しくるの納戸
2024-10-05 22:06:34
34432文字
Public 狛日
 

Sante!

狛日/2ED後〜未来機関パロ。酒に弱いふたりが色々なカクテルに手を出す話。
狛日合同誌『Sante!』のしくる執筆部分の再録。


バージン・メアリー


 買った時の冷たさなど、とうに失われてしまったウーロン茶。執務室に置いてきた、未着手の書類の山。刻々と進んでいく時計の針に、疲れの滲んだ声で日向はぼやいた。
……飲まずにやってられるか……
 まるで酒に飢えた飲んだくれのような台詞だが、日向は飲んだくれでもなければ、むしろアルコールに弱い人間である。
 しかしそんな日向がお酒に逃げたくなる程、ここ数日のハードワークは彼の心身をすり減らしていた。
 今日何度目か分からない溜息。
 その隣で四本目の缶コーヒーを空にした狛枝は、しかし日向の弱音を聞くや否や彼の暗い顔を覗き込み、何故か輝くような笑顔を浮かべる。
「ねぇ日向クン、カクテル作らない?」
 日向の眉間の皺がひとつ増えた。
「何言ってるんだ?」
 職場でアルコールを飲むのもご法度だというのに、あまつさえ「作ろう」とは。やはり狛枝も疲労でおかしくなってしまったのだろうか。
 いや、そういえば元々おかしなヤツだった。
「日向クンお疲れみたいだしさ、平日でも飲めるノンアルコールのカクテルでも作ってあげようって思って……さっき調べてたんだよね」
 ドン引きする日向を気にする様子もなく、狛枝は自分の話を進めていく。
 元より、「こう」と決めた狛枝が人の意見を聞くことは殆ど無い。たまに適当な相槌で素直そうな雰囲気を醸し出すこともあるが、あれは聞くだけだ。
 うん、そうだね、その通りだよ! と爽やかな調子で狛枝が返事を寄越したら、ほぼ百パーセント彼の心には届いてないと言っていい。
 そんな見た目は優男、中身は強情を端的に表す存在である狛枝は、日向の返事を待たずコートの胸ポケットから折りたたまれたコピー用紙を出し、広げて差し出した。
 紙上にはカクテルたちの名前と作り方が写真付きで載っている。どうやら、カクテルレシピのサイトを印刷したもののようだ。
 羅列されているカクテルには、日向も良く知っているものから初めて名前を見るものまで様々で、日向は感心したように頷いた。
 ……さっき、という言葉がとても引っかかるが。
 あろうことか、未来機関のデスクトップPCを勤務中に私用するなんて。同じことを日向がしてもすぐバレてどやされるだけだろうに、要領の良さがなんとも羨ましい。
 ズルいよなぁ。
 日向が小さく零してコピー用紙に目を落とすと、白い指が無遠慮に割り込んで、赤いグラスを指さした。
「このバージン・メアリーってやつ。ここで作れそうだよ」
「本気で言ってるのか……?」
「うん。だってトマトジュースなら自動販売機で売ってるし、レモンはほら、これ使えるでしょ?」
 ポット横の箱の中から、ティーパックと一緒に詰められたポーションタイプのレモンを摘まみ上げて狛枝は首を傾げる。
「調味料は……まあ、無くてもいいや」
「お前……作れるって言いだしたわりに適当だな……
 呆れる日向だが狛枝は、無いものは仕方ないでしょ? と当然のように返す。
 日向は深いため息をついた。
 寄りかかっていたシンクから背を離す。ため息の続きを待つ狛枝の視線の先で、日向の指が冷蔵庫を開けた。
…………で、何が必要なんだ?」
 灰色の目がぱちりと瞬きを繰り返す。
「あれ、日向クン意外と乗り気?」
「断らせる気ない癖にな。それに言っただろ。『飲まずにやってられるか』って」
 時計は既に十二時を回っていて、きっと今日も朝まで帰れない。
 それなら、長い長い勤務時間のほんのちょっとぐらい、はしゃいだっていいじゃないか。
 この際、霧切に説教されたって知ったことではない。
 俺はこの残業を満喫してやるんだ!
 冷蔵庫を開けた日向は吹っ切れたように白い歯を見せて、それを見た狛枝も目を細めて笑んでみせた。
「日向クン、キミも悪い子だなぁ」
「いやいや狛枝ほどでは……本当にお前ほどじゃないぞ」



「ウスターソースに塩コショウとタバスコか……タバスコ……は微妙だな」
 レシピを片手に日向が漁っているのは、冷蔵庫の扉の裏側、飲みかけのペットボトルやドリンク剤が仕舞われた内ポケットだ。さらに言えば、飲み物と一緒に並んでいる、牛乳パックを半分に切った下半分のような容器。
 その中には、購買のお弁当に付いてくる各種ソースや醤油、マヨネーズの小袋達が集められ、地層のように積み上げられていた。
 目的の調味料を探して必死になる日向の横からひょい、と一つ無造作に取って、狛枝は感心したようにつぶやく。
「なるほどね、ボクいっつもパンだから盲点だったな」
「正直ここに取っておいても腐らせるだけだし、賞味期限も分からないから捨ててほしいんだけどな。まあ、今回は役に立ったってことで……あれ、おかしいな。ウスターソースくらい一つあってもいいだろ……
 ソース探しに苦労している日向から徐々に苛立ちが滲んでいるのを感じながら、狛枝はふと手に取った調味料を見てみる。
 そして唸っている日向の首根っこを摑まえて、冷蔵庫前から引きはがした。
「うわっ、何するんだよ」
「日向クン、こういう時こそボクの番じゃない?」
 狛枝は日向に持っていた小袋を手渡すと、空いた手を調味料入れに突っ込む。
 強引にどかされて戸惑っていた日向だったが、渡されたものを見れば納得するしかなかった。

…………あとタバスコと塩胡椒、よろしくな」

 それから五分も経たずに探し出されたタバスコと塩胡椒に、幸運の才能の凄まじさを思い知らされながら自販機でトマトジュースの缶を二本買い、給湯室に戻る。
 それじゃあ後は混ぜるだけだな、と腕まくりをした日向を止めたのは、発案者でもある狛枝だ。
「おつまみ欲しくない?」
…………欲しい」
 日向の返事を待たず、狛枝は既に流しの下の段ボールに手を伸ばしていた。
 その段ボールは水のペットボトルや缶詰などが無造作に詰め込まれている。元々緊急事態の非常食として未来機関の倉庫にあったものだが、消費期限が近くなったため機関員に無料配布という形で休憩場に置いているのだ。
 確かに食堂も閉まった今、食料を入手するならこれしかないが。ただ、悲しいことに目玉のものは殆ど取られてしまってようで、段ボールの中にはぎっしりと、余り物の乾パンばかりが積み重ねられている。
 まあいいか、と日向は乾パンをひとつ拾い上げた。
「一個くらい消費しておかないと、勿体ないもんな」
「いいんじゃない。ちょっと固いけどクラッカーだと思えば」
 それからもうひとつ、狛枝が段ボールの奥底に腕を伸ばし引き上げる。
 その手に持っていたのはコンビーフだ。
 思わぬ収穫に、日向の目が輝く。
「おおっ、今回の一番の当たりだぞ! 皆が最初から狙ってたのに、まだ残ってたのか……
「あは、今日コピー機に髪の毛が巻き込まれた不運はこのための布石だったのかな? うーん……随分とくだらないけど」
「お前……見てない間にそんなことになってたのか……
 だが折角の『大当たり』を引いたというのに、狛枝の顔は浮かない。
「つい取っちゃったけどコンビーフってパサパサしてて、そんなに好きじゃないんだよね」
「せめて卵があれば、ユッケに出来たかもしれないけどな」
 だが卵なんてこの施設の中で手に入るはずもない。狛枝が食べられないんじゃ仕方がないな。諦めようとした日向の隣で、狛枝の表情が変わった。
「卵があればいいの?」
 ぱちりとひとつ瞬きをして訊いた狛枝に、日向はへぁ? と間抜けな声を上げた。



 狛枝が先導して、二人は廊下を進んでいく。他の機関員――特に元絶望の残党を良く思っていない急進派に見られたら怒られるだけじゃ済まないことは目に見えているだろうが、幸いと言って良いのか定時もとっくに過ぎた今、二人の他に人影は見当たらなかった。
……なぁ狛枝、どこに行くんだ?」
 人気がないと言っても、あまり出歩くのは得策でないだろう。もう第十四支部の支部棟からも離れてしまっている。どこまで行くつもりなのか。これ以上進んでまで卵は必要なものなのだろうか。様々な不安が日向の心を巡る中で、ようやく狛枝の背中が止まった。
「『第四支部、中央研究室』……?」
 重そうなスライド式ドア。その上のプレートを読み上げると、立ち止まった狛枝は振り返って頷いた。
「あれ、日向クン来たことない?」
「知ってるのは存在ぐらいだな……こんなところにあったのか」
 確かここは、治療薬の開発を主な職務とする未来機関第四支部の研究所だ。中央という名の通り第四支部の中心部となっている施設で、その扉は支部の中でも主力のメンバー、もしくは各支部長クラス以上の幹部しか開けられないと聞いている。
 一体こんなところに卵のアテがあるのだろうか。
 目的地が明らかになった筈なのにかえって不安を募らせている日向をよそに、狛枝はスーツから携帯端末を取り出し、迷いのない指先で数字キーを押していく。
 画面に並ぶ数字の羅列は電話番号だ。狛枝が電話帳を開く姿を、日向は一度も見たことがなかった。
 過去に理由を訊ねことはあったが、
「ボクなんだから、いつどういう理由で携帯を失くすか分からないよ? 江ノ島の信奉者に拾われるかもしれないのに、そんなリスキーなこと出来るわけないでしょ? 全く、相変わらず肝心なところで考えが甘いよね……
と散々な言われ方をして以来、二度と訊くものかと決めている。
 日向が嫌な記憶を呼び起こしている間にも、狛枝の指はスラスラと十一桁を並べ、通話ボタンを押した。
 恐らく、携帯端末が配布されてから一度も変更していないだろう無機質な発信音。トゥルル、と十回以上繰り返して、ようやく誰かの声が聞こえた。ただ、狛枝越しだとかなり聞こえづらく、女性の声だというのが辛うじて分かったくらいだ。
 女性の声を聞いて、狛枝が口角を上げた。狛枝が笑む相手は一体誰なのだろうか。
 電話の相手に対して次に狛枝がかけた言葉に、日向は瞠目する。
「夜分までご苦労様、罪木さん」
「えっ!?」
……いや、別に謝らなくていいって。それよりドア開けてほしいんだよね。うん、そう、いま日向クンと研究室の前にいるから」
 狛枝は電話を切って、日向ににっこりと笑顔を向ける。
 その数秒後、中からガシャンと何かが割れる音が立て続けに聞こえ、それから機械音とともにドアが開いた。不揃いに伸びる黒髪が、日向の視界で揺れる。
「ふ、ふゆぅ……お待たせしてすみませぇん……!」



 気を付けてくださいねぇ、と半泣きで言いながら、罪木は日向たちを中に迎え入れる。相変わらずみたいだが、本人が絡まって動けない状況にならなくなったのは、成長といってもいいんじゃないだろうか。
 白い床に無数の破片が散らばっている。薬品の瓶がズラリと並んだ棚の中で一ヶ所だけに明らかな隙間があり、おそらく罪木はあれを落としたのだろう。
 危険な類いの薬の瓶でないことを祈りながら慎重に部屋の中を進み、日向は棚以外の場所を見渡す。
 どうやらこの部屋は大きく分けて二つのエリアに分かれているようだ。
 一つは日向たちがいる、机の上にフラスコや試験管が並ぶ場所。薬の調合実験はここで行うのだろうか。机の端にはレポートや専門書が山積みになっていた。
 それからもう一つは、大きなガラスで仕切られた向こう側の、白い空間。マウスのゲージや仰々しい精密機械が並んでおり、見てるだけで息が詰まりそうな緊張感が漂っていた。フラスコからスポイトを使って試験管に液体を注入している機関員はゴーグルやマスクや手袋などで厳重にガードしている。オペ中の執刀医にそっくりな格好だ。
「あちらは無菌室ですねぇ。ワクチンの調合やウイルスの研究、投薬実験なども行っているんです」
 投薬実験、という単語に日向の顔がわずかに歪んだ。ノイズのかかった記憶の奥底に透明な輸血ポンプが揺らいで、無意識のうちに口元を抑える。
 その様子を見て狛枝は肩を竦めると、研究室の入り口から罪木に呼びかける。
「罪木さーん! ボクたち別に社内見学に来たわけじゃないし、そろそろ本題に入っていいかな?」
「はひぃ!? す、すすすすみませぇぇんっ! お二人が来てくださったのが嬉しくて、つい舞い上がってしまいました……
 何度も頭を下げる罪木に懐かしさから少し嘔吐感が和らいで、日向の口が緩んだ。
 口元から必要のなくなった手を離し、罪木をなだめる。
「別に怒ってないって。俺も久しぶりに会えて嬉しいよ」
「ひ、日向さん……!」
 罪木は途端に目を輝かせる。日向がそれに微笑ましさを感じていると、急に不機嫌な狛枝の横顔が割り込んでのけぞった。
「ねぇ、続けていい?」
「ごめんなさいぃぃぃぃ!」
「おい狛枝、」
「ボクたち、卵が欲しいんだよね」
 当然のように言い出す狛枝を、日向は驚愕の目で見つめる。
 狛枝は真顔である。
「た、卵って、こんなところにあるわけ……っ」
「おひとつですかぁ? 少しお待ちください!」
「えっ、あるのか!?」
 驚く日向を背に、罪木は無菌室の方へ小走りに向かう。鉄扉の奥に消えて、手術着に着替えた姿がガラスの向こう側にいた。
……よく知ってたな」
「ボクはほら、ここの人たちには頻繁にお世話になってるからね」
 暫くすると、大きな特注冷蔵庫から卵を取り出した罪木が、卵を包み込んだ両手に全意識を集中させながら戻ってくる。日向に手渡す時には最高潮の強張りを見せ、無事に日向の手に卵が受け渡されるのを確認してやっと全身の緊張を解いた。
「な、なぁ、これって……
 何の為の卵なんだ? 日向の質問が終わる前に、しかし何かを誤解した罪木がさっと青ざめる。
「あ、もしかして鶏卵じゃありませんでしたか!? ごめんなさい、う、ウミガメの卵でしたら、今すぐ用意しますぅ……!」
「鶏卵! 鶏卵で合ってるから! 脱ぐな!」
 スカートのホックに手を掛ける罪木を慌てて制止して、日向は必死に否定する。狛枝はどうせ日向が止めると思っているのだろう、やや呆れた顔をしつつも卵の様子ばかりを目で追っていた。
 お前、結構罪木に厳しいよな。内心で確信しながら、なんとか罪木の暴走を止めた日向は質問の続きを紡ぐ。
「その、こんなところに鶏卵が置いてあることに驚いただけだ」
「そ、そういうことでしたか! 実は、未来機関内では鶏を育成して、治療薬として使えるタンパク質を豊富に含んだ卵を産ませているんです」
「そ、それって貰ったら駄目なやつじゃ……!?」
 つまり、その卵は本来治療薬として使う貴重な卵ということか。
 そんなものを『ビーフジャーキーと混ぜてカクテルのお供にします。未来機関内で』なんて言えるはずもなく狼狽える日向に、今度は罪木が慌てる番だ。
「だ、大丈夫です! その、全てが治療薬として使えるというわけではないんですよ……残念ながら製薬に使えないと判断されたものは、冷蔵庫に保管して機関員の夜食にしています」
 えへへ、だから大丈夫ですよぉ! 日向を安心させるように、笑顔で罪木は続ける。
「無菌室の冷蔵庫ですから、死体と一緒に保管しても安全です!」
…………そ、そうか。ありがとうな」
 死体と一緒に保管されたかもしれない卵を手に、日向は引きつった笑みしか向けられなかった。



「あーうまいな!」
 卵と和えたコンビーフを一口放り、日向はご機嫌だ。
 ご機嫌のまま、冷蔵庫で冷やしておいたバージン・メアリーを喉に下し、幸福感から息を漏らす。
 日向と狛枝が普段家で飲む甘いカクテルではないが、スープとも呼べそうな塩気のある味と、タバスコとレモンによる癖がお酒っぽさを演出していて、これはこれでとても美味しい。

『死体と一緒に保管する可能性がある分衛生管理は厳しいだろうし、ボクは正直、市販の卵よりよっぽど信頼がおけると思うけどなぁ』

 先ほどまで卵を手に固まっていた日向を説得したのは、狛枝のこの一言だった。
 圧倒的な説得力だった。完璧な論破だった。常に『ハズレ』を引く危険と隣合わせだった狛枝が言うからこそ、一切の反論を許さない正論になる。
 それもそうだな、と頷いてしまえば、日向に残ったのは卵への嫌悪感ではなくコンビーフユッケへの期待だ。
 ほんのり温めたコンビーフに卵を生のまま絡め、そこにカクテル作りで余った塩コショウとソースをかければ、あり合わせにしては十分なおつまみが完成する。
 腹を満たす程度の期待しかしていなかった乾パンも、コンビーフを乗せて食べればそういうお洒落な料理に見えなくもない。
 本物のお酒を飲んだように気の抜けた笑顔を浮かべる日向に、狛枝も微笑みを向ける。
「皆が仕事してる間に贅沢するのって、ちょっと良いでしょ?」
「はは、そうだな」
 そういえば、つい仕事中であることを忘れるくらいリラックスしてしまっていた。まあ飲み終わるまではいいか。どうせ至福の時間が終わったら朝まで仕事漬けなのだ。
 もう完全に肩の力を抜ききっている日向は狛枝にすすす、と近づくと、カクテルグラスを持つ肩に頭を預けた。
 突然かつ普段の日向からは意外な行動に、狛枝の身体が僅かに硬くなる。
「わ、随分と大胆だね。キミ、絶対こういうこと外でしたがらないのに……もしかして、そんなに疲れてた?」
 それとも、まさか酔っちゃった?
 最後は少しだけ声を落として密やかに、あるいは揶揄するように囁くハスキーボイス。
 やはり腹立つ程に良い声だ。至近距離で聞くと、一層分かる。
 狛枝に寄りかかりながら、狛枝の声をつまみに日向はバージン・メアリーを煽る。
…………酔っちゃったかも、な」
 日向も、それから恐らく狛枝も。
 この細やかな幸せに、酔っているのだ。




 幸せな時間は、数分後、長い休憩に痺れを切らした霧切の冷たい視線によってお開きとされるのだが、その話を今するのは無粋というものだろう。