しくるの納戸
2024-10-05 22:06:34
34432文字
Public 狛日
 

Sante!

狛日/2ED後〜未来機関パロ。酒に弱いふたりが色々なカクテルに手を出す話。
狛日合同誌『Sante!』のしくる執筆部分の再録。


エッグノッグ


 雪の降る夜のことだ。

 同居人の狛枝より一足先に仕事を終わらせて家に戻っていた日向の元に、玄関の鍵を開ける音が届く。
 続いて、気力の無い「ただいま」と、鼻をズビズビと啜った音。
 狛枝だ。
 玄関の扉を閉めた音に混じって、ビュウビュウと風の吹き荒ぶ音が、玄関から一番遠い居間まで届いた。同時にスゥ、と冷気が足元を撫でて日向は肩を震わせる。
 日向が帰った時間帯でさえ既に冷え込んでいたのだから、日の沈みきった夜なら尚更だろう。
 狛枝への心配もあるが、日向としても、雪に濡れてびっしゃびしゃのままフローリングを歩かれるのは非常に困る。服と足を拭うバスタオルとともに玄関へ向かって、日向は盛大に吹き出した。
「おかえ……お前、頭!」
「えっ?」
 狛枝の頭には雪の塊が乗っかり、新しい髪型の一部として同化している。
 それは、狛枝が首を傾げると派手な音を立てて玄関に落ちていき、日向に一層の笑いを提供した。
 お腹を抱えて大笑いする日向に対し、狛枝は暫く不思議そうに目を瞬かせていた。だがすぐに、視線で何についての笑っていたのか分かったらしい。ああ、と納得したように頷いて答える。
 頷いた拍子に、また雪の塊が玄関に落ちた。
「これかあ。電柱の下を歩く度に積もってたらしいのが落ちてきてね……離れたところを歩いても風で飛ばされてくるから、一々払い落とすのも面倒になっちゃったんだよね」
 肩に竦めたと同時に、狛枝は再び鼻を啜る。
 落ち着いた脳で冷静に見てみれば、彼の姿は普段から真っ白い肌が更に血の気を失って死人さながら、しかし鼻頭だけが苺のように色づいていることに気がつく。日向はひとしきり笑った顔を慌てふためいた表情に変えて狛枝を風呂場に押し込んだ。
 湯船を沸かしてからはそう経っていない筈だから、体温まで雪と同化した彼をまだ充分に暖めてくれるだろう。
 脱衣所に仄かなオレンジの光が灯るのを見届けて、日向は一人、台所に向かった。
 この隙に、温まる飲み物でも作ってやろうかと思ったからだ。
 日向は卵を二つ、冷蔵庫から取り出して割った。殻を上手く使って黄身と白身に分け、黄身はガラス製のボウルに入れて、砂糖大さじ四杯とともに泡立て器でかきまぜる。
 白身は別の器に入れて、冷蔵庫に戻した。
 ついでに牛乳を出すと混ぜた卵黄と一緒に小鍋へ注ぎ、コンロに置いて弱火にかける。
 換気扇を回すのも忘れずに。そうじゃないと、気化したしたアルコールが充満して、飲む前に酔ってしまうからだ。
 淡いクリーム色の卵液を時々かき混ぜながら、じっくりと温まるのを待つ。
 静かになった台所には、遠くから届くシャワーの音だけが微かにしていた。
 ――ふと頭をよぎる既視感は、昨夜のせいだろう。
 先に向かった暗がりの寝室で、ベッドの縁に腰掛けながら聴いていた音は、今のものによく似ていた。
 芋づる式に呼び起こされる記憶に、日向の頬がぼぼぼ、と染まっていく。
 ベッドライトに照らされた華奢な裸体。
 あの細い腕からは想像しにくいだろうが、彼の手が腰に翌日も消えない跡を残すほど力強く拘束することを、日向は知っている。
 日向だけが、知っている。
 優男じみた温和な笑顔と態度とは裏腹に、自分の主張は曲げないし、自らのペースも譲らないことも。
 知っている。
 いつも日向が嫌だ、止めてくれ、と抵抗しても笑顔で黙殺して。逆に、早く、お願いだと乞うたことは良いように言いくるめ、狛枝の満足いくまで焦らされるせいで、日向は身をもってそれを思い知らされている。
 狛枝の性的欲求は、シラフでは口に出せない部分への直接的な快楽刺激そのものよりも、日向の表情や反応、日向自身でさえ知らない感情を引き摺り出すことで満たされているらしかった。
 例えばそれは、あられもないコトをさせられたり言わされたりして、発火するほどの羞恥に見舞われる様子であったり、散々焦らされた果てに溺れそうなほどの過剰な快楽を与えられて身体も脳みそもドロドロに溶け切ってしまう姿であったり。
 困ったのは、狛枝の興味の対象となる日向の姿に「嫌がることを強制した時の、嫌悪がむき出しの表情」や、「理性が振り切れる前の、必死に快楽から逃れようと抵抗する態度」すら含まれてしまうことだ。
 行為に溺れても、抗っても狛枝を喜ばせるなら、もう、どうしたって意味がない。
 おかげで日向は「そういう行為」において一度も主導権を握れた試しがなく、自分だけが好き放題されていることを疑えなかった。
 それを狛枝に愚痴れば、とんでもない、と眉を下げた困り笑顔で返されるのだが。
 ――嫌なら行為自体を拒めばいい。
 そう正論を吐いたのは日向自身の本心か、それとも、脳の片隅を意思なく漂う『カムクライズル』という才能の残滓か。
 どちらなのかを知る術はないが、どちらだとしても、正論であることに間違いはなかった。
 狛枝は確かに非力ではない。だが、日向が全力で暴れれば、両腕を縛られて薬を盛られていない限り(この可能性がゼロと言い切れないあたりが怖いのだが)、おそらく、日向に軍配が上がるだろう。
 だから、本気で抵抗すれば拒める行為なのだ。本来は。
 けれど日向はその選択肢を選ばない。
 昨晩も止めどない涙を流して、「男の尊厳」などぐちゃぐちゃに踏みつぶして、あられもない声と姿で狛枝に好きにされることを選んだ。
 なぜ? って。そりゃあもう。

…………だって、気持ちいいもんな」

 口から漏れた溜息は、ひどく熱っぽかった。
 記憶だけでなく意識まで昨晩にタイムスリップしかけたところで、鍋底がごぽりと鳴る音に引き戻される。温めすぎて卵が固まってしまう前に、日向は慌てて火を消した。
 卵の塊が鍋にないことを確認しながら木べらで大きく混ぜると、とろみのついた液体が絡みつき、玉になって鍋の表面へと滴り落ちる。
 昨夜から逃げきれなかった雑念が、一回目が喉から、二回目からはゴム越しに、日向の中へと放たれた白濁を連想させた。
 狛枝のアレも、コレくらい甘かったら飲むのも楽なのに。
 余計なことを考えたタイミングで風呂場の扉が開く音がして、思考を追い出すように首を振る。
 狛枝がリビングへ来る前に、さっさと準備を済ましてしまおう。
 日向はお揃いの耐熱グラスを棚から出して、ブランデーとラムを大匙一杯ずつ、グラスの底に沈める。上から鍋の中身を注ぐと、ラムの香りが台所に広がった。
 次に冷蔵庫から卵白を取り出して、ハンドミキサーで泡立てる。
 ふわりと先が尖るくらいのメレンゲは、グラスに浮かべると少し溶けた。仕上げに、シナモンスティックを添えて。
 エッグノッグの完成だ。
 これを作る為にシナモンスティックを買ったのは先週のことだが、やっと封を開けられる時が来たと日向は満足げに鼻を鳴らす。
「何だか嬉しそうだね……あれ、それエッグノッグ? 作ったんだ」
 ちょうどいいタイミングで、狛枝の声がした。
 濡れたせいでボリュームが七割減の髪を、タオルで雑に拭きながら台所を覗き込む。
 ああ、と返事をしながら、日向は両手に持ったグラスを持ち上げた。
「あ。おつまみは用意してないからな」
「それなら、昨日ナッツ買ったから食べようよ。流しの下の引き出し」
 狛枝は日向の手からグラスを奪いながら、流しを顎で指す。
 その言葉に従い、下にある引き出し、その上から三段目を開ければ、乾パンと同じくらいの大きさの缶が見つかった。
 アーモンドとカシューナッツ、クルミ等々エトセトラがばらまかれた写真の中央に、派手な赤字のゴシック体で「MIXED NUTS」と印字されている。
「いつの間にこんなの買ってたんだな」
 缶をしげしげと眺める日向を尻目に、狛枝はグラスをテーブルに運びながら答えた。
「正確に言えば、売店のクジであたりを引いたんだけどね」
 売店というのは、未来機関本部の一階にある唯一の売店だ。弁当や飲み物をはじめとして文具、夜勤や出張のための宿泊セットまで揃っている大変便利な売店で、日向も時々利用しているがクジをやっていることまでは知らなかった。
「ホッチキスか犬用ビーフジャーキーかナッツ缶、どれか貰えるって言われたら、それ選ぶしかないじゃない」
「誰のチョイスなんだよそれ……
「さあね、ただ『当たり』と称して在庫を処分したかっただけなんじゃないかな?」
 それは考えられるな。日向は苦笑して、狛枝の隣に腰掛けた。缶のプルを開けると、ローストされたナッツの匂いが部屋に充満する。
 先にグラスを傾けていた狛枝は、勝手に付けたらしいテレビを眺めていた。
「勝手に飲むなよ」
「ああ、ごめんね。無意識だった」
 悪びれもせず、狛枝は口を付けていない方のグラスを日向に手渡す。日向は眉を潜めながらもそれを彼のグラスに軽く当てた。
「乾杯」
「ふふ、乾杯」
 カツン、と固めの音を立てて耐熱グラスは合わさった。
 火傷しないよう何度も息を吹きかけてから、日向は慎重に一口分を啜る。
 砂糖入りの卵と牛乳、それからメレンゲのなめらかで濃厚な舌触りと甘さが、日向の喉にとろりと流れ込んだ。
 どこか懐かしくなる優しい味に、香るラムとシナモンのクセ。
 『大人用ミルクセーキ』という表現がぴったりだ。
 エッグノッグの味が口から消える前にナッツをつまむ。塩付きのナッツのしょっぱさが、おつまみとして丁度良かった。
 これを引き当てたのも狛枝の幸運かと訊いたら、狛枝は怒るだろうか。
 頭に思い浮かんだ想像に自分で笑って、日向は横目で狛枝を窺う。
 乾杯以降、狛枝は何も喋らなくなったが、別に機嫌が悪いわけでもなさそうだ。ナッツに手を伸ばしながらも、視線はテレビに向かっている。
 テレビからどっと声が沸いた。
 司会者の発言に他の出演者たちが手を叩いて爆笑している。狛枝はそれをただ見つめていた。
 わずかに普段とは異なる雰囲気が気になって、日向の視線は自然と吸い寄せられていく。
 髪が湿っている。ドライヤーで乾かしたのではなくてタオルドライだから、当然と言えば当然だ。日向はそれでもすぐに乾かせてしまうが、狛枝の髪の長さでは難しいだろう。
 こうやって隣同士でお酒を飲むときや行為前のシャワーの後はきちんとドライヤーを掛けて出てくるから、ぺしゃんこの頭を見るのは、そういえば新鮮だ。違和感はそれのせいか。
 毛先の滴が首筋をたどり、やがて肩に掛けたタオルに吸い込まれていく見慣れない光景から、日向は無意識に目を逸らした。
 だが逸らした先も、エッグノッグを含んでふやけた柔らかそうな唇で、ミルキーホワイトの滴が口元を濡らす様と、白い喉仏が液体を飲み込んでごくりと動く様を直視してしまう。
 またまた再び逃がした視線は、今度はナッツを取りに行く右手へ。
 甘皮のふやけた指先は、爪がきれいに切り揃えられている。そうでなくては困る。
 その指先は、日向の中に入るものだ。万が一爪が伸びていたら、痛いどころで済まないのだから。日向と狛枝が『そういう行為』を行う頻度故に、狛枝の爪が出張以外の理由で伸びているところを見たことがない。
 当然昨夜も、狛枝は家に帰るなり爪を切っていた。丁寧に、丁寧に。
 やすり掛けまでして、日向の粘膜を、決して傷つけることのないように。
「あのさぁ、日向クン」
 ――いつの間にか見入っていた日向を、呼び戻したのは狛枝の声だ。
 あと少しでてっぺんのカシューナッツに届くというところで、白い指先が缶から離れていく。その手は日向の顔へ向かい、狛枝に釘付けだった目を覆った。
「あんまり見ないで」
…………あ、わ、悪い」
……うん」
 しっとりとした手のひらが触れている。暗闇の中で狛枝の呼吸音が聞こえる。
 沈黙が、日向を無性に落ち着かなくさせた。
「な、なぁ、狛枝……そろそろ、離してくれ」
 視界が不自由なまま、アルコールのせいもあってくらくらしている手元では、いつかグラスを落としそうで怖い。
「嫌だ」
 けれど狛枝は、それを拒否した。その代わりに日向のグラスを奪い取る。これで、目から手を離してもらう口実は消えた。
 自由になった両手で狛枝の手に触れてアピールしても、ピクリと跳ねただけでどかされる気配はない。
 こまえだ。もう一度お願いしようと呼びかけた唇は、続きを放つ前に温かいものに塞がれた。それが何かなんて、見えなくたって分かる。分かるくらいに狛枝とキスを繰り返してきた。
 けれど、意図は分からないまま。
「狛枝、お前一体、」
「日向クンはさ」
 今度は、唇ではなく言葉が日向の言葉を遮る。
「『目は口ほどにものを言う』じゃなくて、目の方が口より正直だよね」
「は?」
 どういう意味だ、訊きかけて口を噤んだ。
 狛枝を見ながら自分が何を考えていたか思い出したからだ。
 顔が一気に熱を帯びる。変化した温度を確かめるように、ひんやりとしたものが日向の頬を滑る。
 狛枝の、左手の感触だ。
……あんな目でずっと見られたら、頭おかしくなっちゃうよ」
 早口気味に伝えられた言葉。
 その声のトーンは、自分ばかり好き放題されているという日向の愚痴に対して「とんでもない」と返した時と同じで、日向は無性にそれを告げた表情を見たいと思った。
「狛枝、手を退かしてくれ」
 四度目の呼びかけは、誰にも遮られることなく応えられる。
 やがて手のひらから現れた光景に、日向は笑みを浮かべた。
 テーブルに置き去りにされたエッグノッグは既に冷めてしまったが、問題ないほどに二人の顔は熱かった。

 雪の降る夜のことだ。