しくるの納戸
2024-10-05 22:06:34
34432文字
Public 狛日
 

Sante!

狛日/2ED後〜未来機関パロ。酒に弱いふたりが色々なカクテルに手を出す話。
狛日合同誌『Sante!』のしくる執筆部分の再録。


サングリア


 残業が立て込んで、帰りが随分と遅くなってしまった。
 星たちが、冷たく澄んだ空でチカチカと瞬いている。
 日向の唇から、白く伸びる呼気がやや早足で生み出されては、夜空に届く前に消えていった。
 星に負けない輝きを左手首で放つ腕時計の中では、まもなく長針と短針がてっぺんで巡り会うというのに、日向はまだこれの贈り主とは朝以来顔を合わせられていないのだった。
 焦りを季節外れの汗とともに額に滲ませて、ようやく社宅前までたどり着く。
 ICチップの埋め込まれた社員証を、エントランスの自動ドア横にある白い認証機械に掲げる。機械音とともに開かれていく防弾ガラスのスライド扉を、開ききるのを待たずに身体を滑り込ませた。
 いつものようにエレベーターホールを素通りし、階段を小走りで駆け上がる。
 今日は一人なのだからエレベータを使えば良かった、と気が付いたのは、もう三階分も登ってしまった後のことだ。
 ――エレベータなんて、いつ落ちてもおかしくないじゃない。
 不運を恐れて頑なに階段を使わせ続けた同居人の言葉が、すっかり日向の無意識に刷り込まれてしまっていた。
 あいつはもう、寝てしまっただろうか。
 息を切らしながら階段を登り切り、昨夜の、不機嫌な同居人の顔を思い浮かべた日向は、直後に玄関の前で見馴れたシルエットを見つけて瞠目した。
 闇夜に浮かぶ白髪。
 腰ほどの高さの手すりに寄りかかりながら、壊しすぎて何代目かも分からない携帯端末を片手で弄る姿は、海外のメンズ雑誌の表紙を飾っていてもおかしくない程で。
 自分のパートナーは今日も腹が立つくらい格好良いな……口許を弛ませかけて、今はそう呑気なことを思っている場合ではなかったと慌てて引き締める。
……こ、狛枝? どうしたんだ、こんな所で」
 日向が近づいたことに足音で気付いたらしい同居人、狛枝は、日向の言葉が届く前に携帯端末から目を離し、そして聞き終えると玄関に視線を向けた。顎で指し示すのは、ドアを塞ぐようにして置かれた大きなダンボール。
 途端、日向は全身からどっと汗が噴き出すのを感じた。
 しまった。
 動揺を心の中だけに留めて、日向はさも今このダンボールの存在を知ったかのように驚いたフリをしてみる。
「なんだこれ?」
 なんだこれも何も、この荷物は先日、日向が送ってくれとジャバウォック島に頼んだものであった。今日は早めに帰ってこれを、狛枝が見る前に回収する予定だったのに、今日荷物が届くことをすっかり失念してしまっていた。
 企みが今狛枝にバレてしまえば、氷点下の視線とともに悪口雑言のマシンガンが降り注ぐに違いない。
 焦る日向は必死に誤魔化す。うまく騙されてくれたかはさておき、彼のリアクションは、
「さぁ?」
と肩をすくめるだけにとどまった。
 その顔は無表情。
 分かっていたことだが、非常にご機嫌斜めである。
 もう一筋、冷たい汗が背筋を伝うのを感じながら、日向は扉を塞ぐ段ボールを持ち上げて、せめてこれ以上は彼のご機嫌を損なわないように、そそくさと狛枝を家へと促した。



 狛枝の不機嫌の原因は、一寸の反論の余地もなく、日向である。
 それはもう、日向自身も重々承知している。
 本当なら今更、以前から気になっていた酒場で二人楽しく飲んでいるはずだったのに。
 折角二人とも早めに業務を切り上げられそうだから、と約束していたにも関わらずこうなっているのは、約束を取り付けた側の日向がドタキャンをしてしまったせいだ。
 それが単なる業務のせいではなく、急に飛び込んできた飲み会のせいなら、当然狛枝も良い気はしないだろう。このご時世に珍しく、「元・絶望の残党」の日向にも愛想良くしてくれる、お偉方からの断れない飲み会だとしても。
 仕方ないとはいえ、狛枝がこんな調子になってからもう一週間が経とうとしている。
 狛枝が、もしくは日向が機嫌を損ねてギクシャクとした雰囲気になることはそう珍しく無いのだが、ただ、今回は仲直りまでが少し長すぎた。
 いい加減なんとかしなければと、島に残って汚染環境に負けない食物の研究開発を行うソニアと田中に「香りの良い果物を届けてほしい」と外部接続用PCで頼み込んだのだ。
 ディスプレイの中、不思議そうにしながらも事情に踏み込まないでくれたソニアの笑みと、具体的には分からなくとも日向の必死さから大体の状況を察した田中の視線を、とてもよく覚えている。
 これ以上、みっともない真似は出来なかった。



 二人して無言で玄関をくぐり、暗がりの中廊下を進む。
 月明かりだけが頼りだが、それなりに長い月日をここで過ごしているから、見えなくても部屋には容易に辿り着けた。
 日向が部屋に入ると同時に、パチリとスイッチが押される音がして昼白色の光に包まれる。コンロ脇で止まった狛枝が、照明のスイッチに手を伸ばしていた。
 スイッチにかかる指は先端が少し赤くなっていて、それは外気に晒されて冷えたということに他ならない。
 いつまであそこで待ってたんだ? と恐る恐る訊くと、
「ご飯はどうした?」
「キミから『遅くなる』ってメールが来た時点で食べたよ」
……そっか。悪かったな」
 素直に謝ると、狛枝は肩を竦めて笑う。
「仕方ないよ! 日向クンは予備学科の癖に忙しいから……いや、予備学科だから、要領が悪くて時間が掛かっちゃうのかな? それに只でさえ忙しい日向クンは、先週は楽しい飲み会のせいで残業出来なかったもんね?」
 全然仕方ないと思ってないよな。
 言葉の節々から飛び出ている棘に買い言葉が口から出かかるが、そんなことしたら計画が台無しになる。
 平常心、平常心、と心の中で繰り返しながら、日向は段ボールをローテーブルの上に置いた。
「ほら、開けるぞ」
 声を掛けると嫌味は一旦止む。
 狛枝の不審そうな視線を浴びながらガムテープの封を剥がしていけば、早速、夏の香りが二人の鼻孔を擽った。
 梱包材代わりの椰子の葉をどかした先に見えたのは日向夏。
 やけに声が可愛いアフロの支部長の指導のもとで数年前から育て始め、ようやく安定して生産できるようになったものだと、添えられたメッセージカードに記されている。
 箱いっぱいに詰められた果実は、ところどころに傷がついているが、そこがまた、自家製らしくて良い。日向はひとつを手に取り、鼻頭に当てて嗅いだ。
「ああ、いい匂いだな」
 土の匂いがほのかに混じる爽やかな柑橘の香りを堪能していると、横から白い腕が伸びて日向の手ごと果実を掴み、自身の口元に運んだ。
「本当だ」
 すん、と短く息を吸って、狛枝が頷く。なんでもないことのように行われた一連の動作に、日向の頬が染まった。そのまま良い雰囲気になることを期待してしまいそうになるが、こういう時でも油断ならないのが、狛枝凪斗という男だ。
 ひとつでも言動を誤れば、その薄い、桜色の唇からありとあらゆる毒と言弾が日向目掛けて飛んでくるだろう。
 気を引き締め、次の段取りに進もうと日向は両手を叩いた。
「料理用のワインも余ってるし、サングリアでも作れるんじゃないか?」
 そうだ、とさも今思いついたかのように言ったが、そもそも二人に日向夏を頼んだのは、サングリアを作るためだった。
 そんな日向の思惑を知らない(はずの)狛枝は、自分の手の中に残された日向夏をいじくりながら、ぱちくりと目を瞬かせる。
「サングリア」
「あれ、知らないのか。意外だな」
 顔立ちのせいもあって、横文字には強そうに見えたが、そういえば、そもそも日向も狛枝も、お酒には弱いし疎いのだ。
「何それ、美味しいの」
「飲めば分かるさ」
 知ったように言ってみたが日向自身は飲んだことはない。ただ、カシスオレンジも頼んでいた隣テーブルの女子たちが美味そうに飲んでいたから多分甘くて美味しいんだと思う。
 ただそこまで説明するのも面倒だ。公判を心の中にとどめた日向に、狛枝が片眉を上げた。
「その口ぶりだと、キミは飲んだことがあるんだ?」
 問いかけて間もなく、狛枝は合点のいったように一人で結論を呟く。浮かぶ笑みに、悪意が滲んでいた。
 出た。日向は投げつけられるだろう言葉に身構える。
「ああ、飲み会で女の子にお酌でもしてもらったのかな?」
「もらうかよ。ビールしか飲んでない……俺が甘い酒の方が好きだってことは、お前しか知らないだろ」
 煽りだと分かっていても、狛枝にその手の勘違いをされるのは気分の良いものではない。
 反論は日向が自分で予想したよりも、うんと低い声になった。
「それより、お前はどうするんだ? いらないなら、一人で飲むのも気まずいし作るの止めるぞ」
 続けて問えば、狛枝は不自然に動きを止めて、それから小さく頷く。
……飲むよ。付き合えるの、ボクしかいないんでしょ」
 ああこれは、一応、言い過ぎたことを反省している顔だ。
 少し上向きになった気持ちをそのまま唇に乗せて、日向は日向夏とともに台所へ向かった。



「そろそろ冷えたんじゃない?」
 狛枝の視線を追って日向も時計を見ると、台所に立ってから知らぬ間に三十分以上が経過していた。
 冷やしている間にベーコンと衣で包んで油に投げたチーズは、ちょうど今、美味しそうな狐色に仕上がったばかりである。
 キッチンペーパーに余分な油をしみこませてから、油から取り出したものを椰子の葉へ乗せる。
 梱包材として日向夏と一緒に入っていた椰子の葉を、お皿に使おうと提案したのは狛枝だ。それだけで昨日、皿に直接盛り付けた唐揚げより断然おいしそうに見えるのだから、不思議なものだ。
「じゃあこれ、持っていってくれ」
 日向は、盛り付けを終えた揚げ物、それとチルドで解凍していた刺身セットを狛枝に渡した。彼が転んで料理を台無しにしないか見守ってから、冷蔵庫を開ける。
 冷蔵庫の中段で冷やしておいたデキャンタを取り出すと、中で安物の白ワインと、黄色い皮ごとくし形にした日向夏が涼やかに揺れた。
 ワイン自体を数日前から冷蔵庫に保存しておいたおかげで、サングリアを作ってから短時間でも容器の周りに露を纏わせるくらいに冷たくなっているようだ。
 二人飲みの時にしか出さないペアグラスとともに、狛枝の待つソファに向かう。ローテーブルの上には、無事に運ばれた料理が並んでいた。どうやら狛枝の才能も今日は大人しかったようだ。日向は胸をなで下ろす。
 料理と入れ替わるように、段ボール箱は床に移動させられていた。
「箱、重かっただろ。ダイニングでも良かったんだぞ」
「それ退かすくらい、いくら貧相なボクでも出来るよ」
 それもそうか。日向は内心で頷く。そもそも、今狛枝が腰かけている革張りのソファだって、元はといえば狛枝が拾ってきたのだから。
 だが、だったら猶更、なぜ自分で退かさず玄関前で待っていたのか――ふつふつと疑問が沸き上がるが、まあ、狛枝に追及したところで素直に吐く訳がないな、と諦めて日向も横に座った。
 柔らかいソファが沈みながら日向の体重を受け止める。その拍子に、ごく軽く狛枝と肩が触れ合った。
「乾杯」
「乾杯」
 グラスを合わせる。
 静かなリビングに、遠慮がちな挨拶とグラスの音が、間を引きずるように響いて消えた。
 目は合わせないままの、いつもより控えめな乾杯。
 気まずさを残しながらも、言わずにいられない「習慣」に、日向の口からは呆れに似た笑いが漏れ出す。
「なに笑ってるの……気味が悪いよ」
 そうたしなめる狛枝も、もう日向が笑っている理由に思い至っているのだろう。自身も笑いを堪えきれない様子で肩を震わせた。
 皮切りはどちらが吹き出した音だったろうか。
 それを合図に、二人分の笑い声は重なって、次第に大きく、部屋に木霊するようになる。
 笑いがひとしきり収まると、日向は、狛枝を見つめた。
 言うなら、今しかない。
「その……仕方ないとは言え、約束、ドタキャンして悪かった」
 狛枝の動きが止まった。
 あんぐりと開いた口はじわじわと笑みの形に変わり、やがて灰色の瞳とともに三日月の弧を描く。
「もしかして、二人に日向夏を送ってもらったのは仲直りの為?」
 カクテルを一口。それからさらっと図星を抉り抜く狛枝に、今度は日向が間抜けに口を開ける番だ。
「知ってたのか?」
 返事は無言の、変わらぬ笑み。
「あれ、当たってたんだ……なんてね。ソニアさんと田中クンなら、ボクらに連絡もなくいきなり荷物を送ってくることは考えにくいもん。『不運』にも送られた連絡がこっちに届かないようなことがない限り、キミ側から頼んだんだろうな、って」
 開きっぱなしの日向の口にベーコンチーズの揚げ物を放り込んで、狛枝は笑顔のまま肩をすくめる。
「それにしても日向クン、デリカシーがないね。ボクのいない飲み会で知ったカクテルを、ご機嫌取りに使うなんてさ」
「むぐ……っ、それは、悪かったよ。考えが足りなかった」
 確かに、不機嫌の原因を仲直りとして用いるのは良い案とは言えなかったかもしれない。
 しかし、そのときの日向には他に何も思いつかなかったのだ。
「俺は本とか服とか詳しくないから、趣味じゃないやつ渡しちゃっても困るだろ? カクテルなら、同じものが好きな筈だから」
 一応これでも、余裕と時間がないなりに狛枝のことを考えた結果なのだ。
 それだけは弁解させて欲しいと、日向は祈るような眼差しで狛枝を見つめた。
 狛枝は眉を下げて、意地悪しちゃったね、と呟く。
「分かってるよ。キミがあまり器用な人じゃないってこと、ああいう飲みの誘いをうまく躱せない人だっていうのも」
 それから、自嘲したように溜め息をついて、ソファの背に体重を預けた。
 透明なサングリアが、グラスの縁ギリギリまで揺れる。
「ボクだって、一週間も引き摺るつもりじゃなかったんだけどなぁ。キミから誘いをもらって何処かへ『おでかけ』しようなんて、あの島以来だったからさ。らしくもなく期待しちゃったんだよ……自分の才能を、忘れてたわけじゃないのに」
……狛枝……
 彼が日向に対してだけ不機嫌なわけでは無かったことに、日向は今更になって気が付いた。
 彼の言葉を借りれば、恐らく。
 ただ日向への怒りだけであれば、飲み会から帰った日向に苦言を呈して終わりにしたと。
 それがここまで拗れたのは、期待してしまった自分に対する自責と嫌悪があったから。
 煩わしげに髪を掻く狛枝に、日向は何度か口を開閉した。
 少し言葉を選んで、それから目を合わせる。
「狛枝、来週の金曜は空いてるか」
……リベンジしようって?」
 日向は頷く。
「本当なら、割り込みの予定が入った時点で、こう言えば良かったんだ……遅くなって、ごめんな」
「そうやって期待させて、来週も予定が入ったらどうするの?」
「そしたら再来週だな。再来週もだめなら、その次の日にしよう」
 眉を下げる狛枝に、日向は歯を見せて笑う。
「だから今回のことは、俺の所為にしておいてくれよ」
 お前の才能じゃなくてさ。
 それは口に出さなかったが、きっと伝わっているはずだ。
 狛枝はしばらく何も言わずに、手元のグラスを見つめていた。
 日向夏が揺れるサングリアを、もう一口喉に流す。
「美味しいね、サングリアって。おつまみもさ」
「美味しいな。その……二人で作ったから、格別に」
 ああ、これはちょっと恥ずかしいな。
 照れ臭さを誤魔化すように日向もサングリアを仰いで、頬の赤みをアルコールのせいにした。

…………そうだね」

 やや遅れて返事を寄越した狛枝には、バレバレだろうけど。