しくるの納戸
2024-10-05 22:06:34
34432文字
Public 狛日
 

Sante!

狛日/2ED後〜未来機関パロ。酒に弱いふたりが色々なカクテルに手を出す話。
狛日合同誌『Sante!』のしくる執筆部分の再録。


パイン酒


 未来機関第三図書室はとにかく薄暗く、湿っぽい。
 鼻の奥からムズムズとこみ上げるくしゃみを堪えながら、日向は直属の上司である霧切に頼まれた本を探していた。
「えーっと、ヒストリアル・オブ……あった。三冊目は、と……
 表紙がボロボロの洋書を手に、メモに取った本のタイトルと照らし合わせる。
 これはどこかの国の歴史書らしいが、今抱えている事件の解決に繋がるのかは甚だ謎だ。霧切のことだから、他の、元絶望の残党に対して懐疑的な未来機関員たちのように嫌がらせでお使いを頼んだわけではないことは分かっているが。
 メモの三列目に記された地図帳らしき本も手に取ると、全ての本が揃っていること、取った本が間違いでないことを何度も確認する。
 ここで違う本を取って戻っていったら、彼女のみならず、日向と同じ第十四支部に配属されている狛枝にも冷たい視線を向けられることは必須だから、自ずと確認は慎重になった。
 最後のチェックを終えて日向は廊下を出る。
 本を左腕に抱え、右手でスライドドアを静かに閉めたところで、臀部を這う生暖かい感触に日向は飛び上がった。
「な、な!?」
 痴漢か? まさか、こんなところで。
 よりによって女性でも、小柄な人間でもない自分に。
 驚きと恐怖心で瞠目しながら犯人の顔を確認するために振り向き。
 日向は、一気に脱力した。
「花村……お前なぁ!」
「やあ日向君! ンフフ……相変わらず魅力的なお尻をしてるね!」
 日向の臀部を丸っこい手のひらで撫でるのは、ニコニコと満面の笑みで日向を見上げる花村輝々であった。
 冷静に考えれば、日向にそのようなちょっかいをかけるのは彼しかいないのだが、日向からはすっかりその選択肢が抜け落ちていた。
 しかし、それもその筈。
「お前、帰国は来月の予定じゃなかったか?」
 そう。花村は四ヶ月前から、第八支部の一員として各地への食糧支援を行う傍ら、環境汚染によって進化した動植物の調理法を研究する為に南アメリカを回っている最中と聞いている。
 確か一昨日の定例会では、第八支部が本部へ帰還するのは早くて来週だと報告があったのだが。
「ああ、それはボクがちょっと支部長とお茶でもしようと思ったら、彼女のご機嫌を損ねてしまったみたいでね、ボクだけ強制帰国さ!」
「何やってるんだよお前は……
 呆れてもはや溜め息すらつけない日向に、花村はでもぉ……と、もじもじと人差し指同士をすり合わせながら返す。
「ほら、第八支部の支部長といったら第九支部のダーリンと昼夜ラブラブで有名でしょ? それなのに愛しのカレは戦場のど真ん中、長期間放ったらかしにされた支部長の豊満なマシュマロボディが! 夜な夜な熱を持て余してるんじゃないかと! 思ってさぁ! さぁ!!」
…………
 もういい。こいつには何を言っても無駄だ。
 日向は首を振って説得の言葉を全て捨てると、改めて花村に向き合う。尻を撫でる手を振り払うのも忘れずに。
「で? わざわざ俺のところにどうしたんだ?」
「もうっ、日向君ったらウブなフリしちゃって! アバンチュールのお誘いに決まってるじゃな……アッアッちょっと待って! 待ってってば! 今のは軽いジョーク! ジョークだから行かないで!」
……次ふざけたら本当に帰るからな」
 ただでさえ、今は霧切を待たせているのだ。いくら久しぶりの仲間との再会といっても、これ以上の雑談、いや猥談に付き合う時間は無かった。
 睨みをきかせて本題を促せば、花村は冷や汗を拭いながら提げていた紙袋を手渡す。
 日向が両手で抱え直していた本を左腕に戻し右手で受け取れば、ずっしりとした重みがのしかかった。
「何だコレ?」
「開けてごらん? 処女の衣服を脱がすように優しくね……
 花村の助言を聞かなかったことにして紙袋に床に置き、思い切り手を突っ込めば、ひんやりと冷たい、そしてつるりとした感触が指に触れる。
「瓶? ……これは、パインか?」
 そのまま引き抜けば、大きな蜂蜜瓶の中で、輪切りのパインがたっぷりと、透明な液体の中に沈んでいるのが見えた。
「ンフフ……コスタリカで小さなレディにパインを沢山貢がれちゃったんだ! 流石に全部は食べ切れなかったから、余りをホワイトリカーに漬けて保存したってワケさ! まあ、僕としてはパインもいいけど、まだ発育途上なレディの肢体を僕の手で美味しく熟させてあげたかったよね……傍にアマゾネスがいたから今回は大人しくしていたよ」
 頼むから毎回大人しくしていてくれ。
「それで……これは、どう飲めばいいんだ?」
「そりゃあ、裸体にぶっかけて肌のキメや塩気とともに舐め取るのがおすすめ……と言いたいところだけど、うんっ正直何でも美味しいと思うよ! 水割りもソーダ割りもアイスに掛けても、勿論ロックでも。なんたって、この『元・超高校級の料理人』である花村輝々が仕込んだお酒だからね! 南国の日差しの下でみだらに育った果実は、僕の手に身を預ければ、たちまち甘い蜜を零してしまうのさ」
……………………そりゃあ、楽しみだな」
 発言や態度は問題だが、料理人としての彼の腕は本物だ。ありがたく頂戴することにして、日向は花村に背を向けた。
 花村のペースに乗せられてつい話に付き合ってしまったが、日向は急いでいるのだ。
 去り際、背中に何かエールらしい言葉を投げられた気がしたが、何と言っていたのかは、既に走り出していた日向には聞き取れなかった。



「ふーん、本探すだけでやけに時間掛かるなって思ってたら、こんなの貰ってたんだ」
 リビングのソファに本日の役割を終えたスーツのネクタイを投げ、狛枝が瓶を持ち上げる。
「まあ、そういうことだ」
「花村クンに捕まっちゃったら諦めるしかないけどね。日向クンならサボってたとも思われにくいだろうし、普段の言動に救われたんじゃない?」
 霧切さんからのお説教も一言で済んだでしょ? 狛枝に首を傾げられ、自らもネクタイを外してダイニングチェアに掛けた日向は頬を掻いた。
「まあそうだけど……
 霧切のことだから、花村が一足先に帰国を命じられたことも、日向が片手にぶら下げていた袋を誰に貰ったかというのも、既に推理出来ているのだろう。ぜぇぜぇと息を切らしながら執務室に戻ってきた日向に対し、霧切からの苦言は「資料を汗で汚さないで頂戴」の一言だけだった。
「それで、これ何?」
 左手で瓶をちゃぷちゃぷと揺らす狛枝。メンテをしたばかりとは聞いているが、そんな無防備に扱われるとハラハラしてしまう。たとえ義手だろうと、ルームメイトの左手がもげる絵面はあまり見たくなかった。
 事が起こらないうちに瓶を奪い、代わりに揺らして日向が答える。
「パイン酒。花村お手製なんだってさ」
「流石は花村クン! 料理だけじゃなくお酒まで造れるんだ」
 へぇ、凄いねぇ……と日向が揺らすパイン酒を眺めながら、狛枝は瓶越しに日向を見つめた。
「飲む?」
「え、今からか?」
 まだ帰ったばっかりで夕飯もまだなのに。思わず渋面になる日向に対して、たまには良いじゃないと狛枝はご機嫌だ。
……まあ、どうせそうなるだろうと思ってたよ……
 超高校級の料理人が作ったお酒と聞いて、狛枝が飛びつかないわけがない。
 日向は夕飯の支度を諦めて、代わりにペアグラスをローテーブルに並べた。帰り際にコンビニで買ったロックアイスと炭酸飲料も冷蔵庫から取り出して、早くもソファで寛いでいる狛枝に差し出す。
「おい、お前が飲みたいって言ったんだからな。ちょっとは手伝え」
「えー、座ったばっかりなんだけどなぁ」
 不満そうな物言いとは裏腹に、狛枝は素直に立ち上がった。ニコニコと上機嫌で日向から袋を受け取り、テーブルに置くとすぐに、冷蔵庫を覗く日向の元へ戻ってくる。
「つまみは何が良い。面倒くさいから夕飯も兼ねちゃうぞ」
「はーい。確か、鯖缶がまだ残ってたよね?」
「ああ、そうだな。ついでにトマト缶も一緒に消化するか。他は?」
「もやしのナムルってある?」
「作ればある。肉が欲しいな……お、鴨」
 狛枝の返事を聞きながら、日向は必要なものを冷蔵庫から出していく。
 狛枝もシンク下の棚から缶詰を漁った。
 鯖缶とトマト缶、もやしにバジル、鴨肉のパックと使いかけの長葱。そして各種調味料。調理台に山盛りになった食材たちを眺め、これだけあれば十分だろと日向は頷く。
「じゃあ狛枝、もやしと葱洗ってくれ」
「落としたら殴ってね」
……殴らない、が、頼むから気をつけてくれ……
 釘だけ刺しながら、日向の手は最初の料理に取り掛かっていた。
 一人用のグラタン皿に鯖缶とトマト缶を開け、オリーブオイルとチーズをたっぷり、仕上げにパン粉とバジルを掛けてオーブンに放り込む。
 ジジジ、と音を立ててタイマーが回され、中のグラタン皿がオレンジの光に包まれた。
 焦げませんように、と小さく手を合わせた日向がオーブンから目を離すと、葱ともやしを両手に持つ狛枝と目が合う。野菜を両手に持つ顔の良い男というのは、中々にシュールだ。
「洗ったよ」
「無事だったか?」
「もやし五本以外はね」
「たった五本ならセーフだろ」
 日向は、肩を竦める狛枝を宥めながら葱ともやしの袋を受け取った。もやしは水を切らないまま深皿へ入れて、ラップを緩くかけレンジで蒸す。それから間も置かず葱をぶつ切りにしていった。
 二叉に分かれた青い部分を取っておくかは日向にとって迷うところであったが、先が茶色くなり始めていたから使ってしまうことに決めた。全て切り終えたところでチン、と高らかな音が鳴る。
 鳴らしたのはオーブンではなくレンジだ。見なくても分かっている日向は、暇を持て余して日向の包丁さばきを眺めていた狛枝に声を掛ける。
「狛枝、もやし出してくれ」
「了解。そしたら?」
「お酢とラー油と塩こしょう掛けて混ぜる。全部ひとまわし」
……ひとまわし……?」
 狛枝が怪訝な顔をして日向は慌てた。狛枝が勘だけで調理しようとすると、間違いなく大惨事になるからだ。
 なんたってブッシュ・ド・ノエルを作ろうとして、松ぼっくりに生クリームを塗りたくるような男である。
「お酢はカレースプーンニ杯! あとは一杯ずつ回しかけろ!」
 言い直せば納得したような顔をしたので、日向は安堵して鴨鍋作りに向き直った。コンロの火をつけ、サラダ油と葱の白い方を投入する。葱に焦げ目が付いたら残り半分の青い先の部分もさっと炒め、めんつゆを注いで煮立つまで弱火で。
 隣で大人しくナムルを作っていた狛枝も、気がつくと手を完全に止めて鍋を覗き込んでいた。
「もやしは大丈夫そうだな」
「うん。言われた通りに作ったからね。試食する?」
 狛枝の問いに頷くと、もやし四本を挟んだ菜箸が日向の口元に差し出される。口を開くと舌の上にお酢の酸味と僅かな辛みが乗っかった。
「どう?」
「いいんじゃないか」
「良かった」
 日向の答えに狛枝は胸をなで下ろす。以前マカロニサラダを作るために砂糖を入れようとしたら、いきなり瓶が割れてゴミ箱行きにしてしまったことがあるからだ。
 だから上手くいくと狛枝はこうして安堵した表情を見せる。それがなんだか子供らしくて、日向のお気に入りの顔のひとつであった。
「キミ、いま失礼なこと考えてなかった?」
「そ、んなことは無いぞ。それより、出来たなら皿に盛ってくれ」
 不意に日向お気に入りの表情が不満げな顔に一変する。慌てて誤魔化すと、狛枝は溜め息を吐きながらも大人しくナムルと盛り付け用の小皿を食卓へ運んでいった。
……いいけどね。キミの保護者ぶってニヤニヤした顔も、ボク好きだし」
 しっかりと一言添えて。
 結構顔に出てたんだな……。日向は頬を掻く。しかし鍋が沸く音で、反省はすぐに霧散した。葱は既につゆを吸い込んでしんなりとしている。ここで漸く、鴨のもも肉(見切り品・三割引)の出番だ。
 鍋に入れた途端、肉の脂が透明な玉となって水面に浮いた。つやりと光るつゆの中で鴨が泳いでいる光景に、日向のお腹が空腹を訴えて鳴く。これをおかずに米が食べたい。
 ラップに包み冷蔵庫で保存したご飯があるから、〆はそれと卵で雑炊にするのはどうだろうか。ああ、考えてたらますますお腹がすいてきた。
 日向のお腹が二回目の音を鳴らしたところで、狛枝が空いたお皿を手に台所へと戻ってくる。その目にはたっぷりと慈愛が籠められていた。
…………
 間違いない。聞かれていた。
「お腹空いちゃったよね。ところで日向クン、オーブン鳴ったよ」
……運ぶ……鍋敷きだけ頼む……
 気を取り直してオーブンを開けると、トマトが煮立つ音が日向の鼓膜に届く。チーズはちゃんと溶けていて、パン粉のおかげで焦げ目もばっちりだ。トマトに沈みきれてないバジルが少し焦げてしまっていたが、まあ及第点だろう。
 狛枝がテーブルに鍋敷きを置き終わっているのを確認して、日向はミトンを装着しグラタン皿をオーブンから取り出す。ミトンのお陰で軽減はされたが、それでも熱いため、指先が耐え切れなくなる前に急いで運んだ。
 テーブル前のソファに悠々と腰かけた狛枝が、日向に手を振っている。
「頑張ってね」
「お前なぁ……
 もう動く気のない狛枝の様子に呆れてしまうが、文句など言うだけ無駄だと日向は台所に戻って、鴨鍋を温めていたコンロを切った。
 お肉にはもう十分火が通っているから、これ以上煮続けると硬くなってしまうのだ。
 湯気を立てる鍋の中身を、二つの小皿に分けていく。本当は鍋ごと持っていきたかったが、残念ながらそこまで大きなテーブルではない。それでも、小さな鍋を再現するように盛ればそこそこ見栄えの良い一品が出来上がったので良しとしよう。
 さあ、これでようやく準備が整った。
 幾度となく空腹を訴える胃袋を、あともう少しの辛抱だ、と労わるように撫でて日向は狛枝の待つソファへ向かう。
 座った途端目の前に出されたグラスは既に、沈んだパイン酒と水と氷で満杯だ。
「一杯目は水割りでしょ?」
「よくお分かりで……それじゃ、」
 受け取って軽く持ち上げれば、狛枝も、同じ水割りのグラスを真似して掲げた。
「「乾杯」」
 縁を合わせる。グラスの底でパインが揺れた。
 果肉が沈まないうちに口を付けて流し込むと、爽やかな果実の甘みと程よいアルコールが日向の喉を潤す。
「あっ美味いなこれ!」
 思わず狛枝を見れば、彼の口にも合ったようで、手を止めることなく飲み進めていた。
「うん、甘くておいしい」
 流石は花村クンだ、と賛辞を欠かさない狛枝に呆れながら、日向は箸を握る。さっきから、鴨鍋が食べたくて仕方なかったのだ。
 『鴨が葱をしょってきた』ということわざがあるくらいだから、一緒に食べなきゃ寧ろ鴨に失礼だ、と白い葱と一緒に箸に挟んで口の中へ。
 味わう日向の横顔を、狛枝がニコニコと見つめていた。
「どう? お味は」
……最高だ……
 鴨鍋を噛み締める日向の顔は幸せそうに緩んでいて、それを見ていた狛枝は、日向の頭に手を伸ばして撫で回す。
「おい、保護者みたいな顔するなよ」
「あ、反抗期だ。日向クン反抗期」
 さっき狛枝に対して日向がしていたのであろう表情をそっくりお返しされて、確かにこれは屈辱的だと日向は奥歯を噛み締める。同時に、やっぱり根に持ってたんだと思うと、どうしても狛枝が子供に見えてしまうのも仕方ない気がしていた。
 だが、いつまでも頭を撫で続けられるのは遠慮したい。屈辱感が否めないし、それに、照れに近い恥ずかしさを覚えてしまう。
 耐えきれなくなった日向が箸を握った手で払いのけると、狛枝は痛い痛いとちっとも痛くなさそうに言いながら、缶詰で作った鯖のトマト煮に箸を伸ばした。
 表面に触れると、焼き色の付いたパン粉がサク、と小気味良い音を鳴らす。鯖を箸で割き、トマトをたっぷり絡めてから持ち上げると、溶けた粉チーズが箸にまとわりついて伸びる。
 箸が桜色の唇に運ばれるまでを、今度は日向が不安げに見つめていた。
「ど、どうだ? 鯖、ちゃんと温まってるか?」
「うん。美味しいし、ちゃんと温かいよ」
 狛枝が答えると、日向の表情はぱっと明るくなる。そのまま自分もトマト煮を口に入れ、味を確認して狛枝と頷き合った。
「これ、煮詰めて濃くしたら、パスタソースに出来そうだな」
「じゃあ明日の夕飯はそれね」
「もう缶使い切ったぞ」
「それは残念」
 じゃあ明日買ってくるから作って、と狛枝が肩を竦める。急すぎると日向は文句を言ったが、狛枝が本当に買ってきたらまんまと作ってしまうのだろうし、この場だけの冗談で明日の献立が予定通り豚汁になったら少し落胆するのだろう。
 それを悪くないと思ってしまっている自分に辟易としながら杯を進めているうちに、日向のグラスはすぐに空になった。
 次はどうやって飲もうか。暫し悩んでサイダーに手を伸ばす。
 ソーダ割りと言ったら普通は味のない炭酸水を使うだろうが、あいにく日向の舌には合わず、今回はジュースとして売っている甘いサイダーを買った。
 細かい泡がシュワシュワ弾ける音を楽しみながら炭酸を注いでいると、隣でもカラン、と大粒の氷が鳴る。狛枝は、今度はロックで飲むことにしたようだ。
 二杯目を一気に半分くらいまで減らして、狛枝が日向のグラスを覗き込む。
「ねえ、ソーダの方一口ちょうだい」
「俺もロック飲みたい」
 リキュールも割り材もまだ沢山あるのに、わざわざ相手の飲んでいるものが欲しくなるのだから不思議だ。
 狛枝は、日向が飲みやすいようにグラスを傾けてくれたので、日向はそのまま口を寄せた。水割りより濃いパインの甘みとアルコール感に、口から勝手に感嘆が漏れた。
「日向クンも」
 ロックの味を楽しんでいると、痺れを切らした狛枝が脇をつついてせっついて、日向は悪かったよ、と笑いながら狛枝に自分の飲みかけのグラスを傾ける。狛枝も、当然のように日向の手からソーダ割りを飲んだ。
 その後もお湯で割ったり、冷凍庫からバニラアイスを出してパイン酒を果肉ごとソース代わりにしてみたり。
 様々なバリエーションを試したが、飲み方を変える度に二人は相手のグラスに口を寄せて、また、相手の為にグラスや匙を傾けた。
 パイン酒の原液で満たされていた瓶も、みるみるうちに中身を減らしていく。そのことに気が付かず夢中で飲んでしまう程おいしいものだったから、料理が完食される頃には、残りは僅か五分の一程になっていた。
 日向は恍惚と息を吐く。
……うまいな。ソーダ割りも、アイスにかけるのも、ぜんぶ」
 そんな勢いで飲んだら、いくら薄めに割っていたとしても酔いが回っているのだろう。既に日向の頭の中はヘリウムを詰めたようにふわふわと浮いていた。
 だから、きっと酔いが醒めたら恥ずかしさで布団から出られなくなるような台詞だって言えてしまう。

「ぜんぶ、狛枝にもらうやつが、いちばん甘くてうまい」

 狛枝は、ゆっくりと瞬きをした。
「そっか」
 一言だけ返して、狛枝は最後のロックをぐい、と煽る。
 喉は動かなかった。
 白い指がグラスを静かに置き、日向のグラスも奪い取って、そして、その手で日向の顎を掴んだ。
 向き合った顔を、狛枝が当然のように近づけるから、日向も当然のように瞼を下ろす。
 薄く開いた唇から流し込まれた液体は、やはり、いちばん甘くておいしい。
 しびれるほどに甘くておいしかったから、日向は薄く目を開いて囁いた。

 ――もっと。



 カーテンの裾から漏れ出す光の眩しさで、狛枝は目を覚ます。
 休日だからアラームは鳴らない。さらに、いつもなら狛枝より先に起きて生活音を立てる人物が熟睡中なせいで、部屋はとても静かだった。
 意識が眠気から覚醒してくると、毛布に直接触れた素肌がチクチクと不快感を訴えたので、狛枝は音を立てずにベッドから抜け出す。
 はみ出した同居人の肩を、毛布で覆ってあげるのを忘れずに。
 ベッドの下に捨てられたトランクスとスラックスを、自分のものであることを確認してから身につける。
 その次は靴下。片方はパンツのすぐ傍に落ちていたが、もう片方は一畳分離れた先に落ちていた。
 その次はベルト。その次はインナーシャツ。
 クシャクシャに丸められたワイシャツを拾い上げると、リビングに辿り着いていた。日向のネクタイはダイニングチェアに掛けられている。ソファのひじ掛けに置いた筈の狛枝のネクタイは、座面で尻に敷かれて、ぺちゃんこになっていた。
 狛枝はローテーブルに目を向ける。
 空になったお皿とグラス。完全に水と化したロックアイス、残り僅かとなったパイン酒の瓶を眺め、それからローテーブルの脇に置かれた紙袋を見た。
 日向が、花村に貰ったパイン酒の瓶を入れていた白い紙袋。
 昨日、日向が本を探しに執務室を出たときは持っていなかったから、恐らくは花村が袋ごと渡したのだろう。
 それを、狛枝は拾い上げる。
 袋の中身を覗くと、底には一枚のカードが。
 名刺サイズで小さい上に白いカードが裏向きに入っていたものだから、日向が見たときは気が付かなかったのだろう。
 取り出したものを表向きに返して、狛枝は困ったように肩を竦めた。
 大方、こんなことだろうと思ってたよ。
 カードには、紛うことなき花村の筆跡でメッセージが添えられていた。

『粋な《隠し味》のお礼は、君たちの熱い夜の感想でいいよ! 』