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シノハラ
2024-10-18 21:02:57
16960文字
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アルカヴェ
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12 months plus one(の前半)
セ伝任2を受けて12ヶ月のアルカヴェの本の前半6ヶ月分の短編集です。
通販は以下からどうぞ。
https://ec.toranoana.jp/joshi_r/ec/item/040031161435
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8月
静かだった。小さな独り言もペンを紙に走らせる音もなく、聞こえる音といえばアルハイゼン自身が作り出すページを捲る擦過音と身じろいだ際の衣擦れくらいである。
昼間であれば家の外から鳥や犬の鳴き声であったり、行き交う人の声であったりが聞こえてくることもあるが、とっぷりと日が暮れてしまった今は何も聞こえなかった。近隣住民でもない限り、夜中に行政の中枢区周辺を訪ねてくる者はそういない。通勤時間の短さはもちろん、アルハイゼンはこの家の立地のそういうところも気に入っていた。
カーヴェをこの家に招いてからというもの、そんな静寂とは縁遠くなってしまっていたが、元々アルハイゼンにとってこの家はこうだったのだ。心を乱すものは何もなく、誰の介入も存在しない。おおよその物事が予定通り巡っていて、因果関係がはっきりした分かりやすい日々の循環の中にアルハイゼンは長らくあった。
カーヴェが出張やら視察やらで家を空けると、彼の空白を埋めるようにかつての日々の片鱗がアルハイゼンの元に舞い戻ってくる。就寝時間を過ぎてからがたごとと音を立てられることもなければ、あれやこれやと話しかけられて読書を中断することもない。
そのせいで普段であれば今週いっぱいはもつはずだった本の大半を読み切ってしまって、積んでいた本が切れてしまいそうになっている。明日の定時後にでも新しい本を探しにいくべきか、しばらく置いていた本を再読するかが少々悩ましい。
悩み事なんてものはそれくらいしか思い当たらない、文字通り平穏無事な日々である。その満ち足りていて過不足ないはずの生活が今のアルハイゼンには物足りなく感じられてしまってしかたがなかった。
誰にも縛られない自由気ままな生活に物足りなさを感じてしまうようになったのは、ここ最近の事だった。二人暮らしというものが少しずつ、アルハイゼンの思考に馴染んできているのだろう。
そう考えてから、アルハイゼンは一つ訂正をする。馴染むも何も、その日々をアルハイゼンはとっくの昔に知っていた。
自分は誰かと暮らしていく日々の幸福と不自由を彼に思い出さされているだけなのだ。カーヴェがもたらす時間と彼女とのそれは全く異なるもののはずなのに、それでも祖母との日々を重ねてしまう瞬間がある。
とんと思い出す機会のなかった何でもない一瞬をカーヴェはいとも簡単に引き上げてアルハイゼンに披露してくれた。カーヴェと暮らすことで得た、肉親とのかつての記憶に触れる刹那の喜びを彼自身が理解できるかは分からない。けれど、似たような瞬間が彼にもあれば良いとアルハイゼンは願ってやまない。
――
たとえば。もしもあの時自分が早々に教令院に入学していれば、彼と彼女を引き合わせられたのだろうか。そんなもしもの話を考える事がある。けれど、それは祖母との最期の日々を目減りさせる結果にも繋がったに違いない。
からん、とカーヴェが取り付けたドアチャイムの音が響いて、アルハイゼンは見下ろしていただけになっていた本から顔を上げた。何度も思いを巡らせた夢想の手触りを少々名残惜しく感じながらも、アルハイゼンは本に栞を挟んでテーブルに戻す。
「ただいま、アルハイゼン」
「おかえり」
それからすぐに疲れたと少し高い声を上げて、カーヴェがどっかりとアルハイゼンが座る物とは別のカウチに腰を下ろした。それでも出張が彼にとって悪いものではなかったことは彼の表情から見て取れる。
「何か変わったことは?」
「何もないよ。君宛の手紙の類もない」
「それは何より」
うんうんと二回頷いたカーヴェは機嫌の良さを保ちながら、背負っていた鞄の口を開けてあれやこれやと取り出し始めた。彼にしか使い方が分からない道具に混じって工芸品やその土地のものらしい菓子がいくつか出てくるのをアルハイゼンはなんとはなしに視線で追いかける。
どうやらメラックに持たせた物もあるらしく、ふわふわと寄ってきた彼の工具箱が麻の袋をそっと下ろした。ありがとうと優しい声音で主人に労われて、メラックは満足げな声を上げて鞄の横に着地する。
「僕は色んな人との顔合わせばっかりでそれどころじゃなかったけど、君は僕がいなくて寂しかったんじゃないか?」
この辺りなんて好きだろう、と言いながら日持ちしそうな菓子を寄越してきたカーヴェがにやりと笑って軽口を叩く。となると、この焼き菓子はその補填のつもりなのだろうか。
きっと彼はアルハイゼンからすげなく扱われる予想をした上で、軽い挑発を仕掛けてきているのだろう。そういうコミュニケーション方法があることくらいアルハイゼンも理解しているが、それに付き合ってやるかどうかは別の問題である。
「ああ、寂しかったよ」
一人は堪えたと少々誇張して伝えれば、カーヴェは土産を仕分けしていたらしい手を止めた。実際アルハイゼンは寂しかったのだ。覚悟していたとはいえ祖母を失った瞬間にがらりと環境が変わって、それに慣れきらないうちにアルハイゼンはカーヴェに出会った。それからずっと共に過ごして、手を振り払われたあの日にようやく自分が一人になったと理解したのだ。
カーヴェがテーブルから視線を上げて、少し探るようなまなざしをアルハイゼンに向けてくる。砂漠の鉱石を思い起こさせるその瞳を失ってから、アルハイゼンはずっと寂しかった。この家で彼と暮らすようになるまでは、自分がそんなふうに感じていたとすらアルハイゼンは気づいていなかったのだけれど。
それでもアルハイゼンはずっと寂しかったのだ。ずっと。彼に満たされた日々が、平穏そのものだった生活はアルハイゼンにとって確かに色彩を欠くものだったと知らしめる。
ふ、と目の前の空気を揺らしたのはカーヴェだった。そっか、と口角を緩めたカーヴェがアルハイゼンの言葉をどれくらい本気にしたのかは分からない。
「じゃあ今度はなるべく早く帰って来なきゃな」
「そうしてもらえると助かる」
どこまで本気かも分からない言葉に素直な希望を伝えれば、さすがに冗談だと思われたのかカーヴェは声を上げて屈託なく笑った。
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