2024-09-15 22:07:04
142566文字
Public 小説(pixiv公開済)
 

マーブリング・マーブル

シャチョコン in ケーキバース。モモ=ケーキ(先天性)、ユキ=フォーク(後天性)。

ピリカラことRe:vale記念日2022リリックビデオの世界観+ケーキバースです。
社長(折笠千斗27歳)&コンビニくん(春原百瀬20歳)のほか、脇役として万理さんが登場します。
捏造過多。なんでも許せる人向け。特殊設定につき注意事項を最後まで必読でお願いします。

◆必読・注意事項◆
・ケーキバースという特殊設定に、多くの独自解釈と追加の設定を付与しています。
・流血・負傷・暴力的な表現があります(いずれも軽傷程度です)。
・モブキャラクター(名無し)による加害・犯罪行為があります(未遂・微量のモブモモ)。
・主要登場人物間のカニバリズム・欠損・殺人等はありませんが、世界観には含んでおり、言及があります。
・医学用語その他の各種用語はフレーバーとして用いており、解釈・知識とも曖昧で浅薄なものです。ご寛恕くださる方のみ、閲覧していただけますようお願いいたします。
・現実における特定のカテゴリ・疾病の方を貶めたり、傷つける意図はございません。また、実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。

◆あまり内容のないあとがき◆
https://privatter.me/page/66e6da94a683b
※読了後の方向けのためパスワード有です。質問自体がエピローグのネタバレになっていますのでご注意ください。

 心のかたちまでもとろけさせるような、透きとおった蜜の味。
 甘くて、甘くて、甘くて、甘い。
 この世に、あるはずのない味。

 嘗め尽くす。
 吸い尽くす。
 喉を鳴らして。

 ひとかけら残った理性だけが、痛いほどの苦さを感じていた。
 いま、世界が、変わってしまったのだと。


 ■   〇   ■   〇   ■


 ――最高の日に、なるはずだった。


 街がざわめき、にぎやかな空気をまとう土曜の夜。
 ひとつの決心とともに、折笠千斗は、春原百瀬を食事に誘った。
 ゲームという仮想空間で知り合って相棒となり、現実の世界でも運命的な出逢いを果たして友人となり。遊んだり食事をすることは何度もあったけれど、今日は、これまでとは違う特別な日になる。いや、特別な日にする。
 きちんと言葉にして、想いを伝える。


「今日はほんとうに、ありがとうございました! オレ、肉が好きだし、いろんな料理が食べられて、すごく楽しかったです」
 いっぱいの笑顔で元気良く言ってくれた百瀬に、千斗は内心でほっと息をついた。
 FPSゲームでの「Momo」は、大胆不敵、腕も度胸も超一流の頼れる相棒だが、コンビニ店員兼通信大学生であるリアルの「百瀬」は、控えめで遠慮がちで、引っ込み思案な印象だ。
 そんな彼がくつろいで過ごせるように、食事の際はいつも、自分の学生時代や、起業したばかりの頃の記憶を掘り起こし、あまり敷居を感じさせないスポット、店を選ぶようにしていた。今夜の店は、気安い路面店ながら、料理の味と酒の質は保証つきの肉バルだ。艶っぽい雰囲気は皆無だけれど、それでいい。それがいい。
 いつもの距離感で過ごす時間の延長線上で、気持ちを伝えたい。そして何よりも、百瀬が心地良く居られることを優先したい。
 狙いは当たり、百瀬は、あれがいい、これもいい、とアラカルトメニューに目移りし、料理が運ばれてくるたびに嬉しそうに歓声を上げ、店員の説明を真剣な顔で聞き、美味しそうに味わって食べてくれた。一緒に食事をしてこんなに楽しい相手は、ほかに居ない。
「ユキさんが教えてくれるお店、いつもとっても美味しくて、居心地が良くて、さすがだなあって」
「気に入ってくれたなら嬉しいよ。僕も楽しかった」
 あの料理のソースが美味しかった、あの肉の部位が、などと話しながら店を出る。通りは人でごった返していた。宵の口、ターミナル駅の繁華街は、出ていく者よりも入って来る者のほうが多い。
 二十歳の百瀬は、酒にまだあまり慣れていない。店の名物のサングリアで乾杯したくらいで、あとは食べるほうに集中したため、思ったよりも時間が経っていなかった。まだまだ長い夜が待っている。
「少し、風に当たろうか」
 酔いざましに、と、かたわらの歩道へと促す。百瀬は素直に頷き、隣に並んで歩調をあわせた。
 繁華街の裏手、線路に沿った歩道は、細長い遊歩道公園へと続いていた。ガス灯を模した街灯が、ところどころに光っている。ずっと奥のほうに、小さな社が見えた。ほかに人影もなく、都会の喧騒にまぎれて、この一角だけ、ぽっかりと静かだった。
――モモくん」
 ゆっくりと、足を止める。二、三歩ほど先を行きかけた百瀬が、遅れて立ち止まり、振り返った。
……ユキさん?」
 名を呼び、もの問いたげに揺れる瞳には、戸惑いとともに、淡い期待も見え隠れしている。と、思ってしまうのは、自惚れだろうか。
 ゲームの中で。リアルで。少しずつ距離を縮めてきた。
 右も左もわからなかった、足手まといな初心者の「Yuki」を、何の見返りも求めずに助けてくれた「Momo」。ゲームとは、純粋な遊びによる人と人との交流とは、楽しいものだと教えてくれた。
 あの日に芽生えた敬愛の念ともに、ずっと育ててきた気持ち。それはいつしか、隠しようがないほどに大きくなっていた。
 なにげない言葉にまぎれて、想いが口から零れるたび、Momoは――百瀬は、すこし面映ゆそうに、けれど茶化したりはせず、誠実に受けとめてくれた。そして、先日はとうとう、彼の大事な秘密を打ち明けてくれた。
 本来は口にしてはならない、だが深く触れあうと決めた相手には、必ず明かさねばならない秘密を。
 だからきっと、大丈夫。
 千斗の言葉を待ち、大きく見開かれた瞳。サングリアのせいだろうか、頬に赤みがさしている。そっと手をあてて、真っ直ぐに見つめた。
「モモくん。僕は、その、モモくんを」
 呼吸を整える。
――モモを」
 初めて、そう呼んだ。もも、の音が柔らかくて、かわいらしくて、綿のように喉でもつれた。
「もう知ってるかもしれないけれど、というか、むしろ、知っていて欲しいのだけれど、僕は、モモくん――モモが……
 しどろもどろだ。用意していたはずの言葉はとっくに行方不明。だめだ。いや、だめじゃない。今日は。特別な日にすると、想いを言葉にして伝えると、決めたのだから。決めたのに。
 ――喉も身体も固まったまま、数十秒が過ぎ。
……あの、ね」
 頬に手を添えられたまま、静かに立っていた百瀬は、ちょっと困ったような顔をして。けれど、くすくすと優しい笑いを漏らした。
「ユキさん、シャイだから。ありがとう、がんばってくれて。オレは――オレ、大丈夫です。わかってます。わかってるし、……大丈夫」
 声がひそまる。千斗の耳だけに届く囁き。
――いいよ」
 その言葉の意味が届いた瞬間、たとえようもない安堵と、息苦しいほどの歓びが、心を満たした。
 百瀬が目を閉じる。熱くなった頬を両手で挟み、そっと唇をあわせた。少しだけかさついて、けれど柔らかく、つつみ込まれるような感触だった。
 あわさった口が、ほんのりと甘いような気がした。バルを出る時に貰った飴の味だろうか。ちろりと舐めると、百瀬の身体がびくっと震えた。逃げるかな、と思ったけれど、少しだけ荒くなった息をつきながら、そのままじっと唇を重ねている。
…………ん、ふぅ」
 口の端から、ため息のような声が漏れた。息の逃がしかたを知らない。キスに、慣れていない。かわいい。
 漏れた声のすきまから、舌を差し込む。百瀬はまた身体を震わせたが、おずおずと、応えるかのように舌を伸ばしてくれた。軽くつついてから、ざらついた表面をこすりあわせ、唾液を舐めとる。
 はっきりとした甘さを感じた。店で貰った柑橘の飴の味ではない。透明なはちみつのように、薫らない甘味。とろとろと舌に絡みつき、じゅわりと滲みこんでいく。飲み込んでから数秒の後、えもいわれぬ深い甘さが、脳髄を刺激した。
 ――これは、何だ。
 わけがわからぬまま、強烈な甘みを味わう。唾液だけではない。百瀬の口のなか、すべてが甘かった。頬裏、舌下、八重歯からの歯肉。嘗める。吸い上げる。ねぶり尽くす。舌が止まらない。これは、天上の神々の喉を潤し、その無聊を慰めるもの。
「ユキさ…………!?」
 覆い被さった口の中、くぐもった声が上顎を伝わった。響く声すらもまろやかに甘みをおびていて、美味しくて。声ごと喉を吸う。
 苦しげな呻きとともに、ドン、と胸を叩かれた。その拍子に、逃げまわる舌を挟み込んでいた歯が押し込まれる。咄嗟に力を抜いたが間に合わず、舌の端を小さく食い破ってしまった。百瀬が身体を引き攣らせる。
 わずかにかじり取られた場所から、芳醇な液体が溢れた。煮詰めたカラメルみたいに熱く、ほろ苦く、濃厚な味わい。さらなる滋味の顕現。夢中で吸いつこうとしたとき、鉄錆のようなにおいが鼻に抜けた。美味でも甘味でもない、生ぐさい、ただの血のにおい。
 千斗がつけた傷から、百瀬が流している。
 急速に意識が鮮明になった。身体から力が抜ける。口を離すと、百瀬がよろよろと後退りした。口の端に血がついている。
「モモ……
 呼ぶでもなく、ただ、ぼんやりと呟く。視界のどこか、百瀬が身を震わせ、うなだれた。顔が見えない。顔が見たい。一歩、前に出る。百瀬はさらに退いた。何だろう。何が起こった。朦朧としている。ただ、彼を傷つけた。身も心も。それだけは確かだ。謝らなければ。今すぐに。
「ごめんなさい……
 けれど、その言葉を先に発したのは、百瀬のほうだった。
……モモ? そうじゃない。謝るのは……
 僕のほうだ。言おうとしたけれど、それよりも前に、百瀬は繰り返し、叫ぶように言った。
「ごめんなさい……ごめんなさい! ごめん、本当に……ごめ、ごめんなさい」
 何度も何度も、頭を下げる。最後にもういちど、深々と、膝に額がつくくらいに頭を下げてから顔をあげた。千斗を見るとき、いつもならば甘やかに光る大きな虹彩は、濡れそぼって昏く沈んでいた。きりなく溢れ続ける涙を、拳をこすりつけるようにして拭う。呆然と佇んだままの千斗を、少しのあいだ見つめてから、踵をかえす。そのまま彼は、振り向かずに走り去っていった。
 何もかもが混乱したまま、千斗はひとり残された。
 公園はしんと静まっている。遠くにぎわう街は未だ喧しいが、小さく耳に届く酔客の陽気な声が、まるで別の世界の出来事のように感じられる。ついさっきまで、ふたりで同じ酒を飲み、同じものを食べて、美味しかったねと笑いあい、語らっていた。
 あの時間はもう、二度と訪れない。
 意識が明瞭になるにつれ、起こったことの意味が、どうしようもない現実として重くのしかかってきた。
 バルで受け取り、ポケットに入れていた飴を取り出す。爽やかなライムのイラストが描かれた包みを破り、口に放り込んだ。
 何の味もしなかった。
 舌先で転がすと、歯に当たってカラカラと音を立てる。小石を口に含んでいるようだ。奥歯で噛み砕くと、わずかに柑橘の香りが鼻孔をくすぐった。嗅覚は完全には失われない。それゆえに、失われた味覚を忘れることが叶わず、未練を抱き続けてしまうのだという。知識では知っていた。知りすぎるほどに。
 疑うべくもない。
 折笠千斗は、フォークとして発症してしまった。


 フォークとは。
 医学上は、後天性の自己免疫疾患として扱われる。
 多くの場合、ある日突然に味覚を失うことにより、発症を知る。五味のすべてが消え去り、食感も鈍くなる。ひとたび発症すると、これらの感覚が戻ることはない。残りの一生涯、味というものを感じられずに生きることになる。
 例外は、ただひとつ。「ケーキ」と呼ばれる性質を持つ人間にのみ、味――それも、極上の甘味――を感じることができる。
 フォークにとってのケーキは、それまでの人生で味わってきたすべてを遙かに凌駕して美味であり、また、唯一味覚を満たせる存在である。ゆえに、ケーキを「食べる」ことへの渇望は、抗いがたい欲求としてフォークの心を支配してしまうという。
 そのため、フォークがケーキに執着するあまりに猟奇的な事件を起こしたり、果ては殺人にまで至ってしまった事例がいくつもある。よって犯罪者予備軍として社会的排除を受けることが多々あり、しばしば人権問題となっている。

 以上が、一般的に知られているフォークの姿だ。
 しかし千斗はもう少し詳しく、フォークについて知っていることがあった。
 近年、研究が進み、フォークの体内は、生体恒常性――バイタルを安定した状態に保ち、生体を維持する機構――が大きく損なわれた状態となっていること、そしてそれは、ケーキのみが分泌する特異な化学構造のホルモンの摂取によって好転することが明らかになった。
 ケーキを食することへの異常な執着は、身体を正しい状態に導こうとする、生物の自己保存の本能に支配されたものだ。
「ならば――理性で圧すればいい」
 フォークは決して、潜在的犯罪者でも、自律が不可能な人肉嗜食者でもない。人を愛し愛される、ひとりの人間だ。だから、悲観も絶望もしない。
 彼と一緒に生きることも、諦めない。


 スマートフォンを取り出して、幾人かと短い通話をする。土曜の夜だが、社のシェアラボには常に誰かしら詰めている。まずは確定診断で、現状を把握する。
 検査の都合がついた。己の頬をぱんと一度叩き、深呼吸をする。
……よし」
 今度はプライベート用のスマートフォンを取り出す。気を抜けば震えてしまう指を、ゆっくりと動かして、百瀬へのメッセージをつくる。一語ごと、一文ごと、何度も何度も確かめながら。言い訳にならないように。これ以上、彼を傷つけてしまわないように。

 どうか、読んでくれますように。


 ■   〇   ■   〇   ■


 ――最悪の日に、なってしまった。


 アパートの扉を後ろ手に閉めて鍵をかけ、百瀬は倒れるように部屋に転がり込んだ。
 ずっと走り続けたため、苦しいほど動悸がしている。ローテーブルの上の電気ケトルから、冷めた水をマグカップにそそぎ、口に含む。ぶわりと血の味が広がった。残りの水をティッシュに含ませて口に突っ込み、傷を拭う。噛まれた舌の傷は、まだじくじくと血を滲ませて、少し動かすだけで鋭く痛む。
「なんで……
 呻くように声が漏れる。喋ることでまた、傷が痛んだ。
 かけがえのない、ゲームの世界の相棒。それだけで良かったのに。なぜ、現実の世界でも出逢ってしまったのだろう。そして、なぜ、そのまま幾度となく会い続け、距離を近しくしてしまったのだろう。ただひたすらに悔やむ気持ちに押し潰されそうだ。


 春原百瀬は、ケーキである。

 診断が下されたのは、三年ほど前のことだ。サッカー部で主将を務めていた百瀬は、試合中の接触プレーで酷い怪我をし、入院を余儀なくされた。そこで受けた検査により、ケーキであることが判明した。
 ケーキとは、内分泌異常症により、下垂体から特殊なホルモンが分泌される症状を有する者を指す。出生前から定まっている先天性の体質だが、このホルモンの分泌開始時期はまちまちであるため、幼いうちは判然とせず、二十歳近くなってから確定診断となることが稀にある。百瀬はそのケースだった。

 下垂体が、ホルモンが、と言うとものものしいが、ケーキ本人にはこれといって自覚症状はなく、目に見えるところでは他の人との違いもない。
 ただし、フォークによる捕食の標的となる危険性については、常に心に留めておかなければならない。身の安全を図るため、たいていのケーキは、自身がケーキであることをひた隠しにし、常用薬でホルモンの分泌を抑制しながら、ひっそりと社会に溶け込んで生きている。
 百瀬もまた、日々、身辺には注意をはらっていた。千斗とリアルで会う時も、若干の後ろめたさを感じつつ、飲食の際は毎回ひそかに観察していた。
 最初は、雑踏の交差点ですれ違ったあの日。誘われるままに入ったコーヒーショップで、カップを間違えたふりをしてこっそりとブラックコーヒーに入れた砂糖の甘さに、彼はちゃんと気がついた。
 今日だって、バルのさまざまな料理や酒を美味しそうに食べて飲んで、ドレッシングの酸味の強さや、デザートの塩キャラメルアイスの思いがけないしょっぱさについて、楽しげに語っていた。そこに嘘偽りは感じられなかった。
 ――それは、つまり。

 フォークは、後天性で発症する。その因果は定かになってはいないが、きっかけとなる外的要因については、有力な仮説があった。
 フォークの潜在因子を持つ者が、ケーキが発する外分泌物質――フェロモンを摂取し、ケーキの「味」と「におい」を知ることが、引き金になるのだという。

 おそらくは、ふたりで時間を過ごすうちに、少しずつフェロモンが浸潤していき。
 キスが決定打になったのだろう。百瀬から誘った、はじめてのキス。

 百瀬が、千斗をフォークにしてしまった。

 ×     ×     ×

 ケーキとして絶えず緊張を強いられ、神経を張りつめた日々を過ごす百瀬にとって、オンラインゲームの世界は、何の気兼ねも疑心もなしに他者と対等な関係をつくることができる、貴重で大切な場所だった。
 現実の肉体から解き放たれて、自由気ままに闊歩できる異世界。ランダムマッチングの一期一会。一試合、数分間にぎゅっと詰まった、戦術と信頼と、架空の命のやりとり。集中のなかで思考は透徹し、ひとときだけ、うつつのすべてを忘れられる。置き去りにされた夢も、曖昧で不確定な未来も。
 そこで、彼と出逢った。


 ロングレンジな人。
 出逢ってから今に至るまで、百瀬が千斗に抱いている感想はこれに尽きる。第一印象からずっと、リアルで会うようになった今も、変わらない。

 ゲームの中で、初めて会った時、千斗――Yukiは、悪質な初心者狩りに遭っていた。
 ランク戦のシーズンが更新され、ランダムマッチングが混沌とする時期、しばしばライト層に狙いをつけてポイントを稼ぐ輩が出現する。それもまたゲームの一面、と割り切るべきなのかもしれないが、基本操作もおぼつかない明らかな初心者が、地形嵌めで移動を封じられ、複数人に囲まれてえんえんとリスキルされているのを目撃してしまっては、さすがに見過ごせない。
 百瀬――Momoは、装備を散歩用のものからスナイパーライフルに切り替えて、遠距離からざっくりと威嚇射撃を行った。こちらの存在に気づかせ、情報をチェックさせる。それだけでいい。
 アカウントIDナンバー五桁の古参、各種勲章コンプリート済。名前を知られていれば、もっと話は早いだろう。野良でのソロ主体の立ち回りながらランカー常連で、バッドマナーには潔癖なMomo。動画の投稿や、時おり実況配信も行っており、それなりに名が通っている自負はある。はたして、キャラクター情報を走査するフォーカスが当てられて数秒の後、蜘蛛の子を散らすように彼らはそこから消え去った。
 あとには、やっと邪魔されずに蘇生が完了した初心者が、ぽつんと立っていた。ライフルを下ろして戦闘態勢を解除し、ゆっくりと近づきながらフォーカスする。
 プレイヤー名、Yuki。長い銀の髪を飾る、ひとふさのメッシュエクステ。パーツの整ったフェイスに、切れ長の碧い瞳が怜悧な印象を際立たせつつ、ひとつぶ落とされた泣きぼくろがチャーミングだった。すごく上手いアバタークリエイトだな。スクショ撮らせてって言ったら怖がらせちゃうかな。のんびりとそんなことを考えつつ、キーボードを引き寄せて、手早く文章を打ち込む。
『こんにちは! ビギナーさんですか? 今ちょうどランクがリセットされたところなんで、ビギナーフィールドがあんまり機能していないんですよ』
 リスポーン地点に立ち尽くしたまま、Yukiは微動だにしない。
 ……あとになって聞いたところ、障害物を乗り越えるための登攀移動の操作がわからなくて、オンラインマニュアルを見ながらコントローラ設定と格闘していたらしい。
 そういうわけで返事はなかったが、ともあれ必要なことは伝えておこうと、百瀬はキーボードを叩いた。
『二、三日したら落ち着くと思うんで、ランクマッチへの本格的なエントリーは少し待つか、でなかったら同接……同時接続者数が多い時間帯にプレイするのがおすすめです。そうすれば、ちゃんとビギナーとだけマッチングする確率が高くなるので』
 そこまでひと息にテキストを打ち込んで、しばし反応を窺う。できるだけ簡潔に現状を説明したつもりだが、ゲーム界隈の用語が多くてわかりにくかっただろうか。
 と、Yukiのステータスに、ボイスチャット起動中のマークがついた。ゲーム付帯の簡易ボイスチャットツール。音質はいまひとつだが、直感的に操作できるので、初心者にもすぐに扱える。
『三日、待つの?』
 低い声。男性だ。マイクが遠いのか、声がくぐもって、不満げな響きをはらんでいるように聞こえた。
 せっかくゲームを始めたのに、メインコンテンツへの参加を三日も待てと言われるのは納得しがたいだろう。なにかフォローを、とヘッドセットのマイクをオンにした時、続けて声が聞こえた。ぼそぼそと、ひとりごとのようだった。
『三日か。そのあいだに、できることを……コントローラを設定して、チュートリアルのタスクをまとめて、操作に習熟して……
 落ち着いた大人の男性の声で、そんなふうに呟いているのが聞こえて、百瀬は頬を緩ませた。あんな目に遭ったのに、モチベーションは高いまま、じっくりとプレイに取り組もうとしている。意欲と向上心のある新規プレイヤーは、いつだって大歓迎だ。嬉しくなって、マイクに口を近づけて言った。
『あの、もし良かったら、少し一緒に練習しませんか? ゲームパッドの割り当てとか、操作のコツとか、必要なら相談に乗れると思うので』
『それは……とても助かるけれど、きみの時間を取ってしまわない?』
『だいじょうぶ! オレも、落ち着くまでランクマは控えるつもりだったので。むしろ時間を有意義に使えてありがたいです』
『そう……ってく……、お願……
『あ、Yukiさん、ちょっとマイク遠いみたいです。もう少し、口を近づけて話して貰えますか?』
――失礼。さっそくひとつ、教えて貰ったね』
 急に声が近くなる。耳もとに囁かれたように錯覚して、ひゃっと声が出そうになった。手から滑り落ちかけたコントローラを慌てて握り直す。
『まずは、お礼を言わせて。さっきは、助けてくれてありがとう。そして、嬉しいお誘いをありがとう』
 しっとりと柔らかく、それでいて理知的な、いつまでも耳を傾けていたくなるような声だった。アバターにも、良く似合っている。
 とりあえず訓練用フィールドへ、と移動方法をレクチャーしながら、Momoは予感めいたものを抱いていた。
 この人とはきっと、長いつきあいになる。


 予感は現実のものとなった。生来の思慮深さと、初心者ならではの発想の柔軟さとを兼ね備えたYukiとのプレイはとても刺激的だったし、ボイスチャットで聞く穏やかで優しい語り口は心地良くて、プレイ歴やスキルなど関係なしに、ずっと一緒に遊びたいと思うようになった。Yukiのほうも、Momoとの会話やプレイを楽しんでくれていることを、控えめながら心のこもった言葉で、幾度となく伝えてくれた。Yukiが上位マッチに到達したタイミングで、ふたりで固定ペアを組み、互いに相棒と呼びあうようになった。
 Yukiはロングレンジの武器を好んだ。相手の動きを予測し、しっかりと位置取りをして、狙いすました一発必中の銃弾をお見舞いする。クレバーでテクニカルなプレイスタイルだ。
 広く視野を取れる場所に身を置いて、フィールドを俯瞰し、はるか遠くまで手を届かせる。その流儀は、ゲームのプレイングのみならず、とりとめのない雑談のなかからも、たびたび感じられるものだった。
 一手先、二手先を読み、常に最適な解を探す。より佳い道筋を探し続ける。ケーキであると知ったその日から、運命に、世界に翻弄されるちっぽけな身の丈を痛感し続けている百瀬にとって、Yukiのそういった心のありかたはとても美しく感じられた。

 ロングレンジな人であるYukiは、Momoに対してだけは、ショートレンジだった。
 ふと気がつけばいつも近い距離にいて、ゲームでは息の合った爽快なプレイをし、リアルでは会話を弾ませる。そうして遊ぶたび、会うたびに、曇っていた心が晴らされ、明らかにされていくような気がした。
 Yukiにかたちを取り出されたそれが、真実の自分なのかどうかは、良くわからない。でも、好きになれる自分のような気がした。
 きちんと応えなければならない、と思った。大事な相棒として。特別な友人として。その先はどうなっていくのか、まだはっきりとは思い描けないけれど。きっと、一緒に進んでいける。
 だから、そのために。
 百瀬は、自分がケーキであるということを、千斗に伝えた。

 ケーキとフォークの支援を専門とするソーシャルワーカーには、たとえ心の底から信頼できると思えた相手であっても、家族以外の人間に打ち明けることは避けるように、と繰り返し諭されていた。
 けれど、人柄への信頼はもちろんのこと、千斗はビジネス誌の表紙を飾るほどに社会的地位の高い著名人であるし、通常の味覚の持ち主だという確信も得ている。躊躇する必要はない、と思った。
 ふたりだけのプライベートフィールドでのボイスチャットで、百瀬は、ケーキだということを明かした。覚悟の告白だったが、千斗はごく自然体で受け入れて、返礼のように、彼自身の属性についても話してくれた。自分はケーキでもフォークでもないということ。彼の会社は医療系のベンチャー企業で、ことにケーキとフォークの研究について重点的に取り組んでおり、彼自身それなりの水準の知識を持っているということ。フォークの潜在因子の検査は定期的に行っていて、発症の閾値にはほど遠いこと。これについては、わざわざ検査結果のデータまで送ってくれた。半年ほど前のものだったけれど、確かにフォークの因子は検出不可能レベルの数値となっていた。何よりの情報だった。
 ――安心し、浮かれてしまった。

 ×     ×     ×

 帰宅して投げ出したままだったスマートフォンが、ちかちかと光っている。
 メッセージがいくつも届いていた。

『モモ。今日はごめん。怪我をさせてしまって。驚いただろうし怖かったと思う』
『でも信じてほしい。僕は確かに今日まで自覚症状はなかった』
『決して、モモがケーキで僕がそうだから近づいたとかじゃない。それだけは伝えておきたくて』
『傷は大丈夫? 舌は出血しやすいからしっかり止血して下さい』
『怪我をさせた僕がこんな偉そうに言える立場じゃないけれど。本当にごめん』
 続けざまのメッセージには、いつも泰然としていた彼が初めて見せる動揺と、それ以上に百瀬への気遣いがたくさん詰まっていた。そして「フォーク」という言葉を使えない、使いたくないことが伝わってきて、痛々しい。
『今から社のラボで検査をしてくる。結果が出たらまた連絡するよ』
『それと、もし、モモが……嫌じゃなかったら、だけれど。いつか、どこかで、謝罪と、今夜の埋め合わせをさせてほしい』

 最後に、メッセージはこう締めくくられていた。

『返事はくれなくてもいい。
 ただ、無事を確かめさせてほしい。
 既読だけでもつけてくれたら嬉しいです。』

 止まったはずの涙がまた溢れそうになり、あわててかぶりを振った。
 彼自身、フォークとして発症したことがショックでないはずがないのに、まず百瀬のことを、百瀬の心を、こまやかに気遣ってくれている。
 そういうひとだと、知っている。

 アプリを開き、メッセージを既読にした。千斗の言葉をもう少し眺めていたくて、遡って画面をスクロールさせる。
 待ち合わせのやりとりと、今日の食事への誘いの言葉があった。
『今宵ひととき、モモくんの時間をいただけませんか』
 百瀬のカミングアウトを経て、初めてリアルで会う今夜は、思うところがあったのだろう。いくぶん気取った言いまわしから、無器用な意気込みが伝わってきて、いよいよかな、と百瀬も緊張した。
 なのに、ムードもへったくれもない肉バルに案内されて、百瀬はひそかに愉快なような、照れくさいような、くすぐったい気持ちでいっぱいになった。好物の肉料理。コンビニ店員兼大学生でも馴染める気さくな雰囲気。この店を選んでくれた千斗の気遣いが何よりも嬉しくて、その心をぜんぶ受け取る気持ちで、思いきりはしゃいでしまった。


 リアルでの偶然の出会いから数日後、初めて食事に誘われた時のことだ。
 ゲームでたくさんレクチャーしてくれたお礼にごはんを奢るよ、と言われて、ゲーム仲間とのプチオフ会くらいの軽い気持ちで出かけていったら、連れていかれた場所はなんとホテルの最上階、高級フレンチレストランだった。服装にしろ立ち居振る舞いにしろ、自分があまりにも場違いすぎて、今すぐに回れ右したいと切実に思った。
 けれど、せっかくの千斗の好意を無下にはできない。なんとか笑顔だけは作りつつ、皿のうえに美しく飾られた料理を、ただ飲み込み続けた。
 ぎこちない食事を終え、ホテルを出たところで千斗が言った。
「もう一軒、つきあってくれる? 晩ごはん」
 最後の単語が一瞬、理解できなくて、百瀬は目を瞬かせた。
……え? あの、ごはんの二軒目……ですか?」
「あまり食べた気がしなかったな、と思って。ものすごく食べた気がすると評判の店に行ってみよう」
 そう言って待たせていた車を帰し、徒歩で駅前へと向かった。
 連れていかれたのは、ラーメン屋だった。しかも、ニンニクマシマシとか、アブラオオメとか、そういう系の。
「ラーメンで締める、っていうの、やってみたかったんだよね」
 奇跡みたいに美しい横顔で、店のガラス戸に貼られた写真を眺めて、野菜がたくさん摂れていいね、などと感心した風に言っている。あまりのギャップに、百瀬はくらくらと眩暈がした。
 食券を買って、トッピングのオーダー方法について軽く説明する。千斗は生真面目な顔で頷きながら、こう言った。
「独特のルールとマナーがあるんだね。モモくんと一緒で良かった。ひとりだったら、少し心細かったと思う」
……オレも。ユキさんと一緒で良かったです」
 そうか。
 どんなルールとマナーがあっても、千斗と一緒なら、どこでも良かった。彼のように素直に、てらいなく、教えて貰えば良かったのだ。
 自分の至らなさにまた気分が沈みかけたその時、カウンターにどんっとラーメンが置かれた。こんもりと盛られた野菜とぶつ切りのチャーシューのボリューム感に圧倒され、横を見れば、千斗は目を見開いてまじまじとラーメンを見つめながら固まっていて、思わず声をあげて笑ってしまった。
 千斗が百瀬を見て、ほっとしたように微笑む。割り箸をぱちりと開いて、楽しそうに言った。
「それじゃあ、“ものすごく食べた気”いただこうか」


 フレンチも、ラーメンも、彼はもう味わえない。
 百瀬が奪ってしまった。味覚という喜びを。そして、社会的立場も。
 世間にフォークであることが知れたら、彼と彼の会社の信頼は失墜してしまうだろう。昨今、表立って言う者は少ないが、フォークへの偏見は根深く蔓延っている。
 若くして起業し、社会にも貢献してきた、才能と叡智あふれる特別な人。そんな人の輝かしい人生を汚してしまった。
 百瀬の、いっときの情欲で。
 決して赦されない。

 まだ血が滲み続ける舌の傷を、歯で挟んでがりりと噛んだ。鋭い痛みとともに、押し出されるようにして血が溢れだす。
 ――封印してしまおう。
 もう、分不相応に求めることはしない。

 けれど、その前に。
 これでもケーキとして数年を過ごしてきた。生まれてすぐに診断された者と比べたらごく浅い経験だが、なにか、できることがあるかもしれない。
 身の程知らずかもしれないけれど、千斗のためにできること、役に立てることがあれば。
 傷の痛みと、血の味からの嘔気に思考を阻害され、ぐらぐらする頭を指で押さえながら、必死に考える。ケーキという体質と、自分の属性を天秤に載せる。ゲーマー。コンビニ店員。スクーリングをさぼっている通信大学生。……だめだ。己の有用さなんて、何も思いつけない。
 だったら、そう――専門家に聞いてみるとか。

 ソーシャルワーカー。
 ケーキには、行政の手厚い支援がある。その窓口となるのが、ソーシャルワーカーだ。個人担当制となっており、百瀬にも、ケーキであることが判明した時からずっと世話になっているソーシャルワーカーがいる。
 その人もまたケーキで、諸々の事情で百瀬が家を出ることになった時には、ケーキとして暮らしていくうえで注意すべきこと、受けられる援助や日常での懸案事項などについて、親身になって教えてくれた。
 個人の名前は伏せて、経緯を伝え、相談してみよう。あれほど止められていたのに、他者にケーキであると明かしたこと、ひとりのフォークを発症させてしまったことで、落胆させ、呆れさせてしまうかもしれない。けれど彼ならばきっと、それ以上に力になってくれる。
 スマートフォンの連絡先を開き、名前を検索する。
 あ行だ。すぐに見つかった。


 社会援護局、特定形質支援福祉部所属。大神万理。
 それが、百瀬を担当するソーシャルワーカーの名前だ。