シノハラ
2024-10-18 21:02:57
16960文字
Public アルカヴェ
 

12 months plus one(の前半)

セ伝任2を受けて12ヶ月のアルカヴェの本の前半6ヶ月分の短編集です。
通販は以下からどうぞ。
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7月

 コーヒー豆を入れた瓶を傾けると、豆の色とは違う底の色が露出した。前回セールで安かったからろくに味も確認せずに買ってみたところ、アルハイゼンには微妙に不評だった豆である。酸味が少し強めに効いており、午後ならともかく朝はもっとしっかりとした苦みが残ってほしいとアルハイゼンは主張した。ずっしりとした重さや余韻は朝にはちょっと重いように思うのだが、寝起きのアルハイゼンにはそれが必要であるらしい。
 アルハイゼンが朝に弱いらしいと知ったのは彼と暮らし始めてからだった。睡眠不足が祟っているというわけでなく、平日の朝も、それよりも大分遅れて目覚める休日も同じくらいに彼の眉間には皺が寄っている。最初は人が一人増えたせいで寝付きが悪いからという理由かと思っていたが、カーヴェが遅くまで起きていても早寝しようとも皺の深さは変わらなかった。
 いや、遅くまで作業をしているとどうしても音が響いてしまうらしく文句を言われることもあるのだけれど。いつだったか、こういうことがあるから早く家を出たいのだとぼやくと、アルハイゼンが眠る時間までに仕事を終わらせていれば良いだけの話だと指摘されてしまった。
 いやまったくその通り、ではあるのだけれどそんなことができればそもそも深夜まで仕事をしているはずがないではないか。カーヴェにだって色々あるのだ。予算と材料費の兼ね合いとか、その辺りのことを全く気にしないでああだこうだと言ってくるクライアントとかを筆頭に。
 一度くらい自分と彼の立場が逆になれば少しは優しくしてもらえるのではないかと思ったものの、なんだか規則正しく必要最低限の仕事をしてクライアントもうまく威圧している姿しか思い浮かばなかったのでカーヴェは即座に思考を停止した。何事にも人には人のスタイルと言うものがあるのだ。
 そう、そんな生活をしていてもカーヴェは目覚めは彼ほどには悪くない。だから、朝にコーヒーを飲むのはどちらかというと儀式めいた意味合いが強いので、朝食に合う軽い口当たりのものでも構わないと思っている。
 とはいえ、カーヴェの職業はバリスタではないのだから、朝の忙しい時間にコーヒーを二種類も用意はしたくはない。アルハイゼンの評価のせいで朝食に上らせるのは微妙になってしまったが、だからと言ってゴミ箱に入れるのも筋違いである。
 そもそもカーヴェにとっては特に問題のない味なのだから、朝以降に一人で飲めば誰も不幸にならないのだ。だというのに、彼の帰宅後にコーヒーを入れようとすると、今回のようにもう一杯分入れてくれとなぜか必ずリクエストされる。まあ文句も言わずに飲み干すので構わないのだけれど。
 アルハイゼン用のコップを彼の座るカウチの前のテーブルに置くと、軽い会釈に相応しい気軽さの返礼がある。条件反射のようなものだがこういう積み重ねは存外大事なものなのだ、と気がついたのは彼と暮らし始めてからだった。多分この一言がなければ、カーヴェだって多めに湯を沸かして豆の世話をして、戸棚からコップを二つ取り出してやろうとは思わなかっただろう。
「アルハイゼン、ちょっといいか?」
 値段を思えば悪くないコーヒーを一口啜ってから問いかけると、アルハイゼンが顔を上げてカーヴェを見上げてくる。それから遅れて相槌一つで、と許可が出るのを待ってコーヒー豆の在庫がそろそろ切れるのだと彼に伝えた。
「次の豆はどうする?」
「今回のはもう結構」
「それは分かってるって」
 いらないとはっきり言いながら渦中のコーヒーに口を付けた彼が少し滑稽に思えて少し笑ってしまってから、カーヴェは少々思案する。安牌を取るのであれば、前の銘柄に戻してしまうのが一番手っ取り早くもあるのだけれど。
「前のに戻しても良いけど、せっかくだから開拓してみないか? 少量のパックをいくつか買ってきて日替わりで試すのはどうだろう」
「なら、一緒に買いにいくのが手っ取り早いな。試飲ができる店で試してある程度候補を絞り込めば良い」
 さらりと出てきた彼の提案に、正直なところカーヴェは面食らってしまった。カーヴェがこの家で居候していることを隠したい意向があるのもあって、彼と買い物に出かけたことは今まで一度もなかった。視線どころか顎も軽く上げてしまってから、それが魅力的な提案であることを受け入れる。
 きっと楽しいに違いない、と。そう思ってしまったのだ。ああでもないこうでもないと言いながら、結局ちょうどいい落とし所が見つからなかったとしても少なくともカーヴェは時間を無駄にしたとは思わないだろう。
 コーヒー豆を吟味しているくらいで、二人の状況を推し量れる者がどこにいると言うのだ。あり得ない存在の心配をしすぎているとカーヴェは結論づけ、声音に気をつけながらうん、と一つ相槌を打つ。
「じゃあ次の週末は空けておく」
 ちょうど良いことに、次の週末はクライアントとの打ち合わせが入っていないはずだった。飛び込みの依頼をうっかりカーヴェが差し込んでしまわなければ、半日くらいどうとでもなるだろう。サングマハベイの元に顔を出さない限り、そんな依頼に出くわすこともないはずである。
「分かった」
 休日は基本的に家に引っ込んで用事らしい用事もないアルハイゼンが頷いて再びコーヒーを口に含んで、彼にとっては微妙な味のそれに一瞬だけ視線を落としたのが分かった。