂漠に捨て置かれる可能性も少なからずあったのだ。
その危険を承知していてなお、草神に与する者達はその手に賭けるしかなかった。旅人達はもちろん、他の誰かを責めるのがお門違いだと、カーヴェだって理解している。目の前の二人はアルハイゼンよりも危険な目に遭っていたし、計画が失敗すればニィロウですら無事では済まなかっただろう。誰もが自らを賭して、ようやくこの国は平凡な日々に辿り着いた。
事情があったとはいえ、砂漠でのうのうと過ごしていたカーヴェに言えることなんてない。そんなことは分かっている。もしもなんてものはなく、後から知ったカーヴェにできる事なんて一つもなかった。
一通り話し終えたらしい旅人達を労って、今度はカーヴェが何か奢ろうと言えばそんな安請け合いをして良いのかとパイモンに小突かれる。食事代くらいなら何とでもなるさ、と苦笑しながらもアルハイゼンへのツケの金額がちらつく思考をカーヴェは無視した。
街の中心部に戻る頃には日は森の向こうに沈む準備をほとんど済ませてしまっていた。これからフーマイ家の令嬢を訪ねるのだと告げる二人に目を丸くしながら、カーヴェは大きく手を振る旅人達に手を振り返す。そのままくるりと踵を返した交流の広すぎる感のある二人の背が人混みに消えてしまうまで見守って、カーヴェも帰路につくことにした。
その一歩が普段のそれよりも随分と大きくなってしまった自覚はあった。そのまま大きく腕を振りながらも、少し急いでいる程度になるようになんとか自身を抑えつける。
そう努力していたはずなのに少しずつ足取りが速くなり、最後の坂に近づいた時には駆け出してしまっていた。この坂道を駆け上がるなんて、学生時代の遅刻間際くらいにしかやったことがないのだと理性に近いところが悲鳴を上げている。
その悲惨な声はすぐに肺に影響を与え、痛みに近い苦痛が襲いかかってくる。ひゅ、と掠れた吸気に喉を焼かれてひりひりと痛みを訴えた。思いの外長話になったせいで胃の中が落ち着いていたのが唯一の慰めだろうか。
痛い。熱い。苦しい。カーヴェの体はカーヴェに止まるように信号を出しているのに、足は少しでも早く前に進みたがった。
ようやく家に辿り着いて、押し入るようにカーヴェは玄関戸を開けて居間に転がり込む。出かける予定をカーヴェに伝えていなかったアルハイゼンは予定通り家に籠もって居間で本を読んでいたようだった。
息を荒げているカーヴェに少々驚いたらしいアルハイゼンがカーヴェを窺っている間に、カーヴェはアルハイゼンの前まで移動する。彼がテーブルに何も置いていなかったのを良いことに対面になる形で腰を下ろすと、カーヴェはアルハイゼンの知性が灯る瞳をじっと見つめた。
この瞳が、失われるかもしれなかったのだ。きっと旅人が話さなかったような些細な瞬間にも、彼が危険に晒されていたのは想像に難くない。分かっていたつもりではあった。それでもその仔細を聞かされた今、年甲斐もなく坂を駆け上がった以外の理由でも心臓がどくどくと音を立てているのが分かる。
急な運動に体は熱を帯びているはずなのに、しんしんと冷える部分が確かにあった。父を失った日からかすかにではあるが今なお冷たく凝り固まったカーヴェのどうにもできない部分を閉じ込めている場所。そこが、体温が上がったせいでかえって普段よりも主張を強めている。
「おかえり」
「
……
ただいま」
何かあったなんて火を見るも明らかだったろうに、アルハイゼンは何も尋ねては来なかった。喉の調子を整えてから応じながら、彼に伝えなければと思う。カーヴェが何を聞いて何を思ったのか、この胸の底にある重しのためにも。
「君が、何をしたのか旅人から聞いたよ」
情報が圧倒的に足りていないはずのカーヴェの言葉でアルハイゼンは全てを理解したらしい。彼が読みかけの本を閉じてカウチの上に置いたのを待って、カーヴェはずっと胸中で渦巻いていた言葉を紡ごうとする。
「何もできなくてごめん」
スメールが最もカーヴェを必要としていた時に、カーヴェはそこにいなかったとアルハイゼンはカーヴェを責めた。あの時のアルハイゼンがカーヴェに何を求めていたかなんて、伝聞でしか状況を把握してないカーヴェには分からない。
何ができたのか、そうして何ができなかったのか。それでもアルハイゼンが望むのであれば、カーヴェは彼のそばにいてやりたかったと思う。そうしてこの国のために、何より彼が求めた平凡な日々のために力を貸してやりたかった。
いつだって、カーヴェは後悔してばかりだ。こうやってアルハイゼンが今一つも損なわれずここにいるのは、彼と彼に手を貸した者達の力と単なる幸運によるものでしかない。
「
……
そうだな。君はスメールのためにあの時砂漠にいるべきではなかった」
「
――
違う」
ほんの一瞬、アルハイゼンが言葉を紡ぐのを躊躇ったように思った。それから紡がれた非難は本当の彼の思いを覆い隠そうとしているようで、カーヴェはアルハイゼンの不満をかき消すように声を上げる。この、カーヴェが抱く願いが、かつてのアルハイゼンが求めたものであればいいのだけれど。
「僕は君の力になりたかった」
生まれ育った国のためでも、苦難の中にあり続けた草神のためでもなく。カーヴェはただ、この子のためにスメールを蝕む陰謀の中に身を投じていたかったのだ。アルハイゼンの眼から目を逸らさずに告げてから、カーヴェは彼の答えを待たずにアルハイゼンを抱きしめた。
カーヴェの思いも言葉も、アルハイゼンには予想できるものではなかったらしい。カーヴェの重みを受けたアルハイゼンがかすかに息を飲んで、カーヴェの出方をうかがっているのが分かる。学生の頃に彼に抱きついたことはいくらかあったが、まだ彼が少年と呼べる年頃が最後だったはずだ。少年特有の薄っぺらさは夢だったのかと思うくらいに分厚くなった体の抱き心地はカーヴェの知らないものだったけれど、体温だけはあの頃と変わらないように思う。
その暖かさと耳元を擽る浅い息が彼が今、ここで生きていることを示している。その事実がつんとカーヴェの鼻の奥を刺激して、たまらず背に回していた指の力を強める。
「君が無事で良かった」
掠れて上擦った声がちゃんとアルハイゼンに届いたと確信できたのは、彼がカーヴェの背に腕を回してきたからだった。ぐずりと鳴ってしまう鼻をそのままに、カーヴェは熱くなってきた目頭をアルハイゼンの肩に押しつける。
身じろぐように体を押しつけても、アルハイゼンは文句の一つも言わなかった。ただ静かに抱きしめ返してくれる彼が自分にとって大切な存在であることをカーヴェはようやく、少しも抵抗せずに受け入れる。そして彼を欠いていた日々がいかに不完全だったのか、ようやっと思い知ったのだ。
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